幸せのちから

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メン・イン・ブラックで有名なあのウィル・スミスが素晴らしいと感じました


ラストシーンにおいて、とても激しく感動している人がいました

今まで映画館で映画を見てきて、これほど感動している人は初めて、というほどのものでした

どんな場面かというと、

大変な苦労の末、就職試験に合格した場面です

自分もそこそこ感動しました


感動する理由は、他の人もそうかと思うのですが、

自分も、就職試験に合格するまでに、大変な苦労をしてきて、それで、その主人公に感情移入できたからではないかと思います

就職試験に合格できるまでの苦労について、より明確に感じられたのは、村上春樹の小説がきっかけです

 例えば、想像である人を悪くとらえ、しかも、それについて断定的になり、その結果、もちろんさらに悪い状況になる、という感じの苦労です。臨時採用職でいたかつての自分はそうだったと思い当たることがありました。今と違い、バブルな時代で周囲の同輩後輩がどんどん合格していくことも大きかったかもしれません)


それはさておき

映画もラスト近くになり、BGMに「明日に架ける橋」が流れてきて、自分はそれで、けっこう、はまりました。

「明日に架ける橋」は、自分にとって特別な曲の一つです

自分にとっては、5曲1セットになっています。

1 サウンド・オブ・サイレンス

2 水曜の朝、午前3時

3 アメリカ

4 ボクサー

5 明日に架ける橋


続く

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ジョン・レノン

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前回の続き


自分の場合どうだったかというと、

高校の時はジョンレノンだったような気がする

ジョンレノンまたはビートルズ関連のものを求め、本屋を探し回った

当時新聞配達をしていてそれなりに資金はあった

5冊くらい買ってはみたが、もっと知りたいと思って、ビートルズファンクラブに入った

「ビートルズ・シネ・クラブ」といった

発音のイメージは、悪い

死ね・クラブ?

と感じてしまっていて、他の人には言えなかった

正確には、シネマ(映画)を、シネマとそのまま使わずシネと縮めた

そのセンスが発足当時は悪くなかった・ということなのだろうかよくわからない


で、ジョンレノンのことばや歌詞にはまっていった

(ジョンレノンの歌詞は日記のようなものが多い。僕は俺は私は~など、要するに一人称が多く、かつ本当に自分自身のことのようだ)


ロックは最高だ

バンド仲間は最高だ

なんでこんなハイな気分になるんだ

毎日めちゃくちゃだ

あいつにはだまされた

あいつはあほだ 間抜けだ とんまだ ばかだ 

社会はだめだ 最低だ なくなればいい

革命が必要だ

いや、勝手にやってくれ

われわれビートルズはキリストより有名になるだろう

いやいまのはうそです

ぼくはひどく疲れた

絶望した もうだめだ

愛こそはすべてだ

ヨーコ(小野洋子)こそはすべてだ

想像力(イマジン)こそすべてだ

想像力で全ては解決するはずだ

ショーン(ヨーコとの間にできた息子)は美しい

いろいろあったがわれわれ三人は、これからよりいっそう素晴らしい人生を送っていけるのだ

(といった歌が発売され、全米ヒットチャートでナンバーワンになり、彼の姿は再び多くの人の目に露出することになったが、自称ジョンレノン(マークチャップマン)にとってはあってはならない存在だったらしく、ジョンレノンは自称ジョンレノンに射殺され、その直後、世界中で、何千人ものファンが集まり死を悼むことになった)


つらいめにあって異常な言動を繰り返し、愛と想像力をえてがんばって、成功する、

 という経緯は、まるでキリスト教徒における聖書の神話のようなものだったのかもしれない


まぁとにかくロックは素晴らしいらしいと感じてギターを買ってそれなりに努力はした


ドレミファソラシドを覚えるために二週間がんばったがそれ以上はだめだったが、数ヶ月してまたがんばってみたがやはり2週間くらで飽きてしまい、また数ヶ月してまたがんばって・・・

