結婚式

テーマ:

結婚式場にいる

自分は撮影係

いっしょにいるのは職場の同僚

当事者がいつまでもこない

探しにいく


他のグループの関係者を見かける

そちらの方々も、職場の関係者だった


「何という偶然」

というところで、目が覚めた


といっても半覚醒、という感じ

覚めているようでもあり、まだ寝ているようでもあり、

 また、それらの間をいったりきたりする感じ


高校生のころ、結婚式場でバイトをしていた

結婚式場といっても、正確には違う

結婚式会場でもあり、葬儀会場でもあった


宴の終了が近づいてくる

 最後に流れる音楽はいつも同じだった

 「レットイットビー」

 ビートルズ解散を象徴する悲しい曲だと当時強く感じていた

 それがなぜ、このめでたい宴の最後に流れるのか、

 不思議で、かつ、おかしいものだと感じていた


それはさておき 

 宴が終了し、お客がひきあげると、われわれバイトが、大きなごみバケツをもって会場にのりこむ

 中には全く手がつけられていないごちそうも、たくさんある

 それらをじゃんじゃんバケツに放り込んでいく

 とにかく短時間ですまさなければならない

 高校生であった

 前の日の社会の授業で、

 「今この瞬間も、餓死していく子供たちがいる」

 ということを聞いたばかりであったがそんなことを思い出す雰囲気は全くない

 バイトチーフが大声でせかす。

 「あと10分!」

 飲み物食べ物があっというまになくなり、

 ついで食器がなくなり、

 そして机と椅子の位置が変わり、

 シーツが取り替えられる


自分は裏方だったので、進行中の会のようすを聞くことはできても見ることはできなかった

 それだけに想像されるイメージの差は強かった

 明るい声で騒然とし、時には喜びの感動でふるえるようなスピーチなどであふれた華やかな会場

 それが、わずか数十分後、静かに語られる司会者の口調などによって、しめやかで沈んだ会場に変わる 



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フラガール

テーマ:

045


上の絵は、ある意味「城シリーズ」のひとつの最後の場面ともいえる

いずれまた別の機会に書くつもり

要するに、「わけわかんねー」という感じのもの


で、以下はそれとは全く感じの違う話になる


「フラガール」

ここ数年観た映画の中で最もよかった

 よいか悪いか・の、ひとつの観点として、どれだけ感情移入できるか、というものがある

感想をいくつか


「福島のなまり」

最初の三十分程度については、登場人物の語りになまりが非常に強いと感じた

「今の語りは、例えば関西人には絶対にわかるまい」

あるいは

「自分は福島県民だからこのなまりについていける」

という感じがした

「学校もの」

ともいえる内容

個人的に、優れた学校ものとは、先生、生徒、関係者などのキャラクターがバラエティに富んでおり、かつ、それぞれきわだっているものと思うがどうだろう

 例えば、よい・悪い・ふつう

  まじめ・明るい・地味・ぼけ

 そうしたキャラがそれぞれにきわだっていると、どれか一人に自分自身を無意識に感情移入しやすくなる


「スポ根映画」

それぞれのエピソードが非常によいつながりをもったスポ根映画、という側面もある

はじめに、ダメ先生とダメ生徒たちとが、いる

 指導についてやる気の全くない先生、こっけいなほどにまったく踊れない生徒、

 あるいは、ダンス会自体を全くしきれない部長さん、ダンスを恥さらしという生徒の親、などなど

 それら、たくさんのダメな中に、「こういうこと、あるなぁ」と感じることが、たくさんある

 日常の中にたくさんある

 前半ですっかりはまっている


「立ち見も出る状況での一体感」

 とにかく人が多くて、また、何よりも優れた映画で、劇場全体がどっと笑ったり、感動したりする

 「劇場全体が同じ感情でゆれる」

 それは、自分個人のことでいえば、

 「ジュラシックパーク」以来のことである

 特に最後の30分は、「劇場全体が感動で泣いたり鼻をすすったりする雰囲気」が、波のように何度も訪れた


 ところでわたしは、実は高校生のころからだが、踊り・ダンスというものについて、理屈抜きで感動することがよくある


 その他もろもろの優れた展開によって、最後の場面については頭がまっしろになるくらい感動した



 






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眠気をもたらすもの

テーマ:

