普段、ポーランドジャズの汎用性を説くために、時々「クラブシーン」とか「フロアアンセム」がどうとかとか何とか知ったような言葉遣いをしていますが、実は私はそちら系には全く知識がありません。
と言うか、「解っている方たち」には上記の2語のような単語そのものが「解ってない」ことの証明なんだけど、と失笑を買うかも知れませんが。
ヒップホップとか、もう全然聴いたことないです。
少し前ですが、ツイッター上でも話題を呼んだ『文化系のためのヒップホップ入門』という本を読んで、「音楽として聴いてはいけない」という件
である種の衝撃を受け、気にはなっているジャンルではありました。
そんな私がヒップホップのトーク/リスニング・イヴェントに行くことになりました。
気鋭の若手ジャズ評論家/
ライター、柳樂光隆さんによる「ジャズ・ヒップホップ・マイルス 追加講習」です。
このイヴェントにおいては、2つの重要なファクターがあると私は考えています。
一つは、ジャズサイドからヒップホップを照射するという試みを、ヒップホップ世代自身が行うという、多分初めてのイヴェントであるということ。
もう一つは、あのジャズ喫茶二大高峰の一つ、四谷の「いーぐる」でヒップホップを鳴らすということ。
当日のプログラムは全22曲。
70年代から続くジャズとヒップホップの交わりを、キーボード奏者のWELDON IRVINE ウェルドン・アーヴィン(アーヴァイン)を主軸として捉えることで見えて来るものがないだろうか、という内容でした。
当日のお客には、いーぐるの常連さんらしき「ジャズ寄り」の方と、題目に惹かれてやって来たらしき「ヒップホップ世代の音楽好き」の両方がいらっしゃったように見えたのですが、とりあえず私はジャズ寄りではあるでしょう。
その立場から言うと、柳樂さんが「人脈」を切り口に据えたことは大変に解りやすかったと思います。
ウェルドンからTOM BROWN トム・ブラウン、MARCUS MILLER マーカス・ミラー、LENNY WHITE レニー・ホワイトら「ジャマイカン・キャッツ」へのつながり(WELDONが彼らに目をかけていたこと、そして、後者もそんな彼を尊敬していたこと)などなど、雑多に覚えていた固有名詞が今回の解説で自分の頭の中でビシッと足並みを揃えたことは、嬉しい驚きでした。
さて、フロアアンセムではないですが、「ジャンルアンセム」のようなものってきっとどんなジャンルにも存在するのではないかと前から考えていました。
世代を超えて、そのジャンルのアーティストがそれぞれのやり方でカヴァーしリスペクトスピリットを誇示するようなナンバーが。
ただ、それはかなりそのジャンルを横断的に聴き込んで行かないと見えて来ないものだと思いますが、それもWELDON作の「Mr.CLEAN
ミスター・クリーン」というナンバーが挙げられその存在を確かめることが出来、収穫の一つでした。
FREDDIE HUBBARD フレディ・ハバードに始まり、BERNARD WRIGHT バーナード・ライト、MARCUS、ROY HARGROVE ロイ・ハーグローヴらこのテーマにおける重要人物たちがこぞってカヴァーしているということです。
お話の内容としては、ジャズサイドのミュージシャンでニュー
ソウルサウンドに本当の意味で適合出来た/対応解を出すことが出来た人はほとんどいない、というようなところから始まり、それをレーベルがかりでやろうとしていたのがCREED TAYLOR
クリード・テイラーのCTIであったり、60年代後半からのブルーノートであったり、はたまたジャマイカン・キャッツ人脈による作品を多く輩出した初期GRPであったりという流れを、あくまでWELDONという人物を話の中心に整理し、展開するというものでした。
