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2016-08-19 19:49:10

夏の体

テーマ:ブログ

はい、毎日しんどいです。

 

体が。こんな暑いときに体力作業なんかするもんじゃねぇよ…

前回そうは問屋が卸さないと書いてありますが、

 

色々と探せば「問屋」(比喩表現です)は見つかるけど、

 

卸してくれるかなって話。

 

 

今回二つほど見っけたし。

 

本当に卸すならスケジュールもばっちしだと良いんですけどね。

スケジュールの件でどーしようもなく、泣く泣く…ってパティーンもあるので。

 

でさらに今の所で腰据える気がないくせに資格も取得するっていう、リスク分散思考。

 

 

今月も遠出いたしますが、今回もまた名古屋へw

ちょうど行く週にMRJ初号機の米国フェリーあるみたいなので、

被ってくれればいいんですけども。

 

 

天候的にはワンチャンはありそう。

 

あと、前泊して、名駅からレンタカー移動の予定なので、

是非とも管理人の交通安全祈願もよろしくお願いします。

あと、ご縁祈願も…w

 

しっかし、正月の神頼みの件がここで復調の兆しを見せるとは

…恐るべし、神戸北野異人館最強パワースポット

今度こそは、上記の件含めて手放したくないので。

 

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2016-07-22 14:06:50

腰の据え方

テーマ:ブログ

どこかのシンガーソングライターの曲名みたいなタイトルですけど…

(瀧川ありさの「銀河鉄道の降り方」とか)



