壺中散人の一滴

壺中散人の一滴

書のほか日々のつれづれを書いています。今日もつつがなく生きて。

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2012.1030付け朝日新聞
日本美術界で権威のある日展の「書」で、有力会派に入選数を事前に割り振る不正。
日展には日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5科があり、書には漢字、かな、調和体、篆刻(てんこく)の4部門がある。
今回篆刻の部で審査の事前に有力会派に入選数を割り振っていたとのこと。

今さらと思うがなぜ今頃問題視されたのか?篆刻だけではなく、戦後の書道界は会派や団体が数多く設立され、自己保身のために利用されてそれが権威であるかのような風潮が蔓延し、実力派の書家も書家の姿勢や制度、審査の矛盾に嫌気がさして去って行った方も多い。「世は金なり」的な団体を見ていると空しさを感じていたのは私だけではない。一派を形成して芸術性の追求や古典の修学を忘れたような書道界にいつからなってしまったのか。単なる金の成る木の団体があまりにも謳歌している現状は日展に限らず○○展や△△書法展などと言った新聞社系の書展にも見てとれる。知人の新聞社系の書道展幹部はいう、本当は現状から身を引きたいが改革するためには離れるわけにもいかず、かと言ってバランスを壊す主張や体制打破も難しいと、やっぱり巻かれて生きていることも事実なのである。
書道会を去って独立独歩生きていける書家はそう多くはない。まして地方で書を学び書家を目指している方々にとっては入選することがその後の人生を決めるといっても過言ではないのが実情である。
書の歴史から考えるとこの現象は一時期であると思うが、真正面から取り組んで大小団体とか名があるとかを基準にしない真の書法や書の深さなどに目を向けた正当審査が行われることを願う。
うぅん、だがしかし、審査員にその見分ける芸術性の質や実力がないのだから無理か?
日展にしろその他の書道展にしてもビジネス化していることも問題である、新聞社が○○書道展として毎年大々的に広告を出して宣伝しているが当然うまみがあるから続いているのであり、それに乗って勢力を伸ばしている書道団体や審査員と癒着して、もうどうにも止まらないところまで来ているわけだ。
私は野に降ってはや40年以上が過ぎたが当時もやはり書道界の問題として憂慮する状況であったことを付け加える。
今日の書は寛大の寛を揮毫した。近年、ゆとりのない世相や情景をを目にする。人間そんなに齷齪して何の人生だと思う。もっと寛容に許しあえる世に生きたいものだ。

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 砂山の砂に腹這ひ

     初恋の

     いたみを遠くおもひ出づる日

<解釈> 函館の大森浜の砂丘に腹這って、青い海のかなたに目を放つと、青い空によって区切られるあたりに下北半島が見えている。あそこをずっと南下すると岩手県の盛岡や渋民だ。自ずと節子との初恋の日々に思いは至り、初恋にまつわるいたみを思い出す日よ。

20世紀初頭の海だから今とは比較にならないくらい美しく、青い。渚にくだける波もあざやかに白い。潮の香がさわやかに鼻をうつ。今とは比較にならないくらい青く、澄んだ空にはまっ白い雲が光っているだろう。詩人の意識は空間を遠く移動し、時間をはるかにさかのぼる。そして「初恋のいたみ」をともなって今に帰ってくる。(石川啄木著『一握の砂』を読む 近藤典彦引用)

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今日は恵比寿講とて商売繁盛を祝う日。何業によらず業務の隆盛の基は勉強なりとは、安政3年(西暦1856年)の今日死去したる二宮尊徳翁の教えなり。

杣(そま)が深山に入つて木を伐(き)るは、材木が好きにて伐るにあらず。炭焼きが炭を焼くも、炭が好きにて焼くにあらず。それ杣も炭焼きも、その職業をさえ勉強すれば、白米も自然と山に登り、海の魚も里の野菜も、酒も油も皆自から山に登るなり。奇々妙々の世の中なり。(二宮尊徳)

今日は「地久節」皇后陛下のお誕生日です。謹んで、地久節にあたり皇后陛下の御誕生日を寿ぎ奉り
皇后陛下の益々のご健勝並びに皇室の彌榮 をお祈り申し上げます。

台風27号の影響で終日雨の一日になりそうだ。秋の長雨といった様相である。

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昨日からの台風26号は10年に一度の大型台風とか。伊豆大島をはじめ被災者の方々に合掌

$壺中散人の一滴-古文体『雷』
(古文体『雷』)
台風26号が猛威を奮ってやってきた。

$壺中散人の一滴
(抽象「渦-A」)

$壺中散人の一滴
(抽象「渦-B」)
頬(ほ)につたふ
 なみだのごはず
 一握の砂を示しし人を忘れず  『一握の砂』より

<語意> のごはず=ぬぐわないで。示しし人=示した人。

<解釈> 頬を伝い落ちる涙をぬぐおうともしないで「一握の砂」を示し、有限の時間の中を生きるわれわれだ、だからこそ、いのちの一瞬一瞬を充実させて生きて行こうよ、と教えくれた人のことを私は忘れない。

この歌は本文最初のページ=3ページの2首目におかれています。それが歌に第2の意味を持たせます。さしあたりむずかしいのは「一握の砂」が何を意味するかです。巨大な砂山の無量の砂のうちの一握り分の砂、と言うことですから、少なくとも2つの意味を考えることができます。1つは無数のうちの1つ、すなわち人間個人個人の存在。2つ目は時間の経過。指の間からこぼれ落ちる砂に啄木は砂時計をイメージしています。
とすれば「一握の砂」は、無限の時間の中の刹那にも等しい時間を生きるのが人間一人一人なのだと知らせるもの、の意味となります。
啄木はだから人生ははかない、とは考えませんでした。だからこそ生命の有限の時間をいかに充実して生きるか、と考えました。(石川啄木著・近藤典彦編『一握の砂』・朝日文庫より引用)

啄木のふるさと渋民村(現盛岡市)に友人がいる。啄木の生家にほど近いところで造り酒屋の御曹司である。度々訪問しては啄木記念館や歌碑などを訪ね歩いた。岩手山や八幡平を望む北上川沿いの風光明媚なところである。啄木を通して故郷と人生を想う南部徒然草也。

$壺中散人のつぶやき