ichimura
これほど長い間、役者を代え、何度もロングラン上演されている、洋物ミュージカルもないのではないかと思う。でも私は、初めての観劇。内容もユダヤ人の話で決して楽しい話ではないことくらいしか知らなかった。 でもそれだけに観て新しい発見があった。ユダヤの話という、どちらかといえば日本人には遠い話なのにかかわらず、なぜ何度も再演されてきたのかも理解できたし、思ったよりユーモアに満ちて穏やかな話であることも新たな発見だった。しかしこれは、主演の力もあるかもしれない。
私はもう本当に若い頃から、市村正親さんの大ファン。このところ再婚でまたクローズアップされているが、「なんであんなオヤジと」と篠原ファンの中年男が指をくわえているのをみても、「同じオヤジでもキミとは違うよ」と笑いつつ、正直ちょっと篠原涼子が羨ましかったりする。だから今回は主役を観に行ったわけだ。ファンの立場からすれば市村さんにはもう少し若い役をやってほしいが、すっかりはまり役の感もあり、そこはさすがにうまいと言わざるを得ない。でも想像だが、森繁さんや西田敏行さんより、軽くオシャレな感じに仕上がっていたと思う。

『屋根の上のヴァイオリン弾き』  寺崎秀臣演出/市村正親主演 於:日生劇場


舞台はロシアの寒村、村人のほとんどはユダヤ人。信仰を中心としたこまごまとしたしきたりがあるが、決して息苦しいという感じではなく、このしきたりで暮らしや村人たちのコミュニケーションのバランスを保っている。主人公デヴィエ(市村正親)は酪農家で、信心深くお人よし。貧しいが、ちょっと怖い妻ゴールデと年頃にさしかかっている5人の娘と楽しく暮らしている。そんな折、長女のツァイテルに縁談が持ち上がるが、実は幼馴染の仕立て屋モーテルと付き合っている。この村のしきたりでは、父親が娘の縁談を決めるのだが、娘に弱いデヴィエは娘の希望を聞き入れる。一事が万事この調子のデヴィエに、娘たちは次々と親の意に沿わない、あるいは勝手に結婚の話を進めていく。次女ホーデルは反体制のインテリ・パーチックと。しかしこの話にも愛し合っているのならと、OKをしてしまう愛すべき父親デヴィエ。その結果、シベリアで囚われの身になったパーチックのそばに家族を捨て旅立ってしまうホーデル。でも三女のチャヴァがロシア人と結婚したいと言い出した時だけは、信仰と民族の違いからどうしても許せない。そのロシア民族にやがて村を追われることになる哀しいユダヤ人たちの運命。

この物語が日本人に受け入れられたのは、ドイツでのホロコーストほどの残虐性は希薄で、なおかつ家族のあたたかく哀しい物語の色彩が強いからだと思う。そして何よりもデヴィエの父親としての魅力、ユーモアに共感できる。敬虔な信者でありながら、訳もわからず仕立て屋の義理の息子のために「ミシンがほしい」と神に祈ったり、この仕立て屋と娘の結婚を許し、妻を説得するために、無理やり夢に先祖のお告げを出したりと、とにかく破天荒で優しい。村人が変わり者だと遠ざけるパーチックを快く家庭教師として受け入れたり、敵であるロシア人の巡査とも信頼関係を築いたり…。日本人の持つ心情と、デヴィエの持つ人柄の相性が良いのだろう。

正直海外ミュージカルのファンや、ユダヤの問題を深く感じたい人にはちょっと物足りない話でもあるけれど、エンターテインメントとしては良質のまさにロングセラーだと思う。


サウンドトラック
「屋根の上のヴァイオリン弾き」オリジナル・サウンドトラック
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ヤマハミュージックコミュニケーションズ
夜会 VOL.13 24時着 0時発

かの有名な夜会だけど、CDも買ったことがなかったので、まったくの初体験。ミュージカルは時々観るけれど、コンサートはしばらく行っていない。なぜコンサートに行かないか?盛り上がるのが苦手というだけなので、むしろミュージカルより落ち着いて観られる夜会は、一度行ってみたかったイベント。

実際、観終わった年配の女性が「ミュージカルの曲が終わるごとの拍手は興ざめする。夜会にはそれがないのがとてもいい」と言っていたが、それには激しく同感。夜会ではラスト以外に拍手がまったく入らない。観客の態度って大事だと思う。


◎中島みゆき『夜会VOL.14 24時着 00時発』  瀬尾一三音楽監督 於:青山劇場


夜会は、当初から「言葉の実験」といわれているが、今も実験。つまりストーリーがあるようなないような、主題があるようなないような、やや難解な構成で、もちろんストーリーをここに書くのは非常に難作業である。

