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2012-05-13

極私的美学 音楽レヴューを書くということ Part1

テーマ:ブログ

自称「書く書く詐欺」をはからずも犯してしまったネタ、今さらですがちょこちょこ小出しでアップして行きます。

私はタイミングを絶妙に逃す運命にあるらしく、書けないでいるうちにcom-postさんとかツイッターとかで似たようなネタが識者の方々の間で盛り上がり、完全に出遅れてしまいました。

今さら書き始めるのは超かっこ悪いですね。

ただ、一応私なりのスタンスというものを明らかにして行きたいと思いましたし、これからライターとしてどう進んで行きたいのか改めて自分自身に問いたいという思いもあり、遅まきながら書きます。


音楽に対して「書く=言葉を連ねる」というスタンスで関わって行く人を一般的に「音楽ライター」と呼ぶのだと思うのですが、書くものの種類は以下の3つに分かれるのではないでしょうか。


①評論 ②ライナー ③レヴュー


そして、ライターではない人が音楽に関して書き連ねるものには


④感想 ⑤POP


があると思っています。


ここで私の立場をはっきりさせておきたいのですが、私が主に力を入れて書いているものは③です。

つまり、私はライターの中でも「レヴュワー」なんだと思っています。

みなさんはレヴューの存在意義って何だと思いますか?

私は、「まだ聴いたことがない人にその音楽を触れさせる」紐帯だと考えています。

これが出来ていないものはレヴューではありません、個人的な極論を言えば。


よくレヴューに対して「誇張して書くな、マッチポンプみたいな商売はやめろ」という批判が聞こえて来ます。

こういう批判の前提になっているのは「言葉>音楽の内容」という、大したことない音楽なのに凄いもののように書いているという状態です。

しかし、レヴューとは大したことのない音楽を「凄い、凄い!」と持ち上げるだけで通用するような簡単なものなのでしょうか?

確かにそういうどうしようもないレヴューもあるでしょうが、レヴュワーは自分の聴いた音楽からその音楽の良質かつつかみどころの良い成分を抽出し、その魅力が伝わる言葉を紡ぎ、読んだ人に「聴いてみたい!」と思わせることに全力を注いでいます。

徒に凄いだの何だのと騒いでも、何も伝わらないのです。

音楽家が音を紡ぐのも妄想なら、それを聴いて言葉を紡ぐレヴュワーのそれも妄想ですし、そしてそうして紡がれたレヴューを読んで未聴の人が頭に思い浮かべる音楽も妄想でしょう。

良いレヴューは、この3つの妄想をがっちりとつなぐかすがいのようなものなのだと思います。

そして、良いレヴューに触れた時にその人の頭の中に流れる想像上の「期待する音楽」は、おそらくその人にとってもっとも素晴らしい音楽なのだと思います。

そしてそれは、本物の音を聴いた瞬間に消え失せ、二度と思い出せない音楽でもあります。

実際の音楽がその音を凌駕するのか否かは別として、いかにその「期待する音楽」を素晴らしく響かせるか、こそがレヴュワーの究極の目標だと私は考えています。

そんなレヴュワーの熱意=妄想があるからこそ、未知の音楽と知り合うきっかけが生まれるのでは?

ごく一部のしょうもないマッチポンプレヴューのことなど捨て置いて、未知の音楽を言葉という楽器で鳴らし、「期待」というエフェクトで増幅された想像上の音楽へと導くレヴューの、紐帯としての役割を最大限に活用してたくさんの音に出合おうじゃないですか。


ちなみに、上記のような性格上、レヴューとはいきおい「ほめがち」になってしまうことは否めません。

私もレヴューするアルバムを滅多に批判しません。

ありていに言ってしまうと、その音楽を批判的に語りながら「どんな音なんだ?聴いてみてぇ~」と思わせるには並々ならぬ技量が必要です。

その意味で言えば、確かに多くのレヴュワーは「作品をほめる」というルートに甘えているのかも知れません。

が、テキトーに褒めちぎっているだけで「想像上の音楽」を鳴らせるほど甘いものでもないのは上に書いたとおりです。

タイコ持ちにならない程度にその音楽の良いところを妄想成分で増幅し可能な限りアピールする、それこそがレヴュワーの腕の見せ所。

なので、読み手がレヴューに対して「ほめてばかりいるなよ!」と批判するのは最初からベクトルが間違っているのです。

レヴューを批評したいのなら「いかにほめているのか」を批評してください。

最初からある程度ほめることを前提にしたものなのですから。

その点、レヴューと音楽評論を取り違えないで下さい、と声を大にして言いたいです。



とまあ、導入部としてはこんなものでしょうか。

Part2ではレヴューと評論の対比をもう少し掘り下げてみたいと思います。

2012-04-27

八戸で今年2回目のイヴェントやります!喫茶の文庫第3夜 at そーるぶらんち

テーマ:ポーランドジャズ JAZZ POLSKI

詳しくは以後もお知らせして行きたいと考えておりますが、5月26日(土)に八戸のカフェ「そーるぶらんち」さんでオラシオ今年2度目のポーランドジャズイヴェントを行います。


今回のテーマは、


「2時間でポーランドジャズの歴史を駆け抜ける!」


です。


歴史的名盤からライヴ映像、さらにはポーランドでも滅多に聴けない入手困難盤などもまじえつつ、ポーランドのジャズを50年代から2010年代まで追ってみようという試みです。

昨日下見に行って店長さんと打ち合わせして来たのですが、とにかく「面白い、聴いたことのないようなものをお客様と共に楽しもう」ということで意気投合。

絶対に楽しいイヴェントになると思います。


このイヴェントは今年から始まったそーるぶらんちさん主催による「とにかく面白いことやろう」イヴェントシリーズで、私が3番手=第3夜になります。

ちなみに第1夜は何とあのブラジル音楽紹介の泰斗ケペル木村さん(終了)、第2夜は天文学というプログラムです。

音楽系としては偉大なるケペルさんの後続になるということで、身が引き締まる思いですが、私の方も負けずに楽しいイヴェントにしますよ~。

ぜひぜひよろしくです!


喫茶の文庫リスニング 第3夜「ポーランドジャズ」 by オラシオ

そーるぶらんち

青森県八戸市馬場町4 Tel:0178-46-5137

5月26日(土) 午後8時~2時間程度

料金2000円(食事つき)

定員18名(要予約)


市外県外在住者だけど行きたくてたまらない!という方はぜひぜひご予約を!

そしてついでに青森県観光をして行って下さい。

ただ、定員18名という表示を見てもお判りと思うのですが、大変にこじんまりしたお店です。

こちらのお店のファンの方も地元にいらっしゃいます。

なので、団体様のご予約はちょっと厳しいと思われます。

その点はご了承下さい。

今回は行けそうにないという方は、これから日本各地で色んなイヴェントやっていくつもりですので、またどうぞその機会によろしくお願いします。


このイヴェントの模様についてもまたご報告しますね。


取り急ぎイヴェント開催のお知らせでした!

