『貴婦人の訪問』
出演予定作品のチケットご予約承り中!!

equestc.info@gmail.com(EQC事務局)


ミュージカル座公演『野の花』
コンサート『Musical Sense 2』
無事、終了いたしました。
ありがとうございました!!
  • 06 Dec
    • 『貴婦人の訪問』ボディガード二人組…ついに、クレアの元から独立!?

      遅くなりましたが…『貴婦人の訪問』東京公演、すべて終了いたしました北千住・シアター1010のプレビュー公演から始まり、シアタークリエで過ごしたこの一ヶ月。毎日がたまらなく幸せな日々でした本当に、ありがとうございました『貴婦人の訪問』はこの後、福岡・名古屋・大阪と、クリスマスまで続きます🎄最後まで、どうぞよろしくお願いいたします‼️諸々、書きたい事がたくさんあるのですが…いま、出先にて、自宅のパソコンではなくスマホから投稿しておりまして…スマホですと、画面が小さかったり、キーボードじゃなかったりするんで、なかなか細かい事が書きづらくて。というわけで、今回はちょっと、お知らせだけ、先にさせてください。…このたび。『貴婦人の訪問』に登場した、クレアのボディガード二人組、ロビーとトービー。ギュレンの町でのお仕事の後、こんなことを企んでおります‼️その名も…『ロバート・トバイアス』来年。2017年2月5日(日)高円寺・Studio Kにて、活動を開始いたします出演はわれわれ、ロビーとトービーこと港幸樹谷口浩久そしてなんと、スペシャル・ゲストの方々も登場しますその他の詳細は、今後、このブログ等で告知してまいります。…時間は、何時だ!?…どんなパフォーマンスをやるんだ!?…スペシャル・ゲストって、誰だ!?…っつか、そもそも「ロバート・トバイアス」って、一体何だ!?などなど。お知りになりたい事もたくさんあるかと思いますが。今後の、最新情報のアップにご注目くださいというわけで。まずは、「ロバート・トバイアス」のイメージ画像をお届けします!!最新情報を、お待ちください…

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  • 04 Dec
    • 『貴婦人の訪問』…東京公演をもっと楽しく観る方法、最終回!!(地方もあるんで、続きますけどね)

      『貴婦人の訪問』シアタークリエ千秋楽が、やってきてしまいました。 もっと長く、やっていたかったのですが。 始まったものは、必ず終わりの時がやってくるのですね。  この後も、地方公演が続くわけですが、ひとまずは。 東京公演に向けての、当ブログ 「『貴婦人の訪問』をもっと楽しく観る方法」 は、今回が最終回。(…って、そんなタイトルがついてたんかぃ!!)  まぁ、地方公演に向けて、お話しは続けていこうかと思っていますけれど。  とりあえず、東京最終回は。  この男について、ちょっとお話しさせてください。   それは、このブログの管理者でもある・・・ ボディガード・トービー。 …僕の役です    以前にもお話しした通り。 この役を作るにあたって、クリストファー・ノーラン監督のバットマン・シリーズ第2作目「ダークナイト」が、とても役に立ちました。 ここに登場する悪役 “ジョーカー” を分析し、 「悪事を行う人間に、本当の悪人はいない」 という、パラドックス的な解釈を発見したことが、トービーの役作りを大きく前進させました。 この役は、かつて、ジャック・ニコルソンも演じましたが。 僕が参考にしたのは、「ダークナイト」でヒース・レジャーが演じるもの。 ヒース・レジャーが演じているジョーカーの目的は、人間の根っこに巣食う「悪」を暴くこと。「モラルの皮を剥ぎ取れば、人間は皆、本来的に “純粋悪” である」ということを証明するためだけに、行動しているんです。 この目的は、ある意味、そのまんま、僕のトービーの役作りの軸になっています。なぜ、そんなことを証明しようとしているのか、その動機は後述するとして… ところが、この、ヒース・レジャー版ジョーカー。 よくよく見ていると、大きなパラドックスの中に身を置いているのです。 自身を「純粋悪」と位置づけ、「純粋悪」の存在を信じているのに。それでもなお、他人の「純粋悪」を暴こうとする… 実はこれ、すっごく変で、矛盾している行動なんですよね。 だって、それほどまでに「純粋悪」を信じているのなら、別に、他人の「純粋悪」を暴く必要なんてないんじゃないでしょうか?? 悟りの境地に至った人間なら、もうそれ以上、行動を起こさなくても良いはず。 しかし、このジョーカーは、行動をし続ける。多くの人を巻き込んで、そのモラルの皮を剥ぎ取ろうとし、彼らの持つ「純粋悪」の存在を確認しようとし続けているんです。 …ということは。 これ、逆な見方をすると。 他人の「純粋悪」を確認し続けなければ、自身の「純粋悪」への信念が崩れてしまうのではないか?「純粋悪」の存在を信じる信念は、意外にも脆く。自分の心の奥底にある「善」の存在に、うすうす気付きながらも。それを否定するために、「人間は、本来的に “悪” なのだ」ということを確認する旅をし続けているのではないだろうか?? 人間が「純粋悪」でないとするならば、自分自身の心が壊れてしまうから・・・  …ここから想像するに。 ジョーカーは、過去に、人間の「悪」の側面の犠牲になり。そのせいで、人間は「悪」なんだと思い込まされてしまった。「悪」の被害者だからこそ、人間の「善」を認めたくない。。。 具体的に言えば、犯罪の犠牲者。いわゆる、PTSDの状態。 例えば。自分が過去に、愛すべき実の親からひどい暴力を受けた、とか。あるいは、戦争で人を殺し、自分の心を「悪」に染めざるをえなかった、とか。 人間は「悪」の存在なのだと思わされた、あるいは、そう思い込まなければ乗り切ることができなかった、恐ろしい精神的なショック、ストレスを経験した場合。 その後も、人間は「悪」だと思い込み、自分自身も「悪」になり切ることで、過去の経験を正当化しようとする、ということは、有り得ると思うのです。  しかし。当然ながら、本来的に人間が「悪」だということなど、ありません。 映画「ダークナイト」の中でも、ジョーカーは、最後にそれを思い知らされます。   さて。 『貴婦人の訪問』で僕が演じるボディガード・トービー。 彼もまた、ご主人クレアの命に従い。 人間が羽織る皮を剥ぎ、本質を暴く「旅」のお供をします。 そして彼は、ギュレンの町へと降り立ちます。   では。 彼には一体、どんなトラウマがあるのか? 彼には、どんな過去があるのでしょうか??   その過去を作るために、僕は。実際にあった、二つの事件をモデルにしました。  その一つは。。。  『貴婦人の訪問』の稽古開始より、少し前くらいの事件だったでしょうか。 テレビで報道された、ある、殺人事件。 それは、酔って帰ってきた母親を、「だらしない!」と、殺してしまった、という女の事件でした。 …その事件の報道を見た時、「そんなことだけで殺してしまうなんて、ひどい!!」というショックとともに、「本当に、それだけの原因だけで、母親を殺すなんてことができるのだろうか…」という疑念が、僕の心に湧いたのでした。 母親を殺すなど、とてもじゃないけれど、想像もつかない行為。 それまでの生活の中で、よほど母親に酷い仕打ちをされていたのか?そして、母親を殺した後、犯人は、一体どんな心境だったのだろうか?「やってやった!」と、満足したのか?それとも、我に返り、その恐ろしい自分の行為に恐怖の叫び声をあげたのか? この事件については、この先のことはわかりません。報道されなかったか、僕がその先を見逃していたか。それはわかりませんが。人間が、それほどまでにおぞましい行為をするということが、どうしても信じられなくて。隠された原因や、その時の犯人の思いについて、いろいろと想像を巡らせてしまったのでした…。    そして、もう一つの事件。  半年前くらいに、知人から聞いた話。実際に起きたある事件と、その裁判の話です。 …ある一人の女性が、父親を殺した罪で、逮捕されたそうです。彼女の事件は、当時、世間に大きなショックを与え。彼女は、父親を殺した恐ろしい悪魔だと、世間から嫌悪と恐怖の眼差しを向けられました。 しかし、その裁判で。 実は、彼女は父親に、幼い時から性的虐待を受けていたことが発覚。殺人を犯すまでに、父親の子を、6人も産み落としていたという、壮絶な父娘関係が明らかになったそうです。   …この、二つの事件。  人間は。「親殺し」という、この世で一番恐ろしい罪をも犯す可能性のある存在なのだという、事実。 しかし。その悪魔の顔の裏側には、もしかしたら、見えない「被害者」の顔が存在するのかもしれない、ということ。。。 これは決して、「親殺し」の犯人を擁護しているわけではありません。 殺人など、どんな理由があろうと絶対に許されない、非道な行為です。 ただ、僕が言いたいのは。 恐ろしい犯罪や、戦争といった、人の道を外れた出来事の被害に遭った者は。結果、その後の人生をも「悪」に染めてしまう可能性がある、ということ。 精神的ショックから逃れ、自らの過去を正当化し、自らの存在を正当化するために。 「純粋悪」を追い求める旅に出てしまう人間だって、いるかもしれないのです。 「ダークナイト」のジョーカーも。  きっと、トービーも。  犯罪の犠牲者が犯罪を生み。  処罰されようとしている中で、クレアに助けられたのだろう、と…   なぜなら、そのクレア本人こそ。  人間の悪しき行いが、その被害者の人生を捻じ曲げ、時に新たな犯罪者を生み出してしまうことを知っているから…  …ここまでお話ししたら。 なんとなく、トービーの過去も見えてきたのではないでしょうか?? 心を殺され。やがて、罪を犯した。「悪」となった彼は、ある日。理解者に助けられ。そして、旅に出た。人間が羽織る皮を剥ぎ取り、その本質を暴く旅に。なぜなら、それを続けていないと、自分の犯した罪に、心が殺されてしまうから。「善」に気づいたら、「悪」が崩壊してしまうから。自分が、崩壊してしまうから。  これから地方公演も残っていますので。  トービーの具体的な過去は、まだしばらく、皆様のご想像にお任せしておきますね。    犯罪や、戦争の罪というのは。 その場だけに留まらず。 その被害者がまた、新たな被害者を生んでしまうのです。  「悪」の連鎖を止めるためにも。 平和と、感謝の心を。  

