【本編】episode60 乙女のシンパシー | 魔人の記

【本編】episode60 乙女のシンパシー

episode60 乙女のシンパシー


放課後の時間になり、玲央菜は家を出た。

「いってきまー…す」

天馬と榊は、彼女が日光浴をしようと思った時と同じくリビングにいない。
彼女はそれを少し不思議に思ったが、今はそれよりも重要なことがあった。

「月島さん、来てるよね…待っててね」

結局、留美からの返信はなかった。
不安な気持ちもあったが、玲央菜は構わず専用エレベーターに乗って地上に下りていく。

「……」

エレベーターに乗っている間、玲央菜は神妙な顔でスマートフォンの画面を見ていた。
しかし一度まぶたを閉じてため息をつくと、それをコートのポケットにしまう。

彼女は、留美が返信してこない理由をいくつか考えていた。
その中でも一番当たってほしくない理由が、今頭から離れずにいる。

「風邪とか…ひいてないよね」

玲央菜側から、メールで放課後にライブラで会わないかと送りはしたが、留美がそもそも具合を悪くして学校を休んでいればそれどころではない。

連絡先を交換した時に、お互いのスマートフォンには住所も送り合っている。

留美は当時、自身のスマートフォンに住所までは登録していなかったのだが、玲央菜が登録していたのでそれに合わせた形だ。

そのため、行こうと思えば玲央菜が直接留美の家に行くこともできる。

「……」

玲央菜が考え込んでいると、エレベーターが1階に到着した。
エレベーターを降りエントランスを抜けて、寒さを覚悟して少し体をこわばらせつつ外へ出る。

だが、思ったほど寒さを感じなかった。
西陽が最も勢いを増すこの時間帯、厳しい寒さは和らいでいた。

少し拍子抜けした気分になったが、すぐにまた留美のことを考え始める。
足は自然と駅の方向へ向かった。

「おうちにまで行く…のは、ちょっとちがうのかな…」

玲央菜の気持ちとしては、留美に会うためならどこへ行ってもよかった。
ただ、それで留美がどう思うかが問題だった。

今のところ学校では唯一仲がいい存在だが、どこまで踏み込んでいいのかまではまだわからない。
追いかけすぎたら、もしかしたら怒らせたり、気持ち悪がらせたりするかもしれない。

そう考えると、留美の家にまで行くのはやはりはばかられる。

「うーん……」

悩む玲央菜は小さくうなる。
ポケットの中のスマートフォンに右手を添えるが、特に震えていたりすることはない。

「……」

右手を外に出した後で、玲央菜は歩く速度を上げた。
あれこれ迷う前に、まずはライブラに到着しようと考えた。

やがて、天秤坂駅に到着する。
その時間を狙ったので当然なのだが、駅前は制服を着た生徒たちが集まってきていた。

そんな中で私服姿の玲央菜は目立つ。
彼女はそれに気づいて、やはり私服で来たのは正解かもしれないと思った。

実は、家を出るまでは制服か私服か迷っていた。
制服だらけの場所、しかも同年代の生徒たちがいる中に、私服で飛び込むというのはそこそこ勇気がいる。

とはいえ、学校を休んだのに制服姿で出てくるのも何かちがう気がした。
クラスメイトに見つかりでもすれば、なぜ制服を着ているのかと奇異な目で見られる可能性もある。

制服か私服か、10分ほど迷ったのだが、結局玲央菜は私服を選んだ。
彼女にとって、制服はやはり学校生活を送るための服であり、目立たないための服ではなかった。

服に対する自分の気持ちをはっきりさせたことで、玲央菜の中には小さな爽快感さえあったのだが、それも今となっては過去の話である。

「…えーっと…」

玲央菜は今、留美を探すことに集中していた。

私服で目立つということは留美側から玲央菜を見つけやすいということであり、だからこそ玲央菜は私服で来て正解だと考えたのだが、どうせなら自分が先に留美を発見したかった。

「どこかな…どこかな……」

部活に励む生徒も多いので、放課後すぐにこの場所にくる生徒は登校時ほど多くはない。
だがそれでも、同じ制服たちの中から、いるかどうかもわからない留美を探し出すのは大変だった。

