東野 圭吾
容疑者Xの献身

ふと入った本屋で買うとはなしに買った。まず本の装丁がキレイで、久々に読む東野圭吾作品。この人の作品はう~んと心に残るってほどじゃないけど、「うまいっ」って思う。特に最近の本はトリックやパズルのような謎解き、犯人探しにはまらず、きちんと人間を描く。そのうえで意外性もちゃんとある。この作品のクライマックスのある種どんでん返しも、伏線があって唐突感はない。本を何冊も読むとわかる。力のある作家ほど、余計な描写は少ないものだ。海が青いとか、風がそよいでいるとか、街の賑わいとか、風景をあらわす表現以外は、だいたいどこかにつながっているもの…そう考えれば、おのずと結末のポイントとなる謎が解けるはず。


『容疑者Xの献身』  東野 圭吾 文芸春秋


ホステスを辞め、中学生の一人娘・美里を育てながら、日本橋あたりの弁当屋で働く花岡靖子が、働かない前夫からの執拗に復縁を迫られ、うっかり娘の前(というより一緒に)で殺してしまう。主人公の石神は、靖子の隣の部屋に住む独身の数学教師。数学にしか興味がないというか、実は天才数学者という設定。そのうえ、柔道をやっているくらいだから、かっこいい感じに思うが、外見や表層的な性質は冴えない中年男として描かれている。その石神は内心靖子が好きで、ややストーカー的に(毎日弁当を買いに行ったり)見守っているものだから、殺人のことも知ってしまう。

死体遺棄と証拠隠滅を自ら進んで引き受けた石神は、数学的頭脳(といっても、時刻表の計算とかそういうことではない)を用いて、完璧なトリックを組み立てる。

この謎を大学時代、彼のライバルだった母校の助教授湯川と、その友人の刑事・草薙が真相に迫るべく、追い詰めていくというのがストーリーの核。

この物語のひとつのテーマは、付き合っている女でもない靖子に対する石神のとてつもない献身さなわけだが、一応最後の説明で心理的に辻褄は合う。ただ、身近に理解できる感じではないから、ミステリーでなければ成立しない人物描写のような気がする。もうひとつ靖子もちょっとご都合主義な気も…。

ラスト近くで美里のとった行動が悲しいが、救われる。また彼女の行動がなければ、ラストの靖子の行動もなく、靖子は最後まで意思のはっきりしない、さらには最後には残酷な女として重いものをひきずって生きていくしかない救われない役どころになっただろう。また、石神の献身さゆえに犯したことは、かなり罪深い。人物を描くといっても、やはりミステリーありきだし、それが東野圭吾のおもしろさでもある。

全体には読み応えがあり、次々と先が気になる小説だった。本代の価値はあると思う。


*そのほかの東野圭吾作品↓

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分身
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kesigomu

試写会に行ってきた。最近韓国映画の試写会は、大々的にやっているのでよく当たる。あまり予備知識なしに出かけたのだが、途中から何だかどこかで観た話だな…と思った。永作博美が主演だった日テレの「Pure Soul~君が僕を忘れても~」 だ。でもこれはパクリではなく、日韓織り込み済みで、参考にした作品ということだ。私は連ドラのほうは、2、3回しか観なかったと思うのだが、若年性アルツハイマー(今でいう認知症)をテーマに扱っていたという特異性から覚えていた。でも元ネタのドラマより映画のほうが良かった。永作博美も緒方直人も嫌いな役者じゃなく、演技もうまいと思うが、何か日本人だけに生々しく、生活感と変なリアリズムがありすぎて、ドラマティックさに乏しかったように記憶している。日本版は出産するというエピソードがあったと思うのだが、この辺が純粋なラブストーリーとして見られなかった原因かもしれない。


『私の頭の中の消しゴム』  イ・ジェハン監督 チョン・ウソン/ソン・イェジン主演 10月下旬公開

建築現場で働く労働者のチョルスは、スジンという(チョルスが働く建設会社の)社長令嬢と、彼女の健忘症が原因で、ある日偶然コンビニで出会う。スジンは上司との不倫で傷心のなか。この日はそのまま別れるが、やがて父親がスジンが働くアパレル会社の内装工事の助っ人として、チョルスを紹介することで再会。ささくれ立ち陰のあるチョルスと、家族に愛され奔放に育った気が強いが素直なスジンは、やがて惹かれあう。ここまではよくあるパターンで少々冗長気味。韓国映画らしい大げさなエピソード、例えばひったくりにあったスジンをかなり強引に助けるなんていう、ベタなシーンも出てきたり、カメラワークも妙に懲りすぎてしつこい。その後父親に反対されながらも、わりと簡単に許されて結婚。結婚を機に受けた建築士の試験にチョルスが合格するなど、順風満帆な結婚生活が始まる。

