kanozyo

純粋なラブコメディを観たのは久しぶり。おなかを抱えて笑う感じじゃなかったけど、肩の力を抜いて観られる楽しい映画だった。設定、筋書きもよくできているし、背景となっている韓国の田舎町の風景やどこからどこまでが親戚だかわかるようなわからないような人間関係も味があってイイ。

でも初日なのに、六本木ヒルズがやけにすいていた。ちょうど終電に間に合うレイトショーだからか?でも同じ時間帯に観た「交渉人 真下正義」も「Shall we Dance?」も込んでいた。韓流ブーム、大丈夫か?あるいは韓国のB級映画は日本人のお気に召さないのか?


『彼女を信じないでください』  ペ・ヒョンジュン監督/カン・ドンウォン キム・ハヌル主演

ヨンジュ(キム・ハヌル)はキュートな服役中の女性詐欺師。得意の話術を生かして、易々と仮出所を獲得する。こちらもプロ級の腕前の木工細工を持ち、姉の結婚式に向かう途中の列車内で、ヒチョル(カン・ドンウォン)に出会う。ヒチョルは母親の形見のリングを持って、恋人にプロポーズに向かう途中だった。その指輪をヨンジュのそばに落としたことをきっかけに事態は急変。ヨンジュに痴漢扱いされ、さらにはせっかく取り返したリングをスリにすられる。スリに気づいたヨンジュがリングを取り戻している間に、列車とヨンジュの木工細工が入ったバッグはヒチョルとともに動き出す。バッグを取り戻すために、ヒチョルの実家がある田舎町ヨンガンに向かうが、肝心のヒチョルは別の街(釜山?)でプロポーズ中。ヨンガンは町中が親戚のようないわゆる人情味あふれる(おせっかいな)田舎で、そこでヨンジュはひょんなことから町の名士の息子であるヒチョルの婚約者、しかも妊娠しているということになってしまう。ウソにウソを重ねるうちに、妹をはじめ、家族の信用を得る。認知症であるおばあさんにまで好かれ、それと対照的にヒチョルの家族や町の人からの信用は地に落ちる。最初はどうにかヨンジュの正体を暴き、自分の信頼を取り戻そうと画策をするヒチョルだが、2人は徐々に惹かれあい・・・というまあ、ありがちといえばありがちな展開。

確かに次の展開は、なんとなく予測はつく。でもスピード感があって飽きさせないし、家族や町の人たちのキャラクターが魅力的。ヨンジュは仮出所中のプロの詐欺師のわりに憎めないし、自分を主張しようとすればするほど、裏目に出るヒチョルもおかしい。コメディなので、多少の展開の強引さは否めないが、それはムリでょーってほどでもない。きちんとポイントとなるエピソードや出来事には伏線がある。よく考えられていて感心する。Mr.唐辛子コンテストはバカバカしいが、これぞB級映画という感じで、ご愛嬌といったところ。バカバカしすぎるという意見もありそうだが、私はよくできたラブコメだと思う。

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skaret

映画やドラマのストーリーには、手枷足枷が必ずあって成り立っているといわれる。例えば男に愛人がいて、妻にバレる。この男は愛人をより愛しているから、妻と別れたいと言う。妻に「子供もいないことだし、慰謝料くれればまあいいわよ」とあっさり言われたとしたら、ドラマにはならない。主人公の意のままに人生が進むことへの「障害」がドラマには必要。韓国映画の代表的な「枷」は“南北問題”“徴兵制”“儒教の伝統にのっとった家族関係”だろう。シュリやブラザーフッドは、南北問題だし、深田恭子とウォン・ビンのフレンズは、徴兵制と家族関係、それと日韓の価値観の差が微妙に絡み合う。「スカーレットレター」には、この韓国三大障害は出てこない。家族も夫婦関係まで。それでも三角関係の行き場はなく、結末は悲惨だ。男はどちらの女とも別れようとしないし、妻の夫への態度も煮え切らない。彼らを悲惨な結末に導く枷は、終盤わかる。韓国映画・ドラマお得意の誰と誰が血縁みたいな話はない。いわゆる外的要因ではなくて、3人の心に内在している。