まあ、そうは問屋が卸さないもので、散々振り回された結果、「大人しく今の会社で腰据えるは」っていうオチのない話。


前回の記事の件からスキルアップって事で色々とあってで、

ここで大人しくしてるのもまあ、手かなって話。

大人しくっていうか落ち着きたいっていうか。


例の件も空中分解してないみたいだし。

ってか、空中分解されたら、本来の部署と仕事が…www


気長に待ってるわけだし、そこはねぇ。

今の段階じゃ、ペーペーの手が出しようもねぇし、大人しくスキルアップするしかないっていう。



そんなわけで、余った時間は、遠出に使うとw

25~27日は遠出へGOという事で。





そうはいっても書くこともねぇからこの辺で。

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2016-05-17 12:08:44

五月病かぁ

テーマ:ブログ

五月です。



四月から環境の変わられた皆様いかがお過ごしでしょうか。

環境の変わってない皆様もいかがお過ごしでしょうか。



管理人は今月まった所属グループが変わっちまいました。


ただ、半年前の入社時から気難しそうなオッサンだなぁって思ってる人が要るだけなので、

そのオッサンに関しては「まあ、そんなもんだよな」って位にしか思わないし、


割と当たりかもしれないとは思ってますが。

仕事そのものが変わったわけじゃないので、つまんない仕事には変わりはなく。



で、ここ最近、前の業界(前の会社とは言ってない)に戻りたいなぁという感情が強くて、

色々と動き出してます。


結果は蓋を開けないと分かりませんけども。

完全に蓋開けるのには3カ月強はかかるけどなw


本当にやりたかった事って何だってなって、前のは色々と刺激的で好きなことだったし。

自分の中でテンプレ完成するまでは、その刺激で返り討ちにあう事もあるけど。



というわけで、今の会社に見切り付けたので、管理人はいまだに足元が不安定です…

金銭面的な事情で次が決まるまではいるけど…

ただ、あれ、本当にやりたいことを気づかせたという意味では、この半年間は無駄じゃなかったかなって。


本当にこんなことばっかりでして。はい。


これが五月病かと言われれば管理人には謎な所

いや、五月病か…
現状に嫌気さしてるし

ともかく、実りあるサードキャリアに突入したいと思うもので。

これが決まったらマジで骨を埋める位に仕事するけど…

そんな感じで失礼しやす。

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2016-03-09 14:20:50

憂うつな春先

テーマ:ブログ

気づいたら春になってますね。

最近割と暖かいし。



最近仕事のグループが変わって、一気にやることが増えてもう嫌になりそうな管理人です。


いやもうすでに、嫌になってるんだけど。

まだ半年経ったかなって所で、来月から下が入ってきて…



なんて周りからいろいろと発破掛けられてますが、

管理人の心の内としちゃあ「その頃には、内定時の本来の仕事が受託になってそっちにいるんだよなぁ」という感じで。


もう3月も1/3過ぎる頃ですから、そろそろ内示頂ける頃かなとは思ってますけど。

4/1~なら色々と時期的にそんなもんでしょ。


今いる仕事と本来の仕事は、やる対象は一緒で、内容がまるで違って、

たぶん後者のほうが難しいはず。



というか↑だから、この半年間妙に浮足立たないんだよねぇ。

客観的にみれば社会人として、それはどうかとは思うんだけど、

主観的にみればやっぱりその対象を覚えて、本来の仕事行ったときに1でも2でも知ればなんか違うよなぁって考えになっちゃうんだよねぇ。



やっぱりどうしてもねぇ。

まあ本来の仕事が受託延期になって今の状況を飲まざるを得ないような感じだけど最終的に飲んだのは…って突っ込まないでね。



まあ、ともかく早く本来の仕事で4/1~っていう話を頂きたいと事ですね。


自分が選んだ仕事を出来るって、仕事が難しくても気分的には違うからねぇ。




人事のエライ人が↑の理由で4月からそっちと入社時に説明受けたし、

神頼みもジワジワと効くものだと思うし、良い話は突然にとも思うし、果報は寝て待てくらいしか無いんですけど。







あ、3月の終わりごろにまたブラリしに行く予定。予定と言いつつ航空券はもう買ったけどw

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2016-01-22 12:38:32

2016年一発目

テーマ:ブログ

もはや、新年じゃないっすね。

もう二月になるし。



というわけでこのブログ上では今年初更新。

ホームページでは更新済みで。



転職してもう3ヶ月も軽く超えようかというところで、

色々と一喜一憂どころか、憂しかありません。


なんでかっつうと

内定時の仕事とは別の仕事をやっているわけで、



こちら側の上層部と先方の上層部で色々とまとまってないという事で、

4月から本来内定時の仕事にって人事課長はおっしゃっていましたが。


4月からといわず早く話をまとめていただいて、早く行かせてほしいとは思いますが。



やりがいは無いとは言えないけど魅力を感じられない、今の仕事なんですが…




年始に関西で神頼みしまくったし、そろそろね。




本当に悩みや考え事は尽きない…

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2015-10-03 15:29:13

【51周年】東京モノレール羽田空港線

テーマ:鉄道歴史シリーズ

第4弾は東京モノレールです。

過去の話も少し絡んできます。


今回も資料は公式の東京モノレール50年誌です。

――――――-


・モノレール開業まで


60年代に入るまで航空需要は著しく増加し都心から空港まで

バスで当時の京浜国道(現在の第一京浜)経由で約1~2時間というかかりよう

今でも第一京浜~環八経由だとそんなもんですので、想像には難くないでしょう。



そんな状況を見た外人受入第一線の帝国ホテル社長が知り合いのスウェーデン人のアルウェーグ式モノレール開発者にモノレールの話を依頼
そして53年運輸省、国鉄、日立製作所を呼んでアルウェーグ社による説明会


1960年アルウェーグ社と契約をし1961年日立モノレールコンサルタント設立

実験台として1962年名鉄犬山モノレール開通



しかし1959年大和観光という競合他社登場
だが、そこと協調路線をとることにし大和観光は日本高架電鉄に変更
計画を懸垂式(上野動物園みたいなやつ)から跨座式(現・東京モノレールみたいなやつ)へ

モノレール建設へと話が進みますが
当時の都は、首都高出来ればモノレールはいらないという考えで、しかも当初計画起点駅の新橋は、新幹線建設反対運動中


が、モノレールは歓迎の動きはあった。

まあ、当時は車・飛行機の時代になるという情勢でしたし、場所もいうほど取らないからでしょうか。


そんな中蒲田辺りでモノレール誘致の話があり、62年蒲田への免許申請

ただ、実現していないので、そういう事です。


そして車が増え都心~空港の交通量増加で、モノレール建設による抜本的な解決をという声が高まる

しかしルートは、始発駅の新橋は先の理由で、困難と判断
第二候補の浜松町が良いと判断し、駅前の都バス車庫跡地(浜松町営業所)を貸してもらうよう申請

しかし航空センター創立事務所がヘリポートとして使いたいと言うことで競願するも

都はどっちつかずでヘリポートは地元の反対もあり日本高架電鉄に払い下げ
他のルートは今のと同じで決定するが、開業直前で、買収話がまとまる事例もあった


建設については海老取川Tは時間かかりそうなので、首都高と同時建設
空港内は当時のB滑走路下をシールドで掘るため、正式施行認可前に、特認で着工


困難を極めた個所は昭和島車庫(→昭和島→京浜3区埋立地)で、埋め立てホヤホヤなので、足場が緩く、大森海岸からの船便以外交通手段が無いという状況

しかも一日数便


そんなこんなの約1年半の突貫工事で、64年竣工
1964年5月に親しみやすいよう東京モノレールに社名変更


・モノレール開業、そして経営悪化と好転

開業後物珍しさで満員になり7分間隔で運転
当時は名鉄の人的バックアップあり、乗務員研修も前述の犬山モノレールで行うものの65年終了



五輪終了後、経営悪化し

当時の\250というバカ高い運賃もあり輸送人員は2000人を切る日も


消費者物価指数で当てはめると現在約\1080ってところでしょうかね


航空需要増加とはいえ、当時は、今みたいにそう気軽に乗れるシロモノではないですから…飛行機は。


そこで経営立て直し策で1965年5月大井競馬場開業
レース開催時のみ営業ながら、1000人は利用したそうですが。
運賃を、均一から区間毎に変え、定期も売り、空港観覧客を当て込んだりしたが

これらは全て焼け石に水


そして66年に値下げして
普通運賃は\100引きの¥150

それで、現在だと¥580程度です。(物価指数の変動も考慮)


ただし、当時は国鉄と京急バス乗り継ぎで\55で空港へ行ける時代

現在だと大体¥220くらい

当時の経済力を考えてください、値下げしても高い方です。


そして、国鉄と連絡運輸締結

1967年
羽田整備場駅の開業
航空関係者の通勤を金づると認定します。
ちなみに、競馬場前も整備場も当時は屋根無しのケチった構造w

現・整備場駅です。


当の経営状況ですが、客は、70%増えはしたが、利益は値上げもあり対して変わらんかったという…
最大でも20%UP


当時成田の計画もあり、本格的にヤヴァイかもとなる
抜本的な会社再建のため日立運輸東京モノレールが発足



しかし1967年以降状況が好転します。


海外旅行が一般化し、

地方空港もジェット化が進んで航空旅客増加します。

まあ、経済状況が良くなったんでしょうねぇ


沿線の埋め立てが進展し、開発へ
1969年新平和島駅開業します。

現・流通センターです

その近隣にはトラックターミナルが出来たことによります。


そして浜松町には1970年貿易センタービルがオープン


首都高横羽線延伸で渋滞が悪化し、
時代の流れで、運賃の割高感が薄れる
安くて早いモノレールというのが定着する


横羽線の渋滞緩和の抜本的改善は結局首都高湾岸線開通まで待つ必要があったはず。

1969年から、500形導入による大型化を図ります。


懸念材料だった成田開業で、客減るかと思われたが
モノレールと航空券の抱き合わせ販売やら、修学旅行の誘致を行い、
で、成田のすったもんだに国内需要増加で言うほど旅客数は減らなかった