ただこのあたりから雲行きが怪しくなる。チョルスの家族の問題が出てきて、さらにはスジンの病気(若年性アルツハイマー)が本格的に進行する。愛する想いは深いのに、スジンの頭からどんどんいろいろな記憶が消えて、時に錯乱する。

ここから先の描写は切なく、丁寧に描けている。何よりも妻を愛し続け、求め続け、助けるチョルスが魅力的。序章の荒くれたイメージが影を潜め、心優しい夫に変貌している。この変化の仕方も決して無理は感じない。それと脇の家族の存在が全体を引き締めている。家族が設定上存在するだけでなく、スジンが家族のことをとても大切に考えているところがいい。その想いを見るチョルスも自分の家族に徐々に心を開いていく。そして記憶を失っても、チョルスを含め、家族のなかでの幸せはあると感じさせてくれるところが救われる。

最後はすすり泣く声も会場から聞こえてきたが、決してお涙頂戴的な仕上がりにはなっていないし、随所にユーモラスな描写も散りばめられている。素直な気持ちで観れば、切なく愛や家族を感じさせられる作品。観てよかったと思う。


*参考:「Pure Soul~君が僕を忘れても~」↓

バップ

Pure Soul ~君が僕を忘れても~ DVD-BOX

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mazyo

水曜日夜のレイトショー。女性は1,000円で映画が観られる水曜日。売店でワインクーラーを買い、飲みながら余裕のある座席のシアターで映画を観る。こんな至福の時間には軽い映画がいい。ここのところ観たのは、「マザー・テレサ」 「ヒトラー~最期の12日間」 と、名作だけど重かったもの。

そんなわけでやっぱりこれでしょ、と、「奥さまは魔女」を選んだわけだが、軽すぎた、ホント。軽くてもいいんだけど、全体に中途半端な印象。DVDレンタルで十分。いやDVDもレンタルしないか?救いは、やっぱり二コール・キッドマンの美しさ、キュートさ。役にもはまっているし、みんな彼女を観に来ているのかも。


『奥さまは魔女』  ノーラ・エフロン監督/二コール・キッドマン ウィル・フェレル主演

この映画はオリジナル版の完全リメイクではない。むしろこれは劇中劇で、リメイク版をつくるために相手役(ダーリン)になる落ちぶれかけた俳優に抜擢された(街でスカウトされた)サマンサ役がイザベル(二コール・キッドマン)で、彼女自身が本物の魔女であるという設定。劇中劇と同時進行で、アナザー「奥さまは魔女」のストーリーが進行する。ちなみにイザベルの現実は、奥さまではなく、恋をしたがる独身魔女。このあたりまでは、予告でもやっていたストーリーの枠組み。

ウィル・フェレルが演じる駄作を送り続け起死回生を狙う俳優ジャックは、自分を引き立てるために素人のサマンサ役を当て、セリフも言わせないという最初は嫌なヤツ。ただ次第に2人は惹かれあい、最後には…というのは、お決まりの展開。お決まりの展開なのがどうというのではない。こういう映画はそういうものだと思っている。

でも、それぞれの描き方、人物のアクの出し方がなんとも中途半端。魔界の人と、人間界の人が、魔法を使えるか使えないか、あるいはセリフのなかで、機能的な区別はされているのだが、個性や心のありようの表現ではどっちもあまり変わらない。だから一瞬、人間役の人も「本当は魔界の人なの?」と思うことがあるし、魔界の人も妙に人間ぽい。劇中劇で人間界の人が魔界の人を演じているという設定の難しさも影響しているかもしれない。エンドラ役のアイリスの方が、クララおばさん(魔女)より、アクが強く魔女っぽい(と、思ったら、本当にこちらも魔女?)。それでもみんないい人で、新人女優のイザベルを徹底的にいじめる人もいないし、落ち目の俳優にも気を遣っている。イザベルの父親も口では人間と恋をするなと言いながら、対応があっさりしすぎている。また、2人が惹かれあう転換点も曖昧で、どっちの気持ちもよくわからない、というか、ムリにストーリーを引っ張っている。

全体にコメディタッチでくすっとは笑えるが、楽しくて仕方ないというほどでもない。ユーモアも中途半端な感じ。個人的には、素直にリメイクした方が、おもしろかったと思うのだがどうだろう?


