スウィーニー・トッド

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楽しみにしていました。何しろ好きな市村正親さんと、一度は観てみたかった天才的な女優大竹しのぶさん、なんとなく好きな宮本亜門さん演出と、豪華なコラボレーション。これだけでも食指が動きますが、実話に基づいたホラーのような話。私はホラーは嫌いですが、この実話というのが大事。本当のことというだけで、急に観たくなります。ただ、実際は実話らしいというだけで、どうもはっきりしません。理髪師が復讐心から人を殺すところまでは理解できても、人肉のパイを本当に売っていたのだとしたらそれは凄すぎます。19世紀ってそんなに昔ではないだけに、かなり理解を超えています。


楽しみにしていたわりに、半年くらい前からチケットをとっていたので、年が明けてちょっと忘れかけていました。芝居やコンサートを観に行くのは本当に大変です。


『スウィーニー・トッド』  宮本亜門演出 市村正親/大竹しのぶ主演 於:日生劇場


舞台は19世紀のロンドン。好色なタービン判事(立川三貴)に妻に横恋慕され、無実の罪でシドニーに島流しにされた床屋・スウィーニー・トッド(市村正親)は、15年ぶりに脱獄。ロンドンに戻ってくる。ところが妻は自殺したと噂され、当時小さかった娘ジョアンナ(ソニン)は、当のタービンに軟禁されている。すっかり様相を変えていた街だが、唯一当時の床屋の1階にあったパイ屋は健在。女主人のミセス・ラヴェット(大竹しのぶ)は変わらずパイを焼いていた。しかし肉が高くて買えず、そのパイはロンドン一まずいと評判で客はさっぱり入っていない。再び2階でタービンとその片腕の小役人に復讐するために、ラヴェットの助けで店を始めるトッド。その復讐とは、床屋に客として彼らをおびき寄せ、彼らを刺殺すること…。ところが彼の過去を疑う人たちが次々と現れ、ターゲットの2人を殺す前に、多くの連続殺人を犯してしまう。死体の処理に困ったトッドとラヴェットは、その人肉をひき、パイの肉とすることを思いつく。その肉はおいしく、もともと腕は良かった床屋だけでなく、パイ屋も大評判になる。怪しげな脇役は、浮浪者の女。この女は二人の秘密を知っている風だが、常にラヴェットが施しをせずに追い返す。実はこの浮浪者が何者かはすぐにわかるが、ここにはこれ以上は書かないけど…。


ストーリーは決して難しくないのですが、第一幕、特に冒頭から群集役の人たちがよく歌うので、ストーリーをわかりにくくしています。台詞に曲をつけると、ソロでもわかりにくいことがありますが、多人数だとどんどんわからなくなります。無理にミュージカルらしい華やかさを演出する必要はなかったのでは?と思います。ただ、確かに全体に暗い話なので、途中少し眠気が襲うことも確か。そのために華を添えたのでしょうが、少人数でじっくり演じる場面の方が引き込まれて、眠気を覚ましました。


ところで大竹しのぶさん。怪演です。正直ミュージカル俳優である市村正親さんがかすむほどです。彼女はやはり凄い。この芝居はミュージカルであることを殊更意識して演じない方が良いのかもしれません。そしていつも意外にうまいと思うのが武田真治さん。今回も脇役だけれどキーパーソンを見事に演じきっていました。ずっと誰だかもわかりませんでした。小役人役の斎藤暁は出てきた瞬間から、誰かわかりましたが、この人は舞台ではいまいちだな、と思いました。滑舌が良くないのか、ちょっと台詞がわかりにくい。映像向きなのかもしれません。

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RENT/レント

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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
レント デラックス・コレクターズ・エディション

映画で音楽に魅せられ、なぜ和製RENT(つまり劇団四季とかがやらないのかということ)がないのだろうと考えたのですが、あまりに陳腐になりすぎるからだろうと思い直しました。ならば、ブロードウェイ版を観るしかありません。NYに行くのは大変だし、と思っていたらすぐに来日公演が決まり、チケットをとったわけです。考えてみれば、日本でダンス以外の来日公演を観たのは初めて。やっぱり妙に字幕が気になってしまいました。