・羽田アクセス独占時代


都市交通モノレール開発へ技術協力をしています。
東モノの現状を洗い出し
→大阪万博モノレール
→北九州モノレールと続いていくことになります。


例えばアルウェーグ式は日本に向かないとかうんたらあったそうです。

が、後述しますが6両やら快速による追い抜きとかやって輸送力が大きいモノレールはここだけです…

国内では


1981年には日立運輸から東京モノレールが独立します

それは経営好転があり今後の羽田沖展等状況変化でも、柔軟性を持つためで


労使ですったもんだありつつも独立



同時期には、空港アクセスの定番となってきましたが、混雑が目立ってきます。


対策として、浜松町を皮切りに羽田、他駅に利用者カウンターを設置し、
定員を120→95に減らしつつ混雑率を120%に抑えるため、700形投入し、増発を図ります
車内はロング化、荷台を設置


1974年よりやってた6両運転を、83年から全列車に広げ


これにより、2両固定ユニットの構造から、中間車専用800形を入れて、定員増加を図る
1982年、700形より冷房化



そして駅改良を進めます。

・浜松町
エスカレーター増設、自改機倍増、案内表示機、安全柵設置

・大井競馬場
駅ケチリ過ぎて老朽化
→大井埠頭の開発(八潮団地とか)で利用者増加し、今の2階建て駅舎に

流通センター
こちらも駅ケチる
→流通センタービル展示場の入場者UP、現在の駅に

昭和島
85年に出来たが、西口のみ開設、同年中に、東口開設

整備場
空港関係者のための駅で、昼間無人だったが、時代の流れで航空需要が高まりそれに伴い、

通勤客増加したため、駅舎改修、屋根設置
というよりマトモな駅舎無かったです。写真見る限り。

羽田
客の導線、切符購入に時間かかるんで、導線改良、券売機増設


1989年に現在も主力を張る1000形投入
3両+3両→6固定ヘ


車両大型化、6固定化、増発により、昭和島車庫の増築を決定

変電所強化も実施


羽田空港沖合展開事業(沖展)による延伸が計画されます。

ルートは以下三案を検討


A案(下図オレンジ線)
羽田から直接延伸
→本命
B(下図茶線)
流通センターから分岐、湾岸道路沿いに延伸
C(下図緑線)
国際線開業前のルート→建設ルート

Aの方が安上がりだったが、詳細調査で、工事がムリだろとなり、
Cは道路上空を利用できるし、工事も楽だしで、結局安上がりで、Cに決定

ヤフー地図を基にペイントで加工
赤線は当時のモノレールのルートです。



85年、整備場~新東ターミナル(現・第二ビル)の路線免許交付
新西ターミナル(現・第一ビル)で2期に分ける分割工事を採り、一部は新A滑走路と同時施工

余談ですが、この建設計画図に、国鉄京葉線があり、りんかい線の話に繋がります

上図、天空橋付近の点線(→東海道貨物線)がそれです。

・競争激化時代

1992年天王洲アイル駅開業
東モノ初の請願駅です。
当時陸の孤島と呼ばれた天王洲アイルの利便性向上

当時再開発が進んでいたとこですね。
そしてATCを投入します。



羽田新線が開通
旧ターミナル直下の羽田駅は埋められたそうですが、

トンネル入り口だけ塞いで、駅自体はそのまま残ってるという噂も…w


1993年9/27現第一まで開通、新整備場・第一ビル駅開業
空港客の増加し、中間駅の利用者数も増加

1996年
浜松町駅南口開設

1998年京急がターミナル直下まで延伸
バスや定額タクシーも含め、ここから競合激化します


97年改正から、
早朝、深夜便への対応を進めていきます。

93年から自改機の本格導入が始まり、2000年昭和島で完了

98年浜松町駅に
シティーエアターミナル開設
航空券発券から、チェックインまで一通りおk
だかしかし、eチケットとか自動チェックイン機とかで営業終了します
跡地はエレベーターを設置

1997年
2000形導入

2001年改正で、
羽空発の臨時列車を定期化、ノンストップで運転
今の快速の走りですね

・利便性向上と現在・未来の話

1998年以降、京急延伸により客が減少します。


そうなって、新線延伸の償還がキツくなるのではとなり、JR東に資本握ってもらった方が良いのではと社内で検討が始まります。


親会社の日立も日立で、モノレールを売却したいという意図があり、

平成以降の不景気もあるし、JR東に渡したら、金もあるし同業ということで利便性向上出来るのではという意図もあり、日立の交通システム事業発展にもJR東と組んだ方が得策という判断