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  • 03 Dec
    • 『貴婦人の訪問』…最初に事件を起こしたのは、一体、誰なのか??

      「君のことを、いつだって思っていた」 「…知らない女です」  「みんな俺が悪いんだ」 「…それじゃあ、許してくれるんだね?」   「クレア、俺と結婚しなくて良かったよ。してたら、俺みたいにここで惨めに暮らしてた」 「…マチルデ、あの時俺は、君と結婚することだけを考えていた」   ……どれも、同じ男の言葉です。   『貴婦人の訪問』シアタークリエ公演も、残すところ、あと2日。東京公演も、終わろうとしています。  このブログでも、いろいろな角度からこの作品を探ってきたわけですが。東京公演閉幕に向け、いよいよ、物語の核心となる「この男」について、探ってみようと思います。 (※当ブログでは、ネタバレは避けるように配慮していますが…今回は、核心となる「この男」の話題なので、ひょっとすると、少しネタに触れてしまっているかもしれません。一応、作品の具体的な本筋は分からないように気をつけて書いてますが、未見の方、ご注意ください!! 念のため…)   …さて。   そもそも、なぜこの男は。  あのような過去を背負うことになったのか。  劇中で語られるすべての出来事が、みな、この男の過去… “ある証言” に帰結してゆくのです。   この男とは… 山口祐一郎さん演じる主人公、アルフレッド。  彼は一体、あの日、あの場所で。なぜあのような “証言” をしてしまったのでしょうか…  先ほど挙げた、アルフレッドのセリフは。まるで、その場その場で言い逃れをしているような。相手に合わせて、八方美人に振舞っているような。主体性のない、風見鶏のような。そんな、軽薄な印象すら感じてしまうのです。 ひょっとすると。この舞台をご覧になっていて、アルフレッドは、とても軽薄で主体性のない、正直、ヘタレな人物だな、と感じた方も大勢いらっしゃったのではないでしょうか。 でも、実はこの、主人公にあるまじき「悪しき印象」こそ。この作品が提示する最も根深いテーマに直結しているのだと、僕は思っています。 いつの時代にも。どんなコミュニティーにも。人間社会に共通する、深い問題をえぐり出しているのです。  しかし…この物語の、すべての発端。主人公アルフレッドの、過去の行動について。そのような行動を取った、そもそもの「動機」の描写が、実は、非常に曖昧に描かれているんですね。  …なぜ、貴婦人クレアは、ギュレンの町を去ったのか? なぜ、クレアは、またギュレンに舞い戻ったのか? なぜ? なぜ? それを辿っていくと、結果、アルフレッドの “ある証言” がすべての発端であることがわかります。 が、その証言をする必然性そのものが、掴みづらいんです。  そこで。僕が感じていることから、この証言に至った動機を探るヒントをお話ししてみようと思います。  くれぐれも、この辺りは僕の勝手な解釈なので、ご参考まで…  さて。 その “証言” は、劇中、回想シーンとして登場します。  彼はなぜ、このような “証言” をしてしまったのでしょうか? …いいえ。なぜ、このような “証言” をせざるを得なかったのでしょうか??  このシーンで、若きアルフレッドを演じるのは、寺元健一郎さん。  まず、証言をしている時の、若きアルフレッドの表情に注目してみてください。証言をした後、彼の目線は、正当な主張をした男らしく、自身に満ち溢れているでしょうか?それとも…??  そして。若き彼は、ギュレンの市民たちに見つめられています。ギュレンの、大人たちに…  …若く、物事の判断もまだ一人前とは言えない青年。町の中では、年齢的にもまだ弱者である、青年。 その若者にとって、大人たちの視線は、どんなものだったのでしょう??   …以前、僕がこのブログでも書いた事。ギュレンの町は、閉塞されたコミュニティーである事を思い出してください。アルフレッドはその後、結局この街を一度も出られなかった。ギュレンとは、そんな町なんです。  コミュニティーの大きさは、問題ではありません。  家族や、学校のクラスという小さな単位であれ、国家という大きな単位であれ。  人間は必ず、ある特定のコミュニティーに属しながら生活しています。  そして、そのコミュニティーの中には必ず、強者がいて、弱者がいます。 それは、大人と子供であったり。権力者と、一般階級の市民であったり。 いかに平等な社会を目指しても。弱者はやがて、強者にねじ伏せられ。支配者と、支配される者との図式が形成されてゆく。 それが、人間の作り出すコミュニティーの姿なのです。  かつて、ギュレンの町で。 自由に恋をし、自由に生きていた若者たちが。 ある時、コミュニティーというヒエラルキーの社会に気づき、それに触れ、押し潰された時。 悲劇は始まった。 大人たちの、上からのしかかるような重たい視線と。 それに抗えなかった、無力な若者。  この若きアルフレッドの場面には、町の大人も登場しています。町の強者である大人たちは、弱者である若きアルフレッドの言動を見つめるのです…  果たして、そんな状況で。若きアルフレッドに、発言の自由が与えられていたでしょうか?思いを主張することが、できたでしょうか??  あの日。  アルフレッドがすべての発端を作り出したのではなく。 コミュニティーの大人たちが、無力な若者に、その発端を作らせてしまったのではないでしょうか・・・   閉塞された、コミュニティー。  属するものには、そのヒエラルキーに従うことが義務とされ。 弱者は強者に従い。 やがて、弱者は強者に押し潰される。 これが、人間のコミュニティーの正体。  そして、もう一つ。  そこから抜け出すものには、排他的な態度を取る。 これも、コミュニティーというものの実態…  その実態は。  『貴婦人の訪問』というタイトルが、物語っているのではないでしょうか。  なぜなら。本来、筋書きからすれば『貴婦人の帰還』が正当なはず。 しかし、今回のタイトルは『訪問』とされています。 まるで、一度町から去った者はもはや、同郷の人間ではない「他者」だとでも言わんばかり・・・  そして。 この作品は、さらにもう一つ、コミュニティーというものの実態を暴き出しているのです。  ギュレンのコミュニティーは、物語の終幕に、ある一つの形を形成します。  皆が、客席に背を向けた時の、あの光景… まるで、人類の歴史上、最も忌まわしいあのコミュニティーの、あのポーズ。  これが、人間のコミュニティーの実態であり、行く末だとするならば。こんなに恐ろしいことはありません。    …ギュレンの町は、決して、特殊な形態のコミュニティーではありません。  どんな場所でも、どんな時代でも、同じようなことは繰り返されています。  いじめ。 村八分。 独裁政権。  一市民であるアルフレッド。彼の言動は、八方美人で風見鶏で、主体性のない印象に見えるかもしれませんが。ひょっとすると、もはや彼の立場では。このコミュニティーの中では、そう振る舞うしかないのかもしれない。大人になったアルフレッドが、フラフラと態度を変えてしまうのは、彼自身のせいではなく、このコミュニティーで育って、飲み込まれてしまったが故の結果なのかもしれません。  そして。若きアルフレッドがあの日。その証言をせざるを得なかったのならば。 その責任は一体、誰にあるのでしょうか? 実は、彼を取り囲む大人たちこそ。 この物語のすべての発端を握っている “黒幕” だったのではないでしょうか。   アルフレッドこそ、あの証言の日に、コミュニティーに飲み込まれてしまった「被害者」なのかもしれません。    コミュニティーで力を持った人間に必要なのは、想像力。 弱者の気持ちを推し量ることができる想像力だと、僕は思います。 そして、演劇は。想像力を養うためにとても有効な芸術だと考えています。 