5分ほど探したが、留美はいない。

まさかスマートフォンを見ないということはないだろうし、ここに来さえすれば私服姿の玲央菜を見つけるのはたやすいはずである。

「もしかして、『サッカー部の吉田くん』を見に行ってるのかな」

だが、玲央菜がとんでもない目に遭ったのを間近で見た上で、そこから帰ってきて話そうと言っているのを放ってまで『サッカー部の吉田くん』を見に行くだろうか、とも思った。

探し始めて10分がすぎたが、留美は見当たらない。

「やっぱり…ホントに具合悪くしてるのかなあ…」

制服を着た生徒たちの数はまだまだ減らない。
だが、その中から留美を探し出す玲央菜の集中力は、早くも切れかけていた。

人に酔う、という言葉があるが、それに少し近い状態になっていたのである。

彼女にとってはとても多くの人数を目にしてしまい、それらがバラバラに動いているものだから、その動きを追うことに疲れて頭がクラクラし始めている。

玲央菜は、最も目立つ場所である駅前のロータリーから少し離れて、駅ビル・通称ライブラの壁へと向かった。
そこに背中を軽く預け、しばらく生徒たちから目を逸らす。

この時にスマートフォンをチェックするが、やはり留美からの返信はなかった。

「月島さん…大丈夫なのかな…」

疲労と心労で、玲央菜が発する声が頼りなくなる。
スマートフォンをしまった後で、彼女はその場にしゃがみ込んだ。

疲れた彼女は、そのまましばらく下を向いていた。

「はあ…」

だんだんと玲央菜から元気がなくなってきた。
彼女の前に誰かの影が差したのは、ちょうどそんな時だった。

「…?」

それにふと気づいた玲央菜が顔を上げると、そこには…

「………」

どこか困惑した顔で自分を見る、留美がいた。

「月島さん!?」

玲央菜は思わず名を呼んで立ち上がる。
するとすぐに、留美は彼女に頭を下げてきた。

「…ごめんなさい!」

「え?」

「ごめんなさい…柊さん」

やっと会えたと思ったら、いきなり謝られてしまった。
玲央菜は意味がわからず、彼女に問いかける。

「つ、月島さん? どうしたの…」

「わたし、ほんとに…いけないことをしたって思ってる」

「えっと、月島さん? ボクにはなにがなんだかわかんないんだけど…」

「……」

留美は、なぜかきつく唇を噛んでいる。
しばらく押し黙っていたが、やがてその瞳からみるみるうちに大粒の涙がこぼれた。

「う、うぅ…」

「ちょ、ちょっと月島さん!? 落ち着いて…どうしたの? なにかつらいことがあったの?」

「……」

原因を究明しようと尋ねる玲央菜に、留美は首を横に振る。
だが首を振るだけではどういうことなのか、玲央菜にはわからない。

「つらいことがあったんじゃないんなら、なにが…あ」

玲央菜はここで、周囲の視線に気づいた。
生徒たちも、他の大人たちも、泣き出した留美とそばにいる玲央菜をじっと見ている。

玲央菜は、自分はともかく留美がこの視線にさらされるのはよくないと思った。
だが、泣いている彼女をライブラの中に連れ込むのも何かちがう気がした。

今いる場所は駅前で、駅前にいる人々の視線にさらされているが、ライブラの中に入ればそこにいる人たちにまたじろじろ見られることになる。

店の中に入ったとしてもそれは同じで、この場合は人気がない場所の方がいいように思えた。

「月島さん、いこう」

「あ…」

玲央菜は留美の手を握り、強引に駅前から離れていった。
人々の視線はしばらくふたりを追いかけていたが、やがて姿が見えなくなると、それ以上探すことはなくなった。

玲央菜は、黙ったまましばらく歩いた。
留美は彼女に引っ張られるまま、抵抗もせずについてきた。

やがて人気のない路地に入ると、玲央菜は一度足を止めて周囲を見回す。
誰もいないことを確認してから、留美の方を向いた。

「月島さん、いきなりごめんね。あそこじゃ、ほら…みんなに見られてきっとつらいって思ったから」

「ううん、ありがとう…」

留美は力なくそう言って、2回ほどうなずいてみせた。
その後で、目元にハンカチを当てて涙を拭いた。

「……」

留美のその姿を見て、玲央菜は何かを思う。
やがて彼女は、今もつないだままの手を少しだけ強く握った。

「…え?」

それに気づいた留美が、ふと顔を上げる。
そのタイミングで、玲央菜はこう言った。

「あのね、月島さん…何があったかはわかんないけど、月島さんがボクに謝ることなんてひとつもないよ。むしろボクの方が、月島さんにいっぱい心配かけて謝らなきゃいけない…ごめんなさい」