を5回くらい繰り返して、20才になった

4年も続ければその分野についての見通しにも見当がつく

ジョンレノンはあきらめることにした

自分にとっての「苦しいときの神だのみ」の神ともいえたジョンレノンはそのようにして存在感をうすめていった


かわって、現代美術にはまってみることにした

読みまくった

何を言いたいのかわからないものばかりだった



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YAWARA

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前回からの「神」もの続き

YAWARA、マスターキートン、20世紀少年などの作者として有名な、浦沢直樹さんのインタビュー番組を見た


YAWARAの作者として一躍有名になった彼が、ある時期、ある作品について、非難されたことがあった

そんなとき、自分の意志を貫きとおせることができた人が、浦沢さんの心の中には、いた

浦沢さんにとっては、その人を、神ということもできたようだ

2人いた

手塚治虫とボブ・ディランである


 ボブ・ディランとは、反戦フォークシンガーとして、まさしく一時期、世界中の反戦主義の音楽ファンにとっての神のような存在になった人である

 その当時の代表曲は「風に吹かれて」「時代は変わる」など多数


 さて、彼はフォークギター一本で1人で切々と歌い上げるスタイルを確立し、多くのファンから強く支持された

 しかし彼はある時スタイルを変えた

 エレキバンドをバックに従えて歌いだした

 その時、彼は多くのファンから激しく非難された

 しかし彼はそのエレキバンドスタイルを貫き、新たなスタイルによる名曲と評価される曲を作りつづけた


芸術家にとって、あるいはロッカーにとっての典型のようにも感じた

1 スタイルAの確立

2 評価の定着、ファン層の成立

3 新しいスタイルBへの挑戦

4 以前の評価者あるいはファンからの非難、離脱

5 新しいスタイルBをくずさずに続ける

6 新しい評価の定着、新しいファン層の確立


上でいえば、4においては、ひどく落ち込むことになると思う

ひどく落ち込んだとき、強い力と明確な方向性を与えてくれる人を、「神のような人」と称されることが多いようだ



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神というと、自分にとっては、ジョンレノンの歌う

GOD

である

というか、その歌詞を通して、彼の神に対する考え方に「ほー・・・」と、感じ入ったものでした

今から20年以上も前のことです


で、その歌詞の内容は以下のようになる


「神」とは、概念である

あるいは、「モノサシ」ともいえる

 苦しみの、モノサシである

 僕にとっては、「神」は存在するものではない

  イエスは存在しない

  釈迦は存在しない

  合衆国大統領は存在しない

  ビートルズは存在しない

僕にとって存在すると信じられるものは

 僕と洋子(妻)だけだ

 夢は終わった

 僕は生まれ変わった


20世紀最大のロックバンド、ビートルズの元リーダーであったジョンレノンの、ビートルズ解散直後に発表された曲でもある


前回のブログにおける「神」とは、その意味するものが非常に違うのでありました

そしてその違いを認識せずに「神」ということばを使うことは、とっても危険なことなのだということを実感したものでした


続く

敬愛なるベートーヴェン

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ベートーヴェンの第九交響曲が好きなので観ました


で、期待通り、第九には感動した


ところで、ベートーヴェン本人の描かれ方だは、

「不潔で気難しい自信家」だった

実際どうだったのか、他の人の感想を知りたいと思い、

いろいろと読んでみた


怒っている人がいる


中には、本当に、心の底から怒っている人がいた

なぜかというと、その理由がいろいろ書かれてあるが、

ポイントは、3点のようだ

・その人にとってのベートーヴェンは、極めて偉大な人間である

・その人にとってのベートーヴェンのイメージは、明確に限定されている

・そのイメージと、映画のイメージは、悪い意味で、非常にずれている


10年以上前にもなることを思い出した

ある生徒を怒らせてしまったことがある

それと少し似た感じがした

その生徒にとっては、心の底から尊敬する人がいた


「神」である


続く


それから

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1

