『大師堂、記念碑の数がハンパねぇ』 お遍路32日目 ① ~五十二番、五十三番~  | ひろすけ旅日記

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旅に病んで夢は枯野をかけ廻る。

13.9.19 木曜日

 

今朝は6時に出発。

肌寒い中、静かな街を抜けて山沿いに歩く。

 

伊予銀は懐が深い。というか友近すげー。

 

気持ちのいい朝

 

大きな山門(一の門)をくぐり参道を進むと入口の山門が見えてきた。

 

 

第五十二番札所の瀧雲山(りゅううんざん)太山寺(たいさんじ)は手前が納経所で奥の坂を上った所が本堂。

 

なんの建物かわからんが味わい深い。

 

 

脇道から更に山奥へ登って奥の院へ向かう。

奥の院へは結構歩くし高い位置にあるから大変だったが、その分到着したときは眺めも最高で感激した。

 

 

来た道を戻り御朱印をもらって次を目指す。

ほどなくして町中にある第五十三番札所の須賀山(すがさん)円明寺(えんみょうじ)に到着。

 

 

納経を済ませここから先は海沿いの道路をひたすら北上する。

この円明寺から今治市(いまばりし)に入るまでの間に、なぜだか大師堂がめっちゃある(驚)

その他にも地元のために尽くした人の記念碑や松山市生れの小説家、高浜虚子(たかはまきょし)の生家跡があったり、風早(かざはや)地区にある風早八十八か所なるものもあった。

非常に興味深い地域だ。

時間があってあちこち見て廻ればもっといろんな発見があっただろう。

この日は今治市の旧大西町(おおにしちょう)のあたりまで行くのだが、その手前の旧菊間町(きくまちょう)でも面白い出会いがあり一日で撮った写真の数が100枚を超えてしまった。

なので今日の記事では菊間町までの間に撮った写真をアップして次回に持ち越す。

 

まずは命を賭けて農民のためにお上に訴えた五右衛門(ごえもん)さんのお堂。

 

 

地元民のために私財を投じて道路新設を願い出た大森さん。

私達お遍路も恩恵に預かってます。

 

 

小川大師堂もしくは粟井坂(あわいざか)大師堂。

 

霊場がありすぎてよくわからん。松山市内に制定した八十八ヶ所があるのだろうか。

 

 

蓮福寺(れんぷくじ)大師堂。

 

 

西の下(にしのげ)大師堂と高浜虚子の胸像。

 

 

赤大師(あかだいし)。

元は赤いお地蔵様だけだったが赤く塗られた大師座像も合祀(ごうし)されるようになってから「赤大師」とも呼ばれるようになったらしい。

 

世にも奇妙なものばかり。

お願い事が叶うとお礼にベンガラ(赤色顔料)で赤く化粧する習わしがあってこうなったそうな。

でもなんで顔だけは白いんだよ。怖いわ。目は閉じてろよ。

 

番外霊場 青面山(しょうめんさん)養護院(ようごいん)。

杖大師(つえだいし)とも呼ばれている。

 

 

お迎え大師。

 

 

番外霊場 鎌大師(かまだいし)。

縁起(えんぎ)は写真でどうぞ。

 

 

一茶(いっさ)の道。

 

 

手書きの看板と大師堂。

立派な看板もいいけど、こういう看板は地元民の篤信(とくしん)を感じるし、お遍路の歴史の深さを感じられるね。

そして「おじのっさん」とはナンだ!?

 

おじのっさんは怒ることもあるようだ。

 

 

は~るばる~ 来たぜ いーまばりー!!

 

今治といったらタオルしか知らなんだが。瓦も有名らしい。

しかし看板からしてすでに廃(すた)れた感がハンパない((笑))

 

というわけで、今治瓦物語は次回に、乞うご期待!