玲央菜はそう言って頭を下げた。
留美と手をつないだまま頭を下げた。

「……」

留美はその姿を、少し驚いた顔で見ている。
だがすぐに真顔に戻り、玲央菜にこう返した。

「ううん、柊さん…わたし、やっぱり柊さんに謝らないといけない」

「え?」

玲央菜の顔が上がる。
その目に、何かを決意した留美の顔が映る。

留美は、これまでより少しだけ、芯のある声でこう言った。

「だから、説明させてほしいんだけど…いいかな」

「…うん」

玲央菜も、真剣な眼差しで返事をする。
そのやりとりに、留美は微笑んだ。

その拍子に涙がまたこぼれそうになったのか、ハンカチで目元を拭うようにしつつ、少しだけ顔を隠すような仕草をして、留美は玲央菜に説明を始めた。

「あのね…柊さん」

「…うん」

「前に、連絡先を交換したでしょ?」

「うん…え?」

「…? どうしたの?」

玲央菜があげた声に、留美はきょとんとする。
問われた玲央菜は、左手で頭をかきながらこう言った。

「いや、あの…ボクもついさっき、月島さんと連絡先を交換したこと…思い出してたんだ」

「え…」

「あ、話の腰折っちゃってごめんね。続き…話してくれるかな」

「うん…それでね、あの…」

留美はハンカチを顔の前から下ろして、説明を続ける。

「柊さんって、スマートフォンに住所まで登録してたでしょ?」

「うん」

「で、わたしは登録してなかった…わたしだけ登録してないっていうのがイヤで、わたしの住所を登録してからあらためて連絡先を交換したよね?」

「うん…」

玲央菜は、それも思い出していたと思ったが、それを言わずにおいた。
また話を腰を折っては、留美に悪いと思った。

そしてその留美は、また瞳に涙を少しずつ貯めている。

「だから、わたしは柊さんの住所を知ってるし、柊さんは…わたしの住所を知ってるし…」

「……うん」

「それで、この前…柊さんがさらわれちゃったのを見て、わたし、どうしたらいいかわからなくて」

「………」

「行ったの」

留美は短く言った。
そしてすぐに、唇を強く結ぶ。

その先の言葉は、なかった。

「…え?」

玲央菜にはわからなかった。
まさかにアメリカまで、留美が極秘でついてきたとも思えなかった。

この時点で、留美の涙はまたいっぱいにたまっている。
玲央菜は尋ねようかどうしようか迷ったが、このままではどうにもこちらも気持ちが悪い。

そのため、意を決して訊いてみた。

「…行った……って、どこに?」

「柊さんの、おうち…!」

留美はそう言うが早いか、ハンカチに顔をうずめてしまった。
たまりにたまった涙がこぼれて、ハンカチにしみを作る。

「……え?」

だが、玲央菜には意味がわからなかった。
留美が家に来たという報告は、誰からも受けてはいなかった。

「ボクの家に、行ったの?」

「ごめんなさい…!」

留美は必死に謝っている。
だが玲央菜には、さまざまなことがわからない。

「えっと、あの…なんでそれで月島さんが謝るのか、わかんないんだけど…あと、家に来たってボク知らないし…」

「…だれも、いない感じ…だったの……!」

留美は下を向いて、ハンカチを顔に当てたままで言う。

「普通のおうち…よりもちょっと大きな感じで…だけど、人の気配がないって、いうか……わたし、なんだか怖くなって…!」

「……普通の、おうち?」

玲央菜はさらにわからなくなる。
彼女が今住んでいる家は、どう考えても普通の家ではない。

40階建て高層マンションの、上から2階分すべてを住居としているのだ。
それにやはり、マンションの近くにまで留美が来たのなら、榊から何らかの報告があるような気がした。