00年代以降の人脈については、未知の人があまりに多すぎるため「正史」上のネームヴァリューの重みが私には判明出来ず、少ない時間の中では中途半端な理解にとどまってしまいましたが、HARGROVEやMOS DEF モス・デフ、Q-TIPらとWELDONの絡みが存在するということを「音献」として提示することで確認し、かつMADLIB マッドリブとROBERT GLASPER ロバート・グラスパーという2人の「対照的」かつ「共通した足場を持つ」天才につなげて見せるというラストでした。
さて、以下は実際に音や柳樂さんの解説を聴いたり配られた参考資料などを見たりしながら妄想したことを書きます。
THE TRIBE CALLED QUEST トライブ・コールド・クェストにもサンプリングネタとして採り上げられた「WE'RE GETTING DOWN ウィア・ゲッティング・ダウン」をかけ終わった後、柳樂さんが「ドラムの音質自体が非常にクリアに録音されて、マテリアルと化している好例。どういう演奏かということはすでに問題ではない」と仰っていました。
さて、その2曲後にわが音楽ヒーローの一人BILLY COBHAM ビリー・コブハムがドラムを叩くSTANLEY TURRENTINE スタンレイ・タレンタインの「SISTER SANCTIFIED シスター・サンクティファイド」がかけられたのですが、以前から書いているように、COBHAM
のドラムの音色というのは他のドラマーとは隔絶したクリアで抜けの良い鳴りなんですね。
で、これはいーぐるの優れた音響でより一層明確になり、聴いているお客さんの,、ノリから来る首の「うんうん」縦振りが、COBHAMの一発が始まった瞬間から目に見えて増えたんです。
COBHAM
と言えば「RED BARON レッド・バロン」や「STRATUS
ストレイタス」など、それこそサンプリングネタとしてのキラーチューンのクリエイターとして、おそらくある意味で「エポックメイキングなドラマー
」としての定位置以上にヒップホップシーンでの評価が高い人物だと思われるのですが(あくまで妄想ですよ)、ミニマルでかつ躍動感に満ちた「カッコいい」フレーズ作りよりむしろ、あらゆる録音テクノロジーの環境を無効化し、尋常でなくクリアな打撃音でサウンドをマテリアル=ヒップホップの領域に強引に近づけてしまうそのドラミングにこそ彼の「こちら側」でのリスペクトの理由があるのではないかと思いました。
「音」と言うと、いーぐるの音響設備について。
私は普段全くと言っていいほどハードにこだわらず音楽を聴いているので(それこそひどいくらいに)、アンプがどうとかケーブルがどうとかについては書けませんが、これくらいちゃんとしたセッティングがなされていると、音量が小さく録られた楽器も「聞こえにくい」ではなく音空間の奥行き、立体感の演出に寄与するのだと感じました。
であればこそ「演奏の内容」ではなく「マテルアルの配置」について問うこのヒップホップという音楽を他ならぬジャズの殿堂であるいーぐ
るで鳴らすということは「反則」ではなくむしろ「正当」な目論見ではないのか?と聴きながら考えていました。
配置はすなわち「建築」です。
目立たなくとも細部は全体に作用する。
その様を良い音響で聴くと肌で感じられるんですよね。
「音」についてもう一つ。
あ、脱線しまくりですので悪
しからず。
私の音楽視聴歴オールタイムベスト10級の一枚、HORACE SILVER ホレイス・シルヴァーの『IN PURSUIT OF THE 27th MAN
』からWELDONのナンバー「LIBERATED BROTHER リベレイティッド・ブラザー」がかけられたのですが、実は私がこの作品を愛しているのは、
これまたフェイヴァリットアーティストの一人であるヴァイブラフォンのDAVID FRIEDMAN デイヴィッド・フリードマンのプレイに触発されたHORACE
の実にシンプルな「音の美しさ」が極まった作品だからなのです。
この作品で聴かれるFRIEDMANやHORACEの究極に磨かれた音色は、彼らの「演奏」の質から生まれたものではあるのですが、しかし、そんな演奏が詰まった作品がこういうところで「ヒップホップ」のトークイヴェントのネタとして鳴らされるということに運命以上の確かな交差を見るような気がするのです。
