君と歩く


なかなか感情を入れにくい構成になっているが最後には予想もしない展開に激しく感情を揺さぶられることになる。
しかし本当の余韻は数日後に訪れる。
傑作とはたぶんそういうものなのだ。
それにしても邦題のタイトルはいかにも感動の押し売りのようで酷い。
原題の「錆と骨」もドライでいいがヤクザ映画に間違われそうだ。
もう少し気の利いたタイトルが浮かばなかったのか残念過ぎる。

事故で両足切断という絶望のどん底に突き落とされたシャチの調教師ステファニーが救いを求めたのは無知で粗野な流れ者のアリ。
ステファニーが唯一無防備になれる相手が初対面で自分を売女呼ばわりした男とは矛盾しているようだが彼女の人間関係の距離感が掴めてリアルだ。
甘い言葉をかけられて同情されたくない気の強さも垣間見れる。

君と歩く4

しかしアリという男は彼女の想像を遥かに超えた常識とエゴイズムで生きている。
事故をすでにニュースで見て知っていたアリは彼女の変わり果てた姿を観ても驚きもせず自分が泳ぎたい一心で海に繰り出すとステファニーまでも泳ぎに誘う。
そこにははありがちな同情や思いやりは全く介在しない。

ステファニーは呆れながらも身を任せるように海に入るとあたかも羊水につかって再生したかのように生気に満ちた表情になってくる。
このシーンの水と光を捉えたカメラは人類の誕生の瞬間を感じさせるような煌きを放っていて印象的だ。

君と歩く1

アリがステファニーに性欲はないのかと問いかけるシーンに至っては鬼畜とも思えるがアリにはそんな感情すら持ちあわせていない。
まさに無知な子どものレベルで彼といる以上そのレベルまで自分を合わせるしかない。
ステファニーはそれに気付き彼の行動や言動を否定せず受け止めようとする。
それは障害を抱えた子を包み込む母親のような愛情がなければ成り立たない。
彼女は自らの障害を癒してもらうのではなく相手を再生させるという前向きな行為で再び歩き出すことを実感していく。

アリが自分の肉体を賭けてストリートファイトに挑むことを反対していたステファニーが殴り合う男同士の命懸けの肉体に心を奪われていく様はプリミティブな思考だとも言える。
目の前の相手を倒すためだけに闘う姿勢は金や名誉ではない人間の根源である生きるという本能を白日の下にさらし感化されたステファニーが剛鉄の義足を付けた姿は潔くて凛々しい。

君と歩く2 

この物語は最後まで二人の関係を明確にしない。
ステファニーに問い詰められたアリも何も望んでいないため返答が出来ない。
このまま何の進展もなく終わってしまうのかと思われたが最後に思わぬ展開が待っている。
そこでアリは自らの自慢の拳を引き換えにかけがえのない物を知る。
彼が生まれて初めて人間性に目覚める姿は感動的だ。
愛は探すものではなく知る瞬間こそ最も美しい。

マリオン・コティヤールは複雑な難役を繊細かつ大胆に演じて役者としての幅がさらに広がった。彼女にはやっぱりフランス語が良く似合う。
マティアス・スーナーツは演じているとは思えないほどの無骨な自然さに魅了させられる。
この存在感は今後も見逃すことが出来なくなるだろう。
生きるとは痛みと共にあることを飾らずにじわりと見せてくれたフランス映画らしい気概が全編に溢れた新しい愛の形がここに誕生した。

君と歩く3

2012年 : フランス・ベルギー

監督・脚本 : ジャック・オディアール

撮影 : ステファーヌ・フォンテーヌ

音楽 :アレクサンドラ・デスプラ

出演

マリオン・コティヤール (ステファニー)

マティアス・スーナーツ (アリ)

アルマン・ヴェルデュール (サム)

コリンヌ・マシエロ (アナ)

セリーヌ・サレット(ルイーズ)