余談ですが、不景気だと、モー娘のLOVEマシーンみたいな前向きな歌詞の曲が流行るそうです。

ちょうどそのリリースの時期…かな。多分


JR東はJR東で、羽田アクセスに参入したい
→羽田新線や東海道貨物線旅客化よりモノレール買収の方が手っ取り早い


モノレール・日立・JR東の三社思惑一致により2002年、モノレールへのJR東参加へ
→日立は技術的な観点で従来通り資本は出す。
→JAL/ANAも資本参加へ

しかしJALは後々のすったもんだで東に資本譲渡


その後、
→JR浜松町モノレール口開設
→京浜東北線快速浜松町停車
→早速Suica導入
→企画券も投入
→同じく東の資本が入ったりんかい線天王洲アイル開通に伴い
天王洲アイル南口開設
乗り換え利便性向上


という、モノレール誘導策を実施


天王洲アイルの件はしばらくは、りんかい線→モノは便利だったが、逆は不便だった。
しかし2004年、跨線橋共用により解消
りんかい線と連絡運輸開始

2001年よりホームドア設置
2002年ワンマン化

2004年12月
第二ビル駅開業



そして快速運転へ
2003年日中のみ快速運転
停車駅は天王洲アイルのみ停車

しかし、普通列車の間隔が空いてしまうなどがあった

2004年8月
浜松町ポイント改良により、所要時間ちょっと短縮

しかし、競争力強化には更なる輸送量増加が必要
そのため昭和島に待避線を設置することになる。
2006年着工に2007年完成

2007年昭和島待避線共用開始
空港快速、区間快速運転開始し、

空港快速による追い抜き運転が開始

2010.10/21
国際線開業
→軌道をターミナルに合わせ移設
→高架であることを活かし、シームレスに移動できるよう設計

そして今後、浜松町再開発
→貿易ビル、JR東、モノレールで高層ビル2棟と低層ビル1棟からなるA街区2.3ha
→日本生命等々で高層ビル1棟のB街区0.9ha
→モノ駅建て替え、JR北口橋上化
→JR、都営、モノの乗り換え利便性向上
といったことが控えている


とまあ、駆け足に歴史を紹介しましたが、


JR東が羽田アクセス参入を決定し、

モノレールが東京とか新橋延伸をとかってなってるのでその辺も目が離せないですね。



モノレールのアドバンテージは、やっぱり運転本数でしょうかね。

管理人も空港勤務者で、モノレールでの通勤なので、

本数の多さは大きなアドバンテージです。


本数の多さを大きくアピール(正確には平均4分間隔と宣伝)してますし、

もしかしたら、空港勤務者を含む航空関係者をより取り込んでいくのも手かもしれません。



日本で唯一、退避を行うモノレールですから、それを活かすのかもしれないしw


通勤快速(仮称)みたいに

浜松町-整備場-天空橋-国際線-新整備場-第一ビル-第二ビル…みたいな関係者を取りこむような列車が出るのかもしれないし。

ってか、整備場以北はノンストップで以南が各駅停車ですね。はい。



まあ、管理人の妄言にしか過ぎませんが…


あと、天空橋近辺の旧施設跡地を再開発するみたいなこと言ってるし、

東京の鉄道関係でも一番のホットスポットですから、目が離せませんね。


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2015-09-29 18:39:57

転換の秋

テーマ:ブログ

えぇ…9月も、末ですが…



今年の夏は一気に終わったねぇ。

暑がりの管理人的にはサッサと夏過ぎて良かったと感じているタチですが。



というわけで、10月から管理人のお仕事が変わるので、

更新もローペースに…なるかどうかは分かりませんが、既に平均1.5回/月なので

ローペースになりようもございません。



まあ、全盛期から比べると、すっかり衰えたようなもんですが。

今の人間関係で一番長い、所長さんはちょうど全盛期になろうかというくらいでつるみ始めたわけですが、最近あんまりねぇ。




そもそも

方や学生、方や社会人で。


置かれてる環境が違いすぎるのよねぇ。



そのまま自然消滅もなーんか、ねぇ。どうなんだろうかね。





というわけで、10月から研修を経て

お空を飛ぶ機械を23区の南端でいじるわけですが、

残業ありの日勤ですから、泊勤務から就職前の日勤サイクルに身体合わせるのと、

(地下生活の反省点的に)早めに仕事卒なくこなせるようにしたいし、



本腰入れてやるつもりだから、そうもプライベートに割けられるかというと分からんのよね。


さっきの人間関係じゃないけど、カノジョなんてものはそうも難しい話。


天王洲アイルで、彼女と出会って、仕事帰りに付き合って…なんていう

そんな現実的に厳しそうな話。


え、なんで天王洲アイルかって?