2012-04-27

EQUILIBRIUM / MACIEJ OBARA QUARTET

テーマ:ポーランドジャズ JAZZ POLSKI
Equilibrium/Maciej Quartet Obara
(FONOGRAFIKA)

ポーランドにはなぜかスター級のアルトサックス奏者が少ないのです。

60年代から90年代はひたすら天才作曲家でもあるZBIGNIEW NAMYSLOWSKI ズビグニェフ・ナミスウォフスキが突っ走り、90年代後半からはHENRYK MISKIEWICZ ヘンルィク・ミシキェヴィチ辺りが第一線のアルト奏者になるでしょうか。

主にエクスペリメンタル系のシーンで活躍しているMIKOLAJ TRZASKA ミコワイ・トゥシャスカや、ハードバップバンドNEW BONEなどの活動が知られるMARCIN SLUSARCZYK マルチン・シルサルチクが彼らに次ぐ存在と言えます。

そんな「アルト過疎」状態に突然現れたニュースターがこのMACIEJ OBARA マチェイ・オバラ。

TOMASZ STANKOの国際的なスター揃いのバンドTERMINAL 7に大抜擢され、日本でも徐々に注目を集め始めている秘宝ピアノトリオRGGのリズムセクションMACIEJ GARBOWSKI マチェイ・ガルボフスキとKRZYSZTOF GRADZIUK クシシュトフ・グラヂュクの2人を従え、『MESSAGE FROM OHAYO メッセージ・フロム・オハヨー』『I CAN DO IT アイ・キャン・ドゥ・イット』の2枚のサックストリオのリーダー作をリリースし、まさに近年飛ぶ鳥を落とす存在のアルティストと言っても過言ではないでしょう。

ポーランドは非常に楽器が巧いミュージシャンばかりで成り立っている国なので、あとはNAMYSLOWSKIみたいに異能の作曲能力を持つか、あるいは根強く人気のあるエクスペリメンタル系の活動をするか、はたまたグループで活動して行くか、他の属性がある程度ついていなければなかなか輝かしい存在とみなされるのは難しいのです。

そんな中で、彼は一つ抜きん出た感があります。

彼のプレイも音楽も、とにかくダークでシビアなのです。

それが彼の他を圧倒する個性なのです。

この最新作では彼と同じく近年の大活躍でこの国のトップピアニストの仲間入りを果たそうとしているDOMINIK WANIA ドミニク・ヴァニャと、過去2作と同じくGARBOWSKIとGRADZIUKを迎え、かつてのボスTOMASZ STANKO トマシュ・スタンコのアルト版とも言えそうな闇に満ちたサウンドで、聴いた人をポーランドの凍てつく街の夜に引きずり込みます。

また、彼がSTANOから継承したのはそのダークネスだけではありません。

彼に限らずですが、このアルバムの4人それぞれの「音色」がはらむ名状しがたい強靭さ、そして連なりから導き出されるそれではなく、「一音一音」に脈打つ、鼓動にも似たビート感が頭の芯を直撃するような感動を与えくれます。

しかもそれでいて師匠のSTANKOとは違い、驚異的なテクニシャンなのです。

OBARAはやはり現代のスターピアニストであるPAWEL KACZMARCZYK パヴェウ・カチュマルチクの歴史的ミュージシャンカヴァープロジェクトDIRECTION IN MUSICの「ERIC DOLPHY エリック・ドルフィ」がテーマの時に、いわばDOLPHY役を振られる形で参加しています。

DOLPHYと言えば、あの奇妙なアドリブラインが有名ですが、それ以上にジャズファンをとらえて離さないのがあの圧倒的な楽器の鳴り、ボディや会場を破壊せんばかりに炸裂する異常なまでのエネルギーを持ったあの「音色」でしょう。

フレイジング的にはまるでタイプは違いますが、OBARAはその意味で数少ないドルフィイズムの継承者とも言えるのかも知れません。

正直言って、アルバムのそれぞれの曲はそれほど強い印象を残すほどでもないですし、メンバーの「名フレイズ」が飛び出すわけではありません。

その代わり、驚異的な説得力を持った「音」と、アンサンブルとしてのジャズ音楽のある種の究極の姿でもある「メンバーや曲の個性ではなく、音楽全体の印象しか残らない」という意味において、本作のサウンドが持つその先に何が待ち受けているのかわからないようなスリリングな「闇」が物凄い吸引力で聴く人を飲み込んでしまう、その危険な力がこのアルバムの魅力だと言えましょう。

何だか取っ付きにくいようなイメージを持たれるかも知れませんが、ただただ先入観を持たずに聴けば、このアルバムにおける「音の力に翻弄される背徳的な悦び」にきっと共感いただけるはずです。

発売後ポーランド国内の各ウェブショップでも品切れ状態が続き、こんなにビターなサウンドなのにも関わらず一時ジャズ部門のトップセールアルバムリストにも名を連ねていたという事実も、彼の音楽がどれほど待ち望まれていたのかということの証左になっていると思います。

これもまたポーランドジャズの最先端の姿。

ぜひぜひ聴いてみて下さい!


Personnel:MACIEJ OBARA(AS),DOMINIK WANIA(Pf),MACIEJ GARBOWSKI(WB),KRZYSZTOF GRADZIUK(DS)

2012-04-16

ジャズにおける「規範」という空洞 キャラ立ち系小説からの発展

テーマ:PROBLEMS AROUND US

仕事柄ラノベとかのキャラクターが妙に屹立したタイプの小説やマンガ作品を、パラ読み程度の浅さではありますが毎日目にすることが多いんです。

そういう時決まって感じるのが「どいつもこいつも変な喋り方しやがるな」ということです。

実際にはこれは、まずそのキャラクターにはまってもらいたいがための過剰さでもありますし、この系統の作品の常套手段となっている、セリフを読むだけでどのキャラか判るようにする、という執筆上のセオリーでもあるわけです。

さて、リアルの世界でこれらキャラ立ち系作品に出てくる登場人物のような話し方をしている人がいたら、明らかに歪んでいてバックボーンに異常な環境があるはずです。

そう、人間のコミュニケイション規範の鋳型は思ったより強固なもので、どんなにひねた性格の人間でも人付き合いが苦手な人でも会話をするという範疇においては無意識にスタンダードの中に自分を落とし込み、「普通に喋る」のです。

それをやらない人は何かの目的があって(例えばメイドカフェのメイドとかアイドルとか)おかしな話し方を「演じている」だけなのであって、人間社会の会話ツールの磁場というは強力に「普通の喋り方」というものを中心に働いています。

ところが、それだけ「普通」というカテゴライズをしたくなるある種のスタンダードがありながら、みんな完璧に話し方が一致しているわけではなく、微妙に「完全なるスタンダード」からずれているというのもまた事実。

そのずれこそがラノベなんかの過剰に作りこまれた人工的な個性ではなく本物のその人の「喋りのアイデンティティ」なのだと思います。


と、仕事中にキャラ立ち系小説とリアルの「会話アイデンティティ」の関係について考えていたら、ふっとジャズのことに思考が及んだのです。

ジャズは、コード進行を元にアドリブする音楽って一応言われているんですが、「ちゃんとした演奏」になればなるほどいわゆるその進行に「合っている」とされる音やフレイズが少なくなっているような気がするんですよね。

さながら、基本となっているコード進行、言うなればその演奏の場を作り上げているはずの規範が見事に真空地帯になっているような感じです。

怒涛のごとく自らの訛りで話しながら、時々標準語が顔をのぞかせるような話し方をする人たちの会話のごときものがジャズなのかも知れません。

あるいは、ネットラジオで全世界のラジオ番組をザッピングしていて時々日本語が聞こえて来る時のようなスリルと安心感のコントラストをいかに作り出すか、という音楽と言ってもいいかも。

そう、ジャズのジャズたる特異性は、規範=言い換えれば「普通の部分」を演奏者が限りなく空洞に近付けていくところにあるのではないでしょうか。

そして、この性格ゆえに、シーン中で何がしかの音楽的変化が起こると常に「ジャズじゃない」「いや、これも包摂するのがジャズなんだ」という議論が巻き起こるのかも知れません。

演奏者自身が、演奏するという行為において規範を空洞化してしまうのですから、ジャズの規範に関する議論が空洞化するのもある意味当たり前の現象ですし、そしてその真空状態が周りを飛び交う演奏そのものや言質によって定義される、非常に緊張感に満ちたものになるというのも当然の結果です。

そしてそれらが起こった後にはジャズ言語における「コミュニケイション規範」は言葉や理論では説明出来ない、「何となくこういう感じなんだろうか」くらいの「共通認識」っぽいものに濃度を薄めてしまうように思います。

その限りない上書き行為の繰り返しによって歴史を重ねて来たのがジャズという音楽であり、その「磁場の弱さ」=「議論の火種になりそうな感じ」ゆえに音楽全ジャンルの中に独自のスタンスを占めているのでしょう。

