【オーマイニュース】歳月のいたずらだったのか? 彼は、久しぶりに韓国大衆に顔を知られることになった。ドラマ"ソウルメイト"をで、テレビ劇場に顔を初めて見せた大谷亮平。彼がアクション史劇”最終兵器弓"で、自分の存在感を強烈に示している。
大谷亮平が演じる役は、清の精鋭部隊(ニル)の一人である野上。野上はくたびれたそぶりひとつなく、そして言葉もなしに飛び回る。強烈な表情とともにキレのある手信号と手話を見せて、自然に話の流れの一部を掌握していた。
話すことができない野上は、それだけ他の感覚がより鋭敏に発達していて、部隊を案内するキャラクターだ。なぜ、わざわざ野上だったのだろうか。ひょっとして日本人俳優が、満州語を駆使するのに精通してないのだろうか。映画のメガホンを取ったキムハンミン監督は去る5日、記者らと会った席で、"全くそうではない。シナリオに元からあった設定だった"と答えた。
大衆は大谷亮平をCFスターとして記憶している。特に、彼を強烈に意識させたのは、ダンキンドーナツの広告だ。ロゴソングとともに、ドーナツとコーヒーを持ってパッと笑う姿は、多くの女心に騒動を巻き起こした。続いてリーバイス、KTワイブロなど韓国の広告で一躍、スターダムに上がった。以来、いくつかのドラマを通じて、彼が人気最高値を謳歌して頃、突然、その姿を見るのが難しくなった。なぜだろうか? 彼に直接会って、俳優人生の目標と、この間の近況を聞いた。
アマチュアバレーボール選手でもある大谷亮平は、全国大会が開かれるたびに参加したという。彼は"運動で瞬発力と体力、根性には自信があるが、俳優という面では、少し違う部分もあるようだ。もっと学ばなければ"と強調した。
彼の履歴の中には、アマチュアのバレーボール選手がある。それだけ運動には自信がある。たくましい体格、バランスのとれた体を考えると、非常に険しい山を横切って相手を追う役割は、やすやすとこなす方だった。
しかし、いざ彼を苦労したのは他でもない。'弓'だ。製作陣側が配慮して、より簡単に操作するように軽く作ったが、弦を引くことすら大変だったという。本人が行ってきた運動とは多少異なる筋肉を使わなければならなかったのだ。
ーー "野上"という人物をやり遂げるは、手強かったようだ。どのような点が難しく、印象深かったか?
「ジュシンタの忠実な右腕の役割だ。非常に強いキャラクターだ。撮影前の1ヶ月半の間、アクション演技と弓、乗馬を練習した。簡単に思っていたのに、馬に乗るのも大変だったし、特にアクションは初めてなので大変だった。私は柔らかく動くのは得意だが、角度がありキレのある動きは大変だった。監督が"とても柔らかくて女みたいだ"と指摘した。"
ーー これまでドラマや広告の役がは、柔らかくて優しい感じだったが、今回は迫力があって緊張しなければならなかった。演技の変身は、どうだったか?
"顔が強くできていて、ちょっと難しく見える役がよく似合うと考えていた。それなりに自分自身でも自信があったが、現場ではさらに強めに行けと要求された。勝負欲もある方なので熱心にやったが、普段の時は穏やかな性格です(笑)。"
ーー 現場で同僚俳優たちとの呼吸は、どうだったのか気になる。よく合いましたか。
"リュスンニョン先輩が常にそばにいてくれた。映画には出てこない話だが、幼い頃からジュシンタに助けてもらい、彼を大いに尊敬する人物なので、最後まで守るという覚悟をして戦争に参加する。リュスンニョン先輩が実際にもよくしてくれた。日本語も上手くて話かけていただき、緊張をふり解こうとされた。だから役に没頭するのが楽だった。"
ーー 日本人でありながら韓国映画にデビューし、偶然にも、その役は清軍の役割だ。面白い因縁のようだ。
"そうだ。現場でもそんな冗談が出てきたが、私が演技するのと同じように、韓国人が中国人の役をしているじゃないですか。現場では、韓国人だというマインドでいる。韓国では私は外国人という感じにもならず、私は韓国人という気持ちで仕事をした"
大谷亮平は丁寧な姿で、インタビューに応じてくれた。韓国語をよく話しながらも、たどたどしい点について了解を求めたりした。バランスが取れた体つき、マナーまで備えた大谷亮平。彼はこれまでのモデルとして紹介された。しかし肝心の彼は、"モデルの仕事だと考えてみたことがない"と言う。そこにはモデルであるよりは、俳優として刻印されたいという願望を読むことができる。
ーー 多くの大衆が大谷亮平を、"ダンキンドーナツ"の広告を介して記憶している。
"それは2003年に撮影された初の広告だ。それで人々が私をたくさん記憶している。(心配する表情で)これを越えなければならないのに、本当に..."
ーー 2006年の<ソウルメイト>でデビューし、以後もドラマを着実に撮影して上昇曲線を描いていたが、最近まで姿を見ることはできなくて残念だった。
"そうだ。韓国人のように言葉も完璧ではないので、それに合うキャラクターが多くない。<ソウルメイト>の後に、役がたくさん入って来たが、監督が'それをどれだけ消化できるか""韓国語はどのくらいか"と聞いて見られた。逃した役が多く、その分残念だった。まだよく分からないが、今後、困難な時にその時の経験を活かして、もっと上手くいきたい。"
ーー ということは、これまでの空白期には何をしてたのか?
"日本にいる時もあり、他の国の旅行にもたくさん行った。台湾で3ヶ月生活もした。韓国で長く生活して見たら、家族もそうだし、外国にいる友達もたくさんいるので、思い出して会ってきた。その当時は、これから私が何をすべきか計画も考えて、友達に会って多くの話もした。"
ーー 最初のスクリーンデビューと感じる人も多かったようだ。韓国俳優の間で俳優として一緒に演技しながら感じたことや、実現された点があるか?
"映画の中では走って、転がって、崖に乗るなど危険な場面が多いので、お互いに챙길(面倒を見る)しかない状況だった。今回、챙기다という言葉を学んだ。互いのために与えるというのが、本当に印象的だった。(具体的にどのように面倒を見ていたか?) 私は、現場では子供の方だった。撮影が大変で、みんな疲れているのに、みんな残ってお酒飲んで面倒をみていた。
大変なシーンのたびごとに、水を用意していた。こんなのは日本では見られない場面だ。これを韓国語でなんというか? 一緒に苦労しながら生じる感情。あ! 戦友愛、それをまともに学んだ。"
ーー その戦友愛というのは、思ったより濃い。苦労しながら大変な時は、お互いにどのようにして超えて行くのか?
"心はみな同じようだ。大変だから、撮影が早く終了したらいいのにという不満も話し、私達だけでひそひそ話もしたりして、誉めてあげたりもした。暖かかったです(笑)"
わずかな撮影エピソードを伝える部分だけでも、彼がどれだけ現場で熱心だったのか、見当をつけることができた。最後に、映画を紹介したらどうだろうかと尋ねた。すると、現場のあちこちを歩き回った大谷亮平らしい答えが出てきた。
"映画は、追われ追いかけるシーンが多かったのです。危険な所もたくさんありました。捕まえるという切迫した気持ちが強烈で、迫力があって強さがしっかり出ていて、観客の立場ではパクヘイルさんに没頭するが、彼を私たちは追いかけるんですからね。追う者と追われる者、比較して見ることもできることでしょう。"