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  • 20 Feb
    • 「浮き」と「居着き」

      武術の言葉で、身体に「浮き」がかかる、というような表現があります。 「浮き」といっても、別に「空中浮遊」といったことではなくて、まるで身体が宙に浮いているかのように、軽く、素早く動けているような状態ことです。 高いところから飛び降りるとき、予め頭の高さを着地後の高さに合わせるようにして低くしゃがんでから飛び降り、空中で脚を伸ばすようにしてそっと着地してやると、足への衝撃が少なくて済む、ということは、だれでも経験があるのではないかと思います。 このときに足に感じる、一瞬の無重力状態というか、上半身の重量を空間に預けて下半身を自在に動かしているような感覚が、「浮き」です。  体力測定などでよく行われる「反復横跳び」でも、遅い人は一歩一歩地面を蹴って移動しているのに対して、速い人は、頭を常に中心線上の付近に置いて、地面を蹴って移動するというよりも、上体を中心付近の空間に残したまま足だけを左右に移動させるような感じで素早く切り返していきます。 また、トカゲの仲間の中には水の上を走ることができるものがいるといいますが、彼らの走りも、水面に足を踏ん張って強く蹴りだすというよりは、上体を前方の空間に預けて、負重から解放された足を高速回転させるような動きになっているのだろうと考えられます。     陸上競技の短距離走の選手なども、高速で走っているとき、まさにそのような感覚だといいます。 乗馬においても、たとえば障害飛越の時、上手な騎手は、馬が障害の踏み切りで減速するときの慣性力を利用して自然に腰を浮かせ、後躯が揚がってくるところでは股関節や膝を折り畳むようにして抜重して馬の飛越を助けてやり、頂点を越えて落下するとときには下半身を再び伸展させて、着地時に衝撃を吸収するためのサスペンションとして使えるようにしています。 このとき、騎手は足で鐙を蹴って飛び上がるような力はほとんど使いません。  慣性力によって前に放り出された上半身を空間に預け、その下を下半身が伸縮しながら移動するような感じで、障害の高さにもよりますが、騎手の頭も高さがほとんど変わらずに移動します。 速歩の正反撞や駈歩でも、上体は馬とともに上下に揺れることになりますが、その際、体幹部の随伴とは別に、肩や肘、手首といった関節を積極的に使って、拳を上体の動きから独立させることによって、拳には「浮き」がかかり、一定の高さに静定させることができます。 このような「浮き」のある動きによって、相手の動作に柔軟に、素早く対応できるような状態を、武術では「居つきがない」、といいます。  「居つき」とは、その場に固着する、踏ん張る、といった意味で、反動をつけたり、踏ん張ったりするために支点を固定することによって、瞬時に動くことが出来ないような状態になることを表わしています。 乗馬でも、例えば軽速歩でお尻を持ち上げようと思って鐙に踏ん張ると、馬の動きに遅れて上手く立てなかったり、あるいは姿勢を安定させようとして膝で鞍をギュッとはさんだりすると、身体が固まって充分な随伴が出来ず、かえってバランスや姿勢を保つことが難しくなったりすることがよくあると思います。   このような 「浮き」とか「居つき」は、人間だけでなく、馬の動きにもみられます。 ピアッフェや伸長速歩などを行うとき、馬は四肢を高く大きく動かしますが、調教が進んでそういった動きに慣れた馬では、見た目の派手さのわりには反撞は穏やかで、柔らかいものです。 しかしこれを、まだ動き方のよくわかっていない馬で形だけマネしようとすると、力んで肢を大きく動かそうとする分だけ反撞も高く、硬くなって、騎手も馬も汗ビッショリ、などということになります。 調教が進み、動きの質が転換して、肩甲骨や股関節の可動域が大きく、四肢が独立して様々な方向に動かせる馬は、大きな動きを要求してもリラックスして力まずに動けるため、肢の踏み換えがスムーズで、背中の動きも柔らかです。  肩や飛節が大きく動いてはいても、四肢が同時に宙に浮いている時間は意外に短くて、体幹部の上下動が少ない、「乗り心地のよい」走り方になります。 これに対して、調教の進んでいない馬にムリな要求をすると、馬は力んでその場に文字通り「居ついて」膠着したり、見た目の動きは肢を大きく振り出して派手に見えても、背中は硬いし、体幹部の上下動が大きい、ギクシャクとした非常に乗り心地の悪い動きになったりします。  「浮き」や「居つき」は、当たりの柔らかさや乗り心地を決めるというだけでなく、乗馬の安全性や持続可能性にも関わる重要なファクターだと言えるでしよう。  馬術を、文字通り「術」として楽しむ方法として、こういうところから、人馬双方の動きの『質』に着目してみるのも面白いのではないかと思います。 レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazonレッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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  • 19 Feb
    • 落馬の科学

        馬に乗ろう、というときに、「落馬」のことはあまり考えたくないものだと思います。  実際、「落ちたらどうしよう」などと考えてしまうと、必要以上に緊張して馬の動きを妨げたり、余計なプレッシャーを与えたりして、余計に馬の反抗やイレギュラーな動きを招いて、かえって落馬しやすくなったりすることもありますから、「.自分だけは大丈夫」と自らに言い聞かせて、なるべく考えないようにしている、という方も多いかもしれません。  しかし、そもそも動物の背中に跨って遊ぼうという時点でかなりのリスクを背負っているわけですから、落馬すること自体は、むしろ当然起こりえることとして考えておくべきでしょう。    ところが、乗馬に関する書籍やビデオなどの中に、落馬について詳しく述べられているものはほとんどありません。  ということで、ここでは落馬のメカニズムと、落ちにくい乗り方について述べてみたいと思います。  ・馬の必殺技  落馬のパターンとしてよく見られるのが、騎手の身体が前のめりになると同時に、左右どちらかにバランスを崩し、落馬にいたるという落ち方です。  馬が物見をしたりして急停止、急旋回したような場合によく起こるものですが、中には、わざとこれをやって人を落とすのが上手い、「達人」のような馬もいて、何か気に入らないことがあると、この必殺技を繰り出してきたりします。  そういう馬が、人を落とそうとするときの手法としては、尻ばねしたかと思うと直後に頭を思い切り下げ、それと同時にクルっと急旋回して横を向き、騎手を振り落とす、というようなやり方が一般的です。  お尻が跳ね上げられた所に、手綱をグン!と下に引っぱられて、上体が前のめりになる瞬間、クルっと回られると、騎手の身体はいとも簡単に横に放り出されてしまいます。  上手な馬になると、それこそ、柔術の達人の背負い投げのように、「気がついたら地面にいた」というくらい、鮮やかなものです。  ・なぜ、落ちてしまうのか?   それにしてもなぜ、こんなにいとも簡単に落とされてしまうのでしょうか?  それは馬たちの使うこの必殺技が、力学的に非常に理に適ったものであると同時に、私たち人間が頭で考えても、そこに働く力の方向を理解するのがなかなか難しいからだと考えられます。・3次元の揺れ  馬に乗ると、馬体が揺れるのを感じると思います。  私たちは、この揺れを感じたいがために、馬に乗っているといっても良いでしょう。 この揺れは、上下振動と、左右、前後方向への回転運動、水平面上の回転運動の組み合わせ、というようにに考えることができます。①前後方向への縦の回転運動は、ピッチング・モーション、②左右方向への横揺れ運動を、ローリング・モーション、③水平面上で回転するような運動は、ヨーイング・モーション、と呼ばれます。  馬の揺れは、これらのモーションが複合的に組み合わさって出来ているわけですが、このことと前述のような落馬が起こるしくみには、深い関係があります。  複数の軸回転が組み合わせられることによって、騎手の予想もつかないような方向に力が働くからです。・ジャイロ・モーメントとコリオリ力   直進している自転車のハンドルをいきなり左に切ると、その瞬間、自転車は右に倒れようとします。  前へ回転している車輪に、ハンドルを左に切る「ヨーイング」を加えると、そのいずれの回転軸とも垂直に交わるもう一つの回転軸を中心とする、右方向への「ローリングモーション」が発生するわけです。  このときの、初めの回転、あとから加わった回転、そしてその結果起こる回転の関係を、人の右手で表すと、次のような感じになります。図の③のように、①と②の掛け合わせによって結果的に起こる回転運動は「ジャイロモーメント」、そのようにして発生した力は、「コリオリ力」とも呼ばれます。    前述の落馬の場合で言うと、馬に頭を下げられて騎手が前のめりになる動きがピッチング、馬がクルっと横を向く動きがヨーイング、それによってお尻が横にズレる動きがローリングで、そのとき騎手の身体が鞍から引き剥がされ、横に放り出されるときに働く力がコリオリ力、ということです。  コリオリ力の大きさは、回転の速さ(角速度)によって決まります。  つまり、馬の速度の変化(慣性力)が大きく、回転半径が小さいほど、鮮やかに『技』が決まる、ということになります。  このようにして起こる落馬を、騎手が最も堪えにくく、指導者にとって最も防ぐことの難しい、「落馬の必殺パターン」として、『ジャイロ落馬』と名付けたいと思います。・落ちないためには?『ジャイロ落馬』から身を守るためには、コリオリ力によって「運転席から放り出される」ことを、なるべく防ぐようにする必要があります。  そのためには、コリオリ力の発生をなるべく防ぐことが有効だろうと考えられます。  つまり、回転運動の掛け合わせによるジャイロモーメントがなるべく生まれないように、騎手の身体にピッチングやヨーイングといった「回る動き」が起こらないように意識して乗ることで、予想外の力に振り回されずに済むようになるのではないか、ということなのです。  対策のまず一つは、騎手の身体のピッチングモーションを減らす工夫です。  上体や脚が前後に振れないように、頭が揺れないように意識して、みぞおちや脇腹あたりから随伴するようなつもりで、上体を真っ直ぐ保つようにすることで、ピッチングモーションを少なくすることが出来ると思います。  馬が暴れて落ちそう、というようなときでも、上体が前に振られないように起こしておくだけで、馬に「ヨー軸回転」されても耐えられる確率が上がるのではないかとと思います。(指導者が、レッスンでよく「体を起こして」「踵を下げて」などというのは、そういう意味でも理に適っていると言えます。)  それから、騎手のヨーイング、すなわち、脊柱を軸にして回転するような身体の使い方をなるべく避けるようにしてみるのも良いと思います。  例えば、駈歩で馬体がピッチングモーションをしているときに、騎手の身体に内向きのヨーイングモーションが起こると、その瞬間にジャイロモーメントによって上体が外側に振られ、内側の鐙が外れるようなバランスになりやすくなることが考えられます。  そこで、このときに逆に内側の脇腹を突き出すくらいのつもりで動いてやると、馬体の内向きのローリングモーションに対して随伴しやすくなり、内方の鐙に乗りやすくなるのではないかと思います。  頭で考えるとなかなか複雑で混乱しますが、このジャイロモーメントが感覚的に理解出来てくると、慣性力を味方につけた、より安全で気持ちの良い騎乗が出来るようになるのではないかと思います。レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術 乗馬の身体操作術)Amazonレッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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  • 17 Feb
    • 乗馬の『セカンド・オピニオン』

