パリのエルメスは22日、米の著名な女性司会者、オプラ・ウィンフリーの入店を拒否したとするメディア報道を受け、
「イベント準備のため閉店していた」
と釈明、謝罪を表明した。
エルメスは声明で、
「ウィンフリーさんおよび同行者に対し、世界中すべてのお客様一人一人に対応するように、サービスを提供できなかったことを残念に思う」
「この状況で起こった非礼について、謝罪する」
と述べた。
エルメスの広報担当によると、ウィンフリーさんは6月14日、イベント準備のため閉店した15分後の夕方6時45分ごろ来店。入り口にいた警備員がウィンフリーさんに閉店を告げ、翌日に再訪するよう、店舗のカードを渡したという。
ニューヨーク・ポスト紙は先に、ショップ側が「最近、北アフリカ系の人間と問題があった」ことを理由に、ウィンフリーさんの入店を断ったと報道していた。
しかし、広報担当はCNNに対し、「北アフリカの人々と問題を起こしたことはない」と否定。入り口に設置した監視ビデオカメラで、この時の様子を説明できるともしている。
また、エルメスの最高経営責任者がウィンフリーさんを、ショップに招待した、とも述べた。
一方、ウィンフリーさんの広報担当は、ウィンフリーさんがこの出来事について、自身の番組で取り上げるつもりだと話している。
○○○ コメント ○○○
オプラ・ウィンフリーと言えば「カラーパープル」にも出た、今やアメリカの超大物。
2003年の所得が230億円もあったというから、桁違いのセレブリティなのである。
それを断るのだから、エルメスはすごい。というか、さすがエルメス。
アメリカの有名人のことはよく知らなかったのかどうか。
またはよくある末端の人々のサービスの悪さみたいなものなのか。
まあ、両者の言い分があるので、事実はわからないが、このニュースはお互いにとってマイナスにはならないだろう。
別にエルメスの肩を持つわけではないが、気に入らない客は入れなくたっていい。
気に入らなければ買ってもらわなくても良いわけだから。
飲食店でも同じで、気に入らない客は来なくても良いという店だっていっぱいある。
こだわり・頑固一徹の大将、みたいな店も多い。
正直、私のもっとも嫌いな店もこういうタイプなのだが。
「はいはい、うちは頑固オヤジが売りでござい」
みたいな店は大嫌いで、
「金払ってわざわざ肩身の狭い思いしたかねえや」
と思うわけである。
どこかで聞いたが、店の中ではしゃべってはいけないラーメン屋とかがあったらしく、こんな店は飲食店の風上にも置けないと、私は思う。
「じゃあ、注文はどうすんだよ」
「ありがとうございましたも言わねえのか」
「従業員だって口きくなよ」
とか思ってしまう。
ところで、最近は教育の現場でジェンダーフリーとかいうトレンドを信奉している人が多いらしく、何でもかんでも男女平等。
「クン」づけをやめようだとか何とか、良く分かっていない連中が、良く分からないことをやっているが、これはアメリカの影響なのかな。
というか、アメリカナイズしたいと思っている、アメリカを良く知らない人の仕業かなとも思う。
確かにアメリカという国は男女同権という印象が強いが、何から何まで同じではない。
そもそも封建主義というものを国として体験していないということもあって、いろいろ自由なところはあるが、じゃあレイプ犯罪が少ないかと言うと、決してそうではないし。
だから、別にも盲目的にアメリカに追随する必要もないと思う。
まあ、まだ日本の最高額紙幣は福沢諭吉ではあるけれど。
ヨーロッパはアメリカよりも、違いというものを意識する傾向が強い。
人種の坩堝よりも、各国の伝統があり民族があり男女があり、という区別の意識をかなり持っている。
だから、ファッションやブランド、アートはヨーロッパが強いのである。
そもそも個人の嗜好というものを基本にして、マーケットのセグメンテーションから入らなければならない業界は、やはり対象顧客の区別というものを尊重しているのである。
日本のマーケッターたちも、ようやく市場のセグメンテーションというものに気がつき始めている今日この頃、ヨーロッパの感性とか感覚と言うものをもっと取り入れる時期に来ているように思う。
だって、日本では何と言ってもイタリアンでしょう。フレンチも入れるとやっぱりヨーロピアンフードは強いよ。
アメリカンなんてどこにある?
で、アメリカやヨーロッパで日本料理って、うーん、単にそれなりという形でしかないような。
ロンドンで日本料理屋に入ったときは愕然とした。
日産やルノーでカルロス・ゴーンがやろうと思っていることって、こんなことじゃないかなと思う。
感性や文化の交流、こんな所に次世代のマーケティングのヒントがあるような。
入店拒否で思い出したが、中村うさぎさん(こう書くと、響きがかわいい。本物のうさぎさんみたいで)が、何かの雑誌に書いていたことがある。
某ハイアット系ホテルのレストランで、彼女とご主人が入店拒否にあった。ご主人がGパンをはいていたからだ。
でもそのGパン、ドルチェ&ガッバーナの18万円のGパンだったそうだ。
でもふと見ると、中で食事をしているアメリカ人らしき2人連れ、短パン。
それもこれも福沢諭吉のせいかもしれない。
もうひとつ、ジェームス・ディーンの出た映画、「ジャイアンツ」
主役はロック・ハドソン。
この映画のラストシーンにまさしく入店拒否のシーンがある。
舞台はテキサス、この映画の公開は56年だから、そりゃあまだまだ人種差別ありあり。
そこへまた、息子が黒人の女性を好きになってしまった。
その女性も連れて、家族で食事をしようとレストランに入ったのはいいが、そこのオヤジが入店拒否。
「黒人を連れて入ってくるな」
ベネディクト家という大富豪の主人たるロック・ハドソン、圧力をかけてこんな店ぶっつぶしてやる、みたいな卑怯なことはせずに、そこの店主と殴り合いのケンカを始めた。
そして負けちゃったのである。(そう、映画としては、勝ってはいけないのだ)
倒れたハドソンの胸に、店主が投げつけた小さな札。
そこには、
「気に入らない客は入れない権利がある」
みたいな(すみません、ちゃんと覚えていなくて、また確認します)ことを書いてあった。
奥さんのエリザベス・テーラーは、ケンカした夫に手当てしながら、惚れ直してしまうわけである。
このラストシーンは忘れられない。
同時に、
「一家の主人になるってたいへんなんだ」
とも思う。
本人だって息子が黒人の女性と結婚することには大反対だったわけで、でもひとたび家族となると自分で守らなければならない。そんな、かなり崇高なお父さん像を教えてくれる映画である。
でも、私に門前払いを食わせたビバリー・ウィルシャーのボーイは許せない(なぜ、「でも」なのかは不問にしておいてください)。
城下町けんぞう