鍋の中

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基本的に、けっこうさわやかな描写が多い中

ポイントとなるところはけっこう深く濃い


祖母は、歯が大変悪い

で、祖母がつくる鍋は、煮過ぎた闇鍋のようである

そしてとてつもなく、味が濃い


ある夜、少女は、祖母とフロに入っていた

少女は、祖母の背中を見て、思った

ヒフをひっぱたら、きれいな富士山ができるんじゃないかしら

あぁ、ひっぱりたい

祖母は、少女の背中を見て、おもわず、つぶやいた

「ほんと、麦ちゃんに、そっくり・・・」

少女は何のことかわからず、尋ねる

祖母は涙を流す

少女は問い詰める

そうして、祖母から、大変な、うち明け話を聞く

あなたがお母さんと思っていた人ね、本当は違うの

本当の母は、お母さんと思っていた人の、お姉さんなの

えー!?

で、少女はそれなりに暗くなる


少年は、祖母から「靴屋になった若者」の話を聞いた

若者は、念願の、靴屋で働くことになった

「靴屋になった若者」は、彼の親方の妻と仲良くなった

ある日、親方の妻を連れ出し、村から出て行った

村の者は総出で若者をつかまえようと捜し求めた

若者は逃げきり、そして別の村に行って家を建て、靴屋を開き、「靴屋の親方」となった

子供ができ、店は繁盛し、新人を雇った

その新人は、ある日金を盗み、親方にみつかり、けんかとなり、「親方」を殺した

親方の子供は親方の弟に預けられた

その子供が大人になり、少年が生まれた

殺された親方は、少年にとって、自分の本当の祖父らしい

で、少年は、それなりに暗くなる


自分のルーツという人から、自分のルーツについて聞かされるのでかなりリアル

あぁ、なんという・・・


その他いろいろあるのだが、ある日祖母はいう

「麦ちゃん? 靴屋の親方? それだれ?」

いろいろ話してみると、次のような結論にたどり着いた

「祖母の話は、正確ではない」


しかし、だからといって、少女の心も、少年の心も、すっきりしないのですね

自分のルーツは、かつて白だった、それが黒になった

多分、黒ではないことがわかった

しかし白には、戻らない 黒にも戻らない

自分の足が、鍋の中でとけてしまったような感じになる


祖父母、両親のもつイメージやらエピソードやらと自分とのつながりについて、ふと思い至りました

考えるほど、やはり、深く、濃い
作者は、再構成してみたいとでも思ったのだろうかとほんの少し思った


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神の子どもたちはみな踊る

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神様シリーズの続きでもあり、村上春樹の小説シリーズ続きでもある


この小説はおもしろかった

短編集だが、全ての作品が神戸の大震災にわずかに関係する


さて小説のあらすじ

 主人公が生まれたときから、彼の母親は新興宗教にはまっていた

 父親は神様だ(つまり実際的な父親は「いない」)と言われて育ってきた

 しかしある日(実際的な)父親についての情報を知った

 それから数年後、それらしき人を偶然見つけ、追いかけていった

 いろいろあって、主人公は踊ることになった


踊るに至る過程がおもしろい


解釈はいろいろできるが、次のようにもできる


自分の無意識の中の底の下にあるかもしれない潜在意識があるとする


その潜在意識の世界にいくにはどうすればいいのかというと、


やはり「案内人」が必要だ


この小説の場合、それは「父親かもしれない、いやきっとそうだ」的な人なのですね











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めくらやなぎと眠る女

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いろいろあって東京に行って来ました


いろいろあって帰りの新幹線に乗りました

外はもう真っ暗でした


隣には60歳くらいの男性、その隣に50歳くらいの女性が座りました

新幹線は東京を出て上野に向かいました

いつものアナウンスが流れました

 