          医療の用語で、「セカンドオピニオン」というのがあります。     セカンドオピニオンとは、患者が自分の病気について、今かかっている医師(主治医)以外の、別の医師に求める『第2の意見』のことです。       近年この考え方が広がってきた背景には、従来の、「先生にお任せ」型の医療ではなく、『インフォームド・コンセント』(説明と同意)によって自分も治療の決定に積極的に関わりたい、というニーズの高まりがあります。       医療の理論や技術は日進月歩で進化し、次々に新しい治療法が生まれており、その全てを一人の医師が把握しているとは限りません。     また、医師や医療機関によって、患者さんに提供すべきだと考える治療が異なる、といったこともあるでしょうし、患者さん自身も、それぞれ受けたい治療の内容や程度は様々だったりします。        現在の病院では希望する治療が受けられないので、もっと設備の整った病院へ移りたい、あるいは、単純に主治医と相性が合わない、というような場合もあるでしょう。       そうした場合に、患者さんと主治医との間で、最善と思える治療方法について合意した上で治療を行うために、別の医師の意見を聴いてみる、というのが、「セカンドオピニオン」の意義なのです。        セカンドオピニオンを受けることで、自分が選ぶ治療にどのようなメリット・デメリットがあるのかを多角的に知ることが出来、納得のいく治療が受けられる、というわけです。          このような、医師と患者さんとの関係性は、そのまま、乗馬クラブの経営者や指導者と、会員さんとの関係に置き換えて考えることが出来ます。       乗馬クラブでも、レッスンのレベルやジャンルによって『かかりつけ』の先生というのがだいたい固定されていたり、クラブの方針で指導の方法や文言が画一化されていたりして、会員さんが自分の『症状』に関する多様な見解に触れる機会というのは、そう多くはないのではないかと思います。         乗馬の技術や指導の方法の他、調教や装蹄、治療の理論にはじつに様々なものがあり、必要な知識も非常に広範囲にわたりますから、一人の指導者がそれらを網羅しようとしても限界がありますし、またクラブの経営者のこだわりによって、お客さんに提供したいと考えるレッスンとか調教の方針に偏りがあることも多いものです。       会員さんの方でも、受けたいレッスンの内容や程度は様々ですから、施設や馬の質によって希望するような指導が受けられないとか、単純に経営者や指導者と相性が合わない、というようなことは、病院などよりも多いでしょう。     そうした場合に、会員さんがただ不満を抱いて悶々としているだけではなく、自ら積極的に多様な知識を吸収し、自分や馬にとって最善と思える指導方を考え、納得した上でレッスンを受けることが出来るように、「かかりつけ」の先生とは別の『第二の意見』を聴いてみる、というのは、それなりに意義のあることではないかと思うのです。        そうした、いわば「乗馬のセカンドオピニオン」の例としては、ビジター騎乗の制度を利用した「出稽古」とか、このようなブログやSNSなどが考えられますが、それらによって、現在自分が不満や不信を抱いている指導方法にどのような目的や効果があるのか、といったことを多角的に知ることが出来れば、むしろそうした不満や不信の解消に繋がる可能性もあります。       近い将来、従来の「先生にお任せ」「嫌なら辞めろ」型の乗馬レッスンではなく、セカンドオピニオンの見解も取り入れつつ、会員さん自らも自分の指導内容の決定に関わった『インフォームドコンセント』に基づいたレッスンを行うような乗馬クラブが、一般的になっていくのかもしれません。         しかし現実には、医療の現場でもそうでしょうが、「先生」との関係が悪くなることを心配して不満や希望をなかなか言いだせなかったり、勇気をだして訴えても、二言目には「嫌なら他へ行ってくれ」などと居直られる、というような乗馬クラブというのは、今だに結構あるのだろうと思います。     そのようなクラブや指導者に対して不満を抱いた会員さんが、自馬をつれて他所へ移籍したとか、自前で乗馬クラブを始めた、というような話を聞いたことがある方も少なくないでしょう。     そうしたところでは、部外者の『セカンドオピニオン』を参考にしようとすることが、かえってモメごとの発端となってしまう可能性もあるかもしれません。       ですが、  大多数の良心的なクラブでは、会員さんの「他所でこういうことを聞いたんですけど」というような意見や疑問にもきっと真摯に向き合い、客観的かつ合理的な、会員さんや馬にとってベストな指導を目指してくれるはずだと思います。       私の書いているようなことも、決して「これが正しい」などと言い切れるものではありませんが、「別の意見」の一つとして、参考程度にして頂ければ幸いです。         もし何か意見をお求めの方があれば、お気軽にコメント、メッセージなど頂ければ、可能な範囲でお応えしたいと思います。   写真や動画など拝見させて頂ける方は、当ブログのPC版ページ左上にあるメッセージボックスから、メールにてご連絡頂ければと思います。     レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術 ) Amazon     レッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術 ) Amazon     改訂版 馬車運転教本 ) Amazon                      

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    • 届いた~ キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

      書籍を『上下巻セット』で読んで下さった方が、書評を書いて下さいました。 お楽しみ頂けているようで、こちらとしても嬉しい限りです。ありがとうございます!

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  • 16 Feb
    • 私を構成する成分は・・・

       ▼私を構成する成分は・・・むむ、やっぱりそう思います?\あなたはなにでできている!?/成分チェッカーで分析する 

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    • 紙の本。

      レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術 乗馬の身体操作術)Amazon  電子書籍の販売開始から、多くのご注文を頂きまして、ありがたい限りです。    リアル版(紙バージョン)も完成し、既にたくさんの方からお問い合わせ、ご購入頂いております。当初330ページだったのを少し圧縮して、ギリギリ300ページ以内に収まり、ちょっとだけ、印刷コストが安くなりました。  それでも、送料を含めると5000円近くになってしまいますが…。  レッスン騎乗料にしてざっと2〜3鞍分の投資額ということになってしまいますね。  まあ、こういう本は、上達するに従って同じ文章でも捉え方が変わったりするものですから、長期間使って頂くことにより通販の『一日あたり〇〇円!』みたいな感じでコストは分散されるかと。(苦しいな) そんな感じですが、もしもご希望される方がいらっしゃれば、facebookの馬術稽古研究会ページにメッセージ頂くか、当ブログのPC版  (スマホ版では表示されません)ページの左上にあるメールボックスから、メールにてご連絡頂ければ、  折り返し、詳細をお知らせ致します。  Kindle版ともども、どうぞよろしくお願い申し上げます。      

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  • 15 Feb
    • ダブルブライドル(大勒頭絡)と、多方向同時操作