『スカーレットレター』  ピョン・ヒョク監督/ハン・ソッキュ イ・ウンジュ主演

ハン・ソッキュ演じるエリート刑事ギフンは、従順で上品な妻スヒョンと幸福に暮らしている。一方でスヒョンの古い友人でもあるイ・ウンジュ演じるクラブ歌手のカヒと不倫の関係にある。ある日、写真館経営者が殺され、その妻ギョンヒが疑われるのだが、この事件をギフンが担当することになる。女性たちは三者三様に美しく憂いを帯びている。序盤は、ギフンがこの3人を行ったり来たりする(写真館の妻とは男女関係はなし)エピソードやシーンが入れ替わり出てくる。写真館の事件そのものもサスペンスとしては、面白みはなく、少し退屈。スヒョンが演奏するホールでの音楽会(彼女も音楽をやっている)に、カヒが招かれたあたりから物語は急展開していく。

まずこのストーリーは、ギフン、スヒョン、カヒの三角関係と、ギョンヒが絡む殺人事件との二重構造になっていて、ほぼ平行して進んでいく。殺人事件はギフンの仕事であって、スヒョン、カヒと直接関係はしないし、「夫婦関係と不倫」という共通項があるだけ。もちろん観念的にはオーバーラップする要素はあるのだが、それでも別々の2つの物語を、特に序盤は同じ重さで見せられている違和感がある。従って序盤から中盤にかけてはやや間延びして、実際の時間より長く感じた。そしてラストに向かう最大にして衝撃のクライマックスについては、かなり強引な感が否めない。そして結局、誰が誰をどのくらい、どう愛していたのか、わからないというか、うまく伝わってこない。言葉や状況説明的シーンでは、きちんと描かれているのだが、どうもしっくりこない。3人の中ではまだ、カヒの立場や心情にいちばんはまれるのだが、それでもどうも狂気のラストに向かうまでの感情の高め方が強引な感じがする。この辺はきっと韓国人が映画に求めるエンターテインメント性と、日本人の求めるものの違いなのかもしれないが…。でもそれにしては、韓国でもこの映画はいまいち盛り上がらなかったという噂もある(本当かどうか知らないが)。だとしたら、韓国人にとっても何かが欠けているのかもしれない。

しかしいずれにしても、なぜ韓国映画って、人が死ぬシーンなどで、グロテスクなまでの描写をするのだろう。迫力を通り越して、ちょっと気持ち悪い。「甘い人生」は内容的にしょうがない感もあるが、こちらはもう少し控えても良かったのでは?

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inter

やっぱり微妙だなあ~というのが漠然と感じた感想。いわゆるハリウッド系メジャーって、最近観に行っていなかったのだが、「やっぱりこんなものか」というのは言いすぎか?国連本部でロケをしたとか、そういう「どうだ!さすがハリウッドだろ」といわんばかりの前評判で、つい行ってしまったが、結局印象に残ったのは国連のシーンとバスの爆破シーン。だからこそハリウッドなんだけどね・・・。私自身は別に国連内部そのものに関心が高いわけじゃない。NYも見学では観に行ったし、日本の国連大学も内部に入ったことがある。そういう意味では新鮮さはないのだが、あまり映画の舞台としては見なかったなあ~というレベル。


『ザ・インタープリター』   シドニー・ポラック監督/ニコール・キッドマン ショーン・ペン主演

ニコール・キッドマン演じるシルヴィアは、国連で働く通訳。ある日、彼女は国連で演説をすることになっているアフリカのマトボ共和国の大統領の暗殺計画を偶然知る。その出来事から彼女は、シークレットサービスからウソをついているのではないかと疑われ、身元を洗われる。なんと彼女は大統領と同じマトボの出身で二重国籍を持っていることがわかる。ますます疑いが深まったところで、さらに敵側からも命を狙われるようになる。彼女を疑い、さらに大統領を警護するシークレットサービスの捜査官ケラーをショーン・ペンが演じる。疑い、さらには守る任務を持つケラー。最初は相容れなかった2人だが、心の内と境遇に共通項があることを知るにつれ、惹かれあっていく。