『RENT』 (来日公演) 於:東京厚生年金会館

ストーリーは至ってシンプルです。映画版よりさらにシンプルに感じました。

簡単に言えば、地方からNYにやってきて、家賃も払えず、自分の生き方を模索する若者たちの話です。 日本のフリーターと違うのは、そこにエイズやゲイ、麻薬中毒というテーマが絡まり、さらに心の根っこで宗教と密接だということです。それでも田舎の母親が心配して頻繁に電話をしてくるのは、万国共通です。


日本人にはやや理解しがたい背景があるにもかかわらず、多くの人を魅了するのは、家族と生まれ故郷から離れ、都会で生きていくことへの苦悩や迷いは、同じ経験をした都市生活者なら身につまされるからではないでしょうか。家賃が払えないなら働けばいいじゃないかと思う人がいるとすれば、それはこのストーリーのテーマとは離れてしまいます。タイトルにもなっているRENTは、家賃であると同時に人生の中の借り物すべてに通じる抵抗であり、妥協であり、許容であると思います。そして地方出身者にとっての都会、ここではNYの街そのものが「RENT」なのでしょう。


まあ、そんなことはさておいても、本当に音楽が素晴らしい。映画では冒頭だった「Seasons of love 」。ステージでは休憩後の冒頭でした。この曲がこのミュージカルのすべてではなく、他の曲もいいですが、ソウルフルな力はやっぱりダントツです。わけもなく涙が出そうになります。


ただ、ライブは音楽を楽しむには最高ですが、ストーリーはややわかりにくい。映画を観てから行って良かったと思います。それと頻繁に拍手を入れる観客のスタイルも私はあまり好きになれません。中島みゆきの夜会だったか、ちょっと記憶が定かではありませんが、拍手のタイミングが最小限で、落ち着いて観ることができました。ああいうマナーが他のミュージカルでも、浸透すれば良いのにと思います。それと東京厚生年金会館。やたら広く、客席そのものは狭い。肩が凝りました。今度こそ、NYで観たいです。多少英語に難があっても、もうストーリーは覚えたので。

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ペテン師と詐欺師

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いきなりおかしなタイトルですが、ミュージカルの話です。

なんといっても主演の2人が楽しみで観にいきましたが、鹿賀丈史がいまいち滑舌が悪く聞こえたのが残念。もしかして席が悪すぎたのかもしれないけど、全体にちょっと台詞が聞こえにくかった。そのなかでもやはり市村さんは安定感が違います。コミカルでちょっと情けない男の役ははまり役だと思います。

『ペテン師と詐欺師』  宮田慶子演出/鹿賀丈史 市村正親主演 於:天王洲銀河劇場

この物語は南仏の高級リゾート地を舞台に、秘書までついている優雅なイギリス人詐欺師ローレンス(鹿賀丈史)と、たまたま出会ったアメリカ人ペテン師フレディ(市村正親)のお話。ローレンスが華麗に女性をだますところをみて憧れたフレディが弟子入りをするあたりから物語は始まる。最初は追い出したくて仕方がないローレンスだが、フレディの才能と特異なキャラに関心を持った彼は、フレディを受け入れカモを探す。

新たなカモとして目をつけた純情可憐な旅行者クリスティーン(奥菜恵)をネタに、縄張り争いをかけて一世一代の大勝負に出る二人。負けたほうが街を出て行かなければなければならない。ところがあまりに優しいクリスティーンに二人して惚れてしまうから訳がわからなくなる。でも結局本当の詐欺師は…というお話。