       『団塊ジュニア』世代の我々が子どもの頃、「ラジコンブーム」というのがありました。 「ラジオコントロール」すなわち無線操縦の車や飛行機、船などのニューモデルが各社から次々に発売され、週末にはあちこちでイベントや競技会が行われ、TV放映もされていたものでした。 そんなラジコンを操作するために必要なのが、『プロポ』と呼ばれる送受信装置です。 プロポの送信機には、機体をコントロールする電波を発信するためのレバーがついています。  車や船のラジコンであれば、前進・後退と、左右への旋回の二種類の信号があれば十分ですが、本格的な飛行機やヘリコプターになると、エンジンの出力、ラダー(舵)、エレベーター(水平尾翼)、エルロン(主翼)、あるいは、ローターの回転軸の傾きやピッチ角など、多数の制御機構を操作する必要があり、それぞれに別の信号を割り当てる必要があります。  プロポが何種類の操作を同時に行うことが出来るのかということを表すのが「チャンネル数」で、車や船では2ch、飛行機やヘリコプターでは4ch、多いものでは8chくらいになります。  2chの車のラジコンでも、後退時や自分に向かって走ってくる場合などにはちょっと頭が混乱したりしますから、3次元の空間を飛び回る飛行機やヘリコプターを、4〜8chの操作を同時並列で行いながら操縦するには、相当な訓練が必要になります。  ・乗馬も、多チャンネル  このような、「多方向同時並列」の操作というのは、乗馬の扶助にも通じるところがあるのではないかと思います。  乗馬でも初心者のうちは、精々頑張ってアクセル、ブレーキとハンドル操作だけだったりしますが、上手になるに従って、馬の前後のバランスや、左右の肩への荷重、後肢を踏み込む方向など、「多チャンネル」の操作を同時並列で行うことを求められるようになってきます。  手綱の使い方だけを見ても、初めのうちは、後ろへ引っ張る、左右に開く、という程度の操作だったのが、上手な人では、馬の頭の高さや前後のバランス、鼻梁の角度、左右への首や肩の張り出し具合などを微妙にコントロールするために、常に様々な方向に向かって拳を使っています。    ・混ぜるな危険?  特に「ハミ」には、上記のように、見た目以上に様々な方向への力が作用しています。    脚や騎座による入力、あるいは随伴などでもそうなのですが、それらの力が互いに混ざり合ってしまうことで、騎手の意図しない方向への合力が発生し、馬を制御しにくくなることも考えられます。  武術の技でも、「多方向同時」の力を混ぜないで同時に働かせることで、より技に威力が出る、という考え方があります。  例えば、剣術で、袈裟斬りで斜め方向に斬りおろす場合、剣を斜めに振るのではなく、下方向へ振りおろす動きと、身体が向き変わる左右方向の動きとをそれぞれ別々に働かせるようにして、相手に触れる場所で二力が合成されるようにすると、斜めに斬るよりも格段に威力が増し、相手には斜めに振り下ろそうとしているようにしか見えないのに、払うことが出来なくなります。上下、左右、前後方向への力を混ぜてしまわず、それぞれをバラバラに、同時に働かせる(『三元同立』)ようにすることで、見た目の「混ざった動き」の方向に合わせて受け止めようとしても、止めることが出来ないわけです。    この時「受け」の人が体験する感覚というのは、脳がちょっとしたパニックを起こしたような感じで、それはちょうど、初めて「折り返し手綱」で顎を抑えられた時の馬の気分にも近いものかもしれません。・「大勒頭絡」の目的  レッスンで手綱を持つ時にも、馬の顎を手前方向へ向かって抑えるような方向への入力と、口角から耳の方向に向かってハミをかけ、馬の頭の高さを保持するような上向きの力、そして、馬がハミを押し返し、首を使って動こうとするのに合わせて拳を随伴させる腕の動き、という別方向の動きを同時並列で行うことによって、理想的な姿勢やバランスを保持しながら、馬のモチベーションを高めるような、絶妙なコンタクトを実現することが出来るのではないかと思います。  しかし、一本の水勒ハミで、そうしたことを実現するのが非常に難しいことは、乗馬経験のある方であればおわかりだろうと思います。  そのように複雑な多方向同時の操作を行いやすくするために生まれたのではないかと考えられるのが、「ダブルブライドル」(大勒頭絡)です。 これは、ダブル、すなわち2つの頭絡を同時に取り付けるように、大小2種類のハミと2本の手綱がついている頭絡で、2つの手綱を同時並列で操作することによって、より精妙な扶助操作が出来るように考えられているものです。  例えば、力強く動く競技馬を制御し、収縮した姿勢で運動させるには、作用の強い大勒ハミによって、抵抗するよりも力を抜いて顎を譲った方が口が楽になる、ということを馬が気づかせ、顎を譲るようにさせるような必要が出てきますが、そうするうちに、馬は今度は顎を深く巻き込んで、前のめりにハミにもたれたり、あるいは、運動がしんどくなってくると顎を引いてハミを外し、前に出なくなったりします。  これを、そのまま大勒ハミで起こそうとしても、銜身からオフセットされた位置に手綱がついているために、馬は顎を余計に巻き込んだり、ひどい場合にはその場に膠着したり立ち上がったりというようなことになります。  ですから、馬の体勢を起こしたり、ハミに出てくれるよう誘う時には、オフセットのない普通のハミを使うわけです。  このように、用途によって2種類のハミを使いわけることで、多方向のコントロールを同時に行えるようになっているのです。  見た目はいかにも複雑そうで、ゴツくていかついイメージのある大勒頭絡ですが、ハミが分離独立していることで、むしろ水勒単一の場合よりもそれぞれの方向への入力を「混ぜないように」並立させやすいのではないかと考えられます。  騎手にも、馬にとっても、わかりやすい扶助操作ができる、という意味では、ダブルブライドルはその見た目のわりに、意外に馬にも人にも優しい頭絡だと言えるのかもしれません。  馬場競技に馴染みのない方も、機会があれば体験してみてはいかがでしょうか?レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazonレッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon   大動物ブログランキングにほんブログ村乗馬馬術  人気ブログランキングhttp://blog.with2.net/link.php?1794430

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  • 14 Feb
    • 手綱の「持ち方」を考える

        乗馬のレッスン中、手綱がブラブラ揺れてしまい、短く持つように指導されても、なかなか手綱の張りを保つのが難しい、ということはよくあるのではないかと思います。  言われた通りに手綱を短くすれば腕が伸びきってしまうし、肘を曲げて身体につけるようにすれば、今度は長手綱になってブラブラしてしまう、ということで、自分は腕が短くて、乗馬に向いていないタイプなのでは?などとお悩みの方も多いかもしれません。   しかしいくら腕が短い、と言っても、まさか『ドラえもん』くらいの長さというわけでもないでしょうから、多くの場合は、身体の使い方で多少は改善されると思います。 こういうとき、たいていの場合は背を反りすぎていたり、肩が上がってしまっていたり、あるいは足を突っ張っていたり、鞍の後方に座っていたりということも多いので、まずはそのあたりを改善するだけでも、ずいぶん楽になると思います。 足に力が入り過ぎていたり、太ももで鞍を強く挟みすぎていると、鞍の後ろに座ってしまいがちです。 股関節を開いて、鞍の深いところに坐骨がくるように座り、鐙を重心下に置くようにしてみると、鞍に尻が突き上げられて前のめりになるような感じも少なくなります。膝を挟むような力があまり要らなくなって、リラックスして乗りやすくなるでしょう。 また良い姿勢を意識するあまり、胸を張って上体が反り、肩が上がったような状態では、それこそドラえもんのように、手がまったく前に届きません。   背中の緊張を解き、肩を落として構えます。     肩関節ではなく、肩からさらに身体の中心寄りの「胸鎖関節」(鎖骨と胸骨のつなぎ目)のあたりを腕の付け根としてみたてて、肩甲骨や鎖骨ごと腕を動かすようにしてやると、肘の位置が変わり、腕が長く使えるようになると思います。 馬に乗る前に、肩甲骨を片方ずつ上下させたり、寄せたり離したりして、肩甲骨が体幹部から独立して動くような感覚を錬っておくとよいと思います。  また、速歩などで手綱がブラブラゆれる(ハミが外れる)場合があります。  原因にはいろいろありますが、有効な改善策として、まず、手綱の握り方について考えてみます。  拳を握る力が入り過ぎると、やはり肩が上がったり、腕が固くなって、拳を身体から独立させて使うことが難しくなります。   手綱を持つとき、刀の柄を握るような形で、まず中指薬指だけで握り、それから親指と人差し指で手綱をつまむようにすると、肩の力が抜けて腕が柔らかく使いやすく、また手綱が滑りにくくなると思います。 次に、手綱を張るときの、入力の方向を変えてみることを提案したいと思います。 「手綱を張ろう」と考えると、普通は手綱を短くし、手綱をお腹や腰骨の方に向かって後ろに引こうとするでしょう。 しかし、後方へ引こうとすれば、馬が前進するときに上体が後ろに振られる慣性力と、腕で手綱を引こうとする力、そして馬が引っ張り返してくる力が一度に拳にかかることになり、手綱が滑って長くなりやすくなります。    予め手綱を短くして腕が伸びきって棒のようになってしまうと、手綱を引っ張り返されると簡単に前のめりになってしまいます。どちらにしても、手綱の張りを保つことは難しくなるでしょう。 そこで、手綱を張ろうとするときの「力の方向」を、少しだけ変えてみることを提案したいのです。 まず、腕が棒のようにならないように、肘を軽く曲げて、肘の先を下へ向け、肩を落とし、腕を柔らかく保ちながら、拳を身体の前に構えます。 馬が口にくわえているハミを、馬の下あごの方向にではなく、極端に言うと馬の耳の方へ向かって少し吊り上げてやるような感じで、口角に当てるようにします。  すると、拳に、ハミに乗った馬の頭の重みを感じると思います。 それまで手綱がブラブラだったところから急にこうなると、重みによって身体が前に行きそうになるでしょう。 このときに膝で鞍を挟んで手綱を引っ張ろうとすると、簡単に上体が浮き、前に行ってしまいます。  そこで、膝で挟むのではなく、拳にかかる重さが足先の鐙にかかるようにします。  腰を反らさず、みぞおちをやや引っ込めて胸を落とすようにしてやると、米袋を抱えて腰に載せて運ぶときのような感じがでます。  拳にかかる重みを全身で支え、全体の重量を鐙に載せることで、馬の力に負けにくくなります。  井戸で水を汲み上げるときに、天井の滑車からぶら下がる二つの釣瓶の片方を井戸の中へ落とし、もう片方側の釣瓶の綱に体重をかけて下へ引くように、鐙を支点に、自分の腰の重さでハミを吊り上げるようなイメージです。  手綱への入力方向水平方向から上方向へと変わることで、馬の動きに随伴する上体の前後方向の動きに対して拳の動きを独立させすくなり、手綱の張りを保つこと容易になるのではないかと思います。   手綱がブラブラする原因としてもう一つ、「拳の随伴が馬の動きと一致していない」というのがあります。 拳の随伴を馬の動きと一致させるには、馬の口の描く軌道を考える必要があります。 駈歩のとき、馬の頭はただ前後に動いているようにも見えますが、よく見ると位置が高い時には水平方向に大きく、低い位置では垂直方向に小さく動いています。 馬の前肢が着地し、馬の頭が下降するタイミングで、ハミが「カウンターパンチ」のようにガツンと馬の顎に衝突してしまうと、馬は嫌がって走る気を失くしたり、顎を巻き込んで潜ったり、手綱を振りほどこうと頭を振って反抗したりしやすくなります。 馬の頭が上がってくるときにハミが外れてしまうことが多いので、「馬の頭の上下動の上の頂点でハミが外れないように」ということを意識で乗ってみると、コンタクトが保ちやすくなるだろうと思います。  ブレーキをかけたいときは、ハミが衝突しないように、馬の頚の動きの中で頭が最も高い時点で手綱がたるまないようにして、そこから、下がっていこうとするときに馬の口角が下へいくのをゆっくりにさせる、というような感じにすると、馬の体勢が起き、歩幅の小さいゆったりとした動きになります。  以上の方法が絶対に正しい、とは言いませんが、感覚をつかむための稽古法としては有効なのではないかと思います。    ただし、この方法を試すときには、いわゆる「ハミ受け」ができていて、ブレーキをかけても頭を上げてしまわないような馬で行うことをお勧めします。レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazonレッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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      テーマ:
  • 13 Feb
    • ヒビリ克服法?