上の文章をよーく読んでくださいw

それに、天王洲アイルってなんかシャレオツじゃないっすかw

現実は、仕事帰りに大井競馬でトゥインクルだろうけどwww





まあ、それは置いといて2年前のファーストキャリアとほっどんど変わらぬ時期


転換の秋です。

今度はセカンドキャリアですが。


長期的ビジョンもある事だし、腰を据えて…なので

プライベート割く時間減りますが、


管理人が公開している全てのネット上の空間のうちどっか1個所のみツイッターへのリンク仕込ませておいたので気になる方はどうぞ。



食欲の秋ならぬ転換の秋です。




仕事慣れてくるであろう、一年をめどに独立もねぇしたい所ですが。

というわけでネタ無いのでこの辺で。

次回はネタが思い浮かぶころに…www

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2015-09-08 20:45:53

身の振り方。

テーマ:ブログ
えーと、ずいぶんご無沙汰でした。


最後は5月だったっけねw



まあ、身の振り関係で色々とございまして
先月辺りにやっと身の振りが決まりましてね。


地下からお空見ます。
・・・管理人はお空を飛ぶことはしませんが。
お空を飛ぶ機械をいじります。


それとは直接関係ないけど、
ホームページに書いた北海道遠出の件は、明後日出発です。

4泊5日ですw


あー台風17号反れてくれないかなぁ~

まあ、そんなわけで、ホームページはこうご期待を。
大層な物は書きませんけども。


しっかし、このブログもう7年半ですよ。
まだ厨房だったあの頃。

管理人を取り巻く環境は大きく変わったねぇ…

そりゃ、15歳と22歳じゃ変わりますよね。
義務教育と社会人じゃ

更新もだいぶローペースになったけどね。
流動的だからね、取り巻く環境が。


まあやっと、腰据えられるかな。



まあ、と言うわけでまた次回

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2015-05-28 16:55:50

京浜急行電鉄空港線

テーマ:鉄道歴史シリーズ

シリーズ化しました。今回は京急空港線です。


今回は国会図書館に行って京急の社史を読んできましたが、どうもWikipediaの出典がそれだったらしく…考えてることは同じみたいですねぇwww


別にこのためだけに入館証を作ったわけではなく、裁判傍聴(←割と行ってる)の合間のヒマ潰しで去年くらいに作ってます。



1.羽田と穴守稲荷神社と穴守線の関係


まずは、この話から。

割と現代に続くまで絡んでくるお話なので。


ちなみに、羽田という地名は、飛行場があったから、というわけではなく、はっきりはしてないらしいが、

・海老取川を挟んだ土地の形が鳥の羽のように見える、肥沃な田地だったこと。

・湿地を意味する「埴田」(はにだ)、あるいは開墾地を意味する「墾田」(はりた)から転じた。

・鳥の羽が落ちる田地だった。

との事。


だから、別に空港があるから羽田にしようぜって事ではないんですけど、その羽田の地に飛行場が出来て運用されてるわけですから、何かの縁ですかね。


で、そこには干潟があったわけですが、それを干拓して農地にしたわけです。

その際に稲荷神社を誘致し、それが後に穴守稲荷神社と言われたわけです。


その場所は、現在の東京モノレールの整備場~国際線辺り一帯です。


あ、ちなみに、江戸時代は遊女(今で言う風俗嬢)の聖地だったそうです。気になる人は調べてください。


ここで一気に話が進みますが、

明治時代のテーマーパーク的存在は神社とか寺だったわけで、穴守稲荷もご多分に漏れず、

店が出来て、お座敷も出来たわけです。浅草も似たようなものですよね。

しかも海岸も近いし、夏は遊べるし、温泉が湧いたりして(注.温泉は日本ならどこでも湧きます。掘る深さは違ってきますが。)賑わっていました。


で、川向うの川崎大師と抱き合わせで、この二つを巡るのが定番だったそうで、


そんなわけで、既に現在の京急大師線・本線の一部を開通させていた、(大師電気鉄道→)京浜電気鉄道(→後の京急)が、目を付け、


穴守稲荷から一番近かった蒲田(京急蒲田要塞)から、穴守まで開通させました。

これが現在の京急空港線です。

1902年の話。



で、1914年、穴守線が延伸し穴守駅が、羽田(翌年稲荷橋に改称)に改称し、新たな終点が穴守駅になりました。

なんでかって言うと、そっちの方が穴守稲荷に近いから。

この年に海老取川を越えてますから。


開通後は電鉄自前で運動場や遊泳場を作って、今からは想像できないほどの観光路線に。


後にプールなんてのも出来ます。


あと、食用の鴨を泳がせていた池もありました。



1916年羽田飛行場がオープンします。

その時航空学校なるものもオープンしてます。

まあ、学校の施設の一部としての飛行場なんですが。


が、台風でやられたりと、航空学校はいったん調布の方に移ってます。


2.戦争に翻弄され…


1931年 東京飛行場が羽田の地にできます。今回は国が設置し、正式開港という流れです。


1933年 その調布の方から民間航空部門が移ってきます。

その5年後、飛行場の拡張により先述の運動場とかプールは無くなります。

国家総動員法なんていう法律があった時代ですからね。


また、この時代から企業の工場が建ち始め、それに伴って下請け企業の工場も出来てきて、

軍需品を製造していました。


そのころになると、穴守線の利用者が、観光客からその工場への通勤客へと変貌していきます。

現在でも空港線沿線は工場が多いらしいですが、これがきっかけなのかもしれませんね。


そんなさなか、京浜電気鉄道は東急に飲まれます。いわゆる大東急です。

大東急については後々出てくると思いますので今回は割愛。(銀座線の回とかで。)



1945年 敗戦。



日本はGHQ(というか米軍)に占領されまして、

まあ、この辺は小学校の歴史でもやりますから有名な話なんですが、


GHQは日本の飛行場を現状状態で維持するとともにボッシュート接収、&航空活動禁止を通告。

この辺は随分前にやってた、「わが家の歴史」っていうドラマにも出てましたね。

ちなみに、余談ですが、主演は柴崎コウで、松潤演じる学生(←フィクション)が、航空学者の糸川教授(←これ実在した人)に弟子入りして、でも↑の通告により、松潤大ショックって言う流れです。


後にロケット開発に進むんですが。(糸川教授(←実在人物)とその学生(←フィクション)が)


スイマセン余談でした。



で、穴守線の上り線もボッシュート&飛行場周辺住民に48時間以内の撤去命令(いわゆる空港島)