内容は単純なのだけど、ウイットに富んでいてコメディとしては秀逸。ゲラゲラ笑う感じではない、上品でオシャレなブロードウェイミュージカルです。奥菜恵の甲高すぎる声が役作りなのかも知れないが、ちょっと癇に障ったけれど、全体に完全な商業演劇にしては芸達者ぞろい。愛華みれ が舞台映えするのは当然としても、鶴見辰吾が意外とうまく、舞台でも堂々としていたのが新鮮な感じでした。実際には結構舞台に出ているみたいですね。私は初めて見ましたけど。最初鶴見辰吾とは気づかず、舞台俳優だと思っていました。ストーリーもありがちではあるのだけど、最後までオチがわかるようでわからない、微妙な線で引っ張っていたのは、きっと構成力と人物描写のうまさだと思います。

2008年に再演決定だそう。決定が早すぎるのは、まあご愛嬌ということで。

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ライブ評-11【壁抜け男】

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kabenuke


『壁抜け男』 (劇団四季) アラン・サックス演出/石丸幹二主演 於:自由劇場


こじんまりとしたオシャレな芝居ではあったのだけど、ストーリー的にはちょっとついていかなかったというのが正直な感想。


「壁抜け男」は、その名の通り、ある日自分が壁を自由自在に抜けられるようになった元々は郵政省勤務の平凡な公務員の話。ちなみに舞台は戦後すぐのパリ。民営化される現代日本の話ではありません。


まあ、着想はある日透明人間になったら?という世界観に近いものがあるが、それよりせこい感じ。すぐに主人公が思いつくのは、宝石泥棒なのだから。ここがいまいち理解しがたい部分。考えることが単純すぎて…。主軸は暴君のような検事の夫に家に閉じ込められている美女との恋物語なのだが、これも何だか希薄な話。壁を抜けられることで、貸金庫から手に入れたその夫の不正を暴く書類を盾に戦うのだから、むしろ主人公の方が卑怯じゃないの…と思ってしまう。


これでキャッチコピーで「全ての人を幸福にするミュージカル」と言われても、フランスのエスプリとやらがわからなくなってしまう。音楽もメインの曲はとてもシンプルで良かったけれど、他はあまり印象に残らなかった。


雰囲気は悪くないのだけど、原作が私には向かなかった。劇団四季はもちろん小品でも圧倒的な安定感で料金並みの価値はあると思うが、やっぱり大作をやるべき劇団だと改めて感じた。

マルセル エイメ, Marcel Ayme, 長島 良三
壁抜け男

ライブ評-10【詩人の恋】

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sizin


『詩人の恋』 (加藤健一事務所) 久世龍之介演出/加藤健一 畠中 洋主演 於:本多劇場


加藤健一さんが好きに観に行ったこの作品。

不安は彼が歌を歌うということ。どうしてもイメージできなかった。

でも思いのほかうまかった。しかもドイツ語の歌詞だと思うのだけど、違和感なかった。さすがです。

何でも3年間練習しているそうで、本当にこの人は舞台人だと思った。


物語は音楽の都「ウィーン」、1980年代で既に戦争の爪あとは浄化されつつある頃。

落ちぶれたアル中気味の声楽家マシュカン教授(加藤健一)は、かつて神童といわれたピアニストのスティーブン(畠中 洋)を教えることになる。スティーブンもまたスランプに陥っていた。

反発するスティーブンにマシュカン教授は、シューマンの連作歌曲「詩人の恋」を課題にした。

この2人が徐々に理解しあっていく過程では、やはりヒトラー時代のユダヤの問題がテーマになっていた。

2人とも実はユダヤ人だったということだ。


格調高く、でもユーモアもあり、本当に良い芝居だと思うが、加藤健一事務所以外は演じていないのだという。ユダヤの問題であることが日本人にはわかりにくいのでは?という見解もあるが、おそらく日本人がこのテーマを演じることに違和感があるからではないかと思う。どうも入り込めなかったのはこの1点だ。しかも歌唱も含め、部分的にドイツ語が使われたので余計だ。この点だけは私もちょっと否めなかったのだけど、全体としては満足な内容。


しかし本多劇場って、今となっては古い。スタバが小さく出店していた(常時じゃないかも)のは、びっくりしたけど、それ以外は必ずしも快適とは言えなくなっている。トイレの数も少なく、座席も狭い。往年の芝居ファンからは、それが良いところといわれるかもしれないけど。

