聖徳太子の弟、来目(くめの)皇子(生年不明~603年)の墓として宮内庁が管理する大阪府羽曳野市の塚穴古墳(7世紀前半)で、大規模に盛り土を施した人工の築山(つきやま)状遺構が見つかり、市教委が14日、発表した。飛鳥時代の皇族クラスの墓は、中国で流行した風水思想に基づいて山を背に築かれたともいわれており、塚穴古墳も風水思想を意識して背後に築山を築いた可能性が浮上、来目皇子説を補強する資料となりそうだ。

 塚穴古墳は墳丘の一辺が54メートルの方墳。墳丘北側を発掘したところ、粘土や砂などを交互に積み重ねた厚さ約1メートルの築山状遺構が幅22メートルにわたって確認された。調査区域一帯は現在も周囲より数メートル高くなっており、市教委は、築山状遺構は当初、高さ3メートル、幅40メートル、長さ100メートル以上にわたって広がっていたと推測している。

 風水思想では、墳丘北側に山、南側に谷が広がる場所が古墳にとって最適な場所ともいわれ、聖徳太子墓(大阪府太子町)などは丘陵斜面に築かれている。塚穴古墳は比較的平坦(へいたん)な場所にあり、理想的な立地にするため、墳丘北側に人工の築山を設けた可能性もあるという。

 塚穴古墳では、平成18年の調査で墳丘南側に長さ100メートル以上の外堤が確認されている。今回の調査や現在の地形をもとに推定すると、外堤を含めた古墳の規模は130メートル四方で、飛鳥時代の大豪族、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(奈良県明日香村)の85メートル四方を大きく上回り、国内最大級になるという。

 日本書紀などによると、来目皇子は602年に新羅征討将軍に任じられ九州へ赴いたが、翌年に病死。「河内の埴生(はにゆう)山の岡の上(現在の羽曳野丘陵)に葬られた」とされている。現地説明会は行われない。

 大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長(考古学)は「墳丘周囲に立派な盛り土の施設を設けており、有力皇族の墓の可能性がさらに高まった。来目皇子の墓とすれば、新羅征討将軍の死に際し、墓を特に立派なものにしたことも想定される」と話した。

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