        乗馬を始めたばかりの頃は、いつも楽しく乗れていたのに、毎度指導者から怒鳴られたり、クラブに行く度に馬の危険性についての例を嫌と言うほど聞かされ、だんだん増えていく膨大な数の注意事項にがんじがらめになったりしていくうちに、いつの間にか馬に乗ることが怖くなって、騎乗中もずっと馬の耳を見ながらビクビクしている、というような方は、結構多いのではないでしょうか。  一度そうなってから、そういう風になるきっかけを作った指導者に「リラックスして」などといくら声をかけてもらったところで、元のニュートラルな状態にはなかなか戻れないものです。  剣術の世界の言葉で、「四病」というのがあります。  四病とは、 「驚」「懼」「疑」「惑」すなわち、何かにつけてビクビクと驚き、むやみに恐れ、あることないこと疑い、どうやっていいのか迷う、ということです。 これらの「病い」によって、認識が歪み、意識のあり方自体が硬直すると、世界をありのままに捉え、真の姿を「観る」ことができなくなってしまうということで、武術の世界ではこれらを戒めてきたわけです。   現代の多くの人々が患っているといわれる、うつ病などの精神疾患の代表的な症状にも、世界の見え方がまるで変わってしまう「認知の歪み」というものがあります。  人間は、自分の主観を通じてしか世界を認識できない以上、真に「ありのままに」世界を観るということは、永遠の、最も困難な課題と言えるかもしれません。  不安で緊張して動けなくなっているようなときに、 ただ「力を抜いて」「リラックスして」と言われても、なかなかそんな状態にはなれないでしょう。  そんなときは、無理に力を抜こうとしても、自然な呼吸が何回か数えようとするのと同じで、上手くいきません。  例えば馬が物見をするような場合に、馬の意識を騎手の扶助に集中させ、エネルギーをハミに集約させるようにすることで高い障害も勇敢に通過できるように、何かに意識を集中させ、没頭してしまうことでずいぶん楽になる可能性があります。 適当な例かどうかはわかりませんが、国民栄誉賞を受賞したミスタープロ野球・長嶋茂雄氏は、現役時代、「どのようにしたら,そんなにヒットやホームランを打てるのですか?」という質問を受け、「うーん、見て、打つ。」とバッティングの所作をまじえながら答えたといいます。 メジャーリーグで10年連続200本安打を放ったイチロー選手も、大切なのは「力を抜いて打席に入ること」だと語ったといいます。 ―見て、打つ。―力を抜く。 この当たり前な言葉の中に、「四病」を克服するヒントが隠されているのではないかと思います。 彼らの言葉の省略部分を補えば、 『いかに球種を見分け、どうやって打つかという思考や、打とう打とうという気勢、様々な雑念を払い、あるいはその「払う」ということさえも意識せずに、出来る限り自分自身を「脱力」させて、瞬間瞬間のボールに対して「自然に」反応することが肝要なのだ。』 といったところでしょうか。(かなり強引な解釈ですが。) 対象をありのままに「観る」ということを、「私」をなくして対象になりきる、同化する、というように考えると、長嶋氏やイチロー選手の言葉には、それが意識的か無意識かはともかく、東洋の宗教や思想における「無」や「無我」、「梵我一如」といった、世界を認識している自我というフィルターを消し去り、宇宙と一体化することによって得られる万能感、静謐というような境地にも通じるような気がします。    あれこれ考えず、ただ身体の感覚に意識を集中して、全身で『観る』こと、思考を介さず身体の自然な動きによって対応すること。レッスンの中で、そういったことを楽しんでみることが、「四病」に陥いった状態から脱するためのきっかけとなるかもしれません。  レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazonレッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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  • 12 Feb
    • 『動法と内観的身体』⑤

        『 型の問題に話を戻す。  動法の型は動きを制する為のものである。  客観的身体を止めれば止めるほど内観的身体は鮮明に観え、その変化は勢いを増す。したがって型は内観的身体の活動を誘う為に機能するとも言える。  能の舞いの外観が恰も動きを拒絶するような抑制的姿を呈する所以はここにある。能面によって演者の表情が隠される所以もここにある。  元来、日本の文化は内面と外面、内観と外観にある差異を追求したものである。歯を食いしばり努力する姿を不粋とし、感情を露わにすることを下品とする。床の間の一輪の椿の蕾に豪華を感じ、鋭く弾じられた琴の音に無上の静寂を秘めようとする文化なのである。  ここにこの文化の特筆すべき点があり、この特性は型と内観の関係に由来しているのである。舞の外観は抑制的に見え、しかしその実、内観的世界は豊かな動きに満ちている。  外を止めれば内が動く、内を止めれば外が動く。型はこの外観と内観の順逆を和している。  これを私は順逆拮抗と呼び、型及び動法の第一の原理としている。  順逆拮抗は内と外との関係ばかりでなく、型の細部、即ち各部位の方向性に至るまで適用できる。  例えば正しき前傾として追求されたしづみの型は、立位をとり、膝が前方へ屈曲するよう恥骨を引くことが基礎となる。即ち恥骨と膝は互いに相反する方向へ動くのである。  第二の原理として、転型同質、同型転質を挙げる。これも内と外の関係である。  転型同質とは、どのように型を転じても一度入れた内観的腰は崩れることがないということである。  同型転質とは、外観的に型は同一で変化はないが、内観的身体だけを転じてしまうということである。  通常拳を握り上肢を屈曲させて緊張感が生ずれば、これを弛める為には、上肢の屈曲の角度を緩めるか握力を緩める。  しかし内観的身体を変化させるだけで、上肢の屈曲の角度も変えず、握力も変化させないで弛みを実現する等が同型転質である。  能面の表情が自在に転変するのは演者の動法もさることながら、同型転質の内観技法を自然身につけているからであろう。  第三は同調、転換という他者との感応の原理である。  誰でもよい、握手してみる。すると、その二人の肘の角度はお互いに同調していることに気づくだろう。肘の角度をさらに精密に合わせてみれば、自分が相手を動かしているのか、相手が自分を動かしているのか、判然としなくなり、互いに相手に動かされている感覚を持ち、両者の運動は渾然一体となる。  私が追求している内観的整体法の初期段階で追求された原理がこれである。  現在は客観的身体より内観的身体との同調を図る技法を主流とするが、この初期の素朴な原理は今も基本として生きている。  日本の文化は動法・内観・感応を支柱として確立された文化であると私は信じている。相手が礼を正せば、敵であろうと同朋であろうと礼をもってこれに接する。この同調の型を迎え入れと呼ぶ。  客を迎える芸術である茶の湯は、本来感応性を追求したものであった。一期一会の接客が何故、主客面を接する形式をとらぬのか。今日誰に尋ねても答は得られない。  答えは簡単である。日本人は面接を信じていなかったからである。他者の内観に心を致すのは、眼ではないとしたのである。相手と目を合わせるのはむしろ敵意である。  面接ではなく、腹接、腰接を追求したのが我々の文化であった。即ち相手と腹を合わせ腰を合わせようとしたのである。  そのようにして他者と自己が互いの身体を内観し合う交流を喜びとし、尊び、希ったのである。』おわり『動法と内観的身体』体育の科学 第43巻 第7号(野口裕之    ー整体協会・身体教育研究所)レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazonレッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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    • 『動法と内観的身体』④