ゲルハーヘル(クリスティアン), フーバー(ゲロルド), シューマン
詩人の恋~シューマン歌曲集

オムニバス(クラシック), ドレスデン国立歌劇場管弦楽団, サヴァリッシュ(ヴォルフガング), シューマン, フィルハーモニア管弦楽団, ムーティ(リッカルド), クリュイタンス(アンドレ), リヒテル(スヴャトスラフ), モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団, マタチッチ(ロブロ・フォン)

コンポーザーズ・エヴァー!シューマン

ichimura

サービス精神旺盛な舞台だった。

ミュージカルファンにはたまらないはず。

特に市村正親ファンの私には劇場の客席通路に何度も降りてきてくれるアブロンシウス教授(市村正親)に大感動!

彼は日本ミュージカル界の神様みたいなものなのに…。

それだけじゃなく、客席を含めて、劇場全体を使う演出による、臨場感と一体感は、ミュージカルの醍醐味を十二分に発揮するものだ。ラストのスタンディング・オーベーションは自然発生か、演出か…。いずれにしても納得の喝采だった。


『ダンス・オブ・ヴァンパイア』 (東宝ミュージカル)  山田和也演出/山口祐一郎 市村正親主演 於:帝国劇場


物語の舞台はトランシルバニア地方の雪深い村。

アブロンシウス教授と助手は、ヴァンパイアの研究旅行にやってくる。凍傷を助けられた宿で、美しい娘のサラと出会い、助手は一目ぼれ。サラは父親の干渉やうちの中に縛られる閉塞感に耐え切れず、外に出たいと思っている矢先だった。そんなサラにヴァンパイア・クロロック伯爵の魔の手が…。

教授は研究のために、助手は恋のために、ヴァンパイアの館に入り、ヴァンパイア退治に執念を燃やす。


ストーリーはミュージカルらしい奇想天外な話。正直途中ちょっと間延びするのも残念。


でも音楽と演出がいい。山口祐一郎って、あんなに迫力のある存在感のある役者だっけと見直した。なにしろ最初に彼を観たのはかれこれ20年以上前、ジーザス・クライスト=スーパースター なのだから、隔世の感がある。その彼も今は50歳。でもそれにしては若さはそのままで、ベテラン然としてコミカルな役を演じている市村正親とコントラストがあり、良いコンビネーションを発揮している。


特殊メイクも見もの。そのままで多くの役者が通路を使って演じるのだから、すごい迫力。この芝居は1Fで観ないと、楽しみは半減するかも。私はラッキーなことにA席なのに、ど真ん中で後方通路の近くだった。間近で観る市村正親の姿に涙が出そうになった。この席ならほかの劇場ならS席の場所だと思う。余談だが、帝国劇場の懐の深さにも感謝!

ライブ評-8【木の皿】

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加藤健一事務所の芝居がなぜ好きなのか?

いわゆる東宝などの商業演劇、劇団四季などの大舞台以外の、中小の劇団や新進系、逆に新劇の流れをくんだ伝統的な劇団は、内容が観念的になることが多い。何だか芝居をやる人のための芝居というか、普通の観客を喜ばせたり、気軽に観に来ることができるものには思えない。

しかし加藤健一の芝居は、一度も観念的とか難解だとか思ったことはない。コメディが多いということもあるが、今回の作品はコメディではない。シリアスドラマだけれど、本当に普通のどこにでも起こりうる話を描いている。ストーリーは単純で新しくないが、セリフが素晴らしく、役者が素晴らしく、演出にソツがない。


