知恵袋の「筆跡鑑定の信頼性を知りたい」という質問に対し,以下の回答が書かれています。

 

① 『「信用されているのですか」と言われても「鰯の頭も信心」以上の信頼性があるとは思いません。鑑定なるものの内容だって,素人目にもっともらしく見せる以上の意味があるとは思いません』

 

② 『筆跡鑑定人にはなんの資格もありませんし,いりません。あなたも今日から筆跡鑑定人になれます。W』

 

これが,筆跡鑑定の信憑性に対する大方の評価なのでしょう。

 

まず①については,全くの「知ったかぶり」であり,「思いません」という言葉が文中の2箇所に見られるように何の根拠もなく,勝手な推論で述べていることが分かります。回答者は筆跡鑑定のことは何ひとつわかっていません。質問者は真剣に悩んでいるのであり,知ったかぶりで書くことはやめてもらいたいものです。

 

②はおそらく,当人が他に回答した内容から判断すると法曹関係者が書いたものでしょう。書いている内容は事実ですが,筆跡鑑定人を小馬鹿にしている内容です。余談ですが,人の職業を卑下するような人など法曹関係の仕事には向いていません。あなたは今日から筆跡鑑定人と名乗って飯を食っていけるのですかと問いたいのです。少なくとも私は,筆跡鑑定という職業に誇りを持っています。

 

このような回答が寄せられることは,筆跡鑑定は信憑性がないと言われ続けていること,鑑定書の内容が稚拙で信憑性がないと判断され続けていることにあります。

 

要するに,このような判断がされることは昨日,今日に突然始まったことではないのです。

 

①と②のような言動を素人や法曹関係者に言わせていることは,長期間,技術のない鑑定人が稚拙な鑑定書を書き続けた結果なのであり,これを阻止しなければ筆跡鑑定は小馬鹿にされ続け,その結果,信憑性もますます低下していくでしょう。

 

こうした間違った認識が事実と異なることを言い続けない限り,ますます筆跡鑑定の信憑性は低くなり続けます。ネット社会であるから拡散されるのです。

 

筆跡鑑定の評価を高めるためには,まず最初に技術の低い鑑定人の書いた鑑定書が稚拙で鑑定結果に意味がないことを証明しなければなりません。私は確信をもって言えるのですが,それを客観的に証明させるには,筆跡鑑定人と自称するものに対し,真贋鑑定による正答率を明らかにする試験制度を設けるしかないのです。

 

そして筆跡鑑定の信憑性が低いと言われていることは,筆跡鑑定そのものの信憑性ではなく筆跡鑑定人の個々人の技術レベルに問題にあることを明らかにしなければならないのです。

 

つまり,資格制度のない筆跡鑑定で最も重要視されなければならない科学的根拠とは,筆跡鑑定そのものの信憑性ではなく,鑑定する人そのもののに筆跡鑑定ができる技術が備わっているかどうかの信憑性なのです。

 

この問題が解決されなければ筆跡鑑定は終焉を迎えるのです。

 

 

 

 

 

 

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季節外れのカニ

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「季節外れのカニ」は一見堂々としているが,中身はスカスカで食べられたものではない。これをある鑑定人が鑑定書に例えて実にうまいことを言っていた。

 

今でも「季節外れのカニ」そのものの鑑定人は多いようだ。それは,鑑定書のボリュームの多さによって鑑定料金が比例して高くなるという考え方である。ところが、法曹関係者の方は様々な鑑定書を読んで夾雑物の多さに辟易されたこともおありではなかろうか。

 

その夾雑物の半分以上はあっても無くても,納得性はほとんど変わらないという異常な鑑定書が多い。ある鑑定人の鑑定書には、全く別の事件の勝訴判決文まで綴じられているという非常に滑稽な鑑定書まで登場する始末である。

 

つまり,こういった鑑定書は分厚いのであるから,一部の依頼人は「大金を支払っただけのことはある」と思うのかもしれない。また,それを作成した鑑定人はそれを狙って分厚い鑑定書を作成しているのであろう。