12

前回同様、上の絵は今度の個展に出す小品で、

また、いずれこの絵にふさわしいタイトルを考え、ギャラリー に掲載の予定

また、下の文とは関係ない。


真夜中

いつまでも眠られない

で、まったく眠くならない

それで、バスタオルをもって、外に出かけた

しばらく歩き回る

何か飲もうと思い、歩き回る

コーヒーを、と思ったが

やっぱりビールにする

いい感じの芝生があった

あたりは真っ暗、静か、芝は湿っておらずパフパフした感じ

バスタオルをしいて、横になった

上を見ると、

雲はまったくなく、たくさんの星が見える

不思議なもので、

いやそうでもないかもしれないけれど、

星の数がどんどん増えていく

多分、目が暗さに慣れていくのだろうとも感じられた

ビールを飲む

遠くから静かな機会音が聞こえてくる

たまに車の音が聞こえる

風が気持ちよい

思いがけず、幸せなことだと感じる


何気なく手をポケットに入れる

突然、あるはずのカギがないことに気づく

芝生のあたりを探し回る

ない

合鍵は?と考える

多分、ない

カギをかけずに出た?

多分、それもない

また探す範囲を広げて探し回る

なかった

眠気はすっかりなくなり、これからどうしようと考える

合鍵をもってるはずの業者に頼むしかないと考える

不幸だ、と感じいる

とりあえず戻る

カギをかけずに出たことがわかった


「自分は、あほか」

などとは全く感じず

ただ単に、幸せなことだと感じ、すぐに眠ってしまった


お知らせ

 遅くなりましたが、先日の二日展出品作品 を紹介します





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野球部

テーマ:

7


仕事で、最近は野球部の写真や記事やらを毎日のように見ている。

彼らは彼らで素晴らしい。

それはいいのだが、昔の自分のことについて、いろいろなことが思い浮かぶ。

まず写真撮影における笑顔 について


 自分は10代のころ呪わしいほど自分の顔に劣等感を持っていて、撮影されることは極力避けようとしていたし、また撮影の際、

「はい笑ってー」などと言われると

 「カンベンシテクダサイ」といった感じだったことを思い出した。 

 数十年がたち、つきなみだが、

 職業でもないかぎりやはり日ごろから笑顔でいようとしているのが一番よいと思った


 さらに昔のこと

 小学生のころは高校野球にあこがれリトルリーグというクラブ団体に入り、けっこうなお金がかかったと記憶している。

が、練習場は遠いし知っている者は誰もいないし、ボールは硬いし重いし速いし、まもなくやめてしまった。

 といってもきっぱりやめる、というのでもない。

 とりあえず家を出る。電車に乗り、その途中、

「もったいない。だから行こうか。いやしかし、しょうがない。申し訳ない」

 などという心のやりとりを繰り返し、駅を出て、引き返し、本屋に入り・・・

 そしてやめていく。

 そうした数々の「申し訳ない」感情は消えずに残り、それどころか、日々さまざまなことで発生し、ついには山のように盛り上がっていったように、今になれば感じる

 自分でお金をかせぐようになってからも続き、

 そして相変わらず申し訳なく思い至ることは日々あるのだが、不思議なことに絵を描くとそうした気持ちが軽くなっている。

 場合によっては、理不尽である。

 しかし、山のように際限なく絵を描きつづけるにつれ、一時山のようにあったものが次第にダンボール箱ひとつくらいになり、とうとうなくなりそうにまでなり、その結果、人にやさしく接することもできるのであれば、まぁそれはそれと感じることもある。

 安らぎと退屈感は同じように感じられる

 よい悪いではなく、性分なのだと思う


絶景

テーマ:

11

以下は夢ではない


新しい道を探るのが好きである

特に理由もなく、何となく、ある日、

ここ (地図の中心の+)から福島県県民の森(左上のバーを1/75000まで下げてください)に抜けようとした

日没30分前、といった時間だった

かなり新しく太いまっすぐな道路を走っていた

その道路は、大きなダムまでで終わった

そこから先は、じゃり道になった

カーブが多く、見通しは悪く、

対向車が来たらどうしようもない、というほどの細い道が続いた

しばらくすると、道の右は、落ちたらどこまでも落ちていきそうな景色にでくわした(しかしガードレールがないのでとても危険)