『木の皿』 (加藤健一事務所)  久世龍之介演出/加藤健一主演 於:本多劇場


物語の舞台はテキサス州、時代は1950年頃のこと。夫婦と既にタイピストとして働き出した若い娘、舅、下宿人が暮らす豊かではないが、ごく普通の家庭がある。その家の長老・ロン(加藤健一)は、頑固な開拓者で加齢により目が不自由になり、すぐに物を壊したり、タバコの火の不始末をしたりする。そんな舅の世話をする義理の娘・クララ(大西多摩恵)は、延々に続いているいつ終わりがくるかわからない不毛な日々に限界を感じていた。そこで老人ホームに入れようと画策し、シカゴから義兄を経済的援助を頼み込むために呼び寄せる。義兄は義兄で長男でありながら、既に16年も父親に顔を見せず、孫とも会わせずに暮らしていた。最初、義兄は自らで引き取ることはもちろん、老人ホームへの入居費用の負担も渋るが、弟の家庭が崩壊寸前であることを知ると、老人ホーム行きを勧めるようになる。むしろ一緒に暮らしてきたクララの夫・グレン(鈴木一功)の方が消極的である。家族の中で唯一のロンの味方は、孫娘スーザン(加藤忍)だけで最後の最後まで、ロンの老人ホーム行きには反対である。やがてロン自身が自分の老人ホーム行きを巡り、家族が話し合っていることを知り、必死で抵抗する。

タイトルの「木の皿」は、ロンがあまりに食器を割るので、クララがロンだけには木の皿で食事を与える。このことがロンの尊厳を傷つけている象徴的な処遇なのだ。しかしクララにしてみれば、毎日食器を割られては、経済的にもそれを片付ける手間もたまったものではない。

テーマは重い。物語も最後に老人ホームに行かずに元の鞘に収まりましたとさ…なんていう甘い話ではない。表層的にはクララや兄のフロイドが憎まれ役に思える感じもするが、そんな単純なものではなく、誰かが悪役というわけではない。誰の気持ちや立場もちょっとずつわかる。確かに大きな確執もなく、長男家族が16年も会いに来ないのはどうかと思うが、アメリカの大きな国土ではない話ではないのだろう。ましてや今ほど交通の便はよくなかったはずだ。

ロンにとっての唯一の救いは孫娘で、最後には孫娘から一緒に暮らしたい、そのための部屋も借りた、という申し出を受ける。でもロンは自分の歩く道は自分で決めると、その申し出を受け入れない。それが彼の孫への、孫のこれからの人生への愛情であり、自らのプライドなのだ。孫のスーザンにロンは、「スーザンの言葉は信じている、むしろ誇りに思う」と言う。いがみ合ってきたクララにも、「わしはクララが嫌いだった、クララもわしを嫌っていた。でも世話をしてもらってきた事実には御礼を言わなければならない」と言う。どちらのセリフもキメとなるメインのセリフではないが、重く切ない。

こうした細かなセリフの一つ一つも大切に練られ脚本が書かれていることに感心する。そして何よりもストーリー全体を締めたのが、木の皿にまつわる最後のスーザンの言葉である。

老いはすべての人に訪れる。そんな当たり前のことが本当に深い悲しみとやるせなさを誘う。まだそれでもロンは家族がいるが、本当に孤独な老いと死を迎える人も数多くいる。これはドラマではなく、現実。おそろしくリアリティのある物語だと感じた。

humanity

いい歳をした大人たちが舞台の上で遊んでいるなぁ…と

思えた瞬間に、この芝居を観に来て良かったと思った。

そして自分自身もこの人たちの年齢に

近づいてきていることに思いを巡らせ、少し切なくなった。

他の舞台を観ても、絶対に持ち得ない感触を持った。


『HUMANITY~モモタロウと愉快な仲間たち』 (地球ゴージャス・プロデュース)  岸谷五朗作・演出/唐沢寿明 寺脇康文 岸谷五朗主演 於:新宿コマ劇場


良くも悪くも私は大抵板の上での芝居を本業にしている人のステージを観ることが多い。加藤健一事務所しかり、劇団四季しかり、テレビ俳優も出てくるが、東宝ミュージカルだってある種そうだろう。それらの芝居はなるべく観客を現実世界に引き戻さないようにと演出するから、アンコールで何人もの役者がペラペラ台詞以外のことを喋ったりしない。でも今日の芝居は違った。アンコールで、唐沢、寺脇、岸谷、高橋由美子、戸田恵子が代わる代わるマイクを持った。テレビや映画でも大活躍の俳優陣のトークが聞けるのだから、ある意味ファンへの大サービス。