何か微妙かというと、結構キリがないのだが、まずシルヴィアの過去が大きなキーになっているにもかかわらず、回想シーンが少ない。回想シーンが少ないことそのものは良いのだが、名前だけで語られても人間関係や状況がわかりにくい。まあ、これは自分の頭の悪さが原因かもしれないが、どうも彼女の背負っているもの(過去)にも感情移入ができなかった。これは別に平和な日本で生まれ育ったというだけの乖離ではなくて、映画の構成や演出の問題のように思う。何だかテーマの重さのわりに、全体が軽い。展開も暗殺計画の真相とシルヴィアが狙われる意味の整合性がいま一つ理解できないし、少なくともバスの爆破テロは何のために行われたのか疑問。国連の持つ意義、存在感に賛否両論集まるこの時期に、映画でも国連を愚弄しているのではないかと思うのは穿った見方かもしれないが、ちょっとそんなことも感じたりして・・・。

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moriyama

さとうきび畑~涙そうそう~ことばは風 森山良子コンサート


暮らしの中で出会い、親しくなった人の数は、生きる人生によって異なると思うが、一時親しくしていても次第に会わなくなっていった人が1人もいないという人はいないのではないか。これは恋人に限らず、友だちや仕事仲間など…。人生のある時期を共に過ごし、とりたてて喧嘩別れをするでもなく、生活環境の変化が関係性を希薄にしていくようなパターンで。そしてそういう人たちのことを普段は忘れているものだ。


ところがあるきっかけで過去に置き去りにしてきた友だちのことを鮮明に思い出さされることがある。それは例えば同窓会の誘いであったり、街での偶然の出会いであったり…。けれども私の中でTクンの存在が強烈に蘇ったのは、彼の急死の知らせだった。40歳そこそこ、小さな子供を残して。


亡くなった地が東京ではなかったので、既に葬儀を済ませてあり、私たち友人は亡骸に対面することもなかった。しかも日常的に会っていた人が突然いなくなったわけではないのだから、実感が持てない。嘘ではないか、今もこの世界のどこかで元気にやっているのではないかと思った方が現実的だった。だからもちろん涙など出なかった。結局そのまま普段と変わらない日常に戻った。Tクンとは5年以上前には、よく一緒に飲みに行った。色恋沙汰はなかったので、いつも彼と過ごすときには、別の友人もいた。結婚式にも招待された。でも彼に子供ができ、その頃一緒に騒いだ友人も仕事を変わったり、家庭を持ったりして、いつの間にか散り散りになった。別に学校の同窓生とか、会社のOB同士でもないので、何かきっかけがなければ集まる必然性にも乏しかった。だから彼がそばにいないことが“日常”。日常に戻るのはたやすい。


ある日、何気なくつけていたテレビから『涙そうそう』が流れてきた。Tクンたちと過ごした日々の記憶、Tクンの顔が鮮明に私の中に帰って来た。涙が止まらなかった。どこかで生きていてくれたら、こんなに切実に会いたいとは思わなかっただろうと思うほど、会いたくて会いたくて、そして悲しくなった。それは彼へのレクイエムというより、戻ることができない自分自身の過ぎ去った日々への切ない未練だったのかもしれないけれど。

masita

かなりミーハーだと思いつつ、初日に行った。しかもこの作品、いろいろ物議があったのも事実らしい。確かに最悪のタイミングかもしれないけれど、こちらはまったくのフィクションでしかも犯罪を題材にしているわけだし、どこまで現実と内容がリンクしているのかも知らなかったので…。実際に見た感想は、本当にこれは映画でフィクションなのだということは確かなのだけど、それでも都市機能に真っ向から挑戦するテーマと素材を選んでいる以上、もう少しきちんと犯人を描く責任があったのではないかと思う。犯人像が中途半端で、あまりに軽く突き放してしまった印象が残ってしまって、ちょっと後味悪し。プロセスは良かっただけに残念。


『交渉人 真下正義』  本広克行監督/ユースケ・サンタマリア主演

クリスマスイブの夕方、地下鉄の新型車両が遠隔操作で暴走をはじめ、縦横無尽に走る東京の地下鉄との接触の恐怖で、片岡(國村隼)率いる地下鉄の総合司令室に緊張が走る。また、犯人は、地下鉄に限らず、都内のどこかを爆破する可能性が高まる。犯人の狙いは、警視庁初の交渉人(ネゴシエーター)真下正義(ユースケ・サンタマリア)への挑戦?真下は、室井(柳葉敏郎)の命令で、総合司令室に詰め、犯人との交渉にあたる。