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  • 02 Dec
    • 2017年2月5日…ボディガード・ロビーとトービーが、嵐を巻き起こす!!

      『貴婦人の訪問』シアタークリエ公演も、あと4ステージ・・・     2016年も、あと1か月・・・     クリスマスの大千秋楽とともに消え去る、ギュレンの町・・・         しかし!!        奴らは、2017年にも生き続ける!!     ギュレンを離れた後、二人のボディガードが向かった先は・・・      東京都内の、ライブハウス!!!!      2月5日(日)      ボディガード・ロビーとトービーが、嵐を巻き起こします      乞う、ご期待    

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  • 01 Dec
    • 『貴婦人の訪問』…黒い影を深追いしたら、通報の電話の向こう側にいる人物までも見えてきた!?

      昨日、一昨日と。 このブログで、『貴婦人の訪問』に登場する、ある二人の男たちにフォーカスして、お話ししてきました。  それにしても・・・  男って、なんて愚かな生き物だろう、って思ってしまいます。 僕も、同じ男として…なんだか、ちょっと共感できちゃったりするんですよね。 実力行使で問題を解決しようとしたり。地位や名誉にすがりついたり、隣人の成功に嫉妬したり。 こんな男たちを見ていると。「愛こそ、砦よ…」と歌うアルフレッドの妻・マチルデ(瀬奈じゅんさん)の純な存在が、さらに輝きを増してくるように思えますね。。。  さて。  連日、話題にしている、第1幕の終盤のシーンに話を戻すと。 この一連のシーンの中で、もう一人、自らの信念と大きく対峙する人物がいます。  ガラ〜ン・・・ゴロ〜ン・・・  …次に登場する人物が一体誰なのか。舞台をご覧になった方は、もうお分かりですね。  ガラ〜ン・・・ゴロ〜ン・・・ その “新しい” 音色に、彼は。誘惑に負け、恥にまみれてしまった自分の姿に、気付かされるのです!! そして。彼は、まるで呪文を唱えるように。一人、悔恨の言葉を吐き始めます。 それはまるで、自らの罪を鞭で戒めるかのよう。。。 「逃げろ!!」 …頼むから、逃げてくれ。 君が逃げ切ってくれることでしか、私の救われる道は、ない。 私を、罪人にしないでくれ!地獄に落とさないでくれ!!  …僕は、その人物が叫ぶこの長台詞の間、衣装を着替えています。ここ、結構な早着替えなんですが。モニターから聞こえてくるこの「逃げろ!!」という台詞が、いつも、そんな自戒の言葉に聞こえてきて、ゾッとするんです。 道を踏み外し、恥にまみれてしまった自分の身を、鞭で打つかのような叫び… 「逃げろ!!」としか言えなかった、この男の叫び… 人を救済するのが務めであるこの男が、「頼む、逃げてくれ!!」と叫ぶことでしか救われる道を見出せないなんて、おぞましいほどに哀れな姿ではありませんか! ガラ〜ン・・・ゴロ〜ン・・・   …そして。   ボディガードに着替え終わった僕は、布を持ち、舞台上へ。。。  そこで僕が目にするのは、大きな変化を遂げてしまった、市民たちの姿。  サングラス越しに見える彼らの姿は、僕にとっては、滑稽そのもので。まるで、丸裸にされた人たちを見ているようで。  心の底から、嘲るような笑いがこみ上げてくるのです。。。    …あれ??   ここまでお話ししてみると。一つ、ある疑惑が浮かび上がりませんか??  この場面で起こった事件。  そもそも一体、なぜ起こったのでしょう?  もしかしたら、この事件。実は、隠された意図があったのでは??  これは、何かの間違いで偶然引き起こされた事件ではなく。 ひょっとして、誰かが意図的に起こした事件なんじゃないの…!?!?   …と。これもまた、僕が役を演じるために、勝手に思っている解釈なんですけれど。  僕が演じるボディガード・トービーは、この事件の真相を、知っているんじゃないか…?? もっと突っ込んで言うと…  ・・・この事件、最初っから、ボディガードが加担してるんじゃないのかぃ!?   …いやいや、これはあくまで、ぼく個人の見解。可能性の問題ですが。 皆様は、どうご覧になったでしょうか??  でも。ストーリーの中で唐突に起こる、この事件。最初っから仕組まれていると捉える方が、自然な気もしますよね。。。 ということは… 警察署に電話してきた人物は、一体、誰!? まさかの…!?!? 