うまくは言えないのですが、何か大事な部分でこの辺の作品が様々なファクターを取り込みながらつながっているのかなあと。
(ちなみに当日かかった「LIBERATED
~」はFRIEDMANが参加しているセッションではなく、あのBRECKER BROTHERSが
参加している方のものです)
このイヴェントまで、恥ずかしいことに私はヒップホップと「音色」というファクターを関連づけて考えることはありませんでしたが、柳樂さんが「マテリアルと音色」の関係を話されたことで、曲を聴きながら私の中で
そういう妄想が炸裂したわけです。
「つながり」ということで言うともう一つ。
関連人物の中にDONNY HATHAWAY ダニー・
ハサウェイも挙がっており、彼の「TO BE YOUNG,GIFTED AND BLACK」もかかったのですが、DONNYも実はCOBHAMとの関わりがあります。
DONNYとROBERTA FLACK ロバータ・フラックの共演盤で普及の名作と言われるその名も『ROBERTA FLACK AND DONNY HATHAWAY
』の、さらにその中でも名演名唱と名高い
CAROL KING キャロル・キングのカヴァー「YOU'VE GOT A FRIEND
君の友だち」一曲にだけ、COBHAMが参加して叩いているのです。
どうでもいいっちゃあどうでもいい「豆知識」ですが、私は彼を一曲だけ参加させたことに何
か意図があるのではないかとずっと勘繰っていて(笑)、今回ヒップホップの視点からDONNYやCOBHAMを見ることで、また何かそういう妄想が甦って来ました。
ところで、今回のイヴェントは中山康樹さんの『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』の「追加講習」と銘打たれています。
当然あのマイルス
との絡みも触れられるのですが、誰もが微妙な顔で話題にする例の『DOO-BOP ドゥー・バップ』ではなく、
あくまでWELDON→ジャマイカン・キャッツ(MARCUS MILLER)→MILES DAVISという流れからの言及で、『TUTU』からの「DON'T LOSE YOUR MIND ドント・ルーズ・ユア・マインド」がかけられました。
さて、この曲
については終演後の質疑応答でも、お歴々の皆様との飲みでも「あの曲だけなんか異質だったよね」という意見が相次いだのですが、
ポーランドジャズライターとしての私の見解を述べましょう。
この曲のメロディは本質的に凄く「ポーランド(の民俗音楽)っぽい」のです。
で、本作にはポーランドジャズ最高のスターの一人であるヴァイオリニスト/サックス奏者のMICHAL URBAIAK
ミハウ・ウルバニャク(マイケル・ウルバニアク)が参加しており、彼の参加がマイルスのサウンド作りに少なからず影響を与えていたのかも知れません。
また、この作品の録音前である83年に
、マイルス
はポーランドの首都ワルシャワのジャズフェス「JAZZ JAMBOREE」で
、「あの夜は観客も素晴らしい反応だった」と
自身も何度も
言及するほど
の、自他共に認める
完成度の高いライヴ演奏をしたことがあり、この国に一定以上の共感を持っていた節もなくもありません。
また、MARCUSやジャマイカン・キャッツ周辺のメンバーはURBANIAKのリーダー作にたびたび参加しており、
彼らの団結力というのはこちらの予想以上に高く、
彼の参加は単なる色づけ以上のものであった可能性も高いです。
そうでないと、この作品に唐突に彼が参加していることの説明がつかないくらい、本当に唐突なのです(笑)。
であるからには、この「DON'T~」はあくまでスラヴの薫りをうっすらと漂わせるメロディを主軸にしたテイクであり、人脈の説明としては有効であったものの、ヒップホップサウンドとしては
