恐縮について

テーマ:
植物・2作目
これはいったいどうしたことだろう

などと最近よく思う
どうということもないとき、ふと思う
そんな感じの絵が、これだ

2

いつものことで恐縮だが、
そんなことはありません。
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それから

テーマ:
11

弾は、球になってふらふらただよう

猪苗代湖からトンネルへ、
そして家に来て、
そしてまたトンネルへ戻っていく

トンネルを抜けると、
ただただ白い
前も後ろも
上も下も
全てがただただまっしろである

というわけで、
ただよいつづけるしかない
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新作シリーズ

テーマ:
あまり記憶にないことだが、創作文ではなく、制作過程の紹介

1 パネルを横にし、木目をじっと眺める
(これは、キャンバスでなく木製パネルに描いた絵である)

2 木目の模様などが、雲や波や浜辺などに見えた

3 木炭で木目をなぞった

4 雲や波や浜辺とわかるよう、描き加えたり消したりした

5 さらに、人や船や動物を描いた
  が、失敗した

6 パネルを縦にし、また眺めた

7 植物の幹が縦にいくつもあるように見える
 それでそのように描く

8 植物でできた門のようにする
(中央は大きく開け、左右は上も下も横につなげる)

9 なんとなくおもしろくないので、
 太くしたり細くしたりつなげたり消したりをえんえんと繰り返す

10 なんとなく物足りないので、
 いろいろな所にいろいろなポーズの人間を描き加えたり
 消したりをえんえんと繰り返し、
 なんとなく、このようになった

1

というわけで、「なんとなくこうなった」というわけだが、
これはいつものことである

何を表現しようとしたのかというと、
従って「なんとなく」なのだが
今までとはかなり違うように感じる
今までは「イメージ」というか「情景」といったものが第一だったような気がするが
今回の場合、それと同等に、あるいはそれ以上に、
「自然な存在感」や「生命感」のような気がする
気がする・というのは結果論であって

描いている過程では、あまり意識せず描いていく
どれだけ存在感が感じられるかとか
どれだけ生命感が感じられるか
といったことで描いたり消したりするのではない
自分の目
だけで判断していく・というわけです

ただし行き詰ると、
「これはあれであれはそれだとすると
などと考えて描いていく
つまり説明的な絵にしたてあげていく

説明的な絵はあまり好きではないが
一度説明的な絵にしてみると
それが何か新しいヒントになることも
たまにある
それでやってみることはそれなりにあった
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