愚痴っぽい人 | まさし特派員の世界一周だより

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人文系旅ブログ。自称特派員という無職に就職した僕が、世界の情報を書くという設定です。勝手にやってろって話です。最近は世界の墓場がマイブーム。


愚痴っぽい人というのがいる。
去年は愚痴っぽい人と仕事プライベート含めて四人くらい出会って、いずれの人ともうまく行かなかった。



僕は基本的に聞き役になることが多いのだけど、まあ人というのは自分のことをわかってもらいたがる面倒な生き物なのだから、聞くよりも喋りたいものなのだ。
僕が聞き役に回るのは、そのへんの機微が分かっているのもあるけど、相手に喋らせることによって相手の人格や手の内を知り、心理的に優位に立てるというのもある。だから物分りの良さそうな顔して聞き役に徹していても、秘められた悪意はあるので、まあ、なんだか上から目線で我ながら気分が悪いな。もっとも悪意だけじゃなくて、俺に話すことでスッキリしてもらったらそれはそれで嬉しいという善意もあるので、悪意だけじゃないことは強調しておきたい。


愚痴にも二種類あって、聞いてて共感できる愚痴と、聞いてて辛くなる愚痴がある。
この2つの違いは、不平不満を自分の中である程度消化して、聞き手のことを考えて話せるか、不平不満をナマのまま聞き手にぶつけるかの違いだと思う。



愚痴っぽい人は不平不満をナマのままぶつけてくるので、便所のクソを投げつけられているような、身も蓋もない気持ちになる。
下手すると愚痴っぽい人の負のエネルギーに当てられて、その日一日どころか一ヶ月二ヶ月も嫌な気持ちを引きずることになるので、愚痴っぽい人は真に害悪だと言わざるを得ない。
ていうか俺に対する不満を俺に言うならまだ分かるが、俺の全く面識もない他人に対する不平不満を俺にぶつけるのはやめろよ。マジで迷惑。


僕は顔だけ物分りが良さそうにしているので、愚痴っぽい人には、愚痴をいうのに格好の相手に見えるのかもしれない。
と言っても物分りがいいのは顔だけなので、便所のクソを投げつけられて、右の頬を叩かれて左の頬を差し出してありがとうというほど人間ができてもいないし、優しくもない。思ったことは言うので、しかし愚痴っぽい人間というのは自分のことしか見えていないので、こっちの言うことを受け入れるどころか、怒り出すのだ。だから僕は愚痴っぽい人間とは上手くいかない。



愚痴っぽい人間は決まって人や環境のせいにする。
自分の人生がうまく行かないのは人や環境のせいなのだ。
本当に不満なのは、人や環境などではなく、自分の人生そのものだということがわかってない。
そして自分の人生は自分で決めることができるもので、良くするのも悪くするのも自分次第だ、ということが分かってないのだ。



もっとも、他人や環境の影響というのも大きいし、全部が全部自分のせいでもないけれども、愚痴っぽい人間は自分を省みることがないので、一方的に他人や環境のせいにする。
それは間違っていると思う。



新年早々なんでこんなことを書いているんだろうな。
愚痴っぽい人間に対する愚痴だけど、こんな風に愚痴というのはさらなる愚痴を呼ぶものなので、人には愚痴を言うときは、注意が必要である。
愚痴を言うときは、自分の中である程度消化して、聞き手のことを考えて話すべきだ。



とりあえず、あけましておめでとう。