そうなんです、お固そうなクラシックにおいてすら、一時期反逆精神の嵐が吹き荒れた現代音楽でさえもすでにクラシックというジャンルの一部として「普通に」カテゴライズされています。

よく考えてみればそのあり方についてこれほど取り沙汰される音楽も珍しい。

そしてそれをめぐる言質も微妙にかみ合っているんだか何なんだかわからない状態だというのも緊張感あふれる「真空地帯」を形作っている大きなファクターであるようで面白い(笑)。

ジャズは、「揺るぎなさ」ではなく「常に揺らいでいる」「一番肝腎のところが空洞」なのが魅力なのでしょう。


また、この空洞はジャズ内部と外部の人によるこの音楽に対する捉え方のあまりにも大きな落差を生んでいるように思います。

私の周りにはジャズを日常的に聴く人がほぼ皆無なので、ジャズに対するイメージの持ち方のサンプルには事欠きません。

ジャズを聴いていると言うとほぼ100%「カッコいい!」と言われ、ほぼ100%「ジャズって、黒人さんがスーツ着てナイトクラブでこんな楽器(と言ってウッドベースの真似をする)弾いてる大人で頭良さそうな音楽ですよね」と言われます(笑)。

えっと、今そんな「ジャズ」を探す方が困難ですよ?

ジャズ内部にいる人たち(リスナー、評論家など)にとってはその規範の揺らぎが頭痛の種でもあり「きかん気の激しいやつだけどかわいいんだよ」という気持ちのもとでもあるのに、一歩外に出たらこの圧倒的に汎化された固定観念!

この、よく聴いて解っているはずの人たちが一番解っていないという状態を生み出す面白さこそが、またジャズの魅力だと言えます。


色んなところで書いているのですが「ジャズは死んだ」「もうダメ」論争の空虚さは、ジャズが規範のある音楽だという視座を拠点に展開されているからで、この音楽の魅力の最大のものの一つは「寄生性」だと私は考えているのです。

なので、もはやジャズという「中心が空洞な」音楽を完全に無視して成り立っている音楽は現代にほぼ存在していないという意味において、ジャズは「ジャズ的なるもの」へと形を変え、あらゆるものを「ジャズ化」しジャズ耳を楽しませています。

本当は空洞でイメージくらいのおぼろげさでしか存在しえていない「ジャズの規範」こそは確かに死んでいるのかも知れませんが、その「規範の空洞化」をエネルギーにあらゆるものに「ジャズ要素」を植え付け凄まじいスケールの「ジャズっぽいサウンド」の裾野を作り出した、その現実は自称「ジャズリスナー」にとっての尽きない「楽しいめる音楽」の鉱脈でありこそすれ、幻滅の要因ではないと思うのです。

言質も含めた多様化は、成熟の証でありこそすれ、退廃や混乱ではないのではないでしょうか?


個人的な例で言うと、ジャズを演奏を始めたりして真剣に「ジャズの規範のありか」に向き合った結果フランク・ザッパやクラシック、ブルーグラスなどの未知の音楽が面白くなりましたし、それらもそのジャンルの愛好家と言うよりやっぱり「ジャズリスナー」として聴いている。

そういうジャズリスナーの雑食性は、この音楽がもともと持っている「規範の空洞性」ゆえなんです。

あえて敵を作るような言葉を選ぶとすれば、そういう状態を面白がれる人こそがジャズを聴いているのであって、幻想としての「ジャズの規範」の中にジャズを求める人は実はジャズを聴いていない。

ジャズリスナーではないのではないか。

そして、その区別すらどうでも良くするのがジャズのジャズたる所以なのではないでしょうか。


我ながら何でラノベとかからこんな話に飛ぶんだ、と呆れますが、最近つらつらとこんなことを考えていました。

やっぱりジャズって音楽の愛すべき実体のなさは面白いですよ♪

2012-04-13

新川てるえ『子連れ再婚を考えたときに読む本』を読む

テーマ:PROBLEMS AROUND US
子連れ再婚を考えたときに読む本/新川 てるえ

私は結婚もしていませんし子どももいないので、「子連れ再婚」を考えているわけではありません。

でも、この本のタイトルを見た時にビビッと「これは読まなきゃ!」と思ったんです。

なぜって、私はステップファミリー(カップルと、どちらかの元配偶者の間に生まれた子どもが共に暮らしている家族)の子どもだから。

そして、両親と姓の違う自称「別姓子」だから。

「子連れ再婚」というものに、深く関わって来た人間なのです。

離婚したことで目まぐるしく生活は変わるし、再婚した当時の両親は貧しかった。

それに、小学生前半は親と苗字が違うということで(まあそれだけではなくて性格的な要因もあったのでしょうが)精神的・肉体的ともに壮絶ないじめに遭いました。

そういう経緯もあって、離婚を選んだ母を恨みもしましたし、特に私の姓を替えさせなかった前父を強烈に憎んでいました。

ただ、自分の年齢が母が離婚し今の父と一緒に暮らし始めた歳を越えたくらいから、突然子どもを抱えることになった父の気持ちや、いきなり子どもを連れて配偶者に去られた前父の気持ち、私を何よりも愛していながら、そしてそのわが子を辛い境遇に叩き落すことを知りながら離婚・再婚を選んだ母の気持ちはどういうものだったんだろうと考え始めるようになったんです。

それからすでに十年近い年月が経っておりますが、当事者の目線からそういう境遇の親の気持ちを語ったものってなかなか出合えなかったところに、この新川さんのご本が目の前に現れたのでした。


私の母は、私が5歳の時に突然離婚し、前父と住んでいたマンションの1階に2人で降りて行ったら今の父が車に乗って待っていました。

私の「家族」は、こうして始まりました。

新川さんのこのご本に書いてある様々なステップファミリーの例を読んでいると、うちの場合はやっぱり何らかの奇跡が起きたとしか考えられないんですよね。

まず、両親はいわば継父である父のことを「お父さんと呼べ」って強制しなかったんですよ。

なので、最初は「○○(両親の姓)のお兄ちゃん」って呼んでました。

いつ自分が初めて父のことを「お父さん」と呼んだのか、私自身は全くおぼえていません。

それについて父や母と話をしたこともないですね。

ただ、ひょっとしたら両親はその日のことをはっきりおぼえていて物凄く感動したのかも知れませんね。

こう書くと何だかただのハートウォーミングなファミリードラマリアル版みたいに感じられるでしょうが、では子どもの立場からはどう見ていたかと言いますと・・・・。

正直言って、いきなりよく知らない男の人が現れて(実際は幼い私の目の前で前父に隠れてよく会っていたらしいですが笑)、「○○のお兄ちゃんだよ」って言われても、何が何だか解らないですし、しかもなし崩しに一緒に住み始めて。

いい人そうだとは直感しましたが、それだけでどうやら新しいお父さんになりそうでも「お父さん」って呼べるわけでもなし。

ここで書くように明確に言語化されてそう考えていたわけではないですが、「お父さんって呼ぶに足るほど信頼出来る人間かどうか見極めてから呼ぶことにする」と決めていたのは間違いないです。

そして、この時の経験が私に「家族って最初から存在するものじゃなくて、構成員同士で作り上げて行くものなんだ」という家族論を抱かせるにいたったのです。

両親も多分、その辺は同じ考えだったのじゃないでしょうか。

いい意味であまり子ども扱いしませんでしたし、私が自分で「お父さん」と呼びかけるタイミングを選ぶのをじっくり待ってくれたので。

それは、私たち3人の関係の中に起きた、ちょっとした奇跡だと思えるのです。


私の両親はセメントベビー(ステップファミリーに新しく生まれる子ども)を産むことを選択しませんでした。

私はかなり性的なことに疎い人間だったので、なかなか子供が出来にくい体質だから自分に弟か妹がいないんだろ、くらいに考えていました。

特に父がセメントちゃんを作らない選択を強く希望した、と20代半ばに初めて母から聞いて、自分が考えていたよりも大きな愛に包まれていたんだと知り、涙しました。

誤解のないように言っておきますが、セメントベビーを作ることが悪いと言っているわけではありません。

それもまた愛に満ちた一つの選択であります。

ただ、この本でも書かれているように実子と継子に対する自分やパートナーの愛情の差を感じ始める、という例が少なくないのも事実です。

それを乗り越えて関係を少しずつ築いていくのがまた「家族」というものなのですが、とりあえずうちの両親は、もしそういうことが起きて何よりもまず私を傷つけてしまうという可能性を排除し、私を本当の子とし、愛を注ぐという選択をしたわけです。