ダムの水門の内側には、もちろん、気の遠くなるような量の水が貯められている


ダムとは、そういう機能をもつものである


それは、よく理解いただけると思うし、自分もまた、よく理解できる


しかし、


ダムの水流を、次から次へと人がのぼっていき、水門の中に入っていくという情景については

よくわからないのではないだろうか

自分もまた、よくわからない


よくわからないので、適当に物語をつくることができる


タイトルは、「ダムに沈んだ残念な村の、少し悲しい過去をもつトカゲ男(仮)」である

コモドオオトカゲ

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よく出かけていくダムがある


ダムは、水をためる

ためた水を落とす場所がある

その場所がおもしろい


ある日、下のような情景を見た

ダムの水が流れ落ちるところを、人、そしてコモドオオトカゲ、そしてまた人が、登っていって、

 そうして彼らは、ダムの中に入っていった

2



もちろん、うそです


そんな情景が見えたような気がしたのです

それで、こんな絵を描きました


というのも、うそで、実際は以下のようになります


NHKで、特集「コモドオオトカゲ」を見まして、

で、大変おもしろい形をした生き物だなぁと感じまして、

それを絵にしようと考え、

そのまま描くのもツマラナイので、

ところで自分はダムが好きなので、ではそれを背景にしようと考え、上のような絵にしたというわけです


久々に展覧会 のお知らせです

ご都合がよければ行ってください

私も都合がつければ土曜日に行ってみようかと思います




沢尻エリカ

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「手紙」という映画を観た


主人公は、何をやっても、そのいきつく結果として、失敗感、さらに、宿命感を感じる

それが二度三度と繰り返され、しかもそのひどさが増していく

そのひどさの展開に、いかにもありそうなだなぁというリアリティを感じた


ちょっとした不運が重なりつづけ、老婦人を殺してしまう兄、それが職場でばれてクビになり、近所の人にばれて追い出される、めげずにがんばる、といったような不幸がらせん状にエスカレートしていく

というわけでどんどん暗いトーンになっていく

(しかし観ていて疲れないのだが、その理由は、ユミコ(沢尻エリカ)という若い女性から何度か好意を伝えられることと、お笑い芸人になりたいという夢をもっていて、その具体的な練習シーンやらステージやらがあることのようだ)


後半の山場において、

「差別のない社会は、ないよ」

というキーワードがあるのだが、そのことばを表現するために、前半の暗い出来事があるようだ


しかしその暗さのために、その山場において、主人公の、そのとき忘れ去られていたようなよさ(よい行い)に向けられたユミコの心遣いのあたたかさに深く感じ入った

また、「手紙のもつ力」に感じ入った

この場面において、人の、まごごろに強く感じ入らせるツールとして、「手紙」が非常に効果的に使われている

話はそれるが、本人のいないところで話すことばや書き記すことばは、よくも悪くも、逆に効果や意味は強いものだとふと思う


さてユミコを演じる沢尻エリカについて

「パッチギ」という映画でもそうだが、素晴らしい女優だと感じた

どちらの映画においても演技も素晴らしい

しかし、その役回りが、その役者に合ったものかどうか・というと、「パッチギ」の方は、衣装もあるかもしれないが、はるかになじんでいたように感じた


一方「手紙」を観ている間は、沢尻さんについては、「その役回り」がずっと頭のすみにひっかかり続け(ずばりいうと、「他の女優さんの方がよくないか」といった感じ)、そのため、映画に集中しにくい

その理由は、その役回りが、「好きな男性(主人公)にいくらひどくあしらわれても、いくら振られても、裏でも表でも、何度でも、力強く、主人公に心からの愛情を注ぎつつける」ものであり、

しかもそこまで主人公に好意を示す理由がほとんど説明されないのだが、映画においてそうした役回りをするには、ルックスがよすぎるようだ・ということになる

ということもあり、また、小説自体高く評価されていること(原作を書いたのは東野圭吾:おもしろい作品が多い)あり、まだ観ていない人には映画より小説をすすめたい映画でした



指から指

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昔昔、小学生のころ、「ケガレ」という他愛も無い遊びがあった