異質に聞こえてしまったのはそのせいかも知れませんね。
ちなみに、URBANIAKはMIKE STERN マイク・スターンと共にCOBHAMのバンドに参加していたことがあり、実際にその時のバンドのライヴの最中にマイルスが直々にSTERNを引き抜きに来たと後年COBHAMが述懐しています。
また、MARCUSもそのせいかどうか近年
ポーランドと濃厚なかかわりを持つようになって来ており、
一昨年
ポーランドの港町グダンスクで行われた
「SOLIDARITY OF ARTS
GDANSK 2011」
では地元のジャズミュージシャンたちとの共演も含めた演奏プログラムのプロデュース&出演をしています。
URBANIAK自身もMARCUSらジャマイカン・キャッツに対する「使えるやつを探したければジャマイカン・キャッツにコンタクトをとれば良い」という名言(があるらしいです)で賛辞の意を示しています。
ですが、「アメリカのジャズ」に焦がれまくって奨学金をネコババしてアメリカにしがみついた彼が、母国の首都ワルシャワよりも同胞が多いとされるシカゴシーンを避けニューヨークに来たのは解るとしても、なぜジャマイカン・キャッツとつながって行くようになったのかがまだよく判りませんね。
さて、私は前ベースを弾いていたので、どうしてもMARCUSを「ジャズベーシスト」として見ちゃうんですけれど、WELDON絡みの視点から見て来るとちょっと違った姿が現れると言うか。
昔ベースマガジンかなんかで、彼が「今度の新作は全ての楽器を僕が演奏している。ドラムとか一音一音叩いて生音を録音して、それをサンプリングしてフレーズを作ったんだ」と解説しているインタヴューがありまして、それを読んだ当時は「そんなのジャズでも何でもないじゃん、ドラマー呼べば」と思った記憶があるのですが、彼はこちらが勝手なイメージを抱いている以上に「ジャマイカン・キャッツ」なのだ、と捉え直せば、そのアルバムの出来はどうあれ、何となく彼の志向が見えて来るというか、そんな気もしました。
LENNY WHITEにしたって、マイルス方向から見ると「あの『BITCHES BREW
ビッチェズ・ブリュー
』に弱冠19歳で参加した早熟の天才ドラマー」なのかも知んないですけど、それ以上に「ジャマイカン・キャッツ」であり、WELDONのアルバムに参加したり、柳樂さん世代がジャズを意識し始めたというHUBBARDの『RED CLAY レッド・クレイ』に参加したりしたミュージシャンなんだ、と見直せばまた違ったイメージが立ち上がって来ます。
が、彼には故・日野元彦の「レニーなんかアメリカの東海岸のジャズシーンじゃ4ビートドラミングのカリスマ扱いなのに日本じゃ全然違ったイメージで・・・」という証言もあるので、ほんとよく判らない(笑)。
そしてこのことは、そんな天才的な「ジャズ」演奏家であるLENNYやMARCUSや、果てはポーランドのURBANIAKが、ヒップホップの世界に近づいた結果ヒップホップとしてもジャズとしても微妙なぬるい作品しか残せていないという、この講義の最初の方で柳樂さんが「70年代にニューソウルに対して解答を出せたミュージシャンがほぼ皆無だった」という問題と地続きの事実が立ちはだかっていることを再確認させるトピックでもあると思います。
であるからこそ、最後の2曲で「全然でたらめな演奏なのになぜかジャズに聞こえてしまう」MADLIBのナンバーと
、「現代のジャズ
」のキーパーソンであるGLASPERの「BLACK RADIO」の突き抜けぶりに喝采を送りたくなってしまうわけです。
柳樂さんは何度となくWELDONのエレピサウンドが持つ絶妙の「揺らぎ」を口にしてらっしゃいましたが、私はGLASPERのライヴ動画などを見ていて気がついたことがあります。
彼はものすごーく微妙な、ポリリズムとも言えないふわふわとずれたタイミングで軽く左手でエレピのバッキングを入れ続け
ることがあるんですよ。