 先の見えない深さと広がりについては、絶景というほどのものを感じ、時間にゆとりのあるときまたゆっくりと眺めたいと感じた

が、もしかしたらこの先行き止まりかもしれないとの思いもあり、またとろとろとゆっくり走らざるをえない状況でもあり、燃料切れランプもかなり前からついていたこともあり、さらに日没もせまってきているので、できる範囲で先を急いだ


20分ほどがすぎ、かなり暗くなってきた

見通しはどんどん悪くなってきた


分かれ道があった

標識らしきものは、なかった

迷ったが、右を選んだ

さらに暗くなってきた

携帯電話はもっていなかった


「この先行き止まり」じゃないかいう予感がした

が、これから戻ると、途中で落ちてしまう危険性も十分にあると感じた

また分かれ道があった

また右を選んだ

雨が降り出した

まもなくするとまた分かれ道があった

行き止まりになったとき、元に戻る自信はなかった

燃料切れで止まったら、先に進むか、戻るか、どちらがよいだろうと考えた

突然、進入禁止とも感じられるような太い幅のある溝のようなものが、道の先にあった

「ついに、きたか」と半ば観念した

暗いので、見落とした通行禁止の看板があったかもしれないとも考えた

車から降りて、暗がりの中、よく見てみたが、斜めにゆっくり走れば通れそうだと判断した

ゆっくりと通り過ぎることができた

それはいいが、この先は行き止まりじゃないかという恐れが大きかった

まもなく走ると、気のせいか、視界がやや明るくなったように感じた

まもなく、道幅が広がり、直進が続いた

舗装道路に出た

その後、無事ガソリンスタンドまでたどり着くことができた


過ぎてしまえば貴重な経験であった




ご指導

テーマ:

2

去っていくもの (ワタシが離れていく)


今回も夢の話である

ご指導をただただ拝聴している

同じトーンによるご指導が続いている

日常の仕事のほとんどは「話す」ことや「伝える」ことなもので

 ただただ拝聴することに慣れていない

 まして夕方、数十人での拝聴ともなれば

 「いまそこにいること」のみがお仕事になってしまい

 ひとりふたりと次第に下を向いていくようになる

 ゴシドウというテッポウに撃たれていくようである

撃たれて浮かんだ意識は現場を離れていく

 田園風景へうつっていく

 見渡す限り どこまでも田園風景がひろがる

 実るほど 頭を垂れる 稲穂かな


実ったであろう、その中を開けてみて、出てくるものは

 何もない


目が覚めた瞬間、

「ここはどこだ?」

と感じるときの恐怖といったらない



信長

テーマ:

13

「信長」というゲームに、昔はまっていた


「うむうむ、なるほどなぁ」と感じたことがけっこうあった

例えば、戦争の後、自分の部下にほうび(お金や土地など)を与える

これがけっこう重要であること

「公平さ」が基本で、次に、人によってほうびの種類や程度を配慮する

部下は、妥当と感じると、より励み、場合によっては感動するが、

「おかしい」と感じると、忠誠度が下がり、場合によっては出て行く


NHK大河ドラマ「功名が辻」なども同じ場面が多い

で、その「ほうび与え場面」の後、

「なんであいつがおれよりほうびが上なのだ?!」

という場面もついてまわる

そういったことは、一般企業も同じものらしい


しかし、例えば大規模高校など、同じ職名の人が数多い職場では違う

同じ職名でおよそ同じ報酬だから、

報酬の量についての反応ではなく、

仕事の量についての反応になる

仕事の量が多いのか少ないのか、人数が多い職場ほど見えにくくなる

実態・想像・実感について大きな差がでるのは、ある程度やむをえないことのようにも感じる


で、また夢の話

自分は、ある部の顧問をしている

大会が終わって学校に戻ってきた

かなり暗い、夕焼けの光が差し込む教室

自分は、ひとりひとりの部員に、「ほうび」を与える

「君は50石増、あなたは30石増・・・」

なぜか、この場面だけ、戦国時代である

さて当然のように、不満げな顔をする者がいる

「思ったとおりだ・・・」

その生徒を呼び、理由を説明しようとする

「多分不満だろうがな、その、」

と、名前を呼ぼうとするが、思い出せない

△だっけ、いや■だっけ、あぁそうだ▲だ、そうだそうだ

思い出したときに目が覚めた


ところで、上の絵も個展に出品する小品です

「落ちるくらいなら出て行ってしまえ」

6

ドラクエに、かつてはまっていたことがある

ドラクエとは、なんらかの敵が現れたり問題が起きたりし、それに対して、自分を鍛えたり訓練したりすることによって敵をやっつけたり問題を解決していく、といったことを延々と繰り返していく成長ゲームである