「………??」

「ごめんなさい、柊さん…! わたし、あんまりにも心配で、でもいきなり家に行くとか…やっぱりいけないことだよね……」

「ま、待って。待って、ね? 月島さん、待って」

「わたし、とても怖くて…! 怒らせちゃったし、気持ち悪いって思わせちゃったし、だけどちゃんと謝らないとって思って…!」

「月島さん…もぉ!」

玲央菜は、駅前から留美を連れ去った時以上の力で、つないだままの手を引っ張った。

「きゃあ!」

不意に、しかも玲央菜の力が強かったので、留美は抗うこともできずに引き寄せられる。
そして玲央菜は、留美の体をしっかりと抱きしめた。

「月島さん」

「は…はい」

「ボクは、月島さんのこと、怒ってない」

「え…」

「気持ち悪いとも、思ってない」

「で、でも…」

「……」

反論しようとする留美を、玲央菜は強く抱きしめた。
留美はそれによって、何も言えなくなってしまう。

その隙に、玲央菜は自分の気持ちを伝えた。

「あのね…ボクは月島さんのこと、大切な友だちだと思ってる」

「柊さん…」

「だからね、ボクも行こうとしたんだ。月島さんのおうち」

「…え?」

留美が尋ねたタイミングで、玲央菜は少しだけ体を離した。
胸より上の部分が離れ、互いの顔が見えるようになる。

「ほら、さっき…連絡先を交換した時のこと、ボクも考えてたって言ったでしょ?」

「うん…」

「その時ね、ボクも月島さんのおうちに行こうかなって思ったんだ。月島さんが学校に来てなかったら、ライブラで待ってても会えないと思ったから」

「……それって」

「そうだよ、ボクたち…同じこと考えてたんだ」

玲央菜が留美に微笑みかける。
その笑顔を見て、留美の瞳からさらに涙がこぼれた。

「柊さん…! でも、わたしは…実際におうちに行っちゃって…」

「あ、それ」

「え?」

「それがちょっとわかんなくて…ボクの家に行ったんだよね?」

「うん…」

「…やっぱりおかしいな」

玲央菜はそうつぶやいて、右手だけポケットに突っ込んでスマートフォンを取り出す。
片手で操作し、自身の連絡先を出す。

「…あ」

そしてようやく、留美がどこに行ったのかを理解した。

「ごめん、月島さん…これ、前の住所だ」

「え、前の?」

「うん。ボクさ、1学期にいろいろあってしばらく休んでから引っ越したんだ…住所書き直すの忘れてた」

「あ、じゃあ…人気がなかったのは、引っ越した後だったから?」

「…そう…だと思う」

玲央菜は断言できなかった。
彼女の育ての親があれからどうなったのか、彼女はまったく知らなかったからだ。

玲央菜自身は悪魔をめぐる陰謀に巻き込まれ、実の親はすでに死亡している。
育ての親は、雅人の父親の息がかかった者であったようだが、どうやら今はその家にはいないらしい。

「……」

いくらケンカ別れのような形で飛び出してきたとはいえ、育ての親だというのにまったく思い出さないのはどうなのかと、ふと玲央菜は思った。

ただ、今は留美の不安を取り除くのが先決だと思い、それについては考えないようにした。

「…柊さん?」

「え? あ、ああごめん」

玲央菜はあわてて留美に返事をし、スマートフォンをしまった。
そして右手を再び相手の背中に回し、再びなだめに入る。

「とにかく、月島さんが泣くようなことじゃないってこと」

「そうなの? わたし、絶対怒らせたって思ってた…今日入ってたメールも短かったし…」

「あ…それは…メールでいろいろ言うより、会ってから話した方がいいかなって思って、シンプルにしたんだけど…マズかったね」

「ううん、それはいいの…」

留美は、少しだけ安心したようだ。
その様子を見て、玲央菜も気持ちがやわらぐのを感じた。

と同時に、自分たちが今どういう状況なのかにも気づく。

「……」

「………」

玲央菜と留美は、ほぼ同時に顔を真っ赤にした。
ただ、そうしながらもすぐに離れたりはしない。

照れくさいながらも、ふたりは互いの顔を見て笑顔になった。
そして玲央菜はもう一度、しっかりと留美の体を抱きしめた。

「…だいじょぶだよ、月島さん。ボクは怒ってないし、気持ち悪がったりもしてない」

「うん…」

「大事なことなので、2回も言っちゃった」

「うふふ、柊さんったら」

「えへへ」

ふたりはそれからもう少しだけ、じっと抱き合っていた。
風はそろそろ夕暮れの冷たさを運んでこようとしていたが、ふたりは寒さなどまったく感じなかった。


>episode61へ続く

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