Cinemagnifique-Ebisu


若い頃彼女の誕生日やクリスマスディナーやらで高級フレンチを予約して擬似セレブになることをステータスだと勘違いしていた。

難解なメニューと膨大なワインリストの前に頭を混乱して最後に出されるお勘定のべらぼうな金額に再三ノックアウトされていた。

常連ではないとわかると威圧的な視線を投げかけてくるソムリエに緊張感が最高潮に達して味わうどころではなかった。


今パリでもネオビストロと称される新しい波がフランス料理の在り方を変えようとしている。

グランメゾンのような華やかさはないがカジュアルな中に居心地の良さを重視してリーズナブルでありながら料理のレベルは極めて高い。

東京でもその潮流は確実に訪れている。

ここ「BISTRO YEBISU」はまさにその代表格とも言える。


わずか10席のカウンターだけの店内は清潔感に満ちていてる。

どの席からも料理人の匠の技が見渡せる空間は実に贅沢だ。

絶妙な火の入れ方と計算された野菜の使い方は見事だ。

そして何より心のこもった美味しいフレンチを普段着で味わって欲しいという押し付けがましくない良質なホスピタリティが心地良い。

なかなかありそうでない店だと言える。


今回はかぶと甘海老のジュレのジューシーな食感とオマールのムニエルに舌鼓を打たされた。

特にオマールに添えられた野菜のフリットの絶妙な揚げ方にそうだこれが食べたかったんだと心の中で叫んでいた。

本当は自分の胸の中にしまっておきたい特別な一軒だ。


あけましておめでとうございます。

昨年もたくさんのペタとコメントありがとうございました。

2012年は衝撃的な作品というよりも心にじんわりと響く佳作が多かったような印象です。

個人的に嬉しかったことは巨匠と呼ばれながら近年腕が鈍ったかなと思われていた面々が復活してくれたことです。


第1位 「ル・アーヴルの靴みがき」


Cinemagnifique-ルアーブル


earth music & ecologyのCMでもコピーされてしまうくらいどのカットを観てもカウリスマキだとわかる程個性が際立っていながらマンネリ感も否めないフィンランドの巨匠が驚くべき変貌を遂げた。