肝心の内容にもこういう緩い感じがつきまとう。正直第一幕は観ていられなかった。間延びにして退屈で、オシャレでギャグが上品な吉本新喜劇と言えば、ちょっと吉本に失礼かもしれない。ネタともオチともつかぬ、笑いどころ(でも大爆笑にはならない)が散りばめられているが、メリハリに欠ける。舞台装置は立派だが、現実世界(会社内)の描写も、第二の世界(鬼退治)の描写も、何だか安っぽい。役者たちも最後のトークで言っていたが、岸谷五朗が登場するまでがやたら長く、冗長な感じがした。


ところが第二幕はなかなか良かった。本格的に鬼退治に向かうシチュエーションだ。この物語が何を言わんとしているのかも明確に出てくる。


そしてこのあたりから、冒頭に書いたように40歳を超えた男たち(主演3人)が生き生きとしてくる。芝居をしているというより、大きな舞台の上で遊んでいるようにも見える。何とも羨ましくて、生身の彼らが素敵に思えて、ようやくいたずらに派手派手しいこのステージに引き込まれた感じがした。


それと脇で支える戸田恵子さんは、やっぱり魅力的。彼女は映画やテレビだけでなく、舞台に出演しているのも何度か観ているが、特別オーラがあるわけでもないのに、独特の雰囲気を持つ不思議な存在。


そういうわけで、総合的にはまあ損はしなかったという感じだけど、物語の内容のわりにあきらかに約2時間半(幕間除く)は長すぎる。最近舞台でも幕間なしの2時間という映画並みのものも増えたけれど、今回の作品ならそれで十分。それくらいに縮めた方が凝縮した内容が楽しめたと思う。

ライブ評-6【エキスポ】

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大好きな舞台人の1人である加藤健一さんの舞台を久しぶりに観に行った。従って本多劇場も、下北沢も久しぶり。加藤さん、一時はテレビにもよく出ていたが、ストイックにそれほど大きくない劇場で、小粒だが上質の芝居を続けている尊敬している役者の1人。小粒というのはちょっと違うかも。大上段に正義や文化を振りかざすのではなく、ドタバタではなく、ちょっと知的に楽しく笑えるコメディを中心に地道に上演している。普段は外国のものが多いが、今回は珍しく日本、しかも昭和45年が舞台。行くまでは違和感があったけれど、本当に楽しくあっという間の2時間だった。


『エキスポ』 (加藤健一事務所)  久世龍之介演出/加藤健一主演 於:本多劇場


大阪万博開催期間中の宮崎の田舎、港町。食堂と連れ込み宿を経営する働き者の母親が急死するところから始まる。正確にいえば、通夜と葬儀の2日間の一家の居間で繰り広げられる出来事である。さしづめ舞台版「お葬式」だが、伊丹十三のそれとは全然違うのだが、葬儀という大真面目な儀式の何とも言えないおかしみがよく出ているところは似ていなくない。しかも一昔前の田舎の葬式だから、ちょっと変わった風習があったり、葬儀屋が娘の小学校の同級生だったり…と濃密な人間関係の土地ならではの、おかしくもホロリとするエピソードも散りばめられている。

何しろこの家族のおかしさは、男性陣がみんな頼りなく、女性がやたらとしっかりしていること。まあ、それは今も昔も、田舎も都会も変わらないかもしれないけれど…。しかも死んだ母親が経営していたのが、連れ込み宿だったことからわけのわからない客は来るは、娘が別れた元夫が東京からやってくるは、で葬儀は大騒ぎ。挙句に加藤健一扮する長男の元浮気相手の夫までが押しかけてくるという、コメディとしては定番の設定なのだけど、ありきたりな感じがしないのは、構成と演出がしっかりしているからか、役者が全員うまいからか?台詞も無理やり笑わせようとするナンセンスなものは少なく、多分下手な役者がやっても笑わないだろうなと思うような自然なものばかりで、それが却って良かった。だからただ笑うだけではなく、途中うっかり涙が出そうになるシーンもあった。