それは、GLASPERなりの「揺らぎ」の演出なのかも知れませんね。
そして、その「揺らぎ」がCHRIS DAVE クリス・デイヴの鋭角的な超絶ドラミングのグルーヴと絶妙な「配置」を描き、ヒップホップをクリエイティヴに取り込んだ独特なサウンドが成立し得ているのかも知れません。
また、初めて聴くMADLIBのテイクもヘタウマみたいな演奏が多重録音されることによって生まれる不可避かつ計測不可な「揺らぎ」が、どこか最初の方にかけられたTHE TRIBE CALLED QUEST
のWELDON曲をサンプリングしたナンバーの「揺らぎ」と共通するようなものを感じました。
こちらの揺らぎは、配置された各パーツの距離感を肌で実感することなしには体感が難しいもののようにも思えましたので、やはりいーぐるクラスのハイレヴェルな音響で聴くべきものだったのだなと思います。
私はヒップホップリスナーではないので、だからこそ「新しく聴こえて」楽しめたということもあったのかも知れません。
実際、ヒップホップファンの方的にはどうだったのでしょうか。
しかし、どんな音楽も実は「正史」などというものはなく、様々なアングルから光を当てることで、何がしか軸のようなものが浮かび上がって来るだけの話で、その意味でもジャズサイドからヒップホップを語るということの意義はあったと思います。
バリバリにヒップホップなナンバーでも
私は楽しく聴けましたし、人脈という「テキストレヴェル」の軸と、何よりもいーぐるの圧倒的な音響で「マテリアルとしての音」と「ネタの配置」の重要性を肌で感じる、という裏の軸が存在するので、解り易かったですね。
最後に蛇足的に最近の個人的なジャズ観を書いておきますと・・・。
すでに「文脈を楽しむ音楽」としてのジャズの価値は失われつつあって、カッコいいフレーズなら結局違う曲の違う場所にはめ込んでも興奮出来ちゃうんじゃないかという感じになっています。
ジャズ、あるいは音楽という場における「代替不可能性」神話への辛辣な批判。
アドリブの「商業ポップス化」と言い換えてもいいかも。
CMなどで繰り返し流されるサビのメロディさえ良ければそれで「いい曲」、前後のメロディがどんなものであろうが知ったこっちゃない。
それを本当に
音楽上でやってしまったのがFRANK ZAPPA フランク・ザッパなんですけれど、ある意味彼は「ヒップホップミュージシャン」だったのかも知れないですね。
それほどまでに「代替不可能性」が叩き潰されているのになお、奇跡的に生まれるそれを求めて行くのか、あるいはクールに「マテリアル」と割り切りヒップホップの耳でジャズを聴くのか、別れてしまうのでしょうか、これからのリスナーは。
ただ、音
が生むのとは違う意味での、演奏が生む音色というのは音楽において表立って語られて来なかったけれど非常に重要なファクターだと思っていて、その時の音色と言うのはその文脈(前後のフレーズやアンサンブルの進行状況)でしか含まれない微妙なノイズというのが加味されると私は考えています。
で、フレーズとかじゃなくて、そういう微妙な音色の移り変わりを楽しむという風に自分の中ではジャズを聴く楽しみが変化して来ているので、従来のジャズ観とヒップホップを通したジャズ観の折衷案みたいな感じになっています。
そういう変化が自分の中で起こっていたからこのイヴェントが楽しめたのかも知れませんし。
いずれにせよ、柳樂さんという「色んな世代」「色んな層」をつなげるキーパーソンがやるのでなければ私は聴きに行かなかったと思いますので、
氏のやっていることは日本における現代のジャズ言論のこれからを担う上で大変に有意義なものだと言えるでしょう。
柳樂さん、続編ぜひやって下さい。
いーぐるの後藤さんもそう仰ってましたよね(笑)。
私をもっとヒップホップが楽しめる体にして下さい。
いーぐるでやることにこそ、2つの世界をつなげる鍵があるように私は思いました。
大長編になりましたが、感想以上です。
お疲れ様でした、ありがとうございます。