褒め過ぎかもしれないがチャップリンの域に近づいたとも言える下町人情劇はわかっていながら涙腺が緩んでしまう。

久々に映画らしい映画を観た満足感で席を立つのが惜しかった。

国を人を動かすことは大義名分ではなく無償の愛なのだと改めて教えられる。


監督 : アキ・カウリスマキ

出演 : アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン


第2位 「人生はビギナーズ」


Cinemagnifique-ビギナーズ

喪失と孤独で埋め尽くされている人生でも小さな明かりを灯すことは出来る。

誰にでも訪れる肉親の死の辛さは映画の中ですら容易には乗り越えられない。

その過程をダイアリーを1ページずつめくるように丁寧に見せていく手法は心を打つ。

オスカー受賞のクリストファー・プラマーはもちろん壊れそうなほどの繊細さを見せたユアン・マクレガー、キュートなメラニー・ロランと役者陣は見事。


監督 : マイク・ミルズ


出演 : ユアン・マクレガー、クリストファー・プラマー、メラニー・ロラン


第3位 「アルゴ」


Cinemagnifique-ARGO

黄金時代のアメリカ映画の復権を印象ずける快作。

正統派のサスペンスにユーモアを織り込んだベン・アフレックの演出は本物だ。

本物のヒーローとは歴史に名を刻むことではなく自分を信じてくれた人間を裏切らないことと改めて教えられた。


監督 ; ベン・アフレック


出演 ; ベン・アフレック、アラン・アーキン、ジョン・グッドマン


第4位 「アウトレイジビヨンド」


Cinemagnifique-アウトレイジ


仁義なき時代に仁義を通す北野武の真骨頂の浪花節が冴え渡る。

並み居る名優、怪優が凄みをきかせて啖呵を切っても北野の一喝で全て霞んでしまう。

死を誰よりも意識して恐れているのにいつ死んでもいいという迫力が何者をも凌駕してしまう。

この恐るべき存在感がある限り北野武の時代の終焉はない。


監督 : 北野 武


出演 : ビート武、西田 敏行、三浦 友和


第5位 「愛の残像」


Cinemagnifique-愛の残像


この映像はいつまでたっても亡霊のようにしがみついて離れない。

人は人を愛するが故に喜び苦しみ悩みもがく。

孤独に耐えられない人間本来が持っている哀しい性なのだ。

今幸せな人も不幸な人もこれでいいのかと自問自答を繰り返し愛の残像に向き合うことになる。


監督 : フィリップ・ガレル


出演 : ルイ・ガレル、ローラ・スメット


第6位 「ミッドナイト・イン・パリ」


Cinemagnifique-ミッドナイトインパリ


あまりに出来すぎたファンタジーだがアレンにだけ許される世界が存在する。

フィッツジェラルド、ジャン・コクトー、ヘミングウェイの響きだけでこんなにもワクワクするものなのか。

ベルエポックが最高だと思っているとゴールデンエージを飛び越えてルネッサンスに辿り着く展開にはアレンならではのネガティブ思考の最たるものだ。

マリオン・コティアールの美しさにパリの街はよく似合う。


監督 : ウディ・アレン


出演 : オーウェン・ウィルソン、マリオン・コティアール、レイチェル・マクアダムス


第7位 「007 スカイフォール」


Cinemagnifique-skyfall


サム・メンデスはボンドを一度殺して再生させて見せる。

孤高のヒーローのように見えたボンドも組織の中の駒でしかない。

強靭で屈強なボンドもいいが弱さもさらけ出す人間味はさらに魅力的だ。

MI6の庁舎の屋上にすっくと立ちロンドンを見下ろす孤独な戦士の後ろ姿は哀愁を帯びて凛々しい。


監督 : サム・メンデス


出演 : ダニエル・クレイグ、ハビエル・バルデム、ジュディ・デンチ、レイフ・ファインズ


第8位 「スーパー・チューズデー」


Cinemagnifique-スーパーチューズデー


ライアン・ゴズリングは今最も輝いてる役者の一人だ。

特に今年この作品と「ドライヴ」で見せた影は彼の両義性を際立たせてくれた。

政治映画ながらマフィア物のような重厚感がスクリーンの端々に感じられ奥行のある演出は見応えがある。

クローズアップとロングショットの見事な使い分けに名監督の片鱗が垣間見えた。


監督 : ジョージ・クルーニー


出演 : ライアン・ゴズリング、ジョージ・クルーニー


第9位 「夢売るふたり」


Cinemagnifique-夢売る


明るいタイトルにこそ邪悪な本音が隠されている。

裏切られた思いを歪んだ形で夫を追い詰め自らが崩壊していく妻、その仕打ちを楽しむかのように道化を演じる夫、愛と引き換えになけなしのお金をつぎ込んでしまう女たち、誰もが心の闇を抱えて生きている傷を負った野良犬のようだ。

西川美和が女の業をあぶり出しさらに凄みを帯びてきた。


監督 : 西川 美和


出演 : 松 たか子、阿部 サダヲ


第10位 「希望の国」


Cinemagnifique-希望の国


失敗作だという声も多いが誰もが手を出し渋る原発問題に果敢に挑んだ姿勢は高く評価したい。

彼の良さは不完全であろうが今を瞬時に捉え提示出来るスピードと潔さだろう。

おもむろに国を批判するのではなく自らが自己責任で考えろと強く訴えかける。

大丈夫ではない時代を生きていくには自分の歩幅で歩くことしかないのかも知れない。

夏八木 勲のイーストウッドが乗り移ったかのような迫力に圧倒された。


監督 : 園 子温


出演 : 夏八木 勲、大谷 直子、村上 淳


Cinemagnifique-CARLOS


「カルロス」は5時間半という久々の長丁場で集中力が持つかなぁと心配だったが展開も早く見応えがあった。

特に1部と2部はテロリストのみが持つ緊迫感を作り物の枠を超えた生々しさで描き出していた。

テロリストたちをかっこいいだけのプロ集団ではなくドジな人間たちとして捉えているところが面白い。

主演のエドガー・ラミレスは野暮ったさとCOOLさが混在していて不思議な魅力があった。


「その夜の侍」は自主制作映画の独りよがりな感じが抜けていなくて不満が残った。

復讐という普遍的なテーマでクライマックスまでどう持っていくのかと思わせて渾身の肩透かしを食らわせる。

これは計算されたずれの可笑しさを狙っているのだろうが全体の設定に無理が感じられてどうもしっくりこなかった、

堺雅人は暗い顔よりにやけている方が似合う。


Cinemagnifique-アレン


「恋のロンドン狂騒曲」はあいも変わらず懲りない面々が好き勝手に暴れまくる。

アレンお得意な人間群像劇だがどうにもキレがない。

アンソニー・ホプキンスも暴走老人を熱演しているもののキャラクター個々にインパクトが足りない。

ナオミ・ワッツを袖にしてしまうバンデラスのダンディぶりはなかなかいい味を出していた。

毎年新作を作り続けるアレンにとってややつなぎで撮ったのかな感は否めない。

次回作に期待しよう。


「人生の特等席」はイーストウッド主演作ではあるがイーストウッドの映画ではない。

過去を引きずり頑なに殻を閉ざしているキャラクターは「グラン・トリノ」のコワルスキーの延長性とも思えるがステレオタイプになり過ぎている。

ストーリーもプロのスカウトがいくらデータ主義だと言ってもカーブを打てない打者をドラフト1位に持ってくるはずはないし街でスカウトした投手をいきなり対戦させることもあり得ない。

ただ久々に古き良きアメリカ映画に出会えたようで郷愁に浸ることは出来た。

イーストウッドにはもっと激しい役で再度スクリーンで向き合いたい。


Cinemagnifique-ザ・マスター


さて2013年楽しみにしている新作のラインナップをあげてみました。

まずはポール・トーマス・アンダーソン5年ぶりの待望の一作「ザ・マスター」

今回はあの怪優フィリップ・シーモア・ホフマンとのタッグなのでますます期待が高まる。


ウェス・アンダーソンの久しぶりの実写版「ムーンライズ・キングダム」、キャサリン・ビグローの「ゼロ・ダーク・サーティ」、ようやく公開になるジョニー・トー「奪命金」

予告を見る限りかなりの破天荒ぶりに心躍るタランティーノ「ジャンゴ 繋がれざる者」、ロドリゴ・ガルシア「アルバート氏の人生」、クローネンバーグ「コズモポリス」も待ち遠しい。