そもそもストーリーを求めるのはおかしな話で、あくまで観るべきは不思議な世界観(舞台セットも素晴らしい)、聴くべきは中島みゆきの歌唱力と曲の持つ重さ。

今回は前回に引き続き、「命のリレー」 を中心とした構成だったが、この曲を生で聴くだけでもある種の価値はあったかと思う。この人が紡ぐ日本語の重さ、世界観の大きさには、圧倒される。

それだけに自ら「言葉の実験」という夜会全体が、実験の域を出ていないことがちょっと残念でもあり、だからこそ、夜会は続いているのかな、とも思う。

しかし今は当日券もある。少し飽きられたのだろうか。ポピュラリティを持たせる必要はない。難解なら難解でいいと思うが、やや中途半端なのだ。非常に泥臭い、リアリティのある表現や演出があるかと思えば、無国籍で現実感を離れた幻想的な場面もある。後者で統一して、もっと音楽を聴かせる構成にしてほしい。芝居の部分は正直厳しい。リアリティがあればあるほど、ベタさが際立つ。ただ、曲数は昔より増えたと、常連の人が言っていた。

ところで青山劇場より、オーチャードホールの方が企画に合っていると思うが…。

中島みゆき, 瀬尾一三
転生
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ucyouten

三谷幸喜の作品を映画館で観るのは初めてで、正直あまり期待していなかった。舞台もテレビもおもしろいのに、どうも「ラヂオの時間」や「みんなのいえ」は、いまいちという印象があって、今回も宣伝倒れかな…なんて思っていたが、想像以上に楽しめた。別に腹を抱えるほど笑えるわけではなく、かといって、本題がなく散漫なので、感動もないのだが、オシャレなシチュエーションコメディを観ているような感じで、気軽に楽しめた。
おまけに何だかスクリーンが一時暗くなったとやらで(全然気づかなかったが)、気前良く帰りに劇場の招待券をもらえたので、偶然の幸運にも見舞われ、ちょっとうれしかった。
『THE 有頂天ホテル』  三谷幸喜監督・脚本 役所広司主演
舞台はホテル内のみ。ホテル前のシーンがちょっとあっただけで、あとはホテルの客室、ロビー、ラウンジ、宴会場、廊下、バックヤードなどを走り回るだけで構成されている。こういうところは、三谷さんは本当に舞台の人だなと思う。従って、演劇を見慣れていない人にはちょっとつらいかもしれない。
副支配人の新堂(役所広司)を中心に、客、従業員、イベント出演者など、さまざまな人の人生のひとコマが映し出される。エピソードをストーリーに盛り込まれたキャストは、たくさんいて、誰が主役かというと難しいし、ここにストーリーを書けといわれても、まとめきれない。そういう意味では顔見世興行だし、心に残る映画かというとNoである。唯一、汚職で追い詰められた代議士・武藤田(佐藤浩市)を軸としたストーリーだけは、佐藤浩市の役者としての魅力もあいまって、引き込まれるものがあった。
それでも何が良かったのかというと、とてつもない主役級の出演者がみんな生き生きしていて、ストーリーを追うのがまったく苦にならなかったということ。長めの尺にも飽きずに楽しめた。役者の力かもしれないが、脚本の巧みな構成力も大きいと思う。これまでの2作の映画のように、中途半端に誰かに焦点を絞って、中途半端にその人間性を描くより、こっちの方が三谷幸喜らしいのかも。できたらやっぱり舞台で観たい作品だと思う。
有名なミュージカル「グランドホテル」を意識しているのか、ホテルの部屋の名前をグランドホテルの出演者に絡めるなど、ちょっとした演出も効いていた。
DVDで十分の作品という人もいるかもしれないが、映像で観るなら大スクリーンで観ないと、さらに小品の印象になってしまうと思う。いい役者が大勢出ているので、それだけでも大スクリーンの価値はある。
THE 有頂天ホテル オリジナル・サウンドトラック
本間勇輔
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実はこの映画に出かけるまで、要らぬ心配をしていた。レイトショーで観たのだが、前日4時間くらいしか寝ていなかったので、映画の途中で寝ないだろうかと…。まったくの取り越し苦労。別にミニシアターで座席が狭かったからではなく、この映画を観て寝るなんてこと、絶対にできない。それくらい、事実は重く、残酷で、鬼気迫るモノがある。

ところで私は10日くらい前だろうか、「白バラの祈り」 も観ている。はからずも重い映画ばかり続く。比べてはいけないし、比べられるものでもないけれど、それでも私はゾフィーよりホテル・ルワンダの主人公ポールに強く共感する。実際に人の命を救うことの重みに、何も代えられないような気がしてしまう。比べてはいけないといえば、この主人公を「アフリカのシンドラー」 とか「杉原千畝」 になぞることもあるが、それもどうなのだろう。結局私たちにとって、アフリカは遠い国なのだ。だから少しでも身近なものに投影したくなる。そうすることで実感を深めようとするのだ。