*オリジナル版↓

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
奥さまは魔女 プレミアムDVDボックス
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四つの嘘

たまたま時間が空いたので、本屋に立ち寄ったときに見つけた。積極的に読みたかったわけではないが、中年女性の群像劇が興味深い作品として成立するのかを読みたくて、迷った末に買った。作家は、脚本家として有名な大石 静。脚本家の書く小説は、人物像がはっきりしていて読みやすいが、やや極端にふれるきらいがあり。この作品もそういう意味では、4人の女性の人生のありようが、やや極端に描き分けられていた。だから私自身、主人公たちよりちょっと若いとはいえ、ほぼ同世代でありながら、誰に自分の人生や考え方を投影できるとかといえば、ちょっと誰もいないな…という感じ。でもそれぞれの女性にリアリティがないかといえば、そうでもない。このあたりはドラマを書きなれている作者の技かも…。


『四つの嘘』  大石 静 幻冬舎


淫乱に生きるしかない、詩文。

平凡に生きるしかない、満希子。

仕事に生きるしかない、ネリ。

平凡に生きるはずだった、美波。

これは帯の書かれていた4人を規定する表現だが、こんな感じの女子高で同級生の4人が繰り広げる高校時代の日々と、それから月日が流れた41歳の彼女たちの岐路がストーリーの主軸。

物語は、美波がニューヨークで水難事故に巻き込まれて、死亡するところからはじまる。平凡な主婦だった美波が共に水難事故に巻き込まれたのは、高校時代に詩文と取り合い、傷つき、敗れた、詩文の元夫だった。ここから長い高校時代の回想がはじまり、現在の彼女たちの日々と交差してストーリーは展開する。

特に詩文が極端な女として描かれている。神保町の本屋の娘で、幼い頃から文学を愛し、波乱のない恋愛や夫婦生活を受け入れない。その詩文が物語の軸になっている。他人の人生に対する嫉妬が深く、その人の恋人を誘惑することでしか満たされない女。なんて嫌な女だろうと思うのだが、どこか憎めない真摯さがあって、このなかでもいちばん魅力のある女にも思えてくる。そういう意味で、登場人物はすべて生き生きしていて魅力的かもしれない。中年女性の群像劇と書いたが、いま41歳が中年かどうかもちょっと疑問。ただ医者になっているネリを除いては、仕事に就くことなく早くに結婚しているので、やや現実社会より年齢が上のイメージに描写されている。

いずれにしても、この小説は女性向け。30~40代の女性が読めばそれなりに共感できると思う。男性が読めば、女は怖いと感じること間違いなし。

hitora

このところ観た映画は久々に2本連続で、私的にはヒットだった。「マザー・テレサ」とこの作品だが、両方伝記的な映画なのは皮肉というか、結局現実に勝るドラマはなしということか…。

この作品は、これまでも何度も語られてきたヒトラーについてだが、これまではどちらかというと、ユダヤ人の視点から、アウシュビッツを舞台に語られてきたものが多かった。今回はユダヤに関する描写は極力出さず、ドイツ人、しかもナチス幹部とヒトラーについて描かれていたのが、ある意味新鮮。やや登場人物が多すぎるきらいがあって、ついていくのが大変だったが、2時間半強という最近の映画では珍しい大作だったが、退屈せずに最後まで観られるいい映画だった。観客層も年配の男性多し。映画館にあまり足を運ばない層をひきつけた内容だったようだ。


『ヒトラー 最期の12日間』  オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督/ブルーノ・ガンツ アレクサンドラ・マリア・ララ主演

この映画は、ヒトラーの晩年に尽くした若い秘書 トラウドゥル・ユンゲの視点で描かれている。だからか、そのほかの登場人物を含めて、側近女性の視点がさりげなく全体を通していて、そのあたりも新鮮に映ったのかもしれない。序章は彼女が面接に訪れるところから始まるが、メインはタイトルとおり、ヒトラーがドイツ降伏前に自殺を図る最期の12日間の描写であり、側近の裏切りや軍の弱体化で取り乱したり、強気に転じたりする、情緒不安定なヒトラーのある意味人間らしい側面が顕にされている。それでも「ベルリンを離れて逃げろ」と迫る部下の進言を退け、最期までベルリンにとどまったヒトラーの意志も尊重されており、決してヒトラーやナチスドイツに対して批判的な視点だけで描かれていない。そのことを批判する声もあるというが、私はだからこそ、真実に迫ることができ、だからこそ、戦争や独裁体制の愚かさをあぶりだすことができるのだと思う。結局戦争や人種による虐殺は、加害国も被害国も、共に一人ひとりの人間に焦点を当てると、どちらも悲惨なのだ。生まれてくる機会と人生は、1人に1度しか与えられないのに、1人の人間として生きる権利が奪われ、国の意思として自分の人生を選択することを、為政者や側近、その家族もまた、迫られる。

トラウドゥル・ユンゲが最後に「若かったからということは言い訳にならない、きちんと目を見開いていればわ気づけたこと」と言う言葉にこの映画のテーマが集約されているが、実際に自分がこの時代に生きていたら、何もできなかったと思う。彼女のようにヒトラーの秘書にならなかったまでも、声をあげたり、自決したりすることはできなかったはずだ。自分が生きる国と時代が、とりあえず平和であることは、感謝すべき偶然なのではないかと思ってしまう。


*これを読めば登場人物一人ひとりをスムーズに追えるかも↓

ヨアヒム・フェスト, 鈴木 直
ヒトラー 最期の12日間