ロレンゾ・チャールズとオースティン・ハッチ | ジャーニーマンのブログ

ロレンゾ・チャールズとオースティン・ハッチ

つい先日、大変痛ましいニュースが2つ、ほぼ同時に目に入ってきました。

2件とも、アメリカでスポーツカテゴリーだけでなく、

一般ニュースとして報道されています。


まず、ロレンゾ・チャールズの交通事故死。




かなりショックです。

チャールズは当ブログで何度か紹介している、1983年のNCAAチャンピオン、

ノースカロライナステイト大学(NCSU)の元フォワード。

'83決勝ではNCSUが、圧倒的有利とされたオラジュワンやドレクスラーらが

率いたヒューストン大学を大番狂わせで破りましたが、最後にブザービーターの

アーリーウープダンクを決めたのが、このチャールズでした。

管理人に、

「カレッジバスケットボールは最高にエキサイティングで、upsetは当たり前」

と刷り込んだ一戦であり、このゲームを見てncaaにのめり込んでいったことも

あって、”原点”ともいえる、思い出深いteamの一員でした。


↓翌年、月刊バスケットボール増刊号に特集記事が載りました。
 管理人がバスケットボールを始めて間もない、中学生の時です。
 まだ大事に取ってあります。

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寡黙で、優勝決定後も控えめだったチャールズは、報道どおり、その人柄で

誰からも慕われていたようです。

47歳。残念です。




もう一件は、インディアナ州フォートウェインの高校生スター、

オースティン・ハッチ。

お父さんが操縦する小型飛行機で、ミシガン州北部のsummer homeへ向かう

途中、到着する手前で墜落。お父さんと継母の方が死亡しました。 

ハッチ自身も重傷を負ったのですが、これがなんと2度目の飛行機事故。

2003年にも事故があり、このとき実母と兄弟を亡くしていました。

今回の事故ではお父さんも死亡。文字通り天涯孤独となってしまったハッチ。

彼はまだ16才ながら、6月初めに、今は亡き父母が通った名門、

ミシガン大学への入学を表明したばかりでした。

2度の飛行機事故に遭いながら生き残ったハッチが、

バスケットボール選手として回復できるか、、、全米が見守ります。

 


しかし、一度大事故を起こしながらまた「乗る」「操縦する」というのが

理解しがたいです。日本人にはなかなか想像できない、飛行機に対する

”手軽さ”があるとはいえ・・・。


ハッチの復活、祈ります。



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このオースティン・ハッチ。6-6の3番です。

スター選手とされていますが、全米的にはまだまだ無名。

ESPNのclass of 2013(2013年に大学入学者)、SF部門では46位です。

が、今JBLやbjに来ても、それなりに活躍できてしまいそうです。。。

(繰り返しますが16歳、です。)


その「差」はやはり依然大きいと言わざるを得ません。


今月の月刊バスケットボールを読みました。

恒例の、インターハイ展望。いつもどおり名門校の中心選手が載っています。

「部活」をしてきた管理人から見て、彼らは素晴らしい選手です。

留学生も含め、アメリカのポジションランクに入れても、

トップ100には入る可能性があります。

ただ、層があまりにも薄い。

そして高校の次のキャリア、大学スポーツがあまりにも貧弱。

かと言って、JBL、bjとも基盤はまだまだ脆いから、

川村選手のように大学をskipする道はあまり考えられないでしょう。


一歩一歩、着実に「差」を縮めてほしいですね。



ジャーニーマン