本田美奈子.
アメイジング・グレイス (DVD付)

“アメイジング・グレイス”は、賛美歌である。賛美歌からは結婚式も葬式も連想するが、特にこの曲のメロディには死生観を感じ、そして悲しみのイメージが強い。本田美奈子.さんがこの曲をリリースしたことは、亡くなるまで知らなかったが、ドラマ“白い巨塔”のテーマ曲をはじめ、さまざまなシーンで使用されてきた。

シンガーとして比較的若くして亡くなった美空ひばりさんは、亡くなる前に“川の流れのように”をリリースし、石原裕次郎さんは“わが人生に悔いなし”をリリースした。プロデューサーが死を予測し、彼らの最期をよりドラマティックに演出するために仕掛けたような気がして、若い頃はちょっと後味の悪さを感じた。

そしてアメイジング・グレイス。同じ流れを感じつつも、今は忌むべき話ではないような気がしている。

ミッションを持って生きてきた証を最期に残せることは、表現に生きた人々にとっては幸せなことで、死をも演出することも、表現の集大成としてありかなぁと思えてきた。翻ってみれば、私は何か残せる仕事はあるのかと思うと、ちょっと虚しい。でも明日すぐに命が終わることはないと、多分思うので、これからの時間の中で、何かできればいいとも思う。別に有名になるとかそういうことではなく、誰かに影響を与えられる、生きるミッションを持ちたい。

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moriyama

さとうきび畑~涙そうそう~ことばは風 森山良子コンサート


暮らしの中で出会い、親しくなった人の数は、生きる人生によって異なると思うが、一時親しくしていても次第に会わなくなっていった人が1人もいないという人はいないのではないか。これは恋人に限らず、友だちや仕事仲間など…。人生のある時期を共に過ごし、とりたてて喧嘩別れをするでもなく、生活環境の変化が関係性を希薄にしていくようなパターンで。そしてそういう人たちのことを普段は忘れているものだ。


ところがあるきっかけで過去に置き去りにしてきた友だちのことを鮮明に思い出さされることがある。それは例えば同窓会の誘いであったり、街での偶然の出会いであったり…。けれども私の中でTクンの存在が強烈に蘇ったのは、彼の急死の知らせだった。40歳そこそこ、小さな子供を残して。


亡くなった地が東京ではなかったので、既に葬儀を済ませてあり、私たち友人は亡骸に対面することもなかった。しかも日常的に会っていた人が突然いなくなったわけではないのだから、実感が持てない。嘘ではないか、今もこの世界のどこかで元気にやっているのではないかと思った方が現実的だった。だからもちろん涙など出なかった。結局そのまま普段と変わらない日常に戻った。Tクンとは5年以上前には、よく一緒に飲みに行った。色恋沙汰はなかったので、いつも彼と過ごすときには、別の友人もいた。結婚式にも招待された。でも彼に子供ができ、その頃一緒に騒いだ友人も仕事を変わったり、家庭を持ったりして、いつの間にか散り散りになった。別に学校の同窓生とか、会社のOB同士でもないので、何かきっかけがなければ集まる必然性にも乏しかった。だから彼がそばにいないことが“日常”。日常に戻るのはたやすい。


ある日、何気なくつけていたテレビから『涙そうそう』が流れてきた。Tクンたちと過ごした日々の記憶、Tクンの顔が鮮明に私の中に帰って来た。涙が止まらなかった。どこかで生きていてくれたら、こんなに切実に会いたいとは思わなかっただろうと思うほど、会いたくて会いたくて、そして悲しくなった。それは彼へのレクイエムというより、戻ることができない自分自身の過ぎ去った日々への切ない未練だったのかもしれないけれど。

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