轟轟烈烈写真館 < パート4「草創期の光」 > | 場外シネマの場外ダイアリー

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自主企画の上映イベント「場外シネマ研究所」のメンバーが、巷で掘り出した「場外」な映画話をつづります。もちろん、次回の場外シネマ情報もいち早くお知らせしますので、目を離しちゃダメですよ。

※記事の校正、調整に時間を要していたため、前回から更新が遅れました。
ご来場いただいた皆様には、タイムリーな記録集とは言えず大変恐縮ですが、
最後までご覧いただけましたらうれしいです。



お久しぶりです。 2012年もあっという間に半年が過ぎました!
梅の季節も、桜の季節も、紫陽花の季節も過ぎて、
もうすぐ百日紅の木が鮮やかなピンクをつけようとしています。
眩い季節に、あのざわめいていた12月を写真とともに振り返ってみましょう!
そうして、暑い夏をこえてゆきましょう



パート4「草創期の光」12.17 光塾 18:00より



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開場前、研究員たちです。
前の回(パート3)が長引いていたため、開場を10分程度遅らせることになってしまいました。
寒い中、外でお待ちいただいた皆様ごめんなさい、、、


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呉文光(ウー・ウェンガン)監督『流浪北京 最後の夢想者たち』を上映しました。
この作品は1988年8月から1989年6月の天安門事件をはさみ、1990年10月までに撮影された作品です。
中国インディペンデント映画を回顧するとき、この作品そして呉文光は草創期をリードした
監督として、とても重要な存在です。


今回、12/10「パート2」での『犬吠える午後』同様、日本語字幕のない作品のため、
素敵な3人のゲストに朗読していただきました。


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阿部理沙さん(映像作家)

画家志望の張夏平(チャン・シアピン)と作家志望の張慈(チャン・ジ)の2役を朗読してくれました。
  
  張夏平
  「私は選ばれし者だという事が言えると思う。他の生活は私には耐えられない。
  はたから見れば、私の生き方はふわふわと漂っていて不安定に見えると思う。
  けどそれは私が望んでそうしているの。私が一番怖いのは「全てがある」って感じてしまう事。
  
  とても辛い時、私は景山公園の万春亭に行って、そこで燕が巣に旋回しながら帰って行く
  様子を見ていたの。黄金に光り輝く故宮の風景を見ていると、心が落ち着いてきて、
  ほっと心が和んで、希望を感じることができた。その頃私は心を病んでいて、
  憂鬱で自殺することばかり考えていたのだけれど、そこにはよく行って
  一人で静かに座っていたの」


  張慈
  「アメリカは世界の文化の中心だと思う。友達が私に“アメリカに行くのは
  そんなに簡単だと思ってるの?トイレに行くのとは訳が違うのよ”って言ったの。
  けど思いがけず今年の5月にパスポートを手に入れる事ができたの・・
  もうこの国ともバイバイよ。

  アメリカに行くのは、母親の子宮に戻るような感じなの。そこは暗くて何があるか分からない。
  アメリカについたらまず仕事を探して・・そして安定した所に住むわ。
  その後安定した職業をさがして。お金も貯めて。そして車も。そしてそれらが揃ったら、
  書く準備を始めるわ。」





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麓健一さん(シンガーソングライター)

麓さんは、とても熱血な写真家の高波(ガオ・ポー)と、画家志望の張大力(チャン・ダーリー)を朗読!


  高波
  「人は誰でも放浪する心を持っていると思う。中国人は放浪する心が欠けている。
  放浪することは誇る事ではないけど、それが悪いことだとも思わない。
  どうして人は1か所に留まっていなければならない?そんなの面白くないよ。
  僕が放浪しているのは、放浪したいと思ってそうしているのではなくて、
  それ以外選択肢がないからなんだ。どうしようもない、でもこの生活がすきだ」


  張大力
  「今私の唯一の願いは、よい部屋で安定した生活を送ること。
  そしたら誰も私を追い出したりしない。私はたくさんの絵を持っている。
  引っ越しが続いて・・オート三輪しかないけど、自分で乗れないから友達を探して
  手伝って貰わなければならない。だけど友達もみんな忙しくしているからなかなか難しい。
  私は本当に安定した生活を送りたい。そしてもっと絵を描く時間を作りたい。
  それ以外に願いはない。」





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萩野亮さん(ドキュメンタリー映画批評)

当時注目され始めていた演出家の牟森(モウ・セン)とナレーションを担当してくれました!