      『二、動法の規範と型    動法の理を求めれば型は自ずと生ずる。  動法と型は対を成し、型を論ずることなしに動法を語る訳にはいかない。元来動法とは型に入り、これを転じ、型を収めるという行程を指すのである。  したがって如何なる型も、この迎入れ、転変、収束の三態を有している。しかしここでは、型の三態に貫流するものを探ることとする。  現代は型無き時代である。したがって型のさは不当に曲解されている。代わりに流布された身体運動の規範は、謂わば「弛緩と自然」である。これを強調するあまり、型は自由と個性を奪うものであり、強要抑圧の端的とされた。  しかし動法の規範が「硬直と不自由」である筈がない。寧ろ自然に楽々と動くためにこそ、型は用いられる。然も総量三十キロの能装束を纏って猶、自由に悠々と、舞うのである。型を崩せばこれはできまい。  動法の規範として古人の間に共有せられたものに、キレ、タメ、シメ、シボリ、オチ、オトシ等がある。しかしとれ一つとして外観記述を許さない。それどころかそれを拒むものばかりである。  腰が入るといい、腹がきまるといい、胸のおとしというも、外観的形態の記述は不可能であり、無意味である。   そもそもそれらは優れた動きを達成した際の内観的充足感の記述であり、したがってこの規範は内観に求めて初めて価値と有用性を生ずる。ここに言う内観とは、身体の内観を指す。動法に内観は不可欠のものである。内観なき動法は有り得ない。  今日の、動法風化の要因は自らの身体を内観する習慣の欠落にある。内観性が乏しければ型が単なる虚しい形式のように感じられても無理はなかろう。  動法理解の鍵は解剖学無き時代の身体観にある。解剖学的区分を忘れ、素直に自らの身体を内観し、その感ずるがままの内観から得られる身体像を、私は内観的身体と呼ぶ。  それは単なる客観的身体の認知像とは全く異なり、気体化した身体像とでも言うべきものである。  今仮に坐して軽く閉眼し、自らの腹部の輪郭をとらえてみる。するとそこに腹の像が浮かぶだろう。或る処は不明瞭にぼやけて居り、明確になっている処を辿ればそこに様々な形、例えば瓢箪、或るいは半月の如き形を呈している。  次に腹の表層から深層へと内観を転じてみる。最深層は背の裏である。背の裏まで内観が届く者にはそこに立体性を有する腹の全貌が観えよう。このように内観的腹部ほ立体性と複層性をもつのである。  更にこの内観的腹部を観想したまま腹に力を入れてみる。その力が最深層まで伝わらない。その力が最深層から幾層を経た最表層に至るまで満ちることを「腹が決まる」というのである。  その為には力の起源を最深層に求めねばならない。まず最深層の一点に集注し、のここら殆ど力とは言い難い微弱な動きを起こすのである。その動きは滞らず上層へと伝播し漸増する。表層に至った瞬間に所謂力感、或いは拮抗感が生ずる。  古人の言う「シンを動かす」というのは、こういうことを指すのである。そして最深層から最表層まで力が及べば先の腹の形状は自然整ってくる。  更に腰で同様のことを行なってみる。すると腰は内観的腹部と空間を共有していることが判るだろう。内観的身体に於いては腰腹一体なのである。  元来腰といっても腹と呼んでも、それは身体の平面的区分に基づく記号に過ぎない。  さて「腹がきまる」という動法の規範は、動法者の内観の中に求められたものであった。しかも、その腹とは、内観的腹のことである。身体を内観することを知らぬ現代の人々は、古人の動法の叡智を客観的身体に求めてしまう。  客観的身体を如何ように膨張させようと、力を入れようと、気を集注させようと、最深層から幾層を経て表層に至る内観的腹の、ほんの上層部に影響を齎らすに過ぎない。  したがって、内観的充足は得られる筈のないものである。現代人に型の習得が強要無理強いと感ぜられても無理はあるまい。  しかし、一度内観的腹の広さと深さを知れば、古人が何故腹を重視したかが判るのである。  その静けさ、悠々たる動きは、やはり味わうに価するものである。   私は、単なる身体運動に過ぎぬ動法が、日本文化に深く定着し、その精神的営為にすら強く影響を与えたのは、動法が内観的身体の追求を伴っていたからだと確信している。  内観的身体を律し得た時の充足性、或いは内観的身体が自ずと整ってくるものとの邂逅こそ、「身体で覚える」「身体で感ずる」ということの実体たったのである。  例えば秋に月を見る。目で見ている訳ではない。見ることで澄みわたっていく内観的身体の観想を通じて、秋の月の佳さを覚えるのである。  日本人は、この気体化した身体と共に生活してきた。それは肉と心の狭間にある漠たる空間をもつ身体であった。そして古人はそれを充足させる術を知悉していたのである。』つづく『動法と内観的身体』(野口裕之    ー整体協会・身体教育研究所)よりレッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazonレッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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    • 『動法と内観的身体』③

      『  躾という文字は、漢字ではない。国字である。ここに古人の抱いた教育観がある。  端的に言えば日本の教育は身体の教育であった。頭で憶えることより、「身体で覚える」ことに重きが措かれ、頭で理解することより、「身体で感じとる」ことが尊ばれたのである。  学習とは思考の鍛錬ではなく、身体の行法であった。したがって教育の第一義は、身の律し方であり、それは即ち動法の規範と型の伝承だったのである。  子供達は適正な時機に茶碗と箸を持つ型を伝えられる。茶碗は、左手拇指の関節を折らずに、反らしてもつものである。  これは単に呑み口に触れないという衛生上の意図からではない。関節を反らして当てれば腰が入り、関節を折れば途端腰が抜けるからである。  腰抜けは臆病の証である。腰が入り肚を据えれば、自信や覚悟が生まれる。古人は腰や腹に人品を観たのである。  身を整えなければ決して生じてこない感覚や意識がある。このことを古人は充分に熟知し、より高次の動法の開拓から、未だ見ぬ心を見出そうとした。身心一如の文化の基礎がここにあると言って過言ではあるまい。  また、動法は決して職人や舞踊家や武術家の専有物ではなかった。日本人ほ喜怒哀楽、内省、鑑賞、決意に際して型をもって臨んだのである。  更に、日本人は崩れた型かれ生じてくる心は怪しんだが、型が微妙のバランスをもって崩れたときに生ずる心は楽しんだのである。「粋」「洒落」などその好例であろう。  嘗て精神は身体と至近にあった。 精神は言葉によって構成されている。   言葉はもと声であった。声は体から発せられるのである。発声は動法をもって為すことは既に述べた通りである。  文字は書である。書は動法をもって為されたのである。こうして古人の知性は動法の光彩を放つのである。  俳句や禅の公案が愛される理由は、何よりも先ず速度感にある。あの速度感は寝そべっては生まれまい。速度は動法の求めたものである。間に髪を入れぬ速度である。  そのような質の速度は、徹底的に反動を忌避し、短く、そして鋭く止まる動きによってだけ見出される。  俳句の簡潔さは、単なる質素や素朴ではない。あれは明らかに心の反動を消し、心が潔く止まることを志すものである。したがって短さは必然のものとなるのである。』つづく『動法と内観的身体』(野口裕之    ー整体協会・身体教育研究所)より  レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazonレッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazon

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    • 『動法と内観的身体』②

      『  しかし、多くの日本人が西洋的歩行を自然に為すようになった今日でも、十人の日本人を集め、大地を力強く踏みしめるように大きく手を振って足踏みすることを指示すれば、七人までがナンバをとるようになる。 但しその際足裏を平らに踏みしめ、爪先から足をおろさないことを教えなければならない。今日の人々は足踏みを爪先で為すのである。爪先で行えば決してナンバにはならない。  このことからナンバは明らかに土踏まずの感覚と関連して居り、伝統的歩行である摺り足と密接に連動していると言うことが出来よう。  さて一国の文化の特色を把握しようとする時、道具と人の関わりを観ることは決して無駄なことではない。道具の製作は文化発生の元型と深く関与しているからである。  工芸家秋岡芳夫氏は日本文化の特質の一つとして「一器多様性」あげている。  西洋のフォークやナイフが一器一用であるのに比して、箸は成程一器多用性をもつ。同じ箸を用いて、豆をつまみ、豆腐を掴み、粥をすすり、芋を切る。  しかし一器をこのように多用に使い分けるには、それだけ動法の繊細な使い分けが求められるということをいみしている。剣術家甲野善紀氏は、一器多用の代表として日本刀を例に挙げている。  日本刀を用いることを剣術という。刀をもって剣と呼ぶことに何ら異和を感じないのは、日本刀そのものが刺すことと斬ることを両用するものだからである。  即ち日本刀は、大陸で剣と刀が分化し一器一用となっているのに比して、剣であると同時に刀でもある両用性を追求したものなのである。  しかし、そのことから逆に、日本刀は斬ることにかけて刀より劣り、刺すにあたって剣に充たないという機能上の曖昧さをもつに至る。  甲野氏はこれを踏まえて言う。「だから日本刀で斬るのではなく腰で斬るのです。日本の剣術はそもそも体術なのだ」と。  日本刀に限らず、日本の匠達が造り出す道具は未完の器である。しかしそれは匠の技が未成熟という意味では無論ない。それどころか道具のもつ機能と人の運動機能の融和を図る為に未完を保つのである。  それは丁度、墨絵の余白の如きものである。日本の匠達にとって道具は人との関係が結ばれた時に初めて完成するものなのであろう。  更に言えば、日本の道具は既に使用者の動法を促すよう造られている。  例えば急須の柄は、握るには短すぎる筈である。勿論先人が手が小さかった訳ではない。そもそも急須の柄は握るためのものではない。拇指の腹と鉤形にした人差し指で挟む為のものなのである。  湯の重さをこの型で支えるためには小指を強く深く握り締める動法が要求される。小指の使いこなしへ動法熟達の基礎というべきものである。小指は手首を介して腰と最も密接なつながりをもつ。したがってこのような手の型で急須を持てば、湯の重みを腰で支える道理となり、自ずと腰が入ってくる。  急須の形は、腰で持つことを企図しているのである。  この例から明らかなように、動法は嘗て日常の些事にすら漲っていたのである。動法の形成する型が日常生活の中で実際に機能していた時代があったのである。それも遠い昔のことではない。』つづく『動法と内観的身体』(野口裕之    ー整体協会・身体教育研究所)より  レッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazonレッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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    • 『動法と内観的身体』①

      『  嘗ては日本文化の底流にあり、これを根底から支え続けてきた身体運動の伝統があった。  それは様々な分野、流派、の閾を越え、身体運動の規範となり得たものであった。  明確な体系をもつことは一度たりともなかったが、先人達はその規範を極く自然に享受し、確実にこれに則って自らの動きを追求したのである。  先人達が拓いた無形の遺範でありながら、現在は既に風化しつつあるこの伝統的身体運動を、私は〈動法〉と呼び、その原理の追求及び稽古法の開拓を、内観的整体法の見地から企図し実践しているものである。一 、日本文化と動法  日本の文化は、動法を土壌として咲いた花である。  土壌が荒廃すれば花は滅する以外にない。  茶や能や華は、言うまでもなく偉大な巨匠達が切り拓いた類い稀な芸術様式である。  しかし例えば茶の湯の美は、その様式の中にあるのでなく、極まるところ、主客双方の磨き抜かれた動法に求められる筈である。  如何なる卓越した形式も、それを活する動きがなければ生命を持たぬ。  一期一会の風雅は、主客双方の密度の高い気の集注を伴う動法が感応道交する「今」という瞬間にしか求められないのである。  しかも茶人の動法は茶道にのみ特有のものではない。無論その一挙手一投足に茶人の創意がこめられていることは疑いないが、しかしその歩行、坐法、躍り、膝行も、神道や能や武術と共有するものであった。  更に言えば茶碗を持つ手の型は、形態は異なるが体に及ぼす作用に於て合掌柏手と相等しいものがある。動法は文化のあらゆる閾を縦貫しているのである。  泥田の中で農耕者は、腰の自由度と安定度を得る為に、足指の一指と五指を外に強く張る動法を編み出したが、柳生の正坐法も亦、背の気配を感じとる為に、この農耕者の動法と同一のものを有している。  一方懐石の箸手前は抜刀の動法と軌を一にしていると言って良いだろう。  能の謡いは、腹に響座を求める点に於て神道」修験の気合法と相通じ、共に腰の反りは必然のものとなった。能の舞いに於けるあの腰の反りも、原初に於て舞い手が謡いながら舞ったことに由来するものであろう。  こうして先人達は、農耕、祭祀、戦闘、意匠、風雅に際し独自の形式を創造したが、それらは、そもそも日本人が有する共通の動法の規範に則って生み出されたものであった。  多くの渡来文化も亦、動法の洗礼を受けず定着したものは無かった。大陸ではさほど強調されなかった腰の反りが、日本の座禅に於て不可欠のものとなったのはその好例であろう。  しかも手を組むに際して両拇指の爪の先を合わせた後、紙一枚開けるように引き合うことで腰の自然な反りを誘うという精妙な動法をもって追求されたのである。  この腰の反りは日本人かよほど好んだ動法の型とみえ、諸分野に遍在している。書家の運筆、或いは庶民の食卓に於ける坐構えに至るまで散見される。  それだけに細部を検討すれば反りの種類はまことに多い。能の場合は仙椎下端を引き上げる感覚を伴うものであるのに対し、禅の場合は、仙椎を腹に向かって入れ、腹を落とす感覚を随伴させている。  野球という現代スポーツも亦、例外ではない。  捕手の蹲踞という中腰の構え、内野手がゴロを捕る際の沈み、打者の構えに至っては、神官の反りか、能の反りかの選択肢があるだけで、いずれも打撃者はバットを持っているというよりは、腰の反りの象徴である日本刀を構えているようにしか見えない。 風化したとはいえ、動法の血は現代に於ても少しは受け継がれて居り、全力を発揮しようとすれば自然、動法の理にも適ってくような民族なのだという証でもあろう。  南蛮と呼称される滑車が渡来し、この滑車を用いて綱を引く労働者の姿から、日本人の動法の一大特色とされるナンバという語が生まれたと聞く。右下肢が前方にあるとき、右肩右上肢も前方へと向かうという形態をナンバと呼ぶのである。  古式の武術に認められる「ソ」の字や撞木の半身はナンバの典型だが、阿波踊りから能の舞い、更に農耕者の田植えの構えに至るまでナンバから逸脱する動きは存在しない。  私共の世代は、小学校で朝礼の時間に行進と称する歩行訓練をさせられた。当時は未だ西洋的に手を振って歩く習慣がなかった為に、多くの生徒が二、三歩歩いただけでナンバになってしまい、即座に運動神経が鈍いという烙印が押された。日本人が日本的動きを示すと罵倒されたのだから、妙な話である。  現代の小学生に試してみれば、ナンバは完全に姿を消している。考えてみれば、明治維新以来の学校教育は、ナンバに代表される動法の伝統を絶滅しようと試みたのである。百年を経た今日、この国策は勝利し、一方、伝統技存続の危機を招くに至った。  繰り返すが、動法という土壌を失えば、花は、いくら保護しても滅する以外にはない。』つづく『動法と内観的身体』(野口裕之    ー整体協会・身体教育研究所)レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazonレッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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  • 10 Feb
    • 正しい姿勢?