幸い私は弟や妹が欲しいと思ったことが一切ない子どもだったので、その選択はうちの場合においては正しかったのだと思います。

これもまた一つの奇跡なのだと思っています。


あと、新川さんは子どもを厳しく教育するのは実親の方の役割で、それを宥める役割を継親が担うのが理想的とお書きになっています。

これもうちはうまいこと行ってて、母が鞭、父が飴の方でした。

で、子ども時代はその役割分担は両親それぞれの性格そのまんまだったので何も疑問に思わなかったのですが、ひょっとしたらこれから「家族」をやって行くにあたって、二人でいろいろ話し合ったのかもな~と今になっては思います。

ただ、飴とは言っても父は別に母を宥めたり私を甘やかすわけではなくて、どっちかと言うと優しく諭すという感じで言わなきゃいけないことはちゃんと私に対して言ってました。

両親は経済的な面とか新しいものに触れる機会に関する点では私にあまり負担をかけさせないようにしよう、これ以上辛い部分を背負わせないようにしよう、と決めていたらしいですが、ただ、同時に人として恥ずかしくなく生きられる人間に育てようということでも一致していたようなので、私に対する接し方の違いはあれど、礼儀やモラルに関する教育はかなり厳しかった方に属すると思います。

まあ恥ずかしくない人間にちゃんと育ったかどうかはおいといて(笑)、でもそういうことに関してもひょっとしたらだいぶ話し合ったのかも知れない。

ただ、思春期真っ只中のお○○の子だった私の自分の部屋がなかった(家族がくつろぐ広い居間が私の寝るところ&私物置き場でした)ことと、「これは大人の話だから」って仲間外れにしないで大人同士の修羅場を幼い頃から私にバンバン見せたところはちょっとやりすぎと言うか、自分はよくぐれなかったなとは思いますね(笑)。

前者に関してはその思い出話をするとみんな気の毒そうな顔をしますよ(笑)。

ま、両方ともそれでも私にとっては面白い環境で過ごせたと心から思えるものでしたし、そういう意味でもうちには奇跡が働いていたのでしょうね。


私は前父のことを氏変更に同意しなかったことでは憎んでいましたが、母から彼についての悪口を聞いたことがありませんでしたし(これはとても大事なことだと思います)、昔一緒に住んでいたことのある人、くらいの思い入れしかありません。

前父は捨て子で、今の私の姓を持つご夫婦(ややこしい言い方ですが、要するに前祖父・祖母)に拾われたという出自を持つ人で、その姓でいられるということ、その姓を絶やさないということに強烈な自負と恩義を感じているようなのですね。

あとは、自分の妻が高校時代の元同級生と不倫に走った挙句子どもまで持って行ってしまったという絶望も当然あったでしょう。

それで私の氏変更に頑として同意しなかったそうなのですが、それについては数年前ひさしぶりに再会しこちらも思う存分を言わせてもらった後、ようやく謝罪してくれました。

自分のその行為がどれだけ子どもを苦しめることにつながるのか、想像が及ばなかったようです。

ただ、そういうわだかまりを除けば、中学生くらいまでは適当に毎年会ってたりしましたし、その辺もまた親同士での話し合いもあったのかも知れませんが、私にとっては「お小遣いもらって早く帰りたいな」くらいのもんで負担でも喜びでもどちらでもなかったというのが実情です。

前父との関係については、どちらかと言うと母方の祖父の対応が私には理解しがたく、成長するに従って激しい憎悪が芽生えてくるようなものでした。

前父はある業界で関西ではかなりの地位に立つ人だったそうなのですが(その割にはわびしい生活ぶりだった記憶がありますが・・・)、祖父は職がなく困った時に前父の業界の仕事を世話してもらったという経緯があるのです。

それで、正月に祖父母が住む母の実家に母方の親戚一堂が集まるのですが、離婚後も前父を呼び続けました。

その間、父は外を車でぶらぶらしたりして時間をつぶし、酒盛りが終わるのをひたすら待っていました。

その時の父の気持ちはどんなものだったんだろう、と考えると今でもはらわたが煮えくり返りますし、涙が出て来ます。

祖父の行いは、両親や私の気持ちを踏みにじるものでした。

ま、その他のことに対しても暴君としか言いようのない、これまで関わって来た人たちの中でも最低の部類の人物だったので、現在母が完全に関係を絶ったことにほっとしています。

前父も前父で、私に会いたいばかりにわざわざ隣の県から来ていたのでしょうが、断って欲しかった。

母曰くとても頭が良い人らしいのですが、私に言わせればその絶望的な鈍感さが腹立たしくてしょうがなかったし、愚鈍なおじさんにしか感じられなかったです。

ひょっとしたら、母には私が想像している以上の罪悪感(前父に対しても)があって、それが過剰に彼を持ち上げることにつながっているのかも、とも考えています。


経済的な話をすると、うちに起こった奇跡の一つはやっぱり父の仕事がどんどんうまく行き始めて、今にして思えば10年にも満たない間のことだったのですが、比較的裕福な部類に入る家庭になれたということでしょうか。

それもあって、私はお金の面に関しては結構甘やかされていましたし、それは情けなくも大学を卒業し社会人になっても少し続いていたのですが、今は両親は自己破産して、私のそんな依存体質も強制終了。

それはそれで凄く良い経験だったと思いますし、私という「子ども」が成長しきるための最後のステップだったと言えます。

それもまた奇跡なのかも。

だって、あのまま行ってたら間違いなくろくでもない人間になっていましたから。

両親があれほどまでに願った「どこに出しても恥ずかしくない、美しく生きられる人間」のある程度の完成が見られたのですから、私は両親に「この通りちゃんと育ったし、そうやってきちんとした人間にしなきゃと努力し続けてきたことも痛いほど解っているから、もう離婚したことや幼い頃の私に苦しみを強いたことに対して罪悪感を持たなくていい。もう恨みもなくなった」と言いました。

今まで私に真剣に向き合ってしっかり愛を注いでくれたことに対する、私なりの精一杯の感謝の気持ちです。


さて、本書に関して子どもの立場から少し違和感を感じる部分というのも当然ありまして、それは継親が学校や外野から再婚前(つまりは継子と共に暮らす前)の育て方について批判された時「この子は継子なので自分の子どもじゃありません」と言って関係性をはっきりさせる、というような記述です。

私も最初他者として父を、そしてそれと同時に実親である母すらも見つめるという作業を通して今の家族をお互いに構築して行ったという自覚がありますから、関係性の「割り切り」が大切なのは認めます。

でも、同時に「あ、義理のお父さんなんだ」と言われた時に猛烈に反発するものがあることも事実なんです。

血がつながっていようがいまいが、実の親子だろうが継親子だろうが「本当のお父さん/お母さんです!」と心から思っているからです。

ただ、それも家族によるのだろうとは思うのですが、それにしてもこの親の対応はあんまりなようにも感じるというのが子どもとしての本音です。

表面ではムチャクチャに反発しつつも、子どもも心の中では葛藤しどうやって継親との距離感をつかんでいったらいいのか悩みに悩んでいる最中かも知れないのです。

そんな時に上記のような言葉をもし聞いてしまったら、心が折れるかも知れませんし、心底嫌いになってしまうかも知れません。

でも、無理に継子を愛さなくてもいいというのは確かにそうだと思いますし、その地点を冷静に見つめることから築いていける関係もあるので、私の言っていることはあくまで私の家族のあり方からみた一視点に過ぎないということも断っておきます。