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  • 30 Nov
    • 『貴婦人の訪問』…嫉妬心こそ、人間が持つ最恐の凶器。

      『貴婦人の訪問』シアタークリエの公演も、あと5日でおしまい。 もっともっと、続けていたいのですが。 いくら「続けていたい」と願っても。永遠に続けているなんてことは、できません。 願っても願っても、叶わない… いくら欲しても、決して手に入らない… その現実、その思いは。 人の世の常、と言っても、過言ではありませんね。   さて。  昨日のブログの続き・・・ 第1幕・終盤。  ギュレン市民たちに、大きな変化が起ころうとしています。  警察署にかかってきた、一本の電話によって告げられた事件。今拓哉さん演じるゲルハルト署長は、事件解決のために立ち上がります。 そこから、主人公アルフレッドの友人たちが、順を追って登場します。  ゲルハルト署長に続いて登場するのは、ギュレンの町を取り仕切る、あの人物。  この場面で、この人物は。アルフレッドに対し、どんな態度を取っているでしょう?? その態度から、この人物の、アルフレッドへの思い、本心がうかがえます。  それは、まるで古い友人同士とは思えないような態度・・・!!  でもなぜ、この人物は、アルフレッドに対し、そんな態度を取るに至ったのでしょうか・・・?  劇中、はっきりとは語られない、この人物の胸の内。  実は、この時の態度で明かされる、アルフレッドへの彼の思いは。物語を逆回転させていくと、徐々に明らかになってくるのです!  では、早速。この場面から、時間を少し遡ってみましょう。  4人の友人たちが電話で、何やら密談する場面。この電話の場面で、最初にその密談の火種を落とすのが、まさにこの人! フムフム、やっぱり、何か腹の底に持ってるな・・・  さらに遡って、涼風真世さん扮する貴婦人クレアを迎えるパーティーの場面。  ここでの話の中で、彼の職務についての話題がのぼります。そして、この人物の職務。退任したら、どうやらその後はアルフレッドに引き継がれるらしいことが語られます。 しかしその話題が出た時、この人物は、 「その仕事はまだ、私のものだよ!」 と、アルフレッドにその職務を譲ることをやんわり抵抗しているんですよね。  ということは… ひょっとして、この人… アルフレッドに対し、そもそも、何か特別な思いを抱いていたのでしょうか・・・  このことへのヒントは、さらに物語を遡っていくと…実は、冒頭のナンバーで、語られているのです!! 「さぁみんな、始めるぞ!!」必死に町のリーダーシップを取ろうとしている、この人物。 しかし。 市民たちの歌詞は、違います。「頼れる男〜」と歌われているのは、この男ではなく、やっぱり、アルフレッドなのです。。。  察するに。  ギュレンの町で、本当に人望を集めていたのは。町を取り仕切る責務を現役で担っているこの人物ではなく、雑貨屋の店主・アルフレッド。。。 本来、もっとも人望を集めるべき人物にとって、この事実は、アルフレッドへの嫉妬心を掻き立ててもおかしくないのではないでしょうか。。。 しかも。この人物について劇中で語られているのは「歳の離れた妻がオメデタである」という事実。長い間、独身であったであろうことが想像されます。対して、すでに妻と2人の子供を持ち、幸せな家庭を築いているアルフレッド。。。   町一番の、権力者。 しかし、本当に人望を集めているのは自分ではないのだという、事実。 幸せを、長い間つかみ損ねてきたという、過去。   …自分は敗者だ、という、劣等感。   4人の男たちの電話での密談や、その後の彼の態度の裏には、そんな、許しがたい嫉妬心があったのかもしれません。。。   このあたりのお話も、あくまで僕の想像ですけれど。 ご覧になった皆様は、どのようにお感じになるでしょう?? そして、これからご覧になる方は、ぜひ、細かいセリフの一つ一つにも注意して見てみてくださいね!!

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  • 29 Nov
    • 『貴婦人の訪問』…人はなぜ、それを手にするに至ったか??

      人が武器を取る、って、一体どんなことなんでしょうね。  日本では、一般人の銃の所持は認められていませんが、アメリカに行くと、その事情は違ってきます。 他の国では。内戦で、子供たちまでもが銃を手にしているような国もあります。  『貴婦人の訪問』で僕が演じるボディガード・トービーは、ピストルを携行しています。 そして劇中、実際にそのピストルを抜くのです。 石川禅さん演じるクラウス校長は、トービーにピストルを突きつけられるのですが。 禅さんが、稽古中に、その場面について、こんな風におっしゃっていました。 「ピストルを向けられることの恐怖感って、日本人には分からないから、突きつけられた時の演技が難しい…」  …確かに。 ピストルや銃の脅威が身近にない国の人にとっては、当然ながら、その恐怖は想像すら難しいものです。  物語の舞台となる田舎町・ギュレンもまた、そうした武器は日常にはない場所。 ほとんどの市民が、日常的にそれを手に取にすることはなく。触った事はおろか、きちんと見た事すらないでしょう。 物語に登場するギュレン市民のうち、ただ一人を除けば…  僕がトービーとしてこの作品を生きる中で、一番重要なターニングポイントは、以前このブログでもお話しした、あの場面。 第1幕終盤、ギュレンの町に起こる「ある事件」を扱った、あの一連の場面です。  その事件は、警察署への一本の電話によって知らされます。  そして。おそらく武器を見た事も、手にした事もなかったギュレン市民たちに、大きな変化が訪れるのです。 それは、一人の「武器が日常的に身近にある人物」の扇動によって。。。  でも、この人物。決して、日常的にその武力を行使していた人物ではありません。 むしろ、誰よりも平和を望んでいる人物…だからこそ、その職に就いたはずの人物なのです。 彼は、若い頃から「平和を守り抜く」という信念を抱き、その職に就いて、信念を守り抜いてきた人物だと、僕は思っています。 …この人物には、若い頃の描写も登場します。その場面で、若き日の彼は、武器を手に持つ仕草をします。まるで「自分がこの町を守る!」という夢を熱く語るかのように。その描写からも、彼の強い正義感が想像されるのです。  一本の電話で町の事件を知った時、彼は、何を思ったのでしょう?  町を侵されることへの、怒り?市民を守ることへの、正義感?自分の信念を貫き通すことへの、執着? それとも… ひょっとして、この事件の発端になった、「アレ」が怖かった?? …個人的な意見ですが。 これ、案外、最後の「アレが怖かった」というのも、あり得る話なんじゃないかと思うんですよね。 まぁ、アレが町に・・・という「事件」を恐れたのか、それとも、単純に「アレ」自体が怖かったのかは分かりませんが。。。 ただ、アレを直に、間近で目撃しているのは…実は、冒頭の場面をよく見てみると。劇中では、この人だけ(ギュレン市民の中では)だと思うんですよね! ガルル… 冒頭で、その箱の中を覗くのは、この人なんです。  だから、アレが町に・・・という事件に対し、一番実感を持って恐怖心を感じたのは、やっぱりこの人だったんだろうと思います。 その恐怖が自らの正義感を奮い立たせ、武器を手にし、そして町の人たちにも武器を持たせたのでしょうか。 その事件の解決の後、彼はどうなったでしょう??解決の直後のセリフに注目してみてください。彼の口調はまるで、黒ずくめの二人組のよう・・・  彼をここまで駆り立て、そして変化させる「アレ」の存在。平和な町に起こった、アレによる「事件」。 その「アレ」とは… さらに言えば。 その「アレ」はまさに、あの、重要人物の若かりし頃のニックネーム。。。  ・・・この、一連の場面。  この、町を扇動した人物に続いて登場するのが。。。  はい、あの人です! 町全体を取り仕切る立場の、あの人!! この場面で、この人物は。若い頃に「アレ」をニックネームに持つアノ人に対し、どんな態度を取っているでしょう?? そこから読める、この「町のお偉いさん」の過去とは!?  …というわけで。  見れば見るほど、探れば探るほど、深みにはまっていく場面。 次回も、このお話は続けてみたいと思います。      昨年、『貴婦人の訪問』初演の稽古場で。 演出の山田和也さんが、僕らボディガード二人に大きな特徴づけをしてくださいました。 一人は頭脳系、もう一人は、鉄砲玉。 そんなわけで、港幸樹さん扮するロビーは、武器は持たず、ご主人クレアの机のそばで事務仕事のお手伝い。 僕、トービーは、いつでもピストルを携行するようになったのでした。。。