  牟森
  「お金がない時の一番の問題は食事。以前張大力と生活していたのだけど、
  私達は大体昼まで寝ているんだ、そして起きて考えるのは今日は誰の所に行って
  昼飯を食べるかって事。そしてそのあと考えるのは、今夜誰の所に行って晩飯を食べるかって事。

  演劇に携わっていなかったら、何をしていたかなんて考えた事がない。
  ≪君は選択しないといけない≫という面白いタイトルの小説があるのだけど、それを読んで、
  自分自身にこれからの生き方を3つの選択肢から選らんでみようと考えたことがある。
  1つ目の選択肢は自殺。これは絶対僕にはできない。2つ目の選択肢は、素朴な生活。
  結婚したり、子供を産んだりして日々を過ごす。これも絶対僕にはできない。
  そして最後の選択肢は、自分のしたいことを追求するという事。私は演劇が好きだ。
  私は最後の選択肢を選んだ」



すべて語りで構成された作品にライブで朗読を重ねることで、どういう効果があるのか
とても緊張していました。朗読者のみなさんはそれ以上に緊張感をもって、
誠実に挑んでくれました。この作品を上映することができたことも、ライブ朗読も、
この日限りのとても実験的でスペシャルな取り組みになったと思います。

3人の声は、「流浪北京」の若者たちの等身大の姿に、そのまま重なって、
1989年の彼らが目の前で夢や絶望を語りかけているようでした。


年末にもかかわらず、時間を割いてしっかりと練習をしてきてくれた阿部さん、麓さん、
そして萩野さんに感謝。。 みんなさん 本当にありがとうございました。



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刺激的な上映のあとは、秋山珠子さんによるトーク!
お忙しい中、会場に駆けつけてくださいました。

1時間以上に及び、作品や当時の中国、そして友人から見た呉文光監督のことをお話くださいました。


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秋山珠子さん(中国映画字幕翻訳家・通訳)

  「1989年10月。6月の天安門事件以後、途絶えていた撮影が再開され、
  写真家志望の高波が、「崔健(ツイ・ジェン)」の歌を聞いているシーンがあります。
  そして彼も次第に口ずさむ・・・。これは天安門事件前に、高まる民主化ムードの中、
  多くの若者たちに天安門広場でよく歌われていた歌でした。」



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   「自分にカメラを向けられることを、みんな喜んで、
  張慈は一日に洋服を3着くらい着替えたりして・・・(笑)。
  しかし、89年6月以降、饒舌に夢を語っていた若者たちは言葉を失ってしまう。
  呉文光は、そんな気力をなくしていた彼らに対し、「話せないなら、
  好きな音楽でも聴かせてくれ」と、ありのままの姿を撮影することを開始します。
  当時、天安門事件に関するデモや運動を、象徴的に映像や写真で表現する人が多かった中で、
  呉文光は事件の映像は入れずにこういった作品を作ったのです。」



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  「私は、いま見返してみると、この作品に“死の匂い”を感じます。
  呉文光監督は当時勤めていたCCTVのカメラを使って撮っているのだけれど、
  一人だけで撮っているのでもちろん照明もたいていないし、クルーはいない。
  室内だけでインタビューを撮る。だから画面が全面的に暗いですよね。
  そして、登場人物たちが「死」という言葉をよく使っています。

  牟森の演劇の中で最後に人が死ぬし、張大力も、「絵を描くことができなくなったら、
  それは私の命も終わるという事だ」と言っている。張夏平は発狂して「私は神だ」と言っている。

  彼らは死の匂いを纏っていて、1989年前夜、どこか狂気や死に対して美化していたと思います。
  牟森が、発狂した張夏平に対して、
   「私達の精神は共通するものがある。私たちの違いは、彼女は気が狂っていて
   私はそうではない。それが一番はっきりとした違いだ。
   私は狂いたくないけど、今後どうなるのかなんて分からない。芸術を追求していくと
   そういう状態になるのだと思う。芸術を追求して純粋な状態に達した時に、
   人は狂うのだと思う。優れた芸術作品はすべて狂気から生まれるんだ。
   理性から脱した後に、みごとな流麗な秩序状態になる」

  と語っているように、死に対して憧れつつ、より死に近い人を崇拝しているような
  ある種の残酷さがあった時代だと思います。」



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  「1980年代、天安門事件以前の盛り上がっていた中国の現代美術の世界では、
  とても挑発的な作品が多かった。例えば、ジーンズに爆竹つけて破裂させたりするような
  パフォーマンスアートとか・・・。しかし、そういった創作は時代が高揚していたからこそ
  できたもの。89年6月の事件後、その高揚感がはじけ、政治弾圧されている中で、
  誰も何も言えなくなってしまった。
  張夏平が歌を聴きながらウサギを抱いて泣き、
  「ロバートキャパのようになりたい!」と雄弁に語っていた高波も
  崔健の歌を口ずさむ事しか出来なくなってしまったように・・・。」


 
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  「次第に、美術家たちは“天安門”を経た新しい時代の中で、
  陰鬱とした世情をそのまま表現していくという方法をみつけていくようになります。
  その流れで有名になった先駆け的な美術家に、「シニカル・リアリズム」の旗手。
  方力鈞などがいるのですが、その作品が登場したのは90年に入ってからです。
  しかし呉文光は、事件後すぐの1989年10月に撮影を再開しているので、他の作家に比べても
  時代の転換の見極めが異様に早いんです。
  彼は、「みんなが沈黙して空っぽになっている舞台を撮ればいいんだということに気が付いた」
  と言っています。みんなが打ちひしがれている中、そういうふうに思い定めていた
  当時としても稀有な作家だと言えます。」


秋山珠子さん、どうもありがとうございました!


次回は、いよいよ「回顧」後半です。
轟轟烈烈すべての振り返りが終わります。最後まで、絶対にご覧になってくださいね!



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(写真:種子貴之/編集:佐藤)