ただ、自分としては聞きたくない言葉だな~。

そんなことを今の父の口が発しているのを一度でも聴いていたら、何かが変わっていたかも知れないとすら思います。

まあ、親が無理しすぎてストレスためすぎてこれから「家族」になろうとしている人たちの間に亀裂が入る悪循環に陥る可能性もあるので、そうならないための心構えを新川さんは書いているのだと思いますが。

まだ親と認めていない段階で親面されるのも頭に来るでしょうし。

ちなみに、私は前父が親面するのが頭に来ます。

正直言って前父と暮らしていた時の記憶がほぼ完全にないので、戸籍上つながりがある、という程度の関係性しか感じられない人に「お前の親なんだし」とか言われると頭に血が昇っちゃいますね。

やっぱり「家族」は、どれだけ向き合ってお互いの関係を築いて来たか、ということが大切なコミュニティなんだと思います。

そういう意味では確かに、世間一般で言う感じの親子に継親子がなる必要もないのであって、ただ言っちゃいけない言葉というのも当然あるので、私の個人的な感覚では上のような言葉はそれにあたるというだけのことです。


あと、本書で気になったのはインタヴュイーの方の関係性が、ご自身は継母で10歳近く年下の再婚相手に実子がいて、その子の教育があまり行き届いていない、イライラする、愛せそうにないというパターンが結構な割合を占めるということ。

「当事者性」をかなり重視している本だと思われるだけに、ある程度の傾向の偏りがあるのは仕方ないのかなとも感じる反面、これが現実に見合った姿なのだとしたら、これって家族問題以前にジェンダーの問題が関わっているのじゃないかなあと思いました。

勘で書いているだけなのでうまく説明は出来ないのですが。

そういう関係性に陥ってしまうメカニズムがジェンダーの要因を介して存在しているんじゃないのかなという考えが何となく頭に浮かんだだけです。

あとは、日本社会全体に見られるパブリックスペースにおけるモラル感の変化の問題とか。


どちらにせよ、世のステップファミリーのみなさんが口をそろえて「早めに明るくステファであることをカムアウトしちゃいます」と言っているのが救いと言えば救い。

自分もそうして来たし、父と私がそっくりと言われれば目を見交わして笑いを堪えるくらいの余裕があります。

血がつながっていないこととか姓が違うこととかどうでもいいし、お互い信頼出来る関係を築いてきた、という圧倒的な積み重ねの方が何にも勝る。

父が自分の実家を改装して私と母と一緒に住み始めた時、田舎の非常に狭いコミュニティだったので私たちの家族が「○○のとこの息子がこぶつきのよくわからん女を連れて来て・・・」という目で見られていたのを知っています。

また、表札には堂々と両親の姓と私の姓の両方が書いてあった。

そのことを「ご両親は君に対してひどいんじゃないか」と批判する友人も何人かいました。

でも、うちのスタンスはあくまで「私たちは何も恥ずかしいことをしていない。これで何か言ってくる人間の方が恥ずかしい」でした。

もちろんこれが原因で起きた辛い出来事というのもたくさんありましたが、でも絶対に間違っていないし、そうやって堂々と生きて行くステップファミリーが増えて行くことでしか世の中の偏見は変わらないとも思います。


さて、色々私の「家族」ついて書いて来ましたが、そろそろ締めくくりましょうか。

私が両親から学んだ最高のことは、「一番大切な人に対しては作らず構えず正直な自分であること」という姿勢だと思っています。

両親は夫婦として、その前に男と女としてそれを最大限に実施していますし、私に対しても同じスタンスで接しています。

ただこれは甘えるだけの関係ではなくて、当然「一番冷静で厳しい批評眼をお互いに対して向ける」ということでもあると私は考えています。

私と相方の関係もそういうものの上に成り立っていますし、結婚はしていないものの生涯のパートナーと思える人と出会い信頼出来る関係を築けたのは、両親のそういう姿があったからだと深く感謝しています。

で、そうやって自分のいいところ悪いところをさらけ出しつつ、時に理解し合い時に反発し合って「何人かの集まり」が「家族」というものになって行く、いや、そういう関係を構築して行くのが理想の姿なんじゃないでしょうか。

つまり、実親子もステップファミリーも結局はその意味においては実はフラットなんだと思います。

ただ、現時点では残念ながら後者は内外から色々言われることが多いのが現代日本社会の現実でもあります。

また、生まれている時から接しているかそうでないかというのは親子お互いにとって相当に大きなファクターになっているとも思います。

上に書いたように、うちの場合はいくつかの奇跡が重なって私は本当に幸せのうちにステップファミリーの子どもとして育ちました。

でも、温かい出来事ばかりが起こってそうなったというわけでもありません。

やっぱり、家族になろうとしている人たちには適度な相互理解とある種の割り切りが必要です。

ステップファミリーの子どもが外的にどれほどのプレッシャーや偏見を浴びせられるか私はよく知っているので、その子たちにとって少しでも居心地の良い居場所に新しい「家族」がなれればいいなと強く願うのですが、そこに至るまでには子どもだけではなく、親の側にもこれだけの葛藤と当たり前の悩みがあるのです。

結局、向き合って行くことでしかしっかりした関係は作れません。

奇妙な縁でせっかく知り合ったんです、好きとか嫌いとかとはまた違う信頼関係のようなものが築けたらいいですよね。

それにはやはり親の方の気持ちも知らないと難しい面があるんじゃないでしょうか。

そうやってお互いをやわらかく包摂して行く、それが出来る可能性があるのが「家族」なんじゃないでしょうか。

私にとっては「家族」はそういうもの。

なので、ステップファミリーとしてリスタートを切ることは、ある意味「家族」のあり方に自覚的になる良い機会じゃないかと考えているのです。

本書は、そのための価値ある手引きでもありますし、また、「そういう家庭」に縁のない人が実情を理解するための貴重な当事者からのメッセージでもあります。


「子連れ再婚」を考えていない方(実際私だってそうですから)もぜひぜひお読み下さい!

2012-03-23

LUMIERE / MIRA OPALINSKA & DOUGLAS WHATES

テーマ:ポーランドジャズ JAZZ POLSKI

(NATURAL STUDIO RECORDS / NSR CD 021)


近年、とみに映画とジャズの関係性が話題になっています。

私もその流れに沿い、高評価だったジャズ批評の特集『映画音楽とジャズ』で「映画とジャズのブレンドは蜜の味? ポーランド映画の中のジャズサウンド」という原稿を寄稿させていただきました。

「関係性」とは言っても、古くはMILES DAVIS マイルズ・デイヴィスの『死刑台のエレベーター』がそうであったように、サウンドトラックそのものがジャズで、しかもそれがジャズ史上においても名盤とされている、というような関係が一般的であったように思います。

ところが歴史を経て現在に至り、それらジャズサウンドとしての映画音楽のアーカイヴが貯蓄されてくると、今度はそれをネタとしたジャズアルバムが生み出されるようになりました。

その動きが特に顕著だったのがポーランドだと私は思うのです。

それはなぜか。

この国のジャズ、いや50年代以降の音楽を激しく揺さぶり、世界トップクラスのものに押し上げる原動力となった偉大なピアニスト/作曲家のKRZYSZTOF KOMEDA クシシュトフ・コメダの代表作のほとんどが映画音楽だからです。

その彼の音楽をカヴァーするということは必然、映画音楽を採り上げる、ということになってしまう場合が圧倒的に多くなるわけです。

そんなポーランドからまた一つ素晴らしい映画音楽をテーマとしたジャズアルバムが発表されました。

新進気鋭の女性ピアニストMIRA OPALINSKA ミラ・オパリンスカとイギリスの男性ウッドベーシストDOUGLAS WHATES ダグラス・ウェイツによるこのデュオアルバムです。

