バカなおとなにならない脳;養老孟司 | 顎変からの復活にむけて頑張るBLOG

バカなおとなにならない脳;養老孟司

養老さんの、「養老哲学への、掛け値なしの、もっともやさしい入門書!」。

小中高生の、さまざまな質問に対して、養老さんが答えるという形になっています。


養老さんの本は、「バカの壁」「逆さメガネ」「まともな人」「記憶がうそをつく!(古舘さんとのインタビュー形式)」についで、4冊目です。


養老さんは、一貫して、「個体差」「知行合一」「田舎暮らし」などを提唱しています。(だから、「バカの壁」だけ読んでいれば、あとは読まなくてもいいかも知れません。)


彼の話は、僕個人的には、非常に共感できます。


「からだを動かして、何かを学べ」「学ぶことは、変化することだ」「個体差はこころではなくからだだ」


僕は、無意識に昔からこういうことをやってました。生きるために必要だったということもあるのですが・・・。たとえば、算数の公式を何か覚えれば、まあ、たとえば台形の公式なんかそうですね、台形の公式を覚えたら、家の屋根を見て、二つの家の屋根を見比べて、どっちが大きいかな、みたいなことを考えていました。


からだを動かす、ということに関しては、野球やってピアノやって・・。正しい型を教えられなかったこともあるのですが、野球でもピアノでも、ちょっと体の使い方を変えると、野球ならボールの方向が、ピアノなら音の出方が変わります。これは、田舎暮らしの体の動かし方とは違うかもしれませんが・・・。


友達と、小さい山を冒険して、「俺らの基地やー」みたいなことをやっていて、帰ってくるときの夕焼け空っていうのは、明らかに普段の夕焼け空とは違って見えます。


要するに、環境が同じでも、自分が変われば世界が変わるわけで・・・、それを、もっとみんな理解したほうがいいと思いますね。人は変わり行くもんだ。劇的な変化が起こらなくても、ちょっとの変化で少しずつ人は変わっている。


だから、リフレッシュする意味でも、自然に触れることはすごく大切だと思います。




これはちょっと違うのかもしれませんが、男の人は女の人の微妙な変化に気づかないとよく言いますね。男は、ほとんどの人は文明社会で働いているわけで、(養老さん曰く「脳化社会」です)不変が求められるわけですね。女の人は、専業主婦の場合は、日々の変化によってある程度変容が許される。間違いなく男性よりも、振れ幅が大きくても生きていける。


ですから、女の人は変化を受容しやすく、男の人は変化を受容できない、というか変化が許されない。もっと男の人は遊び心を持って仕事したらいいと思うですけどね。


ちょっとした会話にユーモアを入れる。そういうのをもっとやるべきではないでしょうかね。特に日本人は。オンとオフの入れ替えが下手くそだなんていう話よくありますけども、こういうことと関係ありそうな気がします。


そういうことを若いうちにあまりしないから、大人になって面白くもない親父ギャグをいうんちゃうんですかねー。これは関係ないかな。俺は親父ギャグもきらいではないから、いってしまうかもな・・・。


話を戻して。


いろいろ頭のなかでうずまいてはいますが、うまく、脳の中を言葉で表現できないのですが・・・。(「男女間で、あきらかに言語をつかさどるところが女性の方が優れている」らしいので、そうゆうのもあるかも知れません(笑))


都会の学歴社会でエリートだった人が、自由な発想ができなくなりやすいというのは、がんじがらめの生活を強いられているわけで。でもそれを否定してしまうと、今の社会を否定することになってしまうから、それはすべきではない。だけど、もっとほかの脳も動かしていくべきですよ。生きるために本当に必要なことはなにか?体を動かしながらね、冒険したり、とかそういうのやっていきましょう。


もう最後。


大人は、もっと個体差を認めてあげましょう。そのためには、自分と他人の個体差をも認めてしまおう。それが本当の大人だとおもうのですが・・・。