本能寺の変 | 辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

創作人形作家辻村寿三郎の作品を皆様にご紹介いたします。

本能寺の変

2011年制作
Canon EOS 7D
EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
撮影 西武池袋本店
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天正10年(1582年)6月、京都・本能寺に宿泊していた、
主君織田信長を家臣明智光秀が襲い、自刃させたクーデター事件。

1582年6月21日(天正10年6月2日)の夕、
光秀は1万3000人の手勢を率いて丹波亀山城を出陣し京に向かった。
翌2日未明、桂川を渡ったところで「敵は本能寺にあり」と宣言し、
6月2日早朝(4時ごろとする説あり)、明智軍は本能寺を完全に包囲した。
2011年制作
Canon EOS 7D
EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
撮影 西武池袋本店

馬の嘶きや物音に目覚めた信長が小姓・森成利(蘭丸)に訪ね様子をうかがわせた。

本能寺はすでに敵勢に包囲されており多くの旗が見えていた。

紋は桔梗(明智光秀の家紋)である」と成利(蘭丸)に報告され、光秀が謀反に及んだと知る。

2011年制作
Canon EOS 7D
EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
撮影 西武池袋本店
成利(蘭丸)らは信長に対し、本能寺から逃れるよう進言したが、
光秀の性格や能力、明智軍の兵数を知っていた信長は脱出は不可能と悟り、
「是非に及ばず」と言い放ち、弓を持ち表で戦ったが、弦が切れたので次に槍を取り敵を突き伏せた。
しかし殺到する兵から槍傷を受けたため、それ以上の防戦を断念。

女衆に逃げるよう指示して奥に篭り、信長は成利(蘭丸)に火を放たせ、自刃したと言われる。

信長の遺骸は発見されることはなかった。享年49歳。


西武池袋本店
辻村寿和Collection「寿三郎人形」展
~女たちが紡ぐ千年の浪漫~

好評のうち終了致しました、ご来場頂きましたたくさんの皆様
有り難うございました!