本人たちにブログ http://owduo.com/ 上から直接注文し、WHATES本人が発送してくれたものが昨日届いたばかりの、ほやほやどころか熱々の新作です。

このアルバムの嬉しいところは、まず選曲が非常に独特で面白いことです。

上述KOMEDAの代表的傑作「ROSEMARY'S BABY ローズマリーの赤ちゃん」(同タイトルの映画より)、「BALLAD FOR BERNT バラッド・フォー・ベルント」(映画『NOZ W WODZIE 水の中のナイフ』より)の2曲に加え、ポーランドもので採り上げたのは、あの故KRZYSZTOF KIESLOWSKI クシシュトフ・キェシロフスキの伝説的傑作『DEKALOG デカローグ』の第6話を再構成して長編映画として独立させた『A SHORT FILM ABOUT LOVE 愛に関する短いフィルム』の映画音楽からいくつかのモティーフをアレンジして組曲風にしたもの。

元ネタのサウンドトラックは、これもポーランドを代表する大作曲家ZBIGNIEW PREISNER ズビグニェフ・プレイスネルによるものです。

この「愛に~」の演奏は静謐な空気を保ちながらも10分以上に渡って人生、特に愛の不可能性にも似た厳しさを漂わせたようなシリアスなものになっています。

また、感動的なのが「ローズマリー~」の導入部分のアレンジ。

北欧方面のラディカルトラッドのようなミニマルなピアノと、もともとフォークロア音楽からの影響を濃く盛り込んでいる原曲をさらに濃密にエスニックエキスを煮詰めたような筆遣いで旋律を奏でるアルコによるベースの、ゆっくりと体を凍てつかせるようなムードには戦慄のような感動をおぼえました。

選曲面で面白いと書いたのにはまだまだ理由がありまして、日本の映画からも2つ曲が選ばれているのです。

しかも勅使河原宏監督の『利休』と石川寛監督の実験的な作品『tokyo.sora』という大変にマニアックなセレクト。

前者は世界を代表する現代音楽作曲家武満徹が、後者は今や日本サントラ界の女帝と言ってもいい菅野よう子が音楽を担当しています。

前者でOPALINSKAはあの天才LESZEK MOZDZER レシェク・モジュジェルも用いているようなプリペアド奏法を駆使し、原曲の持つ禅的空間性の実現と、ピアノがはからずも有してしまっている「西洋性」を剥ぎ取ることに成功しています。

ギリシャの作曲家VANGELIS ヴァンゲリスの『BLADE RUNNER ブレイド・ランナー』のカヴァーは、プログレファンやカルトムーヴィーファンにも嬉しいセレクションなのではないでしょうか。

もちろんプログラムにアクセントをつけるためENNIO エンニオ& ANDREA アンドレアのMORRICONE モリコーネ父子による『NUOVO CINEMA PARADISO ニュー・シネマ・パラダイス』からの超有名曲2曲も収録。

原曲の魅力を損なわない慎ましやかな美演です。

OPALINSKAのピアノは、美しくクリアな音質の中に一種の鋭さ、厳しさのようなものが感じられる印象が強く、インプロヴィゼイションそのものもあまり旋律性におもねっていないスタイルなので、あえて言うならば現代ポーランドジャズピアノ3大流派の中では「抽象派」に属するプレイヤーと言えるでしょうか。

ピアノとウッドベースのデュオと言うと私はどうしてもブルガリアの鬼才MILCHO LEVIEV ミルチョ・レヴィエフとこのWHATESと同じイギリスの巨匠DAVE HOLLAND デイヴ・ホウランドによる2作『THE ORACLE ジ・オラクル』と『UP AND DOWN アップ・アンド・ダウン』を思い描いてしまうのですが、新時代の東欧&英国の若手2人によるこの作品はその記憶を上書き修正してしまうくらいの素晴らしい傑作だと感じました。

映画を、映画音楽を、そしてジャズを愛する方たちに強くオススメしたい、深みに満ちた作品です。

2012-03-22

つぶやき from 官製ワーキングプア

テーマ:PROBLEMS AROUND US

私は官製ワーキングプアです。

知人や友人に月収10~11万くらい、と言うと苦笑混じりに哀れみの視線を向けられます。

数日以内に私が委託職員として務める某公共機関の業務委託の入札がまた行われます。

そのことについて当事者の視点からちょろちょろツイッターでつぶやいたのですが、タイムラインの進行と共にスルーされて行くのも惜しいような気もしたので、そのままコピペして記事にします。

私は、そして全国の官製ワーキングプアはこういう絶望の中に生きているのです。



給料というのはある労働の質および量に対する対価であるから、「業務内容は据え置き、でも時給は下がります」というのは矛盾している。今あらゆる市町村で吹き荒れている業務委託の嵐の中では、この矛盾は当たり前のこととされ、同じ業務内容をより低い金額で担う企業が落札する。当然時給が下がる。


入札は一年ごとに行われる場合もあり、その度に受託企業が替わり=より安い金額で業務を請け負う企業が新しい雇用先になり、経験を積み技術は習熟し、かつ昨年度と同様の業務の質量を求められながら年度を経るごとに収入が下がって行く。官製ワーキングプアの出来上がり。しかもどんどん貧しくなる。


さて、時給を下げざるを得ないほど安い金額で業務委託を落札した企業がこの場合叩かれることが多いのだが、攻撃先はそれでいいのだろうか?「同じ業務をより安く」を競わせる場を作っているのは市町村の方だ。企業はそこに少しでも利益や実績が伴うのなら参加して仕事を獲らざるを得ない。


毎年給料が下がり、移籍の諸手続きに終われ、しかもずっと同じ業務内容をこなせ、あまつさえより良くしろと言われる職場に、あなたは働き続けることは出来ますか?モティヴェイションを保ち続けられますか?しかも矛盾に満ちた契約を迫る市町村は、委託職員の心が折れ業務が滞ると企業の責任にします。


官製ワーキングプア=小泉竹中体制時の規制緩和が生み出した人々の問題を4ツイートでシンプルにまとめてみました。そんな竹中は人材派遣会社のパソナの役員におさまりました。そもそも役所のこの仕事ってもっと安く出来るんじゃ?という思考が外部発注に行くのが異常。普通公務員の給料安くするでしょ


ただ、今よく言われているような公務員全員の給料下げろとかやつらはみんな税金泥棒だ!とか言う気はない。ちゃんとやっている人もいる。しかし「もいる」などという言い方がプロが生きる「職場」という空間に当てはまるのがそもそも矛盾なのであって無能&仕事をなめている者は辞めさせる制度が必要


なので、公務員各員が税金泥棒なのではなく、一度入ってしまうと基本辞めさせられることもなくどんなに無能でもその業務をぶち壊していても仕事を選り好みする者でもぬくぬく生きて行ける制度そのものが税金泥棒なのだ。ちゃんとやる人しかいないような機関にすれば泥棒呼ばわりもなくなるだろう。


私がいきなりこんなことをつぶやき始めたのは、まさに私自身が官製ワーキングプアであるし、そして数日以内に私が委託職員&現場主任として働いている公共機関の業務委託入札が行われようとしているから。毎年この時期はピリピリと神経がささくれ立つ。この怒りの矛先をどこに向けたいかと言えば、市だ




さて、うちの職場の業務委託の入札は、過去2度、何と3月29日に行われて来ました!

3日後には新体制で業務を開始しなければならない、という状況がどれだけ過酷であるのか、みなさんには想像がつくでしょうか?