「ケガレ」と誰かから言われてタッチされる

タッチされた自分は、また別の誰かに「ケガレ」と言ってタッチする


で、そうした遊び(誰もが悪気というものをもっていない)を、今の自分とその知り合いでやっている夢を見た

 そのような夢を見た理由の一つに、ケガレについての歴史的な背景を某ブログで見かけたことがあるかもしれない

 ある差別に関するものがあるという

 当時はそのような感情や気持ちはなかったのだが、あるいは何かつらい思いをしている子供もいたのかもしれないなどとそれなりに当時のことを思い出してみた

 またあるいは、「手紙」という映画をみたことも何かあるのかもしれない


さて、夢の場所は図書館らしきところ


自分がタッチされた

先輩を見つけ、タッチしようとすると、だめだと言われる

「ケガレ」と、タッチされたら、まず、自分の名前が書かれた紙を見つけなければならない

「それはどこにあるのでしょう」

ある本と本の間にはさまってある。それは自分で見つけ出さなければならない


この膨大な本の中から見つけろというのか・無理だろう

と思いつつも探し始めると不思議なもので

「このあたりだ」ということがわかる

で、当然のように、その紙を見つけ出した

自分の名前が、大きく漢字で書かれてあった


その紙を手にしながら、近くにいたある先輩に近づいていく

特に逃げないので、「ケガレ」といってタッチすることができる


みんな楽しげにやっているのだが、だんだん熱中していく感じがする

ある人が自分に向かってくる

もちろん、逃げようとする

2回ほどかわすと、その人はあきらめ、別の人に向かっていった


疲れてきた

「もうそろそろやめられないでしょうか」と、近くにいた人に話してみる

「全ての紙をみつけないとだめだ」と言われる

なぜかと聞くと、「そういうことになっている」と答える


ふと、つき指をしたところが痛み出す

つき指をした部分にはテープが貼られてある

がまんできない痛みになり、テープをはがす

腫れたところが、膨らみ始める

指のそのところは、二倍ほどになり、やがて10センチほどになった

指から指が生えているような感じである


さらに20センチほどにまで伸びていった

「人前には出られない」と、とにかく身を隠せそうなところを探し始めた

痛みは恥ずかしさに変わり、そして恐怖に変わっていった

もうどうしようもない・といったところで目がさめた

硫黄島からの手紙

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5,6人、洞窟にいる

敵は目の前まで来ている

生きのびて辱めを受けることは、死ぬよりみっともないことだ

だから、みんな、死のう

というわけで、言い出した者から見本をみせようというわけなのか、

彼は、手榴弾のピンを抜き、胸に抱く

その直後、爆音とともに、胸から上が肉片となってふっとぶ

また別の者が「@@@万歳!!」

などと叫び、手榴弾のピンを抜き、粉々になり、

また@@@、手榴弾、粉々、@@@、手榴弾、粉々と、間をおかず、続いていく

 そうした画面を見て、確かにあったのだろうなというリアリティを感じる

 恐ろしい

しかし最後に残った西郷(二宮和也)という若い兵士は、死にたくないからであろう、

逃げてしまう

 という西郷に、共感できる


別のシーン

いよいよ全滅が近づいてきたと感じられる状況

十数人ほどに残った兵士に、司令官(渡辺謙)が呼びかける

このままでは殺されるのは時間の問題だ

しかし、少しでも敵を殺し、敵の勢いをくいとめることは、自分の家族の平和な時間をのばすことにつながるのだ

われわれの死は、無駄ではない

われわれの犠牲には、意味があるのだ

などという掛け声に、

兵士たちは、雄たけびをあげる

「@@@@@@!!!」

 という場面に、確かにそうしたことがあったのだろうなというリアリティを感じる

 恐ろしい

それからまもなくして、洞窟の出入り口らしいところで、ある兵士と西郷がこそこそと話し合う

そうだ、降参しないか?

な、降参しよう

 という西郷に、共感できる


心情的に共感できるほどに、彼らがでくわす地獄的様相に、より一層強いリアリティを感じる


しかし映画としてはということでもなく、同じ恐ろしさを共有できるイメージや、手紙という残された者へのイメージというものなどにについては、映画のタイトルになったことのように、地獄の中にもわずかな希望があるのかもしれない


さて

なんでこの人(西郷)はそんな恐ろしいところに行かされたのかというと、その時の日本人だったからで、その時の日本はなぜそうしたことになってしまったのか、ということについていろいろと調べてみた


