美空 ひばり(みそら ひばり、本名:加藤 和枝(かとう かずえ)。1937年5月29日 - 1989年6月24日)歌手。 愛称は御嬢(おじょう)。


神奈川県横浜市磯子区浜の魚屋で生まれた。終戦間もない1945年、8歳のときに美空和枝の名で初舞台を踏む。その後、喜劇役者・伴淳三郎の一座に参加し、同一座が舞台興行を行っていた横浜国際劇場と準専属契約を結ぶ。ちなみにこの美空ひばりの芸名は伴淳三郎が命名したものとされている。


1948年、ボードビリアン・川田晴久にその才能を見込まれ、同氏の一座に参加、1949年に「河童ブギウギ」で歌手として正式デビューを果たし、「悲しき口笛」が大ヒット。同名の映画も製作され、若干12歳で映画初主演を果たした。


1954年には「NHK紅白歌合戦」にも初出場した。1955年には江利チエミ、雪村いづみとともに映画「ジャンケン娘」に出演したことを契機に、「三人娘」として人気を博した。また、松竹・東映製作映画を中心に映画にも多数出演し、歌手であると同時に銀幕のスターとしての人気を確保。「ひばりのマドロスさん」(1954年)、「波止場だよ お父つぁん」(1956年)、「ひばりの渡り鳥だよ」(1961年)、「ひばりの佐渡情話」(1962年)、「花笠道中」(1958年)等が続々ヒット、1957年には紅白の紅組トリを、渡辺はま子、二葉あき子らベテラン歌手を抑えて初めて務め、1960年には「哀愁波止場」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞、歌謡界の女王の異名をとるようになった。


1962年、日活の人気スターであった俳優・小林旭と結婚し、一時的に仕事をセーブするようになる。しかし、実母にしてマネージャーである加藤喜美枝や周辺関係者が二人の間に絶え間なく介入し、結婚生活は間々ならず、またひばり自身も歌に対する意欲は消えず、1964年、わずか2年あまりで小林と離婚した。

離婚直後に発表した「柔」は翌1965年にかけて大ヒット。この曲で日本レコード大賞を受賞。1966年には「悲しい酒」、1967年には「芸道一代」、ジャッキー吉川とブルーコメッツとの共演で話題となった「真赤な太陽」と、彼女の代表作となる作品が次々と発表され、健在ぶりを示した。


美空ひばり公式ウェブサイト

美空ひばりデビュー50周年特別企画3枚組。

昭和30年代末以降の{大歌手}の時代より,生き生きとした若さを感じさせる,それ以前のほうが面白い。

歌謡曲がいい意味での何でもありであったからこそ,大衆音楽の主流を占めたことを彼女が証明している。


B00005EMDL "オリジナルベスト50~悲しき口笛,川の流れのように"
美空ひばり

歌謡曲ベスト50 全曲集 ジャズ&スタンダード 不死鳥/美空ひばりin TOKYO DOME~翔ぶ!新しき空に向かって 不死鳥 美空ひばり in TOKYO DOME <完全盤> 翔ぶ!! 新しき空に向かって

by G-Tools

曲目リスト
ディスク: 1
1.悲しき口笛
2.東京キッド
3.越後獅子の唄
4.私は街の子
5.ひばりの花売娘
6.あの丘越えて
7.リンゴ追分
8.お祭りマンボ
9.津軽のふるさと
10.ひばりのマドロスさん
11.日和下駄
12.娘船頭さん
13.あの日の船はもう来ない
14.ひばりの三度笠
15.素敵なランデブー
16.ひばりのチャチャチャ
17.港町十三番地

ディスク: 2
1.長崎の蝶々さん
2.江戸の闇太郎
3.三味線マドロス
4.花笠道中
5.べらんめえ芸者
6.初恋マドロス
7.哀愁波止場
8.車屋さん
9.鼻唄マドロス
10.ひばりの渡り鳥だよ
11.ひばりの佐渡情話
12.哀愁出船
13.関東春雨傘
14.髪
15.柔

ディスク: 3
1.悲しい酒(セリフ入り)
2.芸道一代
3.真赤な太陽
4.むらさきの夜明け
5.人生一路
6.ひばり仁義
7.ある女の詩
8.おまえに惚れた
9.裏町酒場
10.人恋酒
11.残侠子守唄
12.しのぶ
13.愛燦燦
14.好きなのさ
15.みだれ髪
16.川の流れのように