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  • 27 Nov
    • 『貴婦人の訪問』…罪深き世界に生まれる命は、その罪に気づくのか?

      人間は、生まれた時は汚れのない心を持っているものなのでしょうか?  それとも、生まれながらにして、罪を背負っているのでしょうか??  『貴婦人の訪問』東京での公演も、残すところあと1週間ちょっと。 1公演ずつ、終わっていくのは、ちょっと寂しい気もしますが。 その1公演ずつがお客様の心へと手渡されてゆくというのは、プレイヤーにとって、幸せなことです。  『貴婦人の訪問』の劇中で。 少なくとも、2人の女性が、その胎内に子供を宿しています。。。  それとは別に、幼い命がひとつ、登場します。 オープニングで舞台中央に浮かび上がるのは、ギュレンの町の、子供の姿。  この子供は、物語の後半で。石川禅さん演じるクラウス校長に、あるメッセージを送ります。 「また良い時が来る、って、信じればいいのよ。」 そう言って、子供は校長に、一本の花をあげるのです。 真っ白な、花を。  まるで、子供の純白な心を現したかのような、白い花。  僕は、そのシーンのすぐ後に、テレビ局のカメラマンとして校長に迫るのですが。 石川禅さん扮する校長はその時、頬に涙を流しているんです。。。  汚れゆく自らの心に、この花の白さと、子供の純白な心が突き刺さっているのでしょうか…  僕らが校長に迫っていく、その時。校長は腕の中に、赤ん坊を抱いています。  この赤ん坊こそ、先ほどお話しした「2人の女性の胎内に宿った命」のうちの、ひとつ。 物語の冒頭ではお腹の中にいた命が、後半のこのシーンでは、誕生しているのです。  校長は、その後。新しい命と、純白な子供の心と、そして、白い花に、救われたのでしょうか?それとも…?? その結果は、最後の場面で語られます。校長はどんな末路を辿ったのか、それは見てのお楽しみ。そして、すでにご覧になった方は、その末路を、どのように捉え、感じたでしょうか…?? このラストシーンでは、校長の心の行方と共に、「白い花」の行方も描かれます。 白い花は、最後、どうなっているでしょう??子供の心のように、白く咲き続けているでしょうか?  実は、子供がこの「白い花」を手渡す時のセリフ… 「また良い時が来る、って信じればいいのよ。」 劇中、このセリフと同じような内容が、別の、若い命によって語られているのです。  …「大丈夫だよ。きっと平和的に解決するよ。」  山口祐一郎さん演じるアルフレッドの息子、ニクラス(木内健人さん)が、とてもよく似たセリフを物語終盤で喋っているのです! この発見は、シアタークリエの楽屋で、ボディガードの相棒・港幸樹さんが僕に教えてくれました。  う〜ん、確かに!!  勝手に、恐ろしい妄想を作り上げてしまう大人(アルフレッドがまさに、そうですよね)に対し、子供たちは、とても前向きな言葉を口にする。  ところが!!  ニクラスの、この時の服装を、よぉく見てください!! 前半とただ変わっているだけでなく、さらに1アイテム、ギュレンの他の市民たちとは違ったものを装着しているではありませんか!! そして、このアイテム!! アノ、怪しい二人組の特徴である、あのアイテムと同じ!!  まさか、クラウスの人生のその後、って…  …なんて、考えてしまいますが。  子供は次第に、大人になるにつれ、心の純白さを失ってゆくものなのでしょうか…?  でも、どうなんでしょう?  ニクラスはこの時、他の大人たちのように、心が引き裂かれてゆく葛藤を感じていたでしょうか?  そこで、先ほどお話ししていた、「校長が抱いている赤ん坊」に話を戻してみたいと思います。 この赤ん坊が誰の子供なのかは、ご覧になった方はお分かりかと思います。そこまでの場面で、「ある人物」の奥さんが、お腹を大きくして登場していますよね。 さて。 赤ん坊が生まれ、校長に抱かれている頃。 父親である、「ある人物」の心の色は、どうなっているでしょう? 直後に、この「ある人物」が舞台上に現れ、その胸の内をさらけ出しますよね。  「ある人物」の…赤ん坊の親の、心の色。 ギュレン市民たちの、心の色。  この「心たち」に囲まれて生まれた赤ん坊。 この子は、昔のギュレンの町を知らずに、生まれてくるのです。 昔のギュレンの人たちの心を知らずに、育ってゆくのです。  よく、「戦争を知らない子供たち」なんて言い方をしたり。「お金持ちの子供は、生まれつき、金銭感覚が違う」なんて言い方をしますよね。 もし、そんな子供たちが、戦争を知っている世代の大人たちからすれば非常識な言動をしたり、乱暴なお金の使い方をしているとしたら。 一体、誰に罪があるのでしょう?誰を叱るべきなのでしょう?? 果たして、子供たちに罪はあるのでしょうか? あるいは。もし、子供が、生まれつきの環境によって、苦しみや、悲しみを背負う運命にあったなら??戦場に生まれた子供たちが、やがて武器を取ったとしたら、その子たちを責めるべきなのでしょうか??  純白な心がゆえに、何の恐れもなく、武器を取る若い命も、この世には存在するのです。 あるいは、その若い命は、生まれながらにして武器を取る運命にある、生まれながらの罪深き命なのでしょうか。 何も知らない子供たちは、そこにある現実が「当たり前の世界」。罪の意識を感じることも、罪を自覚することも、引き裂かれることもなく。ただただ、罪深い運命へと飲み込まれてゆくだけなのかもしれません。  僕が、2年前に演じた、シェークスピアの『リア王』。この哀れな王様は、正気を失った挙句、こんなことを口にします。 「赤ん坊は皆、泣きながらこの世に生まれてくる。こんな、阿呆ばかりの世の中に引きずり出されたのが、情けないからだ…」  赤ん坊や子供たちにとって。純白な心にとって、この世の中は、罪深い阿呆の世界に見えているのでしょうか。 あるいは、阿呆の世界に生まれた命は、その世界が阿呆であることすら気づかないのでしょうか。生まれながらの阿呆として、この世に生を受けてしまうのでしょうか。だとしたら、本当に悲劇的なことです。  …『貴婦人の訪問』に登場する、若い命、幼い命。 母親の胎内に宿された2つの命…そのうちの一つは、物語の後半に登場して、校長に抱かれます。 では…もう一つの命は、どんな運命を辿るのでしょう。  すでにご覧になった方々…その運命を知った時、皆様は、どのようにお感じになりましたか? まだご覧になっていない方は、客席で、何を感じるのでしょうか?  正気を失ったリア王なら。もしかしたら、阿呆ばかりのこの世を心から嘆くかもしれませんね。  人の心って、いつ、その白さを失うのでしょう。 いつから、罪を背負い始めるのでしょうね。    『貴婦人の訪問』シアタークリエは、12月4日まで。まだご覧になっていない方は、どうぞ、お見逃しなく!! チケットお申し込みは、こちら。  WEBラジオ放送局「たにらく。」第2話、アップしました!!

