一時帰国のスケジュール

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高木宣教師夫妻は、7月24日~8月12日まで一時日本帰国します。

スケジュールは以下のとおりです。

故・竹内常一朗兄召天記念会の司式(7/27)

松任キリスト教会での宣教報告と礼拝説教(8/3)

アンテオケ宣教会事務局での宣教活動報告(8/8)

後任予定の後藤献一師との懇談、支援教会となる横浜青葉台教会の江上師との懇談、OB支援祈祷会での報告と奨励(8/9)

東京若枝教会での礼拝説教(8/10)

退任後の準備等予定します。覚えてお祈りいただけたら幸いです。
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神の国の真相を種まきの譬えによって主イエスは明らかにされました。現代の国際情勢の至る所に不穏な歪みを否めない状況にあっても、神の国は際立って斬新な真理であります。譬えはよく知られている卑近な事柄を類比によって真理を明らかにする優れた手段です。単純化された農夫のこの種まきの姿によって、主イエスが強調されているのは、神の国の実現が人手にはよらないことです。地に蒔かれた種がいつか芽生えて結実し収穫されるように、神の国は、神の計画に従ってこの世界に必ずや実現成就するということです。使徒パウロは、神の国が実現した結果もたらされる人間の具体的な経験を義と平和と喜びと要約しました。それは誰しもが望む究極の状態です。様々な政治イデオロギーにより人為的に様々な政治体制によって国家が構築されもし、されていくのですが、今だに理想に到達する兆しはありません。完全な意味での成就実現は、王の王である主イエスの再臨を待たなければならないのです。にもかかわらず、イエスを主と受入れた人は置かれた状況がどうであれ、そこに個人的に成就する神の国を経験することができます。心をイエスに明け渡したその人に神の支配が行き渡るとき、義と平和と喜びとは現実経験となるのです。その信仰に立つ人々の教会は、より一層拡大された今現在の神の国の表れに他なりません。この世にないものが教会では先取りされ得るのです。そしてイエスが約束されたように再来されるとき、神の国は世界的宇宙的規模で目に見えるかたちで実現されます。それゆえに現在どれほど混乱や行き詰まりが観られたにしても未来は希望に満ちているのです。「御国がきますように」と祈ること、神の国の種とも言うべき神の言葉を人々の心に蒔くこと、そして、清い生き方をすることによって神の国の到来を促進することが私たちの課題であります。自分に与えられた社会的責任、家庭の責任、教会での責任を忠実に果すことを決意し御国の到来を待望しましょう。
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「隣人になる」

「良きサマリヤ人」として知られるこの聖書箇所は、三つの問答で構成されます。二つの連続する律法の専門家による問い、最後にイエスによる問いが続きます。他の三福音書にはないルカ福音書独自に収録されたこの記事の意図はどこにあるのでしょうか。その第一はユダヤ教の律法に対する過ちを指摘することです。行為によって神の前に正しいとする律法主義とその欺瞞をイエスは見事に指摘されました。

この記事の第二の意図は人間の愛の限界と不可能性です。譬えに登場する祭司とレビ人はユダヤ教を代表するばかりか我々をも代表すると言えます。彼らは自己流の隣人解釈により助けを必要とする人への責任を回避してしまいます。配偶者、家族、親族、町の仲間や同僚、自分によくしてくれる者を愛することはできたとしても、神の期待される愛の在り方にはほど遠いのです。成すべからざる悪はこれを行い、成すべき善は成さざるジレンマに置かれているのが人間存在の現実です。

しかし第三のポジティブな意図があるとすれば、それは隣人愛の実践の可能性の示唆です。私たちは譬えに登場するサマリヤ人の振舞いにキリストが透かし見えるのです。強盗に半殺しにあって苦悶する旅人を可哀想に思って並々ならぬ手当を無心にする彼の振舞は、人類の罪からの救済のためにその愛故に十字架に命を棄てられたイエス・キリストの姿が重なるのです。

永遠のいのちとは神との正しい関係に生きることです。その立場にこのイエスを信じる信仰によって入れられる、この恵みこそ真理なのです。そして、隣人愛は神の恵みを受けた者への新しい生き方への招きであり、条件としての命令ではなく、「自分のようにあなたは隣人を愛するだろう」という呼びかけなのです。そればかりか、神は聖霊による神の愛を注がれることにより愛する能力すらお与えくださるのです。この招きに応えようではありませんか。
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