 

これらはまさに「季節外れのカニ鑑定書」なのである。体裁は分厚く威風堂々としているが中身はスカスカで決して食べられたものではないということだ。

 

いまだに鑑定書の料金は,そのボリュームに比例しているなどと思っている鑑定人は多く,その挙句,ボリュームが違うのに料金が均一なのは不公平だという頓珍漢な鑑定人までもいるのだ。筆跡鑑定人は作業工程の多さによって料金の変わるスーツの仕立て人ではないのだ。

 

また,筆跡鑑定書に公平も不公平もない。依頼人に貢献できる鑑定書か否かが重要なのである。このことは何度も書いているのだが,このようなことさえも分からないのだ。

 

法曹関係者の陳述書や答弁書を読むと,簡潔で洗練された文面が多く,その文章力には舌を巻くことも多い。当然のことながら文章のボリュームの多さなど競う筈もない。弁護士の方が,沢山の成功報酬がもらえる案件だからと言って,ボリュームのある陳述書や答弁書を作成するなどあり得ないことだ。

 

筆跡鑑定書とは本来,簡潔,明瞭に書くのが重要であるはずなのだが,あれもこれもと綴じられる。

 

優れた鑑定書とは,僅か数頁であっても簡潔明瞭に書かれ,しかも説得力のあるものをいうのであり、分厚さを競うものではない。

 

弁護士の方のように切れ味鋭い文章が書けたらと,拙い文章力の私がこうしてブログを書き続けていることも、練習によって少しでも簡潔明瞭な説得力のある文章を書けるようになりたいと願っているからだ。

 

このような現状では、筆跡鑑定の信憑性どころか鑑定人の質まで疑問視されてしまうのではないのか。

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表題はある弁護士の方がホームページに記載している内容を要約したものである。何もこの方だけが思っているのではなく,大勢の法曹関係者がこのように思われているといってもよいだろう。

 

もし,これが事実であれば,筆跡鑑定は今後消滅する。

 

このようなことを法曹関係者に言わせているのは,従来の鑑定人のレベルが非常に低いことにある。このことはすべて,伝統的筆跡鑑定法や数値解析法に代表される「類似鑑定」を行っている鑑定人が非常に多いことに他ならない。

 

この鑑定法による鑑定書を読むと,偽造者であれば容易に真似ができる箇所を数多く指摘し「類似している」などと評価分類し,その挙句「類似」となった箇所が「相違」よりも多いという馬鹿げた軍配方式により同一人であるなどと平気で結論を出す。

 

この鑑定人,正気なのかと疑いたくなるほどのものである。「おいおい,似せて書けば似るでしょ」と思わず突っ込みを入れたくなるのは私だけではないらしい。

 

そんなことはよそに,裁判所はこのような鑑定人を選び続けているのである。いい加減気づいてもらいたいと思うのであるが,今の私にできることといえば,正しい鑑定書を裁判所に出し続けるしかなす術がない。

 
何しろ裁判所は,筆跡鑑定に関しては素人同然であるから,どの鑑定人が優れているのかわかっていない。そのため,警察OBや権威のある大学教授を指名すれば無難であると思っているらしいが実はこれがとんでもない間違いなのである。その誤りを説明するために,高い技術は備えているが,権威などとは無縁であり,また警察OBでもない私はこのように地道に真実を書き続けるしかない。

 

私の鑑定法は【筆跡個性】を特定する鑑定法であり,図形的な類似,非類似の比較とは大きく異なる。ここでの説明は割愛するが,筆跡鑑定と筆跡鑑定人を一括りにして,すべて一緒であるかのように語られるのはどうかご免こうむりたい。
 
私の鑑定法と技術で鑑定を行えば,筆跡が時と場合で異なろうが,どんなに似せて書こうが資料さえ整っていれば偽造は暴けるということである。
 
筆跡鑑定とは本来信憑性が高いのである。
 
 
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