協会によって消された「エギビ家の記録」 | エホバの証人研究(ブログ)

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BC607年の「ものみの塔協会」の教理が偽りであることを示す証拠は数多くありますが、その中に古代バビロニアの銀行「エギビ家」の粘土板の記録があります。

 

エギビ家の記録 について調べていたところ

海外のサイトで「ものみの塔はかつての聖書辞典の中でエギビ家について触れていた」という情報がありました。

 

それで調べてみました。

 

すると言われていた通り、「聖書理解の助け 1971版」には記載されいた「エギビ家」に関する内容が、「洞察」の本に改定されたときに ごっそり削られているということを見つけました。

 

かなりショックでした。

 

古代のバビロニアで栄えたエギビ家の銀行に関して、その名前さえ協会の出版物に出てこない不自然さはすでに知っていましたが

 

まさか意図的に消してしまっていたとは

 

 

 

 

1971年の文章は、関係する事情を知っている人にとっては”協会にとってはかなりやばい情報”であることを読み取ることはできます。 しかし「銀行、銀行家」という項目に やばい情報が含まれていることに後の執筆部門のメンバーが気が付いたのでしょう、その部分を ひっそり、ごっそり と削除してしまったのです。

 

洞察の本はキリスト教世界の文献などからの寄せ集めというのは前から言われていましたが、これじゃ Wikipediaの年代を変更したり、やばい情報をごっそり消したりするエホバの証人と同じレベルですね。

 

削除された内容は以下の通りです。

 

シッパルにある太陽神シャマシュの神殿は「世界の中で最古の商業機構」と呼ばれてきました。(Nebuchadnezzar 、G.R.Tabouis p.317)投資基金が投機的事業、所有物への担保権、あるいは経済的な緊急事態のために貸し出されていました。取引の記録は粘土板に書き込まれて残されました。それらは複数の証人の前で行われ、関係者による印象や印によって有効なものとされました。そして偽造されないように複製の記録が作成され、粘土の覆いがなされ、不必要に開封されないようにもされました。一団の施設グループが銀行の運営を行いました。バビロンのエギビ家はネブカドネザル王の時代(西暦前7世紀の後半から6世紀の初め)に顕著な存在になり、数百の商取引のドキュメントが一族の名前で発行され、粘土板に記された記録として残されています。近年これらの記録は考古学者によって発掘されました。

 

 

このように「聖書理解の助け」の「銀行,銀行家」の項目の中には、エギビ家に関する説明が明確に記載されていました。そこにはエギビ家の銀行業務の文書が (1)複数の証人によって認証されていたこと。 (2)記録が偽造されないように十分守られていたこと。 (3)記録がネブカドネザル王の時代をカバーしていること。(実際はネブカドネザルからキュロスまでもカバーしている) (4)そして「数百」の粘土板(現在は1700以上の粘土板)が発見されていることがはっきりと記されていました。

 

ここで指摘されている事実は商取引の文書によってバビロニア帝国の年代が十分確証されてしまうことを示しています。

 

「聖書理解の助け」の文章は現在の Watchtower Library では表示されないようになっています。 詳しくは「エギビ家 – 知られたくない記録」をご覧ください。