        こちらの写真、見たことがある方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。  日本人で唯一の、オリンピック馬術競技金メダリスト、西竹一少尉(最終階位は大佐)と、ウラヌス号です。  西少尉は、華族(男爵)出身であったことから、『バロン西』と呼ばれることが多いようです。   馬が障害を飛越する様子をよく目にする機会のある方は、この写真を見て、あることに違和感を覚えるのではないかと思います。  それは、障害を飛越するウラヌス号の前肢の形です。  通常、私たちが普段目にする障害レッスンなどでは、馬は障害を飛越する際、横木にぶつけないように前肢を折り畳んで飛越することが多いはずです。  しかし、この写真のウラヌス号の前肢はピンと伸ばされ、まるで空を飛ぶ「ウルトラマン」の腕のような姿勢で飛越しているように見えます。  西少尉とウラヌス号というと、この写真があまりにも有名なので、これを見たことのある方の中には、 「ウラヌスというのは、こんな飛び方をしていたのか。」  「さすがに金メダルを取るような馬は、そこらへんの馬とは違うな。」  「こういう馬を見いだす相馬眼が、素晴らしいな」あるいは、「昔は、障害馬にこういう飛び方をするように調教していたんだな。」  「これこそ、理想のフォームだ。」などというように解釈されている方もいらっしゃるかもしれません。    しかし、その解釈は、どうやら正しいとは言えなさそうです。 別の写真があります。  騎乗しているのは、『今村馬術』で有名の今村少佐ですが、馬は先ほどと同じウラヌス号です。  こちらの写真では、普段私たちが目にするのと同じように、前肢を折り畳んで飛越しています。  じつは、上の写真の障害は、一般的の横木だけの障害ではなく、「バンケット」と呼ばれる、段差に飛び乗って、また飛び降りるようにして越えるタイプの障害なのたそうです。  こうした障害の場合には、馬は上の写真のウラヌス号のように、肢を伸ばして飛び乗ったり、飛び降りたりします。  肢を伸ばして「ウルトラマン」のように飛んでいたのは、上の写真の一瞬だけで、普段は現在の普通の馬と同じようなフォームで飛越していたのかもしれません。  しかし、情報の乏しい時代、ましてマイナー競技の馬術ともなれば、一枚の写真を見て、その「理想のフォーム」を再現すべく、試行錯誤を重ねた人も多かったのではないかと考えられます。  このことは、人間の思考の脆弱性とか、限定的な情報を鵜呑みにすることの危険性といったことを、私たちに示唆していると考えることもできるでしょう。    「基本の姿勢はこうだから、これをまず覚えるように」とか「上手な人の写真をみると、こうなっている」というような指導を受けることはよくあることではないかと思います。 「基本の出来た」上手な人が乗っている姿を見ると姿勢ははこうなっているから、それが正しい姿勢なのである、ということで、よくわからなくてもいいからとりあえずやれ、とばかりそういう姿勢を強制して、「正しい乗り方」を身につけさせようとする方法です。  しかし、「基本姿勢」としてお手本とされているような写真などというのは実は、本当に上手な人が、完璧なコンディションの馬に乗っているような場合に結果的に現れる、いわば理想の状態を、それも一瞬だけ切り取ったものであったりすることも多いものです。  それを見た目だけで、肘の位置はこう、脚の形はこう、というように挙げて、 「上手な人はこうだから、こういう姿勢にしろ」と言われる訳です。  窮屈な思いをしながら頑張っても、結局それは安易に「結果から結果を求める」ものであり、 野球をやったことがない人がイチロー選手の写真を見て真似してみても上手に打てないのと同じように、上手な人の精妙な動きとは、例え似ていたとしても全く異なるものになります。  名選手の動きがいくら美しいからといって、その見た目だけを部分的に切り取って、初心者がまず身につけるべき基礎、というようなものとして扱うのは、結局上達のためにはあまり効果的ではないように思います。   筋力で無理矢理作ったような姿勢で、たまたま成果が出て「分かった!」と思ったとしても、やっぱりカン違いだった、ということは多いですし、悪くすると、その方法で間に合ったことで、そのまま誤った方向に進んでしまい、かえって本質から遠ざかってしまい、「小成が大成の妨げになる」ということもあるかもしれません。   昔から、職人仕事や武術などにおいて、いきなり上手な人の技を教えるのではなく、最初のうちは簡単な下働きや、一見役に立たなそうな「型」の稽古をひたすら行わせた、ということの意味は、その中で徐々に身体操作の感覚が育まれ、単なる反復による筋力や持久力の増強といったことだけではない「動きの質的転換」が、基礎的な動きを通して自然にできるということにあるのだと思います。 そうして質的に転換された結果が、「基礎が出来ている」といわれる動きの本質だろうと思うのです。 乗馬で、武術の「型」などに相当するようなものとして、馬場馬術競技の課目などは少し近いようでもありますが、現代の古武道の演武などと同様、コンテストスポーツという性格上、規定の課目をミスなくこなすことが優先され、審査員へのアピールといった余計なテクニックが求められたりして、結果を出すために安易に間に合わせるようなことを覚えたりして、動きの質的転換につながるような身体感覚の錬成をはかる基礎練習としては、ちょっと合わないような気がします。  フォームの見た目や、課目の出来ていないところの指摘に終始するのではなく、曲がる、止まるといった基礎的な動きを通じて、馬に乗ることによって端的に感じることができる、現代人が忘れているような「精妙な身体の動きを探求することの面白さ」を味わってもらいながら、上達にもつながる、というような「乗馬の稽古法」を取り入れてくれるようなクラブや指導者が、今後多くなってくれることを望みたいと思います。レッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazonレッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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  • 09 Feb
    • 馬の建築構造学

      馬を静かな環境で自然体で立たせたときの、それぞれの馬によって異なる立ち方や四肢の踏み方の特徴を、専門的に『肢勢』と言います。 古来、馬を横から見たとき、四肢が垂直になるように立つことを「正肢勢」と言って、理想とされてきました。 しかし、自然体でそんな立ち方をする馬は、じつはほとんどおらず、多くは、前肢をやや後ろに、後肢をやや前に踏んで立つことが多いと言われています。・家具から学ぶ肢勢の秘密 学校の工作で、木製の机や椅子を作った経験がある方もいるでしょう。 4本の脚を、天板に垂直に取り付けるのが、載せた重さに耐えるための、最も基本的な造りですが、これには弱点があります。 垂直な柱や脚は、負重には強くても横揺れには弱いのです。 そこで強度対策として、4本の脚を横から見て『ハの字型』や『V字型』になるよう取り付ければ、脚自体は横揺れに対して強くなります。 机なら安定の良いのは『ハの字』の脚ですが、 馬の肢は、多くは『V字』の立ち方になっています。 その理由は、『V字』の不安定さが、生き物には必須の条件である、「動き出しの早さ」に繋がるからだと考えられます。 放牧されている馬などが、身体を傾けるようにして急に走り出すのを見たことがある方も多いでしょうが、これは重心を移動させ、バランスを崩すことで運動エネルギーを生み出し、素早く発進することができるためであり、これを行うためには、安定したハの字型よりも、一見不安定なV字型の方が有利なのです。 また、V字で立つと、背骨がわずかに隆起しますが、背骨は、短い円柱形の骨の連結であり、これが全長にわたって隆起することで、建築にみるアーチ構造のような、重い腹部を支える強固な構造が成立することになります。 それで多くの馬が、前肢をやや後ろに踏み、後肢をわずかに前に踏む「集合肢勢」をとるわけですが、中には背中を凹ませて『ハの字』に構える馬もいます。 「分散肢勢」と呼ばれ、高齢馬や妊娠中の馬、腰部に痛みのある馬などに見られるものです。・肩と尻の力学的バランス 馬の全身の骨格を見ると、前肢の最上部には肩甲骨があり、後肢の最上部は骨盤になっています。  それらは互いに逆の傾斜で『ハの字』に構える形になり、それが、背骨にかかる荷重を支え、力学的な均衡をとっています。  これは前述の分散肢勢と同じ理屈で、肩甲骨と骨盤の中心軸を延長してみると、その交点は、第12肋骨の辺りにあるといわれる馬体重心のほぼ真上に来ます。  重心の位置は、頭が大きく、頸の長い馬では、やや前になり、 頭が小さくて頸が短い馬や、後躯が発達した馬では後ろ気味になりますが、 重心の位置に応じて、肩甲骨や骨盤の傾斜も微妙に変化します。  たとえば重心が前に偏る馬では、肩甲骨が起ち、骨盤が寝た形の、腰の高い「水平尻」と呼ばれる体型となり、逆に重心が後ろ気味の場合、肩は寝て、尻が傾斜した「斜尻」となり、比較的前が高い体型になります。  古来、速度を求める競走馬には水平尻、重い荷を引く輓馬には斜尻が良いとされており、サラブレッドは、総じて腰の高い水平尻が多いということです。・パンタグラフ 肩甲骨の下には上腕骨、骨盤には大腿骨が連結していますが、上腕骨と大腿骨も互いに逆傾斜で、肩甲骨と骨盤の下に収まり、前述の「集合肢勢」のようにV字型に構えた形になっています。  4つの骨を合わせて眺めてみると、それぞれが「ひし形」の一辺を成すように配置され、まるで電車の「パンタグラフ」のような形を形成しています。  パンタグラフは、電線の高さに応じて接点の高さを調節する機構ですが、馬の四肢の骨格も、それと同じように走行時の馬体の上下動に対する減衰機構としての役目を果たしています。・吊り橋  背骨にも、絶妙な仕組みが秘められています。  背骨は正確には脊椎と言い、頸椎、胸椎、腰椎、仙椎(仙骨)、尾椎の5つに分けられます。  頸椎の骨の数は、ほ乳類では首の長いキリンも、豚の仲間も、みな同じ7個です。  胸椎は、原則18個で、円柱形の小骨が縦列に並び連結しています。  腰椎は通常5~6個ですが、まれに7個という馬もいるといわれ、腰椎の数が多ければ、その分胴は長くなります。  仙椎は5個ですが、それが生後に癒合して1つになり、仙骨とも呼ばれます。  尾椎は個体差が大きく、馬では15~19個もあります。  頸椎と尾椎は、しなやかに曲がりますが、胸椎の連結は硬く、ほとんど曲がりませんし、5個の仙椎も癒合しているので、前肢と後肢の間で動くのは、腰椎だけです。  腰椎は、胸椎と仙骨の間で、背骨に加わった力を吸収する緩衝帯の役割を果たしており、そのことから、この部分にトラブルが多発することになります。  馬の背骨の力学的な仕組みとして特徴的なのが、『棘突起』の存在で、胸椎から仙骨まで、個々の椎骨には、棘状の突起が上に向かって伸びています。  我々の背骨にも、その名残はありますが、馬は、その突起が著しく発達しており、特に、胸椎の前半部が発達し、第4胸椎の棘突起が最大、最長で、それがキ甲の頂点を作っています。  背骨の上に並んだ棘突起の上には、後頭部から胸椎の中程まで、「項靱帯」と呼ばれる太く強靱な靱帯が走っていて、さらに棘突起からは、前後方向に斜めに短い多数の筋肉が伸びる、まるで「吊り橋」のワイヤーケーブルような構造となっていて、頭頸部の上げ下げによって、この靱帯の緊張度を調整し、背中の負担を緩和することができます。 このような巧みな仕組みがあるおかげで、馬は自らの腹部の重さを支えるだけでなく、背中に人を乗せて走ることができるのです。  ふつうの学校では、建築学や構造学は習わないですし、物理や生物を勉強しても、身体は別々なパーツがただ順につながって成り立っている、というくらいにしか考えないものですが、人や動物の身体には、言葉では簡単に説明することができないくらいの、みごとな力学的バランスや工学的な機構が組み込まれているようです。レッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazonレッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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  • 07 Feb
    • リブログ ”問題解決に追われる人生ゲームからの解放”

      レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術 乗馬の身体操作術)Amazon問題の「原因を究明」し、「再発防止策」を講じて、全ての問題を無くしてしまおうとしても結局キリが無くて、永遠に追われ続けることになる。 馬の仕事にも通じるところがありますね。

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  • 06 Feb
    • 今日から。

         昨年出版いたしました電子書籍『レッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術』の続編、  『レッスンがさらに面白くなる!乗馬の身心操作術』 (紛らわしいな) が、 2/6より、アマゾンKindleストアにて配信開始となりました。   レッスンがさらに面白くなる! 乗馬の身心操作術 乗馬の身体操作術)Amazon↑新機能、使ってみました。(^^)  前作同様、乗馬の動作原理や馬の身体機能などについての科学的解説に加え、 様々なスポーツの技術や武術の術理、話題のトレーニング理論などを乗馬の上達のために応用するための、ちょっと変わった稽古法などを紹介しています。   さらに、乗馬愛好家の多くが一度は突き当たる技術的・精神的な悩みや、指導方法への疑問といった、精神的側面にもスポットを当てた、これまでにない、「読み物としても楽しめる馬術書」を目指してみました。      前作をお読み頂いた方も、、そうでない方も、是非ご一読いただけましたら幸いです。 また、前作とともに、「紙の本」をご希望の方には、お作りしたいと考えております。ご希望の方は、PC版ブログページ左上の、メッセージボックスからメールにてご連絡下さい。 旧作ともども、どうぞよろしくお願い申し上げます。m(_ _ )mレッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術)Amazon改訂版 馬車運転教本)Amazon

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  • 27 Jan
    • 地上で出来る「障害飛越」の稽古法

            「 乗馬の身体操作を、乗らずに練習する方法」として、障害飛越の随伴の動きの稽古法を考えてみたいと思います。 コースに設置された障害物をとび越えながらゴールを目指す『障害飛越競技」は、見た目にも華やかですし、馬に乗って高い障害物を飛び越えるのはいかにも爽快そうですから、やってみたい!とは思いつつ、やはり落馬のリスクを考えて躊躇している、という方もおられることと思います。  確かに、棒切れ一本でも、馬が踏んだりつまづいたりすれば落馬につながることもあるわけですから、そうしたリスクを考えれば、やらない方が無難ではあるでしょう。   しかし、低い障害であれば、それを跨ぐ時の動きは駈歩とほとんど変わりませんし、飛越のために鞍からお尻を浮かせる「2ポイントシート」の姿勢で、鐙に載ったバランスを保って馬場を走り回れるくらいになれば、不意のイレギュラーな動きや反抗に対する恐怖心を取り去ることにも繋がりますから、たまに障害のレッスンも受けてみることも、むしろ安全のためにはプラスになることもあるのではないかと思います。  ・馬が飛ぶときの動き  乗馬の用語で、障害物をとび越えることを“飛越”(ひえつ)と言います。  馬の飛越動作は、一見すると駈歩と同じような動きですが、駈歩とはやや違う点があります。  駈歩とジャンプでは、「飛ぶ」タイミングが違うのです。 駈歩で、四肢が全て地を離れ、馬体が空中を「飛ぶ」のは、手前前肢が地を蹴った瞬間(パカタン、パカタンの「タン」)の直後です。  右手前ならば、右の前肢が踏み切って、前肢と後肢を体の下に折り込みながら空中を飛んだ後、左後肢から順に着地していきます。  平地を、ある程度速く、長く走るのであれば、高い跳びは必要ありませんから、前肢で踏み切って、わずかに体を浮かせている間に後肢を深く踏み込む、という動きを連続させる方が、エネルギーのロスも少なく効率がよいのです。  しかし、障害飛越の場合は、重い体を空中高く押し上げる必要があり、とても前肢の踏み切りだけでは無理なので、後肢で地面を蹴って馬体を空中に押し上げるのです。  右手前なら、普通は右の後肢の着地(パカタンの「パ」のあたり)が飛越の踏み切りということになり、その後肢が後方に蹴り出されると同時に、前肢の膝は前方に振り上げられます。  高い障害物を飛ぶときには、猫などの走り方た同じように左右の後ろ足が揃って踏み切る、「ハーフバウンド」といわれる動きになります。  ちなみに、この走り方は競走馬がゲートから飛び出す時にも見られ、馬はいったん腰を深く沈め、両方の後肢で踏ん張るような体勢から、前に飛び出していきます。   障害馬術のフォームの特徴として思い浮かぶのは、やはり鞍からお尻を浮かせた、「飛越姿勢」ではないかと思います。  これは競馬のモンキー姿勢にたとえられることも多いのですが、競馬と障害飛越との大きな違いは、競馬のモンキー乗りではその形でじっとしている時間が長いのに対して、障害飛越ではそのような形になるのはほんの一瞬である、ということです。   野球やゴルフのスイングにおける「トップ」と同じように、一瞬、写真でよく見るような飛越姿勢の形になった直後、間髪入れずに次の着地の動作に移ります。  助走、踏切、抜重、着地という一連の動き全体で一つの飛越動作、ということになり、同じ姿勢でじっとしているようなことは殆んどありません。◾ 障害飛越時の騎手の動き  障害へのアプローチでは、騎手は上体をやや起こし、馬も前のめりになりすぎないように起こしながら障害に向かいます。   高い障害を飛び越えようとするのに、わざわざゆったりとした駈歩で障害物に向かっていくように見えるのは、後肢で地面を蹴って馬体を高く持ち上げやすいようなバランスにさせるためです。  障害の踏み切り点に到達した馬の前肢の着地した後、後肢が着地して前肢が持ち揚がろうとするときに、一瞬止まるような感じで馬のスピードが遅くなります。  騎手はその減速の慣性力を利用することで、鐙を強く蹴ったり、手綱を引っ張ることなく、自然に上体が前傾し、尻が鞍から浮くことになります。  その後、馬の後肢が地面を蹴って、後躯が浮き揚がってくるところでは、立ち上がる時に伸ばした股関節や膝を、再び折り畳むようにして抜重して馬の飛越を助けてやります。  頂点を越えて落下する時には、騎手も足から着地するようなつもりで、折り畳んだ下半身を伸ばしながら上体を起こしながら腰を前に随伴させ、着地では、足から下りるような感じで、衝撃を足腰で吸収します。  尻が後ろに残らないようにすることで、後ろから突き上げられて着地で前のめりになったりすることも少なくなります。  飛越の動作中、上手な騎手は、まるで上半身が空間に浮いて下半身だけが上下動しているかのような感じで、(障害の高さにもよりますが)頭部の高さがほとんど変わらることなく空中を移動していきます。   陸上競技でいえば「走り高跳び」のように強く踏み切って飛び上がる動きではなく、どちらかと言えば、「ハードル走」のように身体を股関節辺りで折りたたんで通過していくようなイメージです。◾障害飛越の稽古法  これらの一連の動きを身体で覚えるために、地上で出来る練習方法をご紹介します。①足を肩幅くらいに開き、膝と股関節を軽く曲げ、やや腰を落として構えます。②そこから、素早く腰を落としながら前傾し、拳を前に出して飛越の形を作り、すぐまた元に戻ります。   たったこれだけですが、ポイントは、「トップ」を形成したらすぐに元の姿勢に戻るようにすることと、姿勢が変化しても常に足裏の上に重心があるようにしてやることです。  実際の飛越でも、前傾姿勢でお尻を浮かせた姿勢を意識するよりも、そこから元にもどる時の動きをスムーズに出来るように練習する方が、自然な随伴ができるようになるためには有効ではないかと思います。  初心者の方が障害飛越の練習をする場合、まず「飛越姿勢」を作る練習から入ることも多いと思いますが、競技選手の写真のような姿勢を作ることを意識した結果、お尻を後ろに突き出したような「反り腰」の姿勢で固まったまま、どのタイミングでどう動いていいのかもわからず、キ甲の上に置いた手で体重を支えたようなギリギリのバランスで、プルプルしながら障害に向かう、というようなことになりがちです。  しかし、写真でみる理想のフォームなどというものは、障害飛越の一連の動きの中現れる一瞬の形を、高速度のカメラで切り取ったようなものに過ぎません。  その形を始めから作って固まっていたのでは、かえって馬の動きに付き遅れたり、着地で前のめりになったりして落馬しやすくなりますし、随伴の動きがなかなか身に付かず、かえって上達しにくいような気がします。  フォーム(型)を身につけるというのは一連の動きの流れの一部始終の意味を全て理解し、再現できるようになる、ということですから、そういう意味では、こうした地上での練習方法を取り入れて、障害競技の動画などを見ながら一緒に動きを繰り返してみたりするのも、ただ写真を見て悩んでいるよりはずっと有効なのではないかと思います。レッスンがもっと楽しくなる!乗馬の身体操作術/馬術稽古研究会Amazon.co.jp馬車運転教本/馬術稽古研究会Amazon.co.jp

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