ポイントの一つは、どこをもってきっかけとするのか、ということになる

最近の日本人にとって、とすると、

ペリーが黒船に乗って日本に条約をせまったことなど、近いかと思う


で、例えば次のような感じになるのかもしれない


 ニツポン組の玄関先に、ヤクザ「アメイリカ組」が黒塗りのベンツ(別名「クロフネ」)で乗り込んできた

 ベンツからペリーという大男が出てきてピストルを発砲し、怒鳴った

 「社長サン、オルカ?」

 ニツポン組の仮番頭という感じである徳川が、玄関に出た

 「わたしが社長です」

 「この紙にハンコ押しなさい。押さないとまた撃つよ」と脅した

 「わかりました」

 徳川は脅しに屈した

 これを聞いた日本組の若いもんは、大変怒った

 「徳川わ、腰抜けじゃ。しかも社長ちゃうやろ、専務やろう」

 「そうやそうや、前から気に入らんかったんや、この際、徳川グループをつぶしてしまおう」

 というわけで、徳川グループ対、若いもんグループで、けんかをすることになった

 ここより、3週間にもおよぶ、ニツポン組の内乱が始まる

 さて、まずは敵情視察ということで、若いもんグループのスパイ君が、徳川グループを偵察してきた

 スパイ君は無事戻ってきて、若いもん幹部に報告した

 「われわれは、負けます。数がぜんぜんたりません」

 どうするどうするどうすると幹部グループで話し合った結果、オークボウが提案した

 「ミトウのご隠居さんにお願いしてはどげんやろ」

 「だれやそれ?」

 「実は、いろいろ調べてみたら、ミトウさんは、社長さんの血筋をひくお方やねんて」

 「ほう」

 「ほいでな、社長さんグループは、昔はカングンといって、ケンカには必ず勝つから、「勝つでカングン」と恐れられたやねんて」

 「勝てばカングンじゃないんか」

 「違うて。カングンになるから、勝てるんやて」

 「ほう。さすが社長さんや」

 「しかもやな、スパイ君によるとやな、徳川グループの大将はこういうことに弱いらしいやねんて」

 「きまりやな」

 こうして「勝つでカングン作戦」が始まった

 オークボウはミトウのご隠居さんにお願いした

 「名前だけ貸してもはんか」

 「えーよ。スケさんカクさんもつけたろう」

 「ありがとうごわす」

 で、けんかがはじまった

 若いもんグループはどんどんやられていったが、3分ほど過ぎると、スケさんがカクさんに「そろそろいこうか」といった感じでうなずいた。助監督のオークボウの指図した通りのタイミングである

 「えーい、静まれ静まれ静まれ、「コノモンドコロ」が目に入らんか」

 徳川グループの大将フタツバシの頭には、昨日読んだ教科書、「正しいニツポン歴史」にあったことが思い出された。

 「コノモンドコロ」とは、社長さんの血筋である者のアカシです。ですから、これにたてつくと、歴史の教科書に、悪者(逆賊)として掲載されます。歴史に名を残そうとする者は、決して逆らったらあきまへん」

 圧倒的優位にあった徳川グループだったが、大将であるフタツバシは一目散に逃げてしまった

 なぜなら、フタツバシは、昔から「正しいニツポン歴史」を読み、その世界観の中で生きていたからである。

 永遠に続く歴史の世界からみれば、今目の前の戦いなど、ささいなものでしかなかった、ようである。

 その他もろもろがあって、徳川グループは、けんかに負けた

 3週間年末年始特別シリーズ、「ニツポン組の内乱」は、それなりに終了した

 で、若いもんグループからニツポン組幹部(社長グループ)が選出されることになった


 で、ニツポン組幹部を一新したのはいいが、何をやってもその下々の者が簡単に納得しない大変な状況になっていた

 その一方、アメイリカ組の他に、イギリイス組やロウシヤ組などもやってきて、さらに大変な状況になっていた

 どうするニツポン組?


といったようなことやいろいろあって、徳川幕府中心の制度はなくなった頃はとにかく大変だったらしい

それまでの日本は、それぞれの県(藩)が勝手にやっていた

原則的に外国と話し合いをしていなかった(鎖国)ので、日本代表の組織は必要がほとんどなかった

しかしこれからは、外国との話し合いが重要なことになることもあり、日本代表の組織「内閣(太政官)」をつくることになった

そしていろいろやるのだが、やることなすことほとんど反対される

「お前なんか知らない」という感じである

軽蔑されてしまっている

と、残念がってばかりもいられない

どうしようどうしようどうしよう

と、三人で話し合う


一人が提案する

徳川幕府を倒した方法はどうでしょう

つまり、神々しいものをつくりあげ、天からのお告げとすればよいのではないか


この案が採用される

何事につけ、自分たち(内閣)が命令するのではなく、天から告げていただく、というしくみを取ることにした


はじめは微々たる力だったが、どんどん強くなっていったようであるらしい

そのあたりについては薩摩の大久保さんが、がんばったようだ

で、内閣よりも軍に移行していくあたりについては、長州の山縣さんが、かなりかかわったようだ

かなり長くなったが、その他もろもろあって、その時の日本人の制度ができあがっていったらしい


以上、感想文である

いろいろと勉強になるきっかけになった映画でした。

なお、かなりいい加減に書いているので本気にしないでくださるようお願いします