しかし何と言っても2013年最大の個人的ビッグニュースは3月8日から国立近代美術館で開催される「フランシス・ベーコン展」だ。

1996年パリのポンピドーセンターで観た回顧展の初撃が今でも鮮烈に残っいて大きな事故の傷を引きずるように脳裏に焼きついて離れない。

全身麻酔をかけられて内蔵を抉り取られているような痛みと共にそれまでの価値観が全て崩壊したような錯覚に陥った。

20世紀最大の巨人の屈折した歪んだ魂にどっぷりと浸りたい。



Cinemagnifique-ベーコン



Cinemagnifique-Skyfall






「アメリカン・ビューティー」はその柔らかいタイトルとは裏腹な重く苦い内容に平手打ちを食らわされたような刺激的で心地よい体験を味わえた。

今回あのサム・メンデスが007を作ると聞いて彼もまた商業映画に魂を売ったのかと半ば複雑な想いでスクリーンと対峙した。

冒頭のアクションシーンはここまで巧く撮れる才能があったのかとまずは脱帽せざるを得ない。




屋根を飛び移るバイクのスタントやアルドリッチを彷彿させる列車の格闘シーンなど熟練の腕前を披露してくれる。

香港の摩天楼のネオンをバックに殴り合う2人の姿を影絵のように浮き上がらせる心憎い演出も冴えている。

さすがに舞台監督出身らしくエンターティメントの何たるかはわきまえている。





Cinemagnifique-Skyfall1




ここまで見て来ると典型的なボンド路線の継承者だなと思わせるがあの男の登場によって様相は一変する。

「ノ―・カントリー」で最強の殺し屋シガ―を演じたハビエル・バルデムだ。

ここではMに裏切られ復讐の鬼と化したシルヴァとして現れる。




ボンドの存在感すら片隅に追いやるかのごとく放たれるオ―ラは異形の無常観で満ち溢れている。

拷問に耐えて命をかけて死守した任務ですら切り捨てられてしまう様はお国のために戦って負ければ戦犯にされてしまう軍人のようだ。

それは任務遂行のためにMに殺されかかったボンドも同じことだ。




Cinemagnifique-Skyfall3




囚われの身となったボンドにシルヴァが話す最後の2匹のネズミとはこの時点で2人のことだと察しがつく。

この2匹のネズミが最後までどうあがき苦しみもがくのかがこの映画のテーマそのものだ。

2匹のネズミには家も家族もない。

引退勧告を受けるMもまた行き場のない人間だ。




スーパーマンだったボンドは今回は落第点を取り続けるピークを超えた人間として描かれている。

ブルース・ウェインもそうだったようにもはや完全なるヒーローは求められていない。

ある意味不完全さこそ人格を際立たせることになる。

サム・メンデスはスタイリッシュなトム・フォードのスーツに身を包んだボンドの皮を一枚一枚剥ぎ取って原点回帰をさせていく。




Cinemagnifique-Skyafall2




極みはMをかくまって出生の地スコットランドのスカイフォールでシルヴァに決戦を挑むラストの攻防だ。

ここでは狩りに使うようなクラシックな武器でハイテクな敵に真っ向勝負を挑む。

自らの生地までをも戦場と化してそれでもなおMの命を救おうとする姿はもはや使命を超越している。




Mの存在は彼らにとって憎んでも憎みきれない母のような存在なのだ。

これは2匹のネズミの物語であると同時に2人の息子の物語でもあったのだ。

MI6の庁舎の屋上にすっくと立ちロンドンの街を見下ろす孤独な戦士の後姿は悲哀を帯びていて凛々しい。




Cinemagnifique-Skyfall4





2012年 : アメリカ




監督 : サム・メンデス




脚本 : ニール・バービス、ニール・バーディス、ロバート・ウェイド




撮影 : ロジャー・ディーキンス




音楽 : トーマス・ニューマン




出演




ダニエル・クレイグ (ジェームス・ボンド)




ハビエル・バルデム (シルヴァ)




ジュディ・デンチ (M)




レイフ・ファインズ (ギャレス・マロリー)




ナオミ・ハリス (イヴ)









Cinemagnifique-ARGO


「ザ・タウン」でイーストウッドの再来と騒がれたので注目したものの良質なB級映画の枠から抜け出ることはなかったように思えた。
しかしこの作品では疑いようのない才能の全貌をまざまざと見せつけてくれた。


どこか「タッカー」のようなエネルギーがスクリーンからほとばしっていて冒頭から観客を飽きさせない 。
フィルムの質感も80年代的でその当時の空気感に見事にタイムスリップさせられる。
これこそが演出家のセンスであり巧い映画はそこをしっかりと押さえている。