なぜか。


それは、羽田飛行場の拡張のため。

ちなみに、当初は12時間以内の撤去だったそうですが、さすがに酷いとなったのか、48時間以内に。


まあ、後になって日中のみ、1週間は立ち入りのみおkっていうのもあったそうで。



住民は、米軍は何をするんだろうと気になって、海老取川の土手から見ていて、

重機で更地にされたのを見て、泣き出す人とか、「こんな重機を軽々と扱える国にケンカ振ったのか、そりゃ勝てんわ」と思う人もいたそうで、


上記の鴨を泳がせていた池も日本産の航空機で埋められました。

これが、後々国際線ターミナル建造時に大量に出土。


穴守稲荷も追い出されましたが、鳥居がタフで動けなかったので放置プレイされましたが、なかなかの心霊スポットだったそうです…


移転時には丁寧に御祓いしたそうですが、…作業中に急に雨が降るとかっていう現象もあったそうで…


それは置いといて

ボッシュートされた穴守線は国鉄蒲田駅と連絡され、羽田空港拡張に使われました。


占領中は、ハネダ・アーミー・エアベースと名乗ってます。



その後、1948年京急が独立しました。

穴守線のボッシュートされた分はちゃんと返還。




ここで、かの有名な初代羽田空港が出来るかと思いきや、

空港ターミナルへの足はバスが担っていたそう。


1956年、初代羽田空港駅まで延伸。

稲荷橋駅がは現在の穴守稲荷駅に改称


後に空港線と名を変えますが、海老取川の対岸に駅があり、空港駅とか言いつつも全然離れているという。

駅からターミナルまでバスありましたが…


東京モノレール開通後は、空港線とか言いながらローカル色ムンムンな路線が実態でした。


あ、モノレール開通前に、空港乗り入れについて京急に打診あったそうですが、

通勤対策が急務なので一旦辞退したそうです。


それで、しばらく京急が入る資格はねぇ状態になってました。

まあ、当時はねぇ…国鉄も通勤5方面作戦なんて言って、通勤対策に躍起になってましたし…


3.遂に空港ターミナルへ


時代が高度経済成長真っ只中な80年代。


飛行機も大分庶民の手に届く時代になり、いよいよ羽田の輸送力飽和状態になり、

沖合展開事業、いわゆる沖展

いつぞやか、OKITEN!!!って宣伝してた気がするがそれは気にしないでおこう。


そんなわけで、モノレールじゃパンクするんじゃね?的な話になり、



沖転の中に京急空港線の旅客ターミナル直下への乗り入れが盛り込まれた。



ちなみに、その沖転の用地、残土処分場、マヨネーズ層って言うくらい地盤がゆるゆる…どころか人が立てないくらいだったそうです。


まあ、色々あって完成したそうな。



マヨネーズ層って言うのが、どうも正式な学名になりかけてたそうですが、マヨネーズ業界から大反発にあったそうです。当たり前だろwトルコ風呂も大反発だったしな



そんなわけで、第2期事業で、空港線羽田駅延伸


今の天空橋駅です。


工事期間中は、穴守稲荷から先をバス代行で対応したそうですが。


そして、東京モノレールとの乗り継ぎで空港ターミナル(現在の第1)まで到達。

都営浅草線からの直通をこちらに振り替えるなどして、利便性に努めました。


この時期から京急で空港に行く人が増えたそうで。

その証拠に6両までしか対応できなかったホームを8両まで延伸してますし。


同時期に羽田空港駅(現・国内線)建設も始まってます。

首都高湾岸線の建設もあるので、先に作ってしまおうという魂胆。


4.羽田空港延伸から現在に至るまで


大鳥居地下化後から1年

1998年 羽田空港駅開通

羽田駅は天空橋駅に改称。


ここで遂に、京急空港線が日の目を見るわけです。



と、同時に80分間隔で成田・羽田直通運転開始

エアポート特急なるものも運転開始


99年には品川方面の電車が終日10分間隔へ



02年 エアポート快特の成田空港直通がほっどんどなくなる、成田止めに

まあ、80分間隔な上に、京成側でダイヤの折り合いがつかなくて、都営車と京急車が上野まで運用されるというめんどくさい状態になってましたし。


折り合いつかないっていうか、本線特急のパターンにはめちゃった上に、空港近辺単線だしって言う。



で、

浦賀・新逗子~普通~文庫~快特連結~川崎~特急~空港っていう列車が登場。

いまだに管理人はこの列車のイメージが強いですがwww


そんなわけで、羽田空港からの成田空港アクセスの意義が薄れてったわけです。

後に佐倉止めにまでなり、スカイアクセス開通までそのまま運行されていくわけなので。


03年 品川方面へは急行に統一。

まあ、立会川に止まるか否かの違いだし、蒲田以北は言うほどスピード出せないしね。


04年 第2ターミナル開業に伴って、第2側の改札口営業。

建設時から第2建設を前提に今の国内線の駅を作ったそうで。


第2は管理人がSFJに乗るのに使ってます。

SFJは視野が変わった。マジで。九州に行くならSFJ


10年には蒲田要塞上り線が開通

エアポート快特が品川までノンストップで20分間隔。衝撃的だったわw

急行がエアポート急行に衣替え。横浜方面は先述の特急から振り替え。これも衝撃的


そして、スカイアクセス開通で羽田・成田直通を再度増強。


秋には国際線TMオープン。


12年には蒲田要塞完成で、