男性はカンチューハイを飲み始めました

女性は大きく明るい口調で話し始めました

 ステレオはやっぱり取り付けが大変よね・・・

 プールもたまにはいいわねぇ・・・

 餃子が食べたいわね・・・

会話のように語りかける感じでしたが、男性の返事は聞こえませんでした

 しゃっくりがたまにあり、それが返事ともとれるのかもしれない、などと感じました

 長年つきあっていくといろいろできあがっていくのかもしれません


ところで新幹線に乗る前に東邦画廊に行きました

 自分の昔の作品が2点ありました

 一つは、消防士が壁に穴を開けようとしているもの

 もう一つは、温泉にひたっているうちに水温は上がりつづけ、「なわ」のようなものになってしまった人

  ともいえるようなあるいはそんな気がしないでもない絵でした


で、自分は新幹線の中で

「めくらやなぎと眠る女」と読み始めました

村上春樹の「蛍・納屋を焼く・その他の短編」の中のものです


病室で、少女が自作の詩を2人の男性に解説するシーンが印象的です

 めくらやなぎの花粉をつけたとても小さな蝿が、とても大きな耳に入っていくのです


 残念ながら、いろいろあって、蝿はむしゃむしゃと食べる 


そのあたり三人の会話の様子は、「ノルウェイの森」の一部ととても似ています


「めくらやなぎと眠る女」においては

昔のことを思い出し、それが思い出として描写される

 例えば

 Bは餃子を食べていた

 餃子を食べていると、なぜか3年前、プールでおぼれたことを思い出した


「ノルウェイの森」においては

思い出的なもの(と思われること)が同じ時空間の中での出来事として描写される(ように思われる)

 例えば

 Bは餃子を食べていた

 食べ終わって30分後、プールで泳ぎ始めた

 泳ぎ始めてまもなく、Bはおぼれた


「ノルウェイの森」の歌詞(ジョン・レノン(クレジットは違うけど)作)で印象深いのは次のフレーズ

  目が覚めると一人きりだった

  鳥は飛んでいってしまった

  というわけで火をつけました


「夕鶴」をジョンレノンが解釈するとそのようになるのです


もちろんうそです

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ノルウェイの森

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村上春樹の代表作。

もっと素晴らしいものもあるかもしれないが、彼を一躍国民的に有名にさせたのはこの作品だったように感じている。


感想も20年前に読んだときと比べ大きく変わった

その中に

 主人公と彼女はよく散歩をした。

 東京中を、何時間も、ただただ歩いた。

 目的的に歩くのではない。しかも、

 いつまで歩くのかも、どこへ向かっているのかも、

 わからず、彼女に合わせて歩く。

といった描写がある。

 ところで彼女は、恋人ではない。

 親友の恋人であり、つまり主人公にとっては友人である。

 しかし親友は死んでしまったため微妙な感じになる。


20年前に読んだときの感想は

「何が面白いのだろう。全く理解できない」

だった。

最近になって理解できるのか、というと、なんともいえない。

最近よく散歩するが、世の多くの人々の散歩とほぼ同じである。

自然鑑賞も兼ねた軽い運動を目的としたものである。

「ノルウェイの森」においてはそうではなく、

 心のやりとりや心の整理を目的としたものようにも感じられる。

 ただ、主人公の、「よくわからないが、それはそれでよい」という気持ちには、「読み物としては」好感をもてた。

  今では、おもしろみやら深みやらしみじみやらをより強く感じるようになった。


「ノルウェイの森」を20年前に読んだときは

 けっこうなまなましいように感じた。

 「文学ですよ」といった語り口で、あるいは販売のされ方とは、反対の側にあるようなものがあった。

 こころの病みと性に関する不安をおしゃれに肯定的に描き出した(特に装丁やタイトルなど)ファッショナブルな小説と感じられた。

「プレゼントできる、飾れる、語れる」小説であり、オブジェだった。

そうしたためか、それまでに読んでいたものと比べると読みやすかった。

つまり、(文学的であるからこそ)飽きそうになると(文学的とは思えないような)刺激的な描写が出てくるのである。


で、最近また読みました。

 やはり読みやすい。

 ただし以前刺激的と感じていた描写は逆になくてもよいと感じる。

またあらためて感想を書いてみたい小説である。