今年もほぼ同じような日程だと思われます。

思われます、と言うのも、現時点では何日に入札が行われるのかは決定されていないのです。

他の市町村ではどういう日程なのか心から訊いてみたいのですが、とりあえず青森市では今のところそういう流れで毎年来ています。

ただ私たちは、嵐の先に光が待っているのか闇が待っているのか、出来るだけ良い方に・・・・と願うくらいしか出来ません。

そしてまた、矛盾の中を働き続けるのでしょう。

現代日本社会のネオリベラリズムは、そうまでしてここに残った私たちのことを「自分で選択した」と批判するのでしょうね。

他に仕事がないから仕方なく残っているのに。

たまには納得行く選択の結果として働きたいよ。

2012-03-14

3.10.代官山「山羊に、聞く?」のイヴェントで人気だったアルバムリスト

テーマ:ポーランドジャズ JAZZ POLSKI

先日10日に代官山のカフェ「山羊に、聞く?」さんで開催したイヴェント「Poland Jazz X Finland Jazz Record Concert」の目玉、第1部後半&食事つき第2部の計800枚以上のポーランドとフィンランドのジャズのCDの自由な閲覧&試聴は、みなさんの怒涛の質問攻めが嬉しくもハードな時間だったのですが、やはり一番多かった質問が「こういうの聴きたいのですがオススメは?」とか「適当に何かみつくろっていただけませんか?」というようなアルバム単位のオススメについてでした。

嵐にもまれるような体験でしたので、うろ覚えではありますが、そんな中でも複数の人に高評価や感動したというご感想をいただいたアルバムを記憶の限り挙げてみます。

あくまでそれを直に伝えていただいた場合に限り、ですので傾向として頼りになるデータなのかどうかは判りませんが、これからポーランドジャズの世界に分け入っていこうという方々の一助になれば幸いです。


LEVITY / LEVITY

フラミンゴ美ジャケのオルタナピアノトリオ作


ANNIVERSARY CONCERT FOR HESTIA / ADAM PIERONCZYK & LESZEK MOZDZER

LIVE IN SOFIA / ADAM PIERONCZYK & LESZEK MOZDZER

現代ポーランドジャズシーンに君臨する若き天才2人が活動初期に組んでいたデュオ。とにかく凄いの一言


KOMEDA / LESZEK MOZDZER

試聴時間中のBGMとして大人気だった作品。ただでさえ天才のMOZDZERがさらなる高みに足を踏み出したかのようなピアノソロの超絶傑作


DANCES / ZBIGNIEW NAMYSLOWSKI

ポーランド屈指の変態作曲家、かつ同国で最も尊敬されている音楽家の一人でもある鬼才のネジクレプログレジャズ。凄まじく凄い(なんじゃそりゃ)のにもかかわらず思わずニヤニヤしてしまうようなユーモアとポップさに満ちた音楽。私的ポーランドジャズオールタイムベスト1


LIVE / KACZMARCZYK - BARANSKI - DOBROWOLSKI TRIO

ポーランドピアノトリオ作品の中でも屈指のレア盤の一つ。私が持っているのはKACZMARCZYKのマネージャーにプレゼントしていただいたものです


CHOPIN & OTHER SONGS / LESZEK KULAKOWSKI & SULPSK CHAMBER ORCHESTRA

天才アレンジャーKULAKOWSKIのトリオプラス室内楽オケによる血沸き肉踊るショパンジャズ


PIOSENKA Z PIWNICY 10 CD BOX / WANDA WARSKA

ポーランドジャズヴォーカル界のゴッドマザーの軌跡&奇跡を追った10枚組ボックスセット。これは最初に入っていらっしゃったお客様が待ち時間に聴くのにオススメしていきなりノックアウトされていたものです。いい露払いを務めてくれました


SPRZEDAZ GLONOW / JAN PTASZYN WROBLEWSKI

バップ系のサックス奏者としても、ビッグバンドリーダーとしても多くの尊敬を集めている大ベテランによる73年のビンビンビッグバンド


LIVE IN KIYV / WLODEK PAWLIK TRIO

映画音楽にジャズに、と八面六臂の大活躍を繰り広げるピアニストWLODEK PAWLIKと故ZBIGNIEW WEGEHAUPT、超絶ドラマーCEZARY KONRADによるテクニカルトリオの過渡期にウクライナの首都キエフで録音されたライヴ


DRUMS DREAM / CZESLAW BARTKOWSKI

当時世界最先端を誇った国営録音スタジオの切れの良い録音とBARTKOWSKIのやりたい放題のヴィジョンがタッグを組んで生み出された、BILLY COBHAMのソロアルバムに比肩する革命的なドラマーリーダー作


EXPRESSIONS / MATEUSZ SMOCZYNSKI QUINTET

ポーランドが誇る天才ヴァイオリニストのセカンド。お店のBGMでかけてたら、イヴェントではなくて普通にお茶しに来店されてたお客様が興味を持って下さって質問いただいたという、当夜の大金星アルバム♪


ONE MIRROR...MANY REFLECTIONS / CEZARY KONRAD

個人的に世界トップクラスのテクニックと鋭いセンスを持ったドラマーだと思っているKONRADが唯一残したもろALLAN HOLDSWORTHフォロワーの近未来フュージョン。LESZEK MOZDZERとのピアノトリオ演奏も2曲収録


GURU / PIOTR LEMANCZYK

ほやほやの新作。豪腕ベーシストLEMANCZYKのもとに、超絶ドラマーCEZARY KONRAD、世界的ピアニストDAVID KIKOSKI、「ミスター哀愁」サックス奏者MACIEJ SIKALA、若手トランペット奏者の注目株MACIEJ FORTUNAという素晴らしいメンバーが集結してのガチンコハードボイルドセッション。イヴェントに来て下さったMOONKSの前泊さんが気に入ってらっしゃいました


MUSIC FOR UMBRELLAS / SING SING PENELOPE

打ち込み系テクノジャズの名盤。音響関係のお仕事をされているお客様が気に入られていました。お耳が高い!


SIMULTANEOUS ABSTRACTIONS / NEW TRIO

これも音響のお客様が「どこで買えるの?」とかなり興奮して訊いて下さったアルバム。私的には超一押しの作品ですから嬉しかったです。ヴァイオリニストMATEUSZ SMOCZYNSKIのオルガン、ドラムとのクラブ系プログレッシヴジャズ。需要はあるようですし、国内盤リリース目指して活動しますね♪



とりあえず今思い出せるのはこんなところですかねえ・・・

思い出したらどんどん付け加えて行きますね

まずはこれをご参考下さい

2012-03-14

FM青森It' My Radio 3/13放送 オラシオゲスト出演時の曲目リスト

テーマ:ポーランドジャズ JAZZ POLSKI

昨日3月13日に、またまたFM青森の番組It's My Radioに出演させていただきました!

パーソナリティの横山琢己さん、どうもありがとうございました。

さてさて、当日聴いて下さった方や、聴けなかったもののどんな内容だったかご興味のある方のためにかけた曲目をアップしておきます。



イントロBGM

POLSKIE DROGI / ANDRZEJ JAGODZINSKI TRIO

ポーランドで一昨年辺りに発売された、偉大な映画音楽作曲家20枚シリーズのうち1枚、「ANDRZEJ KURYLEWICZ アンジェイ・クルィレヴィチ」集から。ポーランド以外にも色んな国の大作曲家を採り上げたシリーズなので、そういう外国人のものは普通にオリジナルの音源を収録しているようなのですが、このKURYLEWCIZやKRZYSZTOF KOMEDA クシシュトフ・コメダら国内の人のものなどは現代のジャズアーティストがアレンジを施してカヴァーしているのもあるのです。ポーランドを代表するこの名曲を、ポーランドジャズの良心とも言えるピアノトリオが演奏するこの素晴らしい音源を惜しげもなくBGMに使うというこの贅沢さ!