とにかく舞台だけは、劇場で観て臨場感に触れないと感じることはできない。また、加藤健一事務所の公演には欠かさず行きたいなと思わせる、力のある作品だった。

ichimura
これほど長い間、役者を代え、何度もロングラン上演されている、洋物ミュージカルもないのではないかと思う。でも私は、初めての観劇。内容もユダヤ人の話で決して楽しい話ではないことくらいしか知らなかった。 でもそれだけに観て新しい発見があった。ユダヤの話という、どちらかといえば日本人には遠い話なのにかかわらず、なぜ何度も再演されてきたのかも理解できたし、思ったよりユーモアに満ちて穏やかな話であることも新たな発見だった。しかしこれは、主演の力もあるかもしれない。
私はもう本当に若い頃から、市村正親さんの大ファン。このところ再婚でまたクローズアップされているが、「なんであんなオヤジと」と篠原ファンの中年男が指をくわえているのをみても、「同じオヤジでもキミとは違うよ」と笑いつつ、正直ちょっと篠原涼子が羨ましかったりする。だから今回は主役を観に行ったわけだ。ファンの立場からすれば市村さんにはもう少し若い役をやってほしいが、すっかりはまり役の感もあり、そこはさすがにうまいと言わざるを得ない。でも想像だが、森繁さんや西田敏行さんより、軽くオシャレな感じに仕上がっていたと思う。

『屋根の上のヴァイオリン弾き』  寺崎秀臣演出/市村正親主演 於:日生劇場


舞台はロシアの寒村、村人のほとんどはユダヤ人。信仰を中心としたこまごまとしたしきたりがあるが、決して息苦しいという感じではなく、このしきたりで暮らしや村人たちのコミュニケーションのバランスを保っている。主人公デヴィエ(市村正親)は酪農家で、信心深くお人よし。貧しいが、ちょっと怖い妻ゴールデと年頃にさしかかっている5人の娘と楽しく暮らしている。そんな折、長女のツァイテルに縁談が持ち上がるが、実は幼馴染の仕立て屋モーテルと付き合っている。この村のしきたりでは、父親が娘の縁談を決めるのだが、娘に弱いデヴィエは娘の希望を聞き入れる。一事が万事この調子のデヴィエに、娘たちは次々と親の意に沿わない、あるいは勝手に結婚の話を進めていく。次女ホーデルは反体制のインテリ・パーチックと。しかしこの話にも愛し合っているのならと、OKをしてしまう愛すべき父親デヴィエ。その結果、シベリアで囚われの身になったパーチックのそばに家族を捨て旅立ってしまうホーデル。でも三女のチャヴァがロシア人と結婚したいと言い出した時だけは、信仰と民族の違いからどうしても許せない。そのロシア民族にやがて村を追われることになる哀しいユダヤ人たちの運命。

この物語が日本人に受け入れられたのは、ドイツでのホロコーストほどの残虐性は希薄で、なおかつ家族のあたたかく哀しい物語の色彩が強いからだと思う。そして何よりもデヴィエの父親としての魅力、ユーモアに共感できる。敬虔な信者でありながら、訳もわからず仕立て屋の義理の息子のために「ミシンがほしい」と神に祈ったり、この仕立て屋と娘の結婚を許し、妻を説得するために、無理やり夢に先祖のお告げを出したりと、とにかく破天荒で優しい。村人が変わり者だと遠ざけるパーチックを快く家庭教師として受け入れたり、敵であるロシア人の巡査とも信頼関係を築いたり…。日本人の持つ心情と、デヴィエの持つ人柄の相性が良いのだろう。

正直海外ミュージカルのファンや、ユダヤの問題を深く感じたい人にはちょっと物足りない話でもあるけれど、エンターテインメントとしては良質のまさにロングセラーだと思う。


サウンドトラック
「屋根の上のヴァイオリン弾き」オリジナル・サウンドトラック