最近レイシズムがとみに話題になり、排外的な政治家が人気を集めたりしている件について自分の思い出を。
これは6歳くらいにさかのぼる話なのですが、自分の中で初めて「差別」を目にしたことは鮮明に覚えています、っていうとウソになるので、何となく覚えています。
当時私は親の仕事の関係で某県にいました。割とのどかなところです。
通っていた小学校のクラスにコリアンの女の子がいたのですが、何がきっかけだったか、数人のクラスメイトが「朝鮮人!朝鮮人!」といって一人の女の子を取り囲んで物とか投げながら追い回していたんですね。ろくなことしてない、というのは6歳でも見て分かったんですが、家に帰って母親に聞いたところ「それはとても間違っていて恥ずかしいことだから、絶対してはならない」と諭されました。まあ私が娘から聞かれてもそう答えると思います。
問題はそこからです。
私が思ったのはなんと「田舎の人ってひどい!!!」という感想だったのです。
それって、国籍差別を地域差別に置き換えているだけじゃん。この現象をここでは「すり替え差別」と呼びましょう。
この現象を自分は大学に入った後に反芻し、思いました。「まったく根拠なく、人の噂や聞いた話で差別するというのはもう弁護の余地もない」(差別①)しかし、「自分自身がひどい目ところを直接見て、その集団がみんなそうなのだと思うようになった場合、それは間違ってはいても、モラル的にどう扱うべきなのか?」(差別②)
私はフィールドワークも行いました。主に人生の先輩である人たちに「その差別的っぽい考え方を持つに至ったのはなぜなのか」というのをそれとなく聞いて回ったのです。そうすると、結構「こういう目にあって、それからこの人たちは普通じゃないと思うようになった」という経験を話してくれる人がいました。

ネトウヨとかは差別①が多いと思うんですが、面と向かって根性込めて「あいつらはダメだ」って言えるのか、というとそんな根性ないんじゃないかと思うんですよね。だから匿名でやってんだろうと。そうなると差別①はとにかく叩いておけばよしと。

問題はある程度本人に体験に基づく信念がある(けど間違っている)差別②です。
思うに、差別②の問題は相当部分が「解像度」の問題です。
私は6歳のころ、極めて解像度の低い視野しか持っていませんでした。したがって、自分が引っ越してきて言葉がヘンとかさんざん言われていたこととも相俟って「某県に住んでいる人たちはこんな人ばっかりなんだ」という風に見えたんですね。
今では某県出身の友人も何人もいますし、そこには素晴らしい人がたくさんいると分かっています。でもそれは平等の価値観が身についたからではなく、「解像度が上がって一人一人を区別できるようになったから」です。となると、私のような例について言えばこの進歩はモラルではなく、能力の問題ということになってきそうです。

そんなわけで、差別を解消する一歩目って「平等である」というルールを叩き込むより、むしろ「一人ひとり違う人間なんだ」という前提を理解させることにあるのでは、と思うのです。
また、差別をする人に対する時も「汚いやつめ!」という反応をする前に、「この人は解像度が低いのかも」という一考があってしかるべきかと。
海外の例でも「差別をする」と糾弾されている対象は貧しく、教養の低い層であることが多いです。6歳の私がやったような「すり替え差別」は今も刻々と行われており、このままいくと「貧しくて頭が悪い人を差別する」という方向に少しづつ向いていかないか、というのが私の危惧です。

今の政治を見ていても、世の中が「差別する(と思われている)陣営」と「差別に反対する陣営」に分かれているという見解に立っている人が結構いるような気がします。
私は保守よりの考え方ですが、自分の支持政党の中に納得できない議員はたくさんいますし、逆に野党にも尊敬できる議員がたくさんいます。しかし上記の2局化する考え方を取る人の中には「与党の議員は全員ダメだ。正気ならあんな全体主義の政党にいられるはずがない」とか「野党の議員は全員売国奴だ。日本のために良いことをしようという人はいない」と言うような人が当たり前にいます。
これこそ、自分から見れば属性だけで人を見ている「解像度の低い」見識であって、「すり替え差別」の生まれる瞬間なのではないかとすら思うのです。議論がこのレベルになってしまうと、どっちが勝ったとしても民主主義は負けです。

支持しない政党に一人も(あるいは造反した人くらいしか)尊敬できる人がいない、という人は属性だけで人をみていないか、「解像度」を見直した方がいいかもしれません。一人一人をきっちり見ることで得ることはあっても失うものはないと思います。
そして「旧日本軍なんてみんな悪魔みたいだった」と主張されていた小学校の先生(我々の世代には結構いるのでは)に今ならこう言えます。
「徴兵で集められた旧日本軍の一人一人は今の日本人と同じ普通の人です。残酷な行為を強いて、人の悪い面を出させる軍隊の仕組みが悪かったのです。だから『みんな』悪い、というような人を属性で束ねる言い方をやめてください。そのように人間を分類する方法を学んだ子供は、一人一人の人間をちゃんと見られなくなりますよ」と。