1.THE STARS ARE AS LONELY AS US 星もひとりぼっち / AGA ZARYAN アガ・ザリヤン

私がこのポーランドナンバーワンの人気を誇る女性歌手の記念すべき国内盤CDのライナーを書いたことの紹介が今回の出演のメインテーマだったので、その中から1曲。先日惜しくも亡くなった名ベーシストZBIGNIEW WEGEHAUPT ズビグニェフ・ヴェゲハウプトの作曲。番組中ではお話出来ませんでしたが、彼への追悼の意味も込めています。生前の彼もこのZARYANのヴァージョンをとても気に入っていたらしいですし。それに、この番組がかかる夕暮れ時にぴったりのムードを持った曲でもあります。


2.JUZ KOCHAM CIE TYLE LAT ユシュ・コハム・チェ・トィレ・ラト / WANDA WARSKA ヴァンダ・ヴァルスカ

それぞれ同じタイトルの、単独アルバムと10枚組ボックスセット『PIOSENKA Z PIWNICY ピョセンカ・スピヴニツィ』の両方に収録されている鉄板ナンバー。番組中でも触れましたが、このWARSKAはポーランドジャズヴォーカル史上において、日本で言うならば「美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ」の3人を併せたくらいに偉い人。先日代官山で行ったイヴェントでもこの曲にやられている人が続出でしたし、ポーランド語の響きも幻想的なWARSKAの歌唱も盟友KURYLEWICZによるピアノとアレンジも全てが最高のメロウチューン。こんなの聴けたなんて青森県の方は幸せですよ~。


3.BALLAD FOR BERNT / KRZYSZTOF KOMEDA

4.CRAZY GIRL / KRZYSZTOF KOMEDA

数多いポーランド映画の傑作の中でも一際鮮やかに輝くロマン・ポランスキの初期の代表作で、今年公開50周年を迎える『水の中のナイフ NOZ W WODZIE』のサウンドトラックから2曲。これも言うことなしの鉄板サウンド。ポーランドジャズの洗練を知るには最適の音楽です。番組中ではKOMEDAについて多くを語れませんでしたが、とにかく彼の偉大さを表現するのはなかなか困難を極めます。だから、やはり本を書きますね。


アウトロBGM

POLSKIE DROGI / ANDRZEJ JAGODZINSKI TRIO

イントロと同じ



こんな感じのプログラムでした。

何しろ15分なのでかけられる曲も少ないですし、トークもなかなか面白いところまで発展しないのですが、今回のテーマは「しっとり&レトロ」ってことで。

これを機会に県内での活動もまた色々進めて行きますね~。


2012-03-14

Poland Jazz X Finland Jazz Record Concert プログラム

テーマ:ポーランドジャズ JAZZ POLSKI

日本のCDコンサート史上に残る?、前代未聞の800枚のCDの閲覧&試聴可能なイヴェント「Poland Jazz X Finland Jazz Record Concert」 at 風土カフェ&バー「山羊に、聞く?」 in 代官山はおかげさまで大盛況のうちに終了致しました。

第1部後半と食事つきの第2部は試聴タイム+懇親会、だったはずが怒涛の大試聴大会&オラシオ&塩見さんへの質問の嵐で、みなさんの「凄い凄い!」「これ最高です♪」という声を浴びまくり息つく暇もありませんでした(笑)。

両国のジャズに対するみなさんの熱い期待をこれほどまでに肌で感じたことはありません。

あらためて普及活動に邁進したいとの思いを強くしました。

当夜のお客様はみなさん私に「こんな素晴らしいものを聴かせて下さってありがとうございます」と言って下さいましたが、とんでもございません。

お礼を申し上げたいのはこちらの方です。

本当に力づけられました。

これからも頑張ります。


さて、この興奮の試聴タイムの前に両国各45分ずつオススメ曲の解説&リスニングタイムがありまして。

これがみなさん結構微動だにせず聴いていらしたので、正直この時点では以後の流れに不安を感じていました(笑)。

そのプログラムを、当日来られなかった方々や興味があるみなさまのためにアップ致します。



今回のテーマは、「天才作曲家による歴史的名曲を、最先端の若手がカヴァーしたヴァージョンでポーランドジャズ史の美味しいところを一気に味わってしまおう!」というもの。


1.Cherry(Krzysztof Komeda) / Simple Acoustic Trio from "XX Festival Internacional de Jazz de Getxo Europar Jazzaldia 1996"

言わずと知れたクシシュトフ・コメダの代表作『水の中のナイフ』のサントラ中の3大名曲から1曲。世界に誇る名ピアノ・トリオがまさに国際的にはばたくきっかけとなったスペインのジャズコンペ優勝時のライヴ演奏。『水の中のナイフ』は今年公開50周年なんですよ。


2.Man of The Light(Zbigniew Seifert) / Mateusz Smoczynski Quintet from "Inspirations"

ポーランドのジャズを語る上でヴァイオリンは絶対に欠かせません。この国は隠れた天才ヴァイオリニスト輩出国なのです。Richie Beirach リッチー・バイラークに名曲「ELM」を捧げられた夭逝の鬼才ズビグニェフ・ザイフェルトの、民俗フレイヴァー満点の名曲を、八面六臂の活躍を続けるマテウシュ・スモチンスキによるカヴァーで。


3.Sygnaly(Signs)(Mieczyslaw Kosz) / RGG from "Unfinished Story - Remembering Kosz"

生前にアルバムを1枚のみ残しひっそりと亡くなった天才ピアニスト、ミェチスワフ・コシュの秘められた名曲を、現代ポーランドジャズの秘宝的トリオRGGが鋭く美しく演奏したカヴァーヴァージョン。


4.On Green Dolphin Street(Bronislaw Kaper) / Rafal Sarnecki Quartet from "Songs from A New Place"

この曲や「Invitation」で知られるあの大作曲家もポーランド人なのです。互いにやりたい放題の作品を世界的メジャーレーベルから発表し乗りに乗っているラファウ・サルネツキとPawel Kaczmarczyk パヴェウ・カチュマルチクの双頭バンドによるひねったアレンジ。この「当たり前にはやらない」ところがポラジャズ魂なのです。


5.Gon Latawce(Zbigniew Namyslowski / Agnieszka Osiecka) / Anna Serafinska from "Gadu Gadu"

私をポラジャズの深い森に引きずり込んだナミさんことズビグニェフ・ナミスウォフスキの作曲に、大詩人であり超売れっ子作詞家でもあったアグニェシュカ・オシェツカの作詞という最強コンビによる名曲を、ジャズもポップも何でもこいで歌える実力派女性シンガー、アンナ・セラフィンスカのゴージャスなヴァージョンで。アレンジは天才Krzysztof Herdzin クシシュトフ・ヘルヂン。


6.Cantabile in H(Krzesimir Debski) / Leszek Mozdzer & Adam Klocek from "Live in Warsaw"

ポーランドの美メロセンスを凝縮したような名曲を、今や現代ポーランドジャズ最高の演奏家の一人となったレシェク・モジュジェルとクラシックのチェリストによるライヴ録音で。


という選曲でした。

私は自分にテーマを課すのが結構好きなので、今回もかなり頭を使いましたが、当日お聴きになったみなさんはどうのように受け止められたのでしょうか。

フィンランドジャズの塩見さんは年代順に、フィンジャズの歴史を解説しながらかけて行くプログラムで、特に最初にポーランドとの結びつきをお話されていたのを聴いて「それを自分もやらんといかんやん」と反省しました。

ジャズシーンを俯瞰的に知る、という意味では私のプログラムはあまり適さなかったかも知れませんね。


ちなみに、後の試聴タイムで色んな方に「クシシュトフ・コメダについての本やポーランドジャズカタログを出します!」とか「今年のショパンの命日(10/17)にはショパンジャズのCDコンサートをやります!」などとお話しましたので、絶対やります。

あと、去年は3回イヴェントやったので、今年は6回やるともお話しました。

それも実現させますよ~。

当日は映画関係の方、音響関係の方、プログレやジャズのライターの方などなど多方面のお客様に来ていただき、楽しくお話をさせていただきました。

ジャズ愛好家だけでなく、色んな方に聴いていただきたい、いや、普段ジャズを聴かない人だからこそ楽しめる音楽だと思うので、みなさんのお耳に入れられて嬉しく思います。

また色々やって行くので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

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