『ホテル・ルワンダ』  テリー・ジョージ監督 ドン・チードル主演


この映画の舞台は、ほんの10年くらい前のルワンダ。私たちが既にパソコンだ、ケータイだ、と言い始めていた時代に、ルワンダでは民族間の大虐殺がおき、わずかな期間に罪のない人が100万人も殺された。それでも世界のどの国もまともに声をあげず、国連すら駐留はしても、手を出しあぐねていた。その時に対立する民族の妻を持つ4つ星ホテルの支配人のポールが、家族を救いたいという気持ちを起点にして、行き場のない人々をホテルにかくまい始めた。結果として、1,200人もの人を救うことに成功した、そのプロセスが描かれている。

直接的な原因は同民族の対立だが、根底にあるのは黒人に対する根強く深い差別だ。私たち日本人には理解しきれない背景がある。また、日本人は歴史的にアフリカとは、地理的な遠さもさることながらあまり縁がなかった。同じ遠くでもブラジルとは決定的に違う。だから黒人差別というのは、日本人には希薄だろう。だからどうしても感情移入しきれない部分が残る。ましてや現代社会において、説得力のない理由での内戦ということ自体が身近ではない。

でも私たちは勘違いしている。偶然、この時代に、この比較的平和な国に生まれ、大した苦労なく、文明を謳歌していることが、むしろ奇跡なのだ。こういう映画を観ると、そのことを思い知る。命が自分のものでなく、健康であっても生き続けることを自分で選べない人が、本当にたくさんいるということも。

映画の中で「我々はニグロにすらなれない」という台詞が出てきた。どんな時代も、社会も、人は人の上にも下にも人をつくる。同じ黒人の中すら、細かく分かれてしまう。

この物語の数少ない救いは、ホテルのオーナーがポールに理解があり、わずかながらでもポールを救ったことだろう。また、何人かの外国人が個人的とはいえ、手を差しのべようとし、それが国際社会をわずかでも動かしたことだ。ポールの勇気とともに、個人の中にある良心のありようも尊く、意味深いものだと思う。

映画そのもののも素晴らしかったが、そういうことを抜きしても、こういう映画はもっと多くの人が観られるように上映してほしいと思う。遠いアフリカを少しでも近づけるために、歪んだ形のナショナリズムのようなものにとらわれないためにも。

サントラ, アフロ・ケルト・サウンド・システム, ドロシー・ムニアネザ, ベン・ムニアネザ, ワイクリフ・ジーン, ルパート・グレッソン, ウィリアムス, デボラ・コックス, イヴォンヌ・チャカ・チャカ
ホテル・ルワンダ

sirobara

この映画はドイツ人でありながら、ナチスの反体制運動を行った学生たちが処刑になるまでを描いた、史実に基づいた作品である。なかでも紅一点のゾフィーの尋問から裁判、処刑までの日々を中心に描いている。それだけに暗さは否めない。ストーリー性や抑揚も求めない方がいい。この作品をどう観るかは、ゾフィーに生き方というか、死に方というか、そのありようにどこまで共感ができるか、感情移入ができるか、だろう。そういう意味で、正直言うと、私はいま一つだった。もちろん立派だと思うし、気高いことなのだろうとも思う。でも少し拘留されるまでの描かれ方が薄かったのと、白バラの反体制の方法そのものが市民に与えた影響がわかりにくかったことから、何だか残酷さとこの時代のドイツの狂気さだけが目についてしまって…。


『白バラの祈り―ゾフィー・ショル、最期の日々』  マルク・ローテムント監督 ユリア・イェンチ主演


この作品の中身は、冒頭に書いたことに尽きる。ただ、私として興味深かったのは、ゾフィーというその人そのものより、尋問官ムーアの心の動きと、ゾフィーを見る視線だった。ゾフィーはまだ学生で、親子ほども歳が違うムーアは、ある時点から尋問官の目ではなく、子を持つ親という視点からゾフィーを見つめていたように思う。そしてそんな彼に共感できたということは、私は歳をとったということなのかもしれない。

ゾフィーに対しては、どうしても命がもったいないような気がしてならない。まだ20歳そこそこで兄妹揃って国家の手で処刑されなくても、他に何か信念を貫く方法はなかったのか。若さゆえの純粋な一途さ、信念の強さといえばそうなのだと思うけれども…。

でもそれだけに確かに当時のドイツ、いや、世界全体の異常さ、狂気が鮮明になり、日本ではどうだったのだろうとも考えた。ここまで自己のポリシーと信仰を貫く若い学生がいたのだろうかと…。

いずれにせよ、見て損はない映画だとは思う。淡々としていたわりに、2時間はあっという間だった。後半に緊迫感があったからかもしれない。ただ、私は泣くまでは至らなかった。