Cinemagnifique-アルゴ1

イランのアメリカ大使館人質事件は歴史的に見ても大事件でしかも52人の大使館員が444日間監禁されるとは桁外れのスケールだ。
この事件一つを取ってもアメリカとイランがいかに憎しみあいながら今に至っているかがわかる。
そういう意味で過去のようで現在の映画なんだと念押しされる。


革命の最中過激派の目をすり抜けてカナダ大使館邸に逃げ込んだ6人をでっち上げの映画スタッフに仕立てて国外退避させるという奇想天外のプランが存在したのだ。
この嘘のようでホントの話を聞いた時ベン・アフレックは膝を叩いて喜んだろう。


作戦の遂行役でClAの人質救出のスペシャリストであるトニー・メンデスをベン・アフレック自身が演じるが気負いなく自然に演じていてキーマンとしての役割にフィットしている。
淡々と使命を全うする企業人と人質を守るためにはスタンドプレーも厭わない熱血漢ぶりに観客を惹き込んでしまう。


Cinemagnifique-ARGO4

実話の難しいところは結論がわかっていて尚盛り上げなければいけない点だ。
それには徹底的なディテール描写と臨場感が重要になって来る。


息子との電話中に見た「最後の猿の惑星」から脱出プランを思いつき特殊メイクのパイオニア、ジョン・チェンバースに協力を得て大真面目にSF映画「アルゴ」を立ち上げてしまうところはコミカルでもあり虚像こそ映画の最大の醍醐味なのだと痛感させられる。

彼らがチームとなって連絡を取り合う時叫ぶ「ARGO FUCK YRSELF」はたかが映画だって馬鹿にすんなよと言う心意気が感じられてにんまりさせられた。


Cinemagnifique-アルゴ

こんな遊びのようなプランが上手くいくのかなと娯楽映画気分になっていると状況は一変する。
メンデスがイランに向うところから俄然サスペンス色が濃厚になって緊張感が増してくる。
イランの上空に入った途端にアルコール類の回収をするアナウンスが入りここからは異次元の世界なのだと暗示させる。


敵を欺くため危険を承知でロケハンと称してイランの中心街を全員で練り歩いたり搭乗前の検問での質疑応答に備えて大使館員が映画クルーになりすます練習をするシーンは不可能を可能にするためには信じることがいかに大切かを教えてくれる。

Cinemagnifique-ARGO2


そしてラストまでテンションを落とすことなく一気に引っ張り込んでいく演出力は見応えがある。

とりわけ身分がばれれば即公開処刑という絶対絶命の状況を薄氷を踏む思いで検問をくぐりぬけるシーンは「大脱走」のスティーブ・マックイーンになったような気がした。

スタイルは全く違うのになぜかジョージ・ロイ・ヒルやアルドリッチのようなクラシックな映画スタイルがぷんぷんと匂い立ってくる。


メンデスが正義をふりかざすようなヒーローではなく別居中の息子に思いを馳せる一人の父親として描いているところも共感を呼ぶ。
国の指令に背いて独断で救出を決行しようとするメンデスを掟破りの方法でサポートする上司の正義感も爽快だ。


Cinemagnifique-ARGO1

本物のヒーローとは歴史に名を刻むことではなく自分を信じてくれた人間を裏切らないことだと改めて教えられた。
ベン・アフレックは正統派の骨格の中にエンターティメントを挟み込んで今のハリウッドにはいない独自のスタイルを確立出来る監督になりそうだ。


イーストウッドの後継者というよりもスマッシュヒットを連発していた頃のコッポラを彷彿とさせる。

撮らされるのではなく撮りたいものを撮って客も呼べる。

オスカーでさえフランス映画に持って行かれたアメリカ人によるアメリカ映画の復権を感じさせる。

また一人観るべき監督リストに名前が刻まれた。


Cinemagnifique-ARGO3

アメリカ : 2012年


監督 : ベン・アフレック


脚本 : クリス・テリオ


撮影 : ロドリゴ・ブリエト


出演


ベン・アフレック (トニー・メンデス)


アラン・アーキン (レスター・シーゲル)


ジョン・グッドマン (ジョン・チェンバース)


ブライアン・クランストン (ジャック・オドネル)


スクート・マクネイリー (ジョー・スタッフォード)


クレア・デュバル (コーラ・ライジェク)


テイト・ドノバン (ボブ・アンダース)



Cinemagnifique-希望


いい意味で園子温らしくない。

いつもは多彩な変化球で翻弄させるのに今回はストレートをど真ん中に投げ込んできたからだ。
ここまでやるかという過剰な暴力描写やサービス精神旺盛なエログロを見事に封印している。