着想から展開はスリル抜群。総合司令室の面々、特に片岡との緊迫したやりとりもとても良い。徐々に信頼関係が芽生えてくる過程なんかは映画的だけど、さすが國村隼は良い味を出している。司令室全体の雰囲気も妙なリアリティがあって(制服のせい?)、見ごたえがあった。もう1人のポイントは、やっぱり木島(警視庁刑事・寺島進)で、迫力と溢れる人間臭さが全体を引き締めている。湾岸警察署と青島刑事不在を心配する前評判もあったが、私は真下主役、脇をしっかり片岡、木島で固める構成で十分楽しめた。ストーリー、設定も緻密。やっぱり今のこの手のエンターテインメント作品を作り出すのは、このチームが秀逸だと思う。それだけに本当に犯人が残念。結果的に誰も死ななかったとはいえ、これだけの壮大なスケールの犯罪を描きながら、それはないんじゃない?というのが率直な感想。あまり書くと、内容がバレるので、この辺でやめておくが、ラストのオチも軽すぎる感じで、少し興ざめした。私にとっては、問題はラスト。序盤も中盤もわりと満足したのだけど。


*前作に関心がある方は↓

踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!

shall

いわずと知れたハリウッド版。小泉首相まで使って(?)、結構、派手にPRしていたけど、本当はあまり関心がなかった。もちろん日本版も観ていて、あの小市民的な話(日本版はあれで十分おもしろかった)をリチャード・ギアがねえ・・・って感じで、ピンと来なかったのだ。GWだというのにあまり観たい映画もなかったものだから、モノは試しと行ってみたら、楽しかった!素敵だった!あまり日本版と比較しようなんて思わず、脱力して観ればより楽しめると思う。最初の方の設定は弁護士なのに、リチャード・ギアのちょっと情けない感じも、普通の家庭の空虚感もうまく描かれていて、特に娘とのやりとりなんか、国は違ってもどこでも同じなのね、と思わされた。余談だけど、映画で家族が描かれるシーン、韓国映画や中国映画を観るより、アメリカ映画のそれの方が今の日本の現実に近い感じがする。日本の家族意識の独特な部分が希薄になっているのかもしれない。もっともまだまだアメリカほどはストレートに夫婦間のコミュニケーションがとれているとは思えないが、親子の関係とか流れている空気感に近いものを感じるわけだ。


『Shall we Dance?(シャル・ウィ・ダンス?)』  ピーター・チェルソム監督/リチャード・ギア主演

リチャード・ギア演じる「ジョン・クラーク」は弁護士。辣腕弁護士というより、遺言書をつくるなど、ルーティンワークをこなしている。舞台はシカゴ。通勤電車からふと眺めたダンス教室の窓辺に佇む、憂いを含んだ美しい女性「ポリーナ」(ジェニファー・ロペス)が気にかかる。毎日の仕事や恵まれた家庭生活に不満はないけれど、漂い感じる空虚感(この描かれ方がさりげなくてとても良い)。ある日、意を決してダンス教室へ。最初はポリーナへの関心だけだったが、徐々にのめりこんでいく。まあ、おおよそストーリー展開は、日本版に近い。でもやっぱりそこはハリウッド。演出が華やかで、脇を固める人々もコミカルで芸達者。日本版も悪くなかったが、やっぱりハリウッド版の方がエンターテインメント性は高い。特にコンペティションなど、大勢が踊るダンスシーンの迫力は確か。きめ細かさとか日常の憂いみたいなものは、やっぱり身近な分、日本版に感じるけれど。随所に笑いを散りばめ、それでもドタバタにはならない抑えのようなものも程よく効いていて、登場人物それぞれに味があった。日本版を観ている人にも観ていない人にもおすすめできる上質なエンターテインメント作品になっている。

他の観客の人が帰り際、「幸せになれる映画」と言っていたが、確かに安心できるストーリー展開や悪人の出てこない人物相関図。刺激を求める人には物足らないかもしれないが、少しだけ日常を離れて気軽に楽しむにはかなりいい感じ。


*日本版を観たい方はどうぞ↓

Shall We ダンス? (通常版)