そのゲームをしている夢をみた

成長(レベルアップ)し、、それを知らせるめでたい画面が表示された

で、自分はキメラ (鳥のようなもの)に変身した

で、なんやかやあって、また成長すると

なぜか象に変身した

象といっても、自分はプレイヤーであって、自分自身が象のはずはない

ところが、自分は象そのものになってしまった

さらに、成長したはずなのに、何もできない

敵か味方かわからないものがかわるがわるやってくる

が、動こうとしても何かしようとしても思い通りにならない

これはいったい、何ごと?

と、困惑が極まったところで目が覚めた


ところで、来月10月10日より、2年ぶりに東京での個展があります

今度も東邦画廊 です

画廊主の中岡さんによれば、小品がよい、とのことです

上の絵も小品です

貝シリーズ も小品です



村上春樹

テーマ:

戦争の夢


われわれは、やっと陸地にたどり着いた

ロケット弾が何発か背後(海)から打ち込まれる

とにかく内地の防波堤へ走る

防波堤の内側に入る

がまだまだ危ない

どこまでも走る

福島市までたどり着く


状況が逆転した

前方(内地)からロケット弾が飛んでくる

その地域のおよそ全ての人々が海の方へ逃げ出した

道路は大渋滞している

パニック状況のようである

みんないらいらしている

走りながら考える

海にたどり着いたらどうしよう

イカダのようなものが必要だ

あぁそうだ、自分の絵をイカダの代わりにしようと考える

逃げる途中にある、自分の家に入る

ちょうどよい感じの大きさの絵があった

かなり昔の絵である

自分の絵のはずだが自信がない

なかなかよい感じのおだやかな表情の人物の横顔が描かれている

あきらめたような、リラックスしているような、淡い明るい絵である

見れば見るほど自分の絵だという感じが弱くなっていった

この絵をイカダ代わりにするのは、やめようか

 しかしこのサイズは、イカダ的には実によい

 しかしイカダになった後を考えると、もったいない

 あぁはやく逃げないと

などとおろおろしているところで目が覚めた


目が覚めて思ったこと

「逃走」系の夢も変わったなぁ、ということ

学生のころよりは切実感がない、ということ

死んでしまうとしても自分ひとりではないし、また順番的にも、

少なくてもこの群集の中の最初の方ではあるまい、という感じの逃走

昔は、戦争、というより殺そうとするものからの逃走劇、という感じだった

つかまること=死、という切迫感や恐怖感が非常に強かった

さらにいうと、先ほどの夢のように、ふつうに走れなかった

走ろうとしても体が重くてなかなか動かなくて大変な思いをしたものだ

それに比べればまぁよいか、という感じ


で、なぜか思い出したことばは、

「周囲の人から見て、あなたがいくら幸せな状況でも、

あなたはその不幸な夢からは一生逃げることはできない」

といった感じのことば

多分(で申し訳ないが)村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」のかなり後の場面だったと思う

あの小説は「作者の本当の気持ち」が最も強く感じられる小説だった

そのベースにあるものは、実在する人への非常に強い思い

ただし思い出といえるほど昔の人(出来事)のこと

そのように感じうけた

もっと具体的にいうと、昔本当に苦労しているときに、身近な人に、本当につらいことを言われたが、言われっぱなしで、そうとうな思いが生まれ、それが、あのような素晴らしい芸術作品のテーマになったように感じている

(特に最後の場面において)夢と現実がシンクロする作品

さらにいうと、その夢と現実のシンクロ、という方法は、「海辺のカフカ」で多用されていたと思うが、「ねじまき~」のような強いテーマがないためか、展開の強引さと感じられた


夢と現実のシンクロ

表現の方法としての成功と失敗のわかりやすい例のようだ

テーマ性の強さと準備がどれだけしっかりしているか、ということがポイント


またさらにいうと

村上さんの昔の作品は

夢と現実のシンクロ

ではなくて

現実と仮想現実のシンクロ

が大きな骨格となって、またそれが自分には魅力で、大きな影響を受けた