その観点から見ても彼がどれだけ真摯かつ真っ正面から原発に向き合ったかが推測出来る。


ほとんどの日本人が(戦争体験者を除いて)人生最大の恐怖と闘ったあの時間を具体化させた作家は極めて少ない。
機は熟していないと思っているのかも知れないが震災からはや1年以上が過ぎている。
下手な表現は出来ないとしり込みしているように見える。
それ故に日頃からタブーに挑む園子温が先陣を切ったことは大きな意味がある。


Cinemagnifique-希望2


彼の良さは不完全であろうが今を瞬時に捉え提示出来るスピードと潔さだろう。

この作品も傑作とは言い難いところもあるがテーマをしっかりと絞り込んでぶれなかった姿勢は高く評価したい。
津波や地震の生々しい描写はあえて封印してそれ以降の人間たちを捉えている。


いつもはせわしく動き回るカメラもどっしりと固定して被写体に近づいている。

どんなに辛い現実があろうとも生きると決めた以上人生は続いていく。
家族で酪農経営を営む小野家にも放射能汚染による避難区域に指定され退去命令が下される。
立ち入り禁止と言うテープがこちら側とあちら側を切り裂く様は残酷で天国と地獄の境目にも映る。


一家の長である泰彦を演じる夏八木勲の円熟した演技が作品全体に命を吹き込んでいる。
いずみが身籠ったことを知った洋一は泰彦も連れて遠くに逃げようとするが認知症の智恵子をこの土地から動かすことは出来ないと固辞する。
泰彦は他には居場所がないことを熟知している。



Cinemagnifique-希望4

どこに逃げようが他人の地では生きられないことは命の限りを知る者にしかわからない。
若い洋一夫婦はどこへ行っても適応出来るだろうが老人には辛い現実が待ち受けている。
智恵子が繰り返す「家に帰ろうよ」の口癖が絶望の響きになることがわかっている。
どれだけの人たちがこの無念と闘ったか想像するに忍びない。


園子温はあえて古い日本人の姿を描くことでナショナリズムと自らが理想とする父親像を浮かび上がらせたかったのだろう。
親子の別れの時いずみを連れてきた洋一を殴るシーンにも顕著に表れている。
目に見える津波や地震の恐怖に耐えてこれからは目に見えない放射能の恐怖に直面しなければならない。


これは原発の映画であると同時に家族の映画である。
平和な時はお互いただ依存していれば成り立っていた関係が崩れて自分自身がどう生きていかなければいけないかの岐路に立たされている。
康彦が国や風評によってふらついている洋一に「お前はどうしたいんだ」と何度も問いかける。
思いがけない震災によって原発について考えざるを得なくなった国民は今自己判断が求められている。



Cinemagnifique-希望1


園子温はおもむろに国を批判するのではなく自らが考えろと強く訴えかける。
泰彦が牛の殺処分を自ら強行したシーンの描写を抑制したのは被災者に配慮した面もあるだろうがむしろ哀しみと無常観が際立って見えた。
銃を握り締め口にタオルをはさみ込み牛舎の前に立つ夏八木勲は割腹自殺を決行するかつての日本人の姿だ。


いずみは「愛があれば大丈夫だよね」と洋一に問いかける。
しかしそれは放射線と同じように目に見えないものだ。
大丈夫なものなど存在しない時代を自分の歩幅で歩くことしか確かなものはない。
不測の時代を共に生きるには園子温という男は頼りになりそうだ。
Cinemagnifique-希望3


2012年 : 日本


監督・脚本 : 園 子温


撮影 : 御木 茂則


出演


夏八木 勲 (小野 康彦)


大谷 直子 (小野 智恵子)


村上 淳 (小野 洋一)


神楽坂 恵 (小野 いずみ)


でんでん (鈴木 健)


清水 優 (鈴木 ミツル)


梶原 ひかり (ヨーコ)


河原崎 健三 (医師)


山中 崇 (加藤)




Cinemagnifique-outrage3


これは究極のニヒリズムだ。
一度死んだ男が生き返り社会と関わるためにどうするのか。
死を目の当りにした人間は自暴自棄になるか無になるか、かつて自殺未遂で死の淵を彷徨った北野そのものの生き様がここにはある。


前作では徹底的に焦点を当てた過激なバイオレンスは抑制して人間の交わりに的を絞っている。
兄弟と呼び合い名ばかりの連帯を強調する様は政治家や新興宗教と何ら変わりはない。
かつて存在した契も影を潜め派閥争いを繰り返すがそれを操るのが警察だと言うのは皮肉でも何でもなく理にかなっている。


Cinemagnifique-outrage2


政界にも手を出し勢力を広げ過ぎた山王会は警察からも鬱陶しい存在になっている。
そんな時死んだはずの大友が出所することになり刑事の片岡は大友を利用して山王会の壊滅を画策する。
この片岡の立ち回りこそ歪んだ社会の縮図だが自分の利権のみで生きているこの国の政治家に酷似している。