エアポート快特が半減する代わりに、残りの品川方面が全部快特にw

そんなわけで、品川~羽空は快特10分おき。昼は。

朝・夕は急行ばっかりだけど、しゃーない。


でも、深夜の上りがほぼ総じて品川止なのはどうにかならんか…

泉岳寺まで行ってくれれば…



で、横浜方面のエア急も10分おき。


14年の改正で、浅草線のみエア快倍増&全区間通過運転化

昼間は快特青砥or高砂行きは船橋経由の特急と接続するようになる。



そんなわけで、京急は、ここ10数年の取り組みを「海から空へ」なんて表現してた気がする。


確かに、神奈川~都内は、山手線東部から、渋谷・新宿方へとシフトしつつあり、

確実に客を取れるのは羽田輸送であるのは確実。


羽田輸送は関東エリアから客を取り込むことが出来るし、

逆に他地方の客を都心その他へ送り込むにも有利だし、


そっちの方が良いことずくめなんですよね。


今後品川再開発に伴って品川駅が改良されるみたいですし、品川~羽空間の所要時間がさらに短縮されるかもしれません。増発もあったりして…?



今後羽田アクセスで色々と動きがある中で、今後どういう展開を見せるのでしょうか…



――――――――-



と、まあいかがでしたでしょうか。


鉄道の話割と少なかったですね。


ご意見 ならコメント欄にて受付します。

というわけで今回はお開きで。ではまた。

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2015-04-23 18:23:21

東京都交通局6号線三田線

テーマ:鉄道歴史シリーズ

鉄道グダグダ話第三話ですかね。


ちなみに、私ごとですが今月異動しちゃいました。はい。


それは置いといて、東京の地下鉄で屈指の迷走路線三田線を今回はグダグダ書いていきます。

――――――――――――――-―――――――-


今回は前回のりんかい線と違って関係する路線が多いので一応ロークオリティーの路線図を用意しました。






1.三田線の計画浮上


三田線の計画で一番最初に出てきたものは、1957年5号線(東西線)の枝線として、示された

大手町~板橋間です。

5号線-2なんて言う感じでしたけど。


その後1962年この枝線を分離・独立し、

西馬込~泉岳寺~三田~(現在と同様)~板橋本町~志村と、板橋本町から上板橋への支線で構成された6号線として計画。

見れば分かるように、三田以南は浅草線(1号線)と共用予定で、

当時の志村は、志村坂上からそのままに北上し志村橋(浮間舟渡の近く)までの予定が、

郊外に延伸するのに不都合なので、現在の線形で蓮根

それが、高島平辺りの団地開発やるというので、高島平になったと。


だから、坂上以北の地上区間があんなにくねくねしているわけで。


上図で言うと志村坂上からそのまま上に向かうルートの終点で、

現在の志村橋のあたり。

それが、蓮根から北上の線。


坂上から北上ルートは都電が走ってて、なぜ、蓮根ルートになったかというと、

地下のままだと、金的にアレだし、坂上で出ようと思っても土地代って言う話になったため。


当時から都営浅草線(1号線、当時の故障に倣えば普通に都営地下鉄)が営業していて、

押上から浅草橋、人形町、大門と伸ばしていた。



2.翻弄された直通運転計画


ここで、都営がさあ6号線も作りましょかって言ってる時に、東武と東急が横やりを。


ここで、64年の答申に反映。


都営は、1号線と規格をそろえることで運営したかったので、全力で拒否。


東武は東上線の都心乗り入れバイパス線として、

東急は、多摩田園都市計画(要は宅地開発計画です。)にあった、田園都市線から都心への鉄道線として、現在の大井町線・池上線を通り、廃止になった桐ケ谷駅から、6号線に乗り入れるルートとして、


都に乗り入れを打診。



まあ、結局は64年の答申に盛り込まれるくらいですから、そうなったわけです。

運輸省の行政指導もあったそうですが。



上図で言うとこの、大和町~志村(今の高島平)は東武が作り、

泉岳寺~桐ケ谷は東急が作るルート。


まあ、東武の方も上板橋経由でやるつもりだったのだがこれも土地の都合上で。はい。


この一連の計画変更で実は浅草線(1号線)の建設が遅れた。


泉岳寺~桐ケ谷(大崎広小路辺り)は、1号線と6号線が並走区間で1号線は都で、6号線は東急で作りまひょって事になっていた。で、並走って言うからには同時施工が必要。


三田~泉岳寺は共用なのか独立かは不明ですが、現在の三田駅の構造からして、別線だったのでしょう。


そんなわけで、1号線をさっさと作りたい都と、周辺開発が進んでいない(多分田園都市線の事)んで、もうちょい先でも良いんじゃね?的な東急と意見が割れる。


そんなわけで、上記の並走区間の同時施工は金無いからムリという事で、東急側から都に通告

で、都が業を煮やして東急に1号線単独施工を通告


これが、1号線が64年のオリンピックまでに建設が終わらなかった理由。



なぜ、東急は金がかかると分かっていた6号線乗り入れを金が無いという理由で止めたのだろうか。


それは、新玉川線の建設があり、そちらに集中投資をするという事だった。

管理人の推測だが、元々、渋谷~溝ノ口他で運転していた東急玉川線(路面電車)