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  • 26 Nov
    • 結局……行き着く先は、舞台の雑談。 〜トービーは、なぜ吊り橋を渡るのか??〜

      昨日から始まった、WEBラジオ放送局 「たにらく。」  リハーサルなし、全編ほぼノーカットで収録した、1975年生まれの野郎2人の雑談です。  でも、なんなんでしょう。 相方の、三遊亭楽天さんと好き勝手に話しているの、とってもお気楽で楽しいんですよね。 同じダンスチームで苦楽を共にした仲ですから…  まぁ、その雑談を皆さまにも聴いていただこうなんて、なんだかムチャな話ですけれど。 でも、どんな時間の過ごし方であれ、皆さまとのひとときを共有できることは、僕にとっては何よりの幸せです。 僕らの声が、皆さまの時間の一コマに流れているなんて、想像しただけでもハッピー どうぞ、末永く見守ってやってください。。。  それにしても。この雑談と、舞台の本番って、自分にとって、すっごくバランスが良いんです  雑談は。限りなく続く人生の時間の中から、ただ無造作に取り出した一コマって気がするんですね。永〜い時間の中の、ほんの「何気ない一コマ」。 対して、舞台上の時間って。 本来なら、限りなく続いているはずの、そのキャラクターの時間を、ギュッと凝縮して。一番、人生で劇的な瞬間を抽出してしまう。一応、概念としては、舞台上の時間の前後にも時間は流れているわけですが。演じている側の神経は、まるで、舞台上の時間だけがその人の人生のすべてだと言わんばかりの集中力で、そこにいるんです。「何気ない一コマ」では、ドラマは動きません。 それが、実人生の時間と、劇的空間に流れる時間の「密度」の違い。 舞台上の濃密な時間の流れと、軽い雑談のリラックスしたひとときが、僕の活動にメリハリを与えてくれる感じがするんですよね。  ラジオで喋っている時…その、リラックスしている時間の中では、二人の間にドラマが生まれる必要はないんです。言ってみれば、二人の時間が「寄り添っている」イメージ。  対して。  舞台…つまり、劇的空間では、そこにいる登場人物たちの時間が「寄り添って」はいけないんです。 寄り添っている時間の中に、ドラマは生まれません。 例えば。川にかかる、細い吊り橋をイメージしてみてください。その吊り橋の幅は、せいぜい、肩幅程度。人が並んで渡ったり、すれ違ったりする余裕はありません。さて。登場人物:Aさんは、細い吊り橋を渡ろうとしています。しかし、反対岸から、登場人物:Bさんも、吊り橋を渡り始めます。互いに、何か急用があり、どうしても急いで渡らなくてはいけないとします。道を譲りたくない両者は、橋の真ん中で出会った時、どうするでしょう?? これが、いわゆる「ドラマ」の原型なんですね。 結果論としては、片方の人が、急いでいる気持ちを我慢して、引き返して相手に道を譲るかもしれません。激しいドラマなら、どうしても譲れない急用のため、橋の真ん中でケンカが起きるかもしれません。 ケンカが起きれば、ビジュアル的にも激しくて面白いドラマですよね 一方、道を譲るパターンも、内面的にはとってもドラマチックです。 仮に、道を譲ったのはAさんだとして。このAさん、川の向こうの病院に、病気のお母さんが入院しているとします。つい今しがた、病院から、お母さんが危篤だとの連絡が入って、それで急いでいるのだとしたら…Aさんの内面的なドラマは、想像に難くないと思います。。。  これがもし、恋人同士のCくん、Dさんの話で。一緒に寄り添って、ただ同じ方向に吊り橋を渡っていく話だとしたら。そこには取り立てて対立は生じず、ドラマは生まれませんよね。カップルが、寄り添いながら、ただ橋を渡る場面なんて…そんな、クソおもしろくない場面なんて、誰も見たくありません。。。(笑)  劇作家は、ドラマが起きている場面だけを台本に起こしているわけです。ドラマのないシーンは、そもそも台本に書いても意味がありません。  しかし。。。  一見、何のドラマも起きていないようなシーンというのも、確かに存在するんですよね。 そんな時。 演じる俳優は、そこに「隠されたドラマ」を見つけようとするのです。 劇作家は、意味もなく、そんなシーンを書いているはずがありません。 しかし、台本には、 「A、細い吊り橋を渡り始める。と、反対側から橋を渡ってくるBが登場。Aは一旦引き返し、Bに道を譲る。」 としか書かれていないわけです。。。  この台本を読んだだけなら、 「何だよ、ただ道を譲ってるだけの話じゃないか」 と思いたくなりますよね。  そこで、俳優の役作りが始まります。  「そこに隠されているドラマは、何なのか…?」  先ほどの例で言えば、Aさんが、実は危篤の母親に会いに行く、という設定を、自分で導き出さなければならないわけです。  台本というのは、もしかしたら、完成した舞台をご覧になっている皆様が想像する以上に、意地悪で、乱暴なものかもしれません…。 Aさんの置かれた状況が書かれていない、ということは、往々にしてある話で。 そこに、どんな葛藤を埋め込むかは、俳優や演出家に託されている、という場合がよくあるんですね。  あるいは、セリフの少ない役。  セリフの多い役は、比較的、そのセリフの中にヒントが書かれていることが多いのですが、セリフの少ない役というのは、それだけ役作りのヒントや手がかりとなる情報が少ないんです。  今回。  『貴婦人の訪問』で僕が演じている役・トービーも、手がかりが少ない役。 初演では、あまりのヒントの少なさに、「ボディガード」という設定を頼りにするしかなくなり、結果、あまり動きのない(内面的にも)役になっていました。 しかし、今回の再演の稽古場で、メリメリと表面の皮が剥がれ始め、その奥に眠っている「隠された設定」に気づくことができたと思っています。 もちろん、まだまだ演じ方の方法はある役だと思いますが。 今、2016年の僕が、僕なりに剥いだ皮の奥に見つけたトービーの葛藤は、一つの道を指し示してくれました。 「マダムを護衛する」のが吊り橋なら。「なぜ護衛するのか?」という、台本には書かれていない、吊り橋を渡る理由が見えてきたのです。 そして、劇中。ある時には、他のキャラクターに道を譲り。またある時には、頑として譲らず、ケンカを申し込む。 葛藤がはっきりすれば。道を譲り、あるいは譲らずにケンカをする時に湧き上がってくる感情も自ずとつかめてきます。 葛藤が「危篤のお母さん」なら、道を譲った時の感情を想像することができてくるのと同じ。 役が、はっきりしてくるのですね。   劇中、僕は、笑うべき空気ではない場面でも笑ってしまったり。 実は、泣くような場面ではないのに、真っ黒なサングラスの奥で涙が溢れてきてしまったりしているんです。(どの場面かは…ナイショです!)  これは、初演の時はたどり着けなかった、トービーの「深い部分」なのだと思います。  以前にもこのブログで触れたように。今回の役作りの参考の一つに、映画「ダークナイト」に登場するジョーカーがいます。 ヒース・レジャーが演じるジョーカーは、台本に書かれた情緒とは切り離れたところで笑ったりするんです。フツーに台本の文字だけ読んだら、笑うところだと思わないような場所に、ヒース・レジャーが作りだしたジョーカーは、不気味な笑いをぶつけてくるんですね。 でも、日常生活を送っている上では、そんなことは当たり前で。 当人にとってみれば深刻なことでも、第三者が見たら滑稽で、笑ってしまう、ということは、よくあることです。  …あら?? 結局、このブログでも、舞台についての「雑談」を繰り広げてしまいました。  やっぱり、雑談は楽しいですね。。。  「たにらく。」第2話も、間もなくアップ予定!! You Tube から、ご視聴いただけます!! 「たにらく。」第1話は、こちらをクリック。 …You Tube が別ウィンドウで開きます。あとは、表示された動画をそのまま再生していただくだけで、すぐに視聴できますよ〜