罵声を浴びてもにやけながら着々と任務を遂行する腹黒さを小日向文世が彼しかないという不惑な存在感をさらに際立たせている。
片岡がジョーカーとして選んだのが大友を刺した木村という設定は面白い。
常識的には二人が組むことはあり得ないがここから北野流任侠美学が展開される。


Cinemagnifique-outrage5


大友の無常観漂う表情を見ている内にある主人公の名前が脳裏をよぎった。
男の名はウォルト・コワルスキー。
「グラントリノ」でイーストウッドが演じたリタイアした元朝鮮戦争の帰還兵だ。
傲慢で他人との面倒な関わり合いを持たないコワルスキーが立ち上がるのは義理人情に他ならない。


大友もコワルスキーも生きることにしがみついていない。
いやむしろ何も期待せずに淡々と来たるべき死を待ち受けているように思えるが人間の尊厳を忘れていない。
無表情な大友が木村の可愛がっていた舎弟が殺された時に見せた顔はコワルスキーが暗闇の中で己の拳でガラスを叩き割った姿に似ている。


Cinemagnifique-outrage6


北野がフィルムノワールを意識したというようにストーリーはかなり古臭い。
しかしなぜか新しく感じられるのは今や誰も描かなくなった真の任侠の世界があるからだ。
ここにあるのは薄っぺらい絆ではなく本物の情なのだ。

三浦友和、西田敏之、塩見三省と大御所たちが凄みをきかせて迫真の演技を見せるが北野武の圧倒的な存在感の前では霞んで見える。


北野武のみが放つ死を纏いながら臆さないオーラが全てを凌駕してしまう。
これは世界でも唯一無二の存在と言っても過言ではない。
前作で法の下に逃げ込んだ弱気な大友は地獄から這い上がり諦めの境地を経て現世に落とし前を付けにきたのだろう。
予想を覆した見事なラストがそれを雄弁に語っている。


Cinemagnifique-outrage4


2012年 : 日本


監督・脚本 : 北野 武


撮影 : 柳島 克己


音楽 : 鈴木 慶一


出演


ビートたけし(大友)


西田 敏行(西野)


三浦 友和(加藤)


加瀬 亮(石原)


中野 英夫(木村)


小日向 文世(片岡)


塩見 三省(中田)


中尾 彬(宮田)


三石 研(五味)


松橋 豊(繁田)



Cinemagnifique-yumeuru


これはある意味子どもを亡くした夫婦の物語だ。
冒頭で二人で築き上げてきた小料理屋が炎に包まれ崩れ落ちる。
西川美和の渾身のスローモーションが冴え渡っている。
夢の城が陥落する有様はまさに店=子どもを失った姿に映る。
人生が燃え尽きたように途方に暮れた二人の表情が素晴らしい。
絶望の先には底のない地獄が待ち受けている。


Cinemagnifique-yumeuru3


希望を失くし飲んだくれる貫也と対照的に里子は地道にラーメン屋でバイトをしながら再起を図っている。
しかし頑張ったところではした金で店を再開出来る程甘くはない。
そんなある日泥酔した貫也は終電に乗り遅れたまたま居合わせた常連客だった玲子の家に転がり込む。
不倫の恋が終わり抜け殻のような女と腑抜け男とがお互いの傷を舐め合う猫のように肉体を貪り心まで曝け出す。
自分の弱さを吐露した貫也の素の姿に同情した玲子はついには手切れ金を使ってくれと渡してしまう。


喜び勇んで帰り着いた貫也を待っていたのは里子の容赦ない愛の鞭だった。
浴槽で追い詰める里子のドSな仕打ちは見応えがある。
ありのままを見せることを臆さない西川と松たか子のコラボレーションが見事に結実した瞬間だ。
ここまでやらせるのかという西川の要求に松たか子の女優魂が呼応している。


貫也の女心を盗み取る才能を見出した里子は結婚詐欺をし掛けていく。
鵜飼の鵜のように里子の操り人形と化した貫也の飄々とした立ち振る舞いが阿部サダヲのキャラクターと見事にシンクロしている。


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ここに描かれるのは底なしの孤独だ。
裏切られた思いを歪んだ形で夫を追い詰める妻、その仕打ちを楽しむかのように演じる夫、愛と引き換えになけなしのお金を身つぎ込んでしまう女たち、誰もが心の闇を抱え込んで生きている傷を負った野良犬のようだ。
結局人間は死ぬまで何が幸福で何が不幸で何が善で何が悪なのかわからない世界に生きている。


重くなりがちなストーリーを軽やかにコメディータッチにしたことでより喜劇と悲劇の境界線が不透明になって人生の曖昧さ、男女の不可解さが浮き彫りになっている。
貫也に対して感情を露わにしなかった里子がシングルマザーの家庭に自転車で向かう貫也をすがるように追いかける姿に本音が滲んでいる。


