上祐史浩

オフィシャルブログ ―― 21世紀の思想の創造


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 明日2016年3月6日(日)に、名古屋教室での講話会の講話の第一部をネット公開生中継します。パスワードなしでアクセスでき、アクセス方法(URL)は、http://hikarinowa.net/tv/ です。

 ご機会・ご関心のある方は、ぜひご視聴ください。

 なお、その講話でお話しする内容の一部については、以下のレジメを作りましたので、お聞きになる方は、ご参考になさってください。

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                 全ては心の現れと説く仏教哲学
            敵と友も心が作り出す
 
1.すべては心の現れ
 
 重要な仏教哲学の一つとして、外界は全て自分の心の現れであるというものがある。それぞれの人は、異なる五感と意識を持っており、そのため、人によって、同じ現象を異なる印象を持って受け止める。

 言い換えれば、一つの確たる世界があると言うのではなく、実質上10人に10人の世界がある。これは、大乗仏教の唯識思想と呼ばれる思想の一部でもある。

 これは、仏教の縁起と空の思想にも合致する。それは、あらゆる事物は、原因・条件によって生じ(=縁起の法)、原因・条件が変われば変化するため、固定した実体がない(=空である)と説く。よって、外界を受け止める五感や意識が異なれば、感じる世界も変わる、ということである。

 そのため、前回の哲学講座では、心の持ち方・考え方によって、苦しみも喜びに変えることができると説いた(同じように、喜びも苦しみに変わることがある)。
 

2.心が作る敵と友

 さて、今回は、人にとって、最大の苦しみの対象の一つである「敵」という存在も、自分の心が作り出す面があることを解説する。すなわち、敵も、自分の心の持ち方が条件となって生じるものであって、心の持ち方によって、友が敵に見えるし、逆に敵を友と見ることも可能なのである。以下に、その事例を挙げる


1.独占欲・嫉妬心によって、優れた他者が敵に見える

 独占欲・嫉妬心が強過ぎると、優れた他者が、自分の邪魔・敵に見える。自分がすべてを独占したい、一番でなければ意味がないと思う人には、すべての人が邪魔・敵になる。すると、本来は自分を導く仏陀でさえ、悪魔に見える。実際のそうした仏陀の敵が存在した。

 しかし、謙虚な向上心があって、互いの成長を重視する者には、優れた他者は、自分の見本となったり、好敵手としての切磋琢磨を通して、自分の成長を助ける最大の助力者・親友となる。人は、自分一人では、それほど努力・成長できないものだから。


2.怠惰・甘えによって、批判する者が敵に見える

 人は、自分を批判する者を敵と考えやすい。しかし、自分への愛を背景として、自分の問題点を指摘する他者も少なくない。そして、自分自身で自分の欠点全てに気づくことができるかと言えば、なかなかできるものではない。

 これを言い換えれば、謙虚に自己を反省して向上しようという気持ちが強ければ、自分を批判する者が、自分の成長の助力者と見えやすくなる。逆に、未熟な自己愛・甘え・怠惰が強く、今の自分を褒めてもらいたいという欲求ばかりが強いと、自分を批判する者は、自分を嫌っていると思ったり、自分の敵だと見やすくなってしまう。


3.コンプレックスによって、色々な人が敵に見える(被害妄想)

 コンプレックスが強い人の中には、一種の被害妄想に陥っている場合がある。自分に自信がなく、すぐに他人が自分を嫌っていると思うとか(劣等コンプレックス)、自分に責任があるのに、それを受け止められずに、責任を他人に転嫁してしまい、結果として、常に他人・周囲は自分に対して不当な扱いをしていると考える場合などである(優越コンプレックス)。

 その結果、多くの人を敵視しやすくなってしまう。これは、劣等感・自己嫌悪・卑屈が背景にあって、そのために、他への妄想的な嫌悪・被害妄想に繋がるという心理構造になっている。ただ、優越コンプレックスの場合は、他への嫌悪のために、その背景にある自己嫌悪に本人が気づかない場合もあるだろう。


4.悟りを求める心によって、自分を憎む敵さえ助力者に見える

 自分を憎む敵対者も、悟りを求める者には、悟りへの重要な助力者になる。というのは、自己を憎む敵者による苦しみは、悟りを求め、自我執着を弱めるならば、弱まるからである。

 敵対者による苦しみに限らず、すべての苦しみの根本原因は、自我執着であって、自我執着を弱めれば、すべての苦しみは弱まる。よって、苦しみ全般が、悟りを求める心を強め、自我執着の放棄を後押しする効果がある。

 よって、いにしえの仏道修行者は、父母のように自分を保護する者に限らず、敵対者に対する心の持ち方を重要な修行課題としてきた。その修行者の中には、「私は、私を攻撃する魔物たちが愛おしく、魔物を攻撃する者を許さない」という趣旨の詩句を残した者もいる。


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