なかなか感情を入れにくい構成になっているが最後には予想もしない展開に激しく感情を揺さぶられることになる。
しかし本当の余韻は数日後に訪れる。
傑作とはたぶんそういうものなのだ。
それにしても邦題のタイトルはいかにも感動の押し売りのようで酷い。
原題の「錆と骨」もドライでいいがヤクザ映画に間違われそうだ。
もう少し気の利いたタイトルが浮かばなかったのか残念過ぎる。
事故で両足切断という絶望のどん底に突き落とされたシャチの調教師ステファニーが救いを求めたのは無知で粗野な流れ者のアリ。
ステファニーが唯一無防備になれる相手が初対面で自分を売女呼ばわりした男とは矛盾しているようだが彼女の人間関係の距離感が掴めてリアルだ。
甘い言葉をかけられて同情されたくない気の強さも垣間見れる。
しかしアリという男は彼女の想像を遥かに超えた常識とエゴイズムで生きている。
事故をすでにニュースで見て知っていたアリは彼女の変わり果てた姿を観ても驚きもせず自分が泳ぎたい一心で海に繰り出すとステファニーまでも泳ぎに誘う。
そこにははありがちな同情や思いやりは全く介在しない。
ステファニーは呆れながらも身を任せるように海に入るとあたかも羊水につかって再生したかのように生気に満ちた表情になってくる。
このシーンの水と光を捉えたカメラは人類の誕生の瞬間を感じさせるような煌きを放っていて印象的だ。
アリがステファニーに性欲はないのかと問いかけるシーンに至っては鬼畜とも思えるがアリにはそんな感情すら持ちあわせていない。
まさに無知な子どものレベルで彼といる以上そのレベルまで自分を合わせるしかない。
ステファニーはそれに気付き彼の行動や言動を否定せず受け止めようとする。
それは障害を抱えた子を包み込む母親のような愛情がなければ成り立たない。
彼女は自らの障害を癒してもらうのではなく相手を再生させるという前向きな行為で再び歩き出すことを実感していく。
アリが自分の肉体を賭けてストリートファイトに挑むことを反対していたステファニーが殴り合う男同士の命懸けの肉体に心を奪われていく様はプリミティブな思考だとも言える。
目の前の相手を倒すためだけに闘う姿勢は金や名誉ではない人間の根源である生きるという本能を白日の下にさらし感化されたステファニーが剛鉄の義足を付けた姿は潔くて凛々しい。
この物語は最後まで二人の関係を明確にしない。
ステファニーに問い詰められたアリも何も望んでいないため返答が出来ない。
このまま何の進展もなく終わってしまうのかと思われたが最後に思わぬ展開が待っている。
そこでアリは自らの自慢の拳を引き換えにかけがえのない物を知る。
彼が生まれて初めて人間性に目覚める姿は感動的だ。
愛は探すものではなく知る瞬間こそ最も美しい。
マリオン・コティヤールは複雑な難役を繊細かつ大胆に演じて役者としての幅がさらに広がった。彼女にはやっぱりフランス語が良く似合う。
マティアス・スーナーツは演じているとは思えないほどの無骨な自然さに魅了させられる。
この存在感は今後も見逃すことが出来なくなるだろう。
生きるとは痛みと共にあることを飾らずにじわりと見せてくれたフランス映画らしい気概が全編に溢れた新しい愛の形がここに誕生した。
2012年 : フランス・ベルギー
監督・脚本 : ジャック・オディアール
撮影 : ステファーヌ・フォンテーヌ
音楽 :アレクサンドラ・デスプラ
出演
マリオン・コティヤール (ステファニー)
マティアス・スーナーツ (アリ)
アルマン・ヴェルデュール (サム)
コリンヌ・マシエロ (アナ)
セリーヌ・サレット(ルイーズ)