これを、多摩田園都市計画で敷く鉄道路線計画と一緒くたにして、銀座線に直通させる計画があり、

結局そっちの方がうまみがあったのだろう…多分。

渋谷も通るし都心にはこっちの方が距離が短い。


これはのちに、11号線計画に変わり、半蔵門線と田園都市線として現在も運行している。



で、東武の方も、6号線経由は遠回りになるという事で、


8号線(→有楽町線)に入れたいという事で破断。

のちに、13号線に乗り入れるという計画になったが、結局は現在の運行体系に。

本来の8号線は現在のルートで西武線に向かうルートで、小竹向原~和光市は13号線(→副都心線)として答申されたルートだった。


あと、東武百貨店のある池袋を通らないという事だろう

結局東急と似たような理由で。



この破断話は1965年の話。乗り入れが答申されたのは1964年一年でこの一連の話がありました。


じゃあ、都はここで、当初の計画通り、1号線と6号線と共用って言う計画にすりゃ良いじゃんというわけでもなかった。既に6号線の建設計画を整えてしまった。


現在の西台辺りに車庫を作る計画も。


というわけで都はもう抗議するも、泣き寝入り。




6号線の悲劇はまだ終わらない。


上図でなぜ、千代田線がいるのか…



それは、大手町~日比谷間にある。


ここは実は、千代田線(9号線)と6号線を同時施工することになっていた。

ここは同時施工することになったが、


問題は駅の位置。


都は今の千代田線大手町~日比谷と同じように6号線にも二重橋前を作りたかった。

ただ、並走でホームを作るには土地が足りない。(上を走る日比谷通りの)

そんなわけで、交互に駅を作ることに。並走区間は2kmあるが、500m間隔で

ここで、営団と都のお話合い。


大手町は、既にこの6・9号線と直交する5号線(東西線)が居たので、営団都合で。

で、都は神田橋の方に作ろうにも、場所が無いのでポシャる。


で、結局現位置に。



この、迷走する乗り入れ計画に、大手町駅の駅設置位置といい、6号線は悲劇が続いた。


…まあ、大手町の駅位置は、神田橋辺りの位置よりも現位置の方が美味しいと思うのだが。

後述するので割愛。



3.6号線開通と迷走から遂に


というグダグダぶりの中で

1968年巣鴨~高島平間開通。

1972年日比谷~巣鴨間開通。


ちなみに、上記の9号線並走区間は千代田線が1年早く開通


そんななか、っていうか、日比谷延伸の前ですが、


今度は、清正公前から、港北ニュータウン(中山)、高島平から大宮方面に延伸する計画が浮上。



大宮の方は、新幹線開通で喘いでいた国鉄が埼京線を作るという事になり破談。

埼玉県も乗り気じゃないのもある。



港北NTの方は、これ以外にももう2本計画があり、さすがに要らないだろという事に…

多分横浜市営地下鉄の事だろうか。


高島平からは東武が作る予定の区間を作った。これが、新高島平・西高島平の事。


そんなわけで、結局長らく三田~西高島平の路線であった。



1985年遂に日の目が当る。


東急が、当時東横線の混雑に悩んでた。


このカンフル剤として当時の目蒲線を改造して、

目黒線として、東横線の複々線区間に乗り入れさせ、また目黒から7号線(南北線)と三田線に乗りれさせる計画を浮上させた。


都営は受け入れ、2000年に、三田から目黒まで延伸し、目黒線開通し、武蔵小杉まで乗り入れ、のちに日吉まで乗り入れることになり現在の形になった。



4.現状と今後


というのが、三田線の簡単な経緯


さっき言った、大手町は今の場所でも良かったというのは、

今の場所にあるからこそ、東京駅周辺の丸の内に近いし、

千代田線の二重橋前と合わせて三田線大手町は東京駅にべらぼうに近い位置にあり、

今は行幸地下通路を介して東京駅まで直結している。


もし、神田橋辺りにあったら東京駅からは遠かったし、営団との絡みで二重橋前のあたりに駅が作れたかと言われると日比谷通りの幅員的に厳しいと管理人は思う。


大手町の乗り換えは千代田線を除き不便にはなってしまったが、東京駅筆頭に丸の内へのアクセスという意味では圧倒的に便利な立地であり、結果的に成功ではないだろうか。


また、三田線は都心部では便利な位置に駅がある。


春日・水道橋はドームシティーに近いし、総武線との連絡もある。


神保町も。

結果神保町の利用者数は半蔵門線との比ではない。

三田線12.8万、新宿線12.4万、半蔵門線9万である。


大手町は上記の通り。


日比谷も有楽町に遠くは無い。


内幸町は新橋と虎ノ門のちょうど真ん中にあるし、


御成門・芝公園も浜松町に近い


都心部の駅は便利な位置にあるのである。



巣鴨以北も朝南行も混んでいないし、




それに、泉岳寺辺りも、京急と直通できれば、羽田空港に直結できたという現在ではメリットもあるが、


もし、田園都市線に行っていれば…?


結局都心へのアクセスという意味では、渋谷経由の方が利便性が高くだからこそ、あの辺の混雑に拍車をかけることになってしまっているし、


現状の形で結果的には良かったのではないかと思う。




今後、新横浜経由で相鉄に行くかどうかって話にもなってるし、東急側ではどうなるのでしょうかね。


そこは寝て待つのみでしょうかね。



それは置いといて、目黒線方面から都心部へは三田線経由が便利であり、

三田線の方が南北線より本数が多い。

直通は南北線の方が多いけど…


この直通がきっかけで日比谷線と東横線の直通の意義を減らすことになったし。


都心部の乗り換えは丸ノ内線以外は便利な三田線。

駅の位置が至便な位置にあることが多いし、


意外と穴場な路線、都営三田線。


地上部は朝の南行きでも空いてますしwww


機会があったら使ってみてください。


まあ、巣鴨以北は地元民でもなければ使う事は無いですが…


あ、都電と直接乗り換えられる都営地下鉄は三田線(西巣鴨)だけですよ。



巣鴨~目黒の都心部だけでも、便利ですから機会があれば使ってみてください。


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