著者: 角田 光代
タイトル: 対岸の彼女

角田光代という作家の本は読んだことがなかったが、確か日経新聞でエッセイ連載をしていたことがあって、読みやすい文体でテーマの切り取り方も好きだった。だからこの本が直木賞をとって話題になったときに読みたいと思っていたのだが、何だか読みそびれていたのは、伝え聞こえてきた物語の断片が何だかつまらなそうだったから。専業主婦が働きに出て…みたいな平凡な話ぽくて、しかも私のそれこそ対岸にある生き方だし…と。でもそれはいい意味で裏切られたかな?

『対岸の彼女』  角田光代 文藝春秋

伝え聞いた内容だと考えてみたら長編で話が持つわけはないもの。引っ張るだけのことは十分にある読み応えだった。物語は専業主婦の小夜子が公園ジプシーの日々に嫌気がさし、働きに出るところから始まる。こう書くと、ここだけを読んで、私が最初抱いたように「つまらない話」と思う人もいるかもしれないが、この心理描写がうまい。小夜子の過去や性格を上手に絡め、日々に抱いている漠然とした憤りや不安を滲み出している。その小夜子を採用した会社の社長は、彼女と同い年、大学の同級生の葵(大学時代は接点がないので旧知の仲ではない)。彼女は独身。単純にまとめてしまえば、この2人の関係を描いた話なのだが、交わるようで交わらない心の襞が丁寧に描かれている。冷静に考えれば、リアルタイムでの物語展開上は衝撃的な出来事はほとんど起こらない。ミステリーではないので、刑事事件は起こらないし、徹底的に誰かと誰かが激しく争うこともないし、小夜子が離婚や浮気をすることもない。小夜子の夫は、すごくいいヤツではないのだが、嫌悪するほど悪いヤツでもない。姑は嫌味っぽいが、それでもこの程度のことはまあ…というレベル。若干特異なキャラは、葵なのだが、それでも「ありえないでしょ」って程ではない。

そういったリアリティのある出来事の積み重ねと、途中からは葵の過去の物語が交互にストーリーを形成していて、それでも飽きずに先へ先へと引っ張る原動力は何だろうと思う。

考えてみれば、この物語の主人公たちは私と同世代。そう私たちは歳はとるが成長は驚くほど遅い。子供の頃の性格や感情や思いをなんとなく引きずりながら、環境だけが徐々に変わっていき、肉体だけが徐々に衰えていき、明日への希望だけが徐々に失われていく。そこに激情を伴う悲しみはないけれど、切なくて空虚な思いを抱えている。多分そんな物語全体に流れる空気に引き込まれ、シンパシーを感じたのだ。

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