家族を持つことが叶わなかった女の情念ほど恐ろしいものはない。
自転車の二人乗りをしている時に垣間見得た穏やかな表情こそ里子が求めていたものに違いない。

全編余分な音を使わずシンプルなギターサウンドに徹していてCOOLだ。

都会の風景と主人公たちの心情と絶妙にマッチングしている。
男を描き続けてきた西川美和が女の業を炙り出しさらに凄みを帯びてきた。


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日本 ; 2012年


監督・脚本: 西川美和


撮影 : 柳島克己


出演


松たか子(市澤里子)


阿部サダヲ(市澤貫也)


田中麗奈(棚橋咲月)


鈴木砂羽(睦島玲子)


木村多江(木下滝子)


安藤玉恵(太田紀代)


笑福亭鶴瓶(堂島哲冶)



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「美しい人」や「美しき人生」というタイトル程裏読みをしてビターな物語を期待してしまうのはいつもの性分だがこれも期待に違わぬ素晴らしい出来栄えだった。

原題の「9lives」が意味するように9編のオムニバス構成になっている。

主役は全て女性で各チャプターは彼女たちの名前がタイトルになっている。

人生に大きな重荷を抱えて生きている生き苦しいひとたちの溜息のようだ。

オムニバスの難しさはショートストーリーの組み立てなので感情移入する前に物語が終わってしまって観ている側が宙ぶらりんの状態になってしまう恐れがある点だ。


しかしその危惧はすぐに消えた。

それは1本1本が独立しているものの単なる短編として捉えた物ではなく映画全体のクライマックスを切り取ったように各シーンに緊張感がありリアリティーと言うパワーに満ち溢れているからである。

そして何よりも優れていることは文学が持ち得ている行間や心象風景が見事に描かれている点だ。


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夜のスーパーマーケットでダイアナが一人で買い物をしているとかつての恋人のダミアンと遭遇する。

最初はぎこちない二人だが10年ぶりの再会にかつての想いが蘇ってくる。

しかし二人は若くはない。

ダイアナは子どもを身ごもっていてダミアンもすでに結婚している。

過去の愛情がどんなに強くとも終わってしまった愛には理由がある。

カメラは二人の姿を買い物カートのゆるやかな動きとともに背後から追い続ける。

それは空白の時間を埋めることが許されたかのような特別な存在であるかのようにすら思える。



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二人は短い会話をしては買い物の手を休めることなく物色している。

あたかも生きる上で必要な平凡な日常の象徴であり幻想を振り切るための行為にも思える。

後戻りすることに何の解決策がないことがわかりつつも苦悩するダイアンの表情が素晴らしい。

目の前の洗剤や食料品を選びながらも心は過去に引きずられている。

人間の弱さと未練がこの数分間の中に凝縮されている。


レイモンド・カーヴァーの短編のような行き場のない心の葛藤が鮮やかに描き出されている。

元のさやに戻っても未来はないことはわかりつつダミアンを追って走り出すダイアナの姿は痛々しく哀しみに満ちているが誰しもが同じ痛みを抱えた生身の人間であることに気付くキツイやるせない瞬間でもある。



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最後に用意されている祖母と孫の墓地のエピソードはこの映画全体の無常感を与えていて秀逸だ。

それまでワンカットワンシーンにこだわったスタイルを最後の最後で放り出して見せてくれた360度パンは人生の末路のように刹那く一抹の泡のように儚い。


ロドリゴ・ガルシアは女たちの生き様をオブラートに包んだりせずに丸裸にして見せてくる。

どれもがあり得ない話ではないので観客もどれかしら自分に当てはめて観ることが出来る。

決して優しい眼差しではなく古傷に塩を塗りつけるようにじりじり締め付けられるがこういう人生を容認出来なければ生きている実感は味わえないような気がする。

女優陣は全てパーフェクトに近いが特にロビン・ライト・ペンとグレン・クローズが素晴らしい。


2005年 : アメリカ


監督 : ロドリゴ・ガルシア


脚本 : ロドリゴ・ガルシア


撮影 : ダン・ニース、ヘンリー・タール


音楽 : エドワード・シェアマー


出演


キャシー・ベイカー(カミーユ)


エイミー・ブレネマン (ローナ)


エルビディア・キャリロ (サンドラ)


グレン・クロース (マギー)


ステファン・ディラーヌ (マーチン)


ダコタ・ファニング (マリア)


リサ・ゲイ・ハミルトン (ホリー)


ホリー・ハンター (ソニア)


シシー・スペイセク (ルース)


アマンダ・サイフリッド (サマンサ)


ロビン・ライト・ペン (ダイアン)