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  • 25 Nov
    • ネットで聴けるラジオ番組「たにらく。」開局!!

      本日も。 これから『貴婦人の訪問』の本番です。 でも、その前に…  ひとつ、最新情報をお届けいたします!  …ぼくの20年来の親友に、三遊亭楽天という落語家がおりまして。 その楽天さんと、先日、久しぶりに再会。 二人で、ちょっとしたWEBラジオ番組を始める運びとなりましたっ!! そして本日、そのWEBラジオ番組  「たにらく。」  開局いたしました~!! ひとまず、You Tube を使っての配信をさせて頂いております。 まずは、こちらをクリック!!   〜「たにらく。」第1話〜  …互いに、1975年生まれのぼくらが、好き勝手に雑談する、約10分弱の番組です。 まだスタートしたばかりなので、ほんっとに好き勝手に雑談してますが。 いちお、第1話の話題は、二人の出会いあたりから触れてます  是非是非、お気軽に、聴いてみてくださいませ。  この番組。これからも、結構なハイペースでアップしていく予定です。 それから。 ご意見・ご要望などありましたら、どしどし、メッセージをお送りくださいませ メッセージは、こちらから!!  というわけで。 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします    「たにらく。」関連リンク: 「たにらく。」HP You Tube チャンネル ブログ Twitter Instagram 「たにらく。」第1話https://www.youtube.com/watch?v=o2NFR5ivck4

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  • 24 Nov
    • 『貴婦人の訪問』…ラストシーン!! あれは現実か? 非現実か??

      『貴婦人の訪問』シアタークリエ公演も、折り返し地点。 ここまで、早かったなぁ…。  さて。。。  すでにご覧になった方にはお分かりの、あの、ラストシーン。 これからご覧になる方には、ネタをばらすわけにはいかないんですがちょっとしたサプライズ感のある、お楽しみのラストシーンですよ この物語の、いっちばん最後。 バタバタバタバタ… この轟音とともに。  ◯◯ から、△△ が ××× してきます!!  …う〜ん。  さすがに、このラストシーンについてネタバレなく触れようとすると、もうワケの分からない文章になってしまいますが。 とにかく、お楽しみの演出が待っているんです!! ◯◯ から、△△ が !! ◯◯は、ある「場所」。△△は、ある「モノ」。 あるモノが、ある場所から、ワァ〜っと…  もちろん、ご覧になった方には、お分かりですよね  バタバタバタバタ…  ワァ〜っ…  みたいな。。。  ところで、そのラストシーン。  ◯◯ から △△  が、ワァ〜っと ××× 。  この光景。物語の中で、現実に起こってることだと思いますか?? それとも、ストーリー上のメタファー(隠喩)で、実際には存在しない光景だと思いますか??  …というのも。  よく言う「演劇的に」みたいな言い方からすると。 舞台上の出来事は、すべてが現実に存在することである必要はなく。 ミュージカルなどは分かりやすい例だと思いますが。本来なら、そこには音楽もなければ、その人物は、現実にはそこで歌なんか歌ったらおかしい、みたいなことが、表現として許されていますよね。 登場人物の心情を、より効果的に伝えるために、音楽やダンスといった要素を用い、リアリズムだけでは伝えきれない感情的な部分を客席に届けようとするのです。  この、舞台表現のお約束が許されている中で…  『貴婦人の訪問』のラストシーン、って、どうお感じになりますか??  そこには、あのラストシーンのような瞬間は現実には存在せず…一連のドラマがすべて完了した後の、ギュレンの町の人々の心情をより効果的に観客に伝えるための「演劇的なアプローチ」なのでしょうか? それとも…実際に ◯◯ から、△△ が ××× していると思いますか??  当然、どちらが正解・不正解ではなく。お客様お一人お一人が感じたままの事が、その人にとっての正解になるわけですけれども。  ここからは、僕の…出演している一俳優としての意見なので、皆様のご意見とは相違があるかもしれませんが…実は、本番が始まった頃に、このラストシーンの演出に対して僕が感じた個人的な思いがあるんです。   …もし、自分が観客としてこの作品を見たら きっと、このラストシーンの演出は、ギュレンの町の人々の心情…というよりも、人間の本質を表現するための「演劇表現の手段」だと解釈すると思います。 つまり、この表現は、メタファーを含んだ「虚構」である。そこには、実際にはそんな光景は「存在しない」と。 だって、やっぱりフツーに考えたって、あのラストシーンの光景は、あまりに非現実的ですよね。 そもそも…その前に、市長は(つまり、ギュレン市民は)、ちゃんと、アレを受け取っているわけですから。ダメ押しのように、あんな光景が繰り広げられる必要はないはずなんですよね。わざわさ、△△(あるモノ)を改めて×××させる必然性は、もはや、ないわけです。  しかし。  シアター1010のプレビュー公演が始まった頃。   この、◯◯ から、△△ が ××× しているという光景… 「これ、現実に、誰かが ◯◯ から △△ を ××× しているんじゃないのか??」 と、思い始めたんです!  誰かが…なんて、白々しい言い方ですけれど。 現実に、この光景が繰り広げられているとすれば… この行為ができる人物は、限られています。  まず考えられるのは、アノ人。メイン・キャラクターの●●●(一応、名前は伏せておきますね)です。 そして。 可能性があるとすれば、あと2人…   そうなんです!!  僕と、港幸樹さんが演じる、ボディガードの2人!!  でも、この3人の立場になってみると、確かに、◯◯ から △△ を ××× するということもあり得るんじゃないか!? という可能性に気づいたんです…!  例えば。 メイン・キャラクターのアノ人、●●●の気持ちになってみれば… ●●●という人物は、この物語を通して、ある目的のために行動します。しかし、最後には、その目的は終了し… ●●●がこの物語で成し遂げようとしていたその「目的」。この人物は、その目的のために、若い頃からの人生を再構築し、目的を果たす日を長い間心待ちにしていたのでしょう。そして、その目的が、ある形で終わりを迎えた時… ●●●にとって、所持していた△△は。それ以降の人生に、意味のあるものなのでしょうか?? その△△はもはや、無用の長物になってしまったのではないだろうか?? そして●●●は、所持していた残りの△△までも、手放した…  …なんて可能性も、十分に考えられるんじゃないかと思うんです。  そしてそれは、ボディガードたちにも当てはまるのかもしれない…  彼らは、●●●が見せた最後の表情を、望んでいたでしょうか??  相棒のロビー役・港幸樹さんの役作りについては、その部分はお聞きしていませんが。  僕が作った自身の役・トービーにとっては…まさか、●●●の、あんな表情、あんな姿を見るなんて、想定外だったと思うんですね。  …トービーにとって。物語の後半、涼風真世さん演じる貴婦人クレア(=雇い主)の歌の歌詞に出てくる言葉… 「心なんて、あれば邪魔よ。だから捨てて、ありあまる富で私は買うの…」 という言葉がすべてなのではないかと思うんです。 トービーにとっても、心は邪魔。なぜなら、もし心があったら、自分がこれまで歩んできた人生の罪悪に押しつぶされるから… …トービーは、ある大きな罪を犯した人物だと想像しています。大きな罪と言っても、「大泥棒」や「怪盗」といった、かっこいい犯罪ではありません。限りなく、心を崩壊させるような、人間としての罪悪。しかし、トービー本人にとってその罪は、自らが望んで犯したわけではなく…不本意に犯してしまった罪に問われ、悩み苦しむ、トービー。きっとクレアは、そんなトービーの姿に自らの過去を重ね合わせ、助けたのだと。。。 (トービーの犯した罪が具体的には何なのか? には、今日はまだ触れないでおきますね。ある、現実に起こった事件を参考にしているのですが…そのお話は、また後日…) とにかく、トービーは。人間性を失うに値するような罪の、その重く恐ろしい罪悪感を、クレアの所持する「富」によって封じ込めているのだと思っています。今にも崩れ落ちそうな心の痛みを、「富」という麻薬で麻痺させている。心の存在しない世界に身を置こうとしている…。  だとしたら。  ラストシーンの、アノ人の姿…「みんな■■■よ!!」と叫ぶ、●●●が見せた最後の表情は、決して見たくなかったはず。。。 なぜなら。その表情を見てしまったら、トービーは、何をもってしても封じ込めることのできない「心」の痛みに気づかされてしまうのですから。 そしたら、トービーにとっても、もはや、△△は無用の長物になってしまうんじゃないか、と。。。   ◯◯ から △△ を ××× しているのは、ひょっとすると、僕(トービー)自身かもしれない。。。   この光景は、演劇の表現の上で描かれた空想の世界ではなく。 現実に、ギュレンの町に起こっていることなのかもしれない。。。   バタバタバタバタ…   轟音を上げながら。  トービーは、ギュレンの町に、自分を救ってくれると信じていたものを捨て去って。 心を取り戻し、自分の犯した罪を償う旅に出るのかもしれません。  贖罪の旅へ。  ラストシーンの後、トービーは、あの人の元を去り。たった一人、贖罪の旅へ出る決心をしたのではないでしょうか。   あのラストシーンの光景は、現実か、空想か。  現実なのだとしたら、一体誰が、あんな行為をしたのか?   …なーんて。思いを巡らせてみるのも、きっと面白いと思います。   それにしても、読みづらい文章になってしまい、すみませんネタバレを回避しながら作品に触れるって、難しい…   わたくし、トービーの写真これ、元は楽屋で撮った自撮りかっこよさげに加工してみました…いかがでしょ?? 

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  • 18 Nov
    • 『貴婦人の訪問』…一幕終盤に隠された、おっそろしい「死のメッセージ」!!

      『貴婦人の訪問』は、二幕構成のミュージカルなのですが。 二幕モノの作品のほとんどが、一幕目の終盤に物語のターニングポイントとも言える、大きな山場を迎えます。  実は。 『貴婦人の訪問』では、この大きなターニングポイントで、オープニングと同じメロディーが歌われます。 それは、なんとも寂しげな旋律… オープニングの「死にかけた町」というモチーフからも、この旋律が「死」を意味することは明らかです。  ところが。  この、一幕終盤。よくよく考えると、なぜここで、そんな「死」にまつわるメロディーが歌われるのか、不思議なんですよね。確かに、この場面では、とある「死」についてのエピソードが語られるわけですが。オープニングの曲を、わざわざそこで再び歌うほどのことかな、と、疑問になるんです。 山口祐一郎さん演じるアルフレッドのセリフでも、このシーンでその歌が歌われることに対して、「どうして弔いの歌なんか歌ってるんだ!?」と、ツッコミ(?)を入れているくらいですから。。。  実は、このシーン。先日のこのプログでお話しした「第四の壁」を含む、一連のシーン。演出上も、ここで特殊な技法を使い、かつ、オープニングのメロディまでリプライズさせる…それだけ重要な場面なんですね。 しかし、同じメロディーを歌うことも、特殊な演出を導入する必然性も。果たして、その場面がそれほど「重要」なターニングポイントなのかと、疑問を持ってしまうような場面なんです。  ちょっとだけ、どんな場面かをお話ししてしまうと…  ギュレン市民たちが、あるモノをかぶり、ヘンテコな格好で出てくる場面。もうご覧になった方なら、すぐに分かる、アノ場面です。  ストーリー上はというと…ギュレンの町に、ある問題が持ち上がり。今拓哉さん演じるゲルハルト署長の指揮のもと、その問題を解決するわけなんですが。 そこでは確かに、「死」というキーワードが語られるものの、一見、大して重要なものの「死」とは思えないんですよね。 だって、死ぬのは「◯◯」なんですから…(ここは、ネタバレしないよう、誰が(何が)死ぬのかは内緒にしておきますね。)    しかし!!   実はこの場面で、ギュレンの町には、とんでもなく大きな変化が起こってるんです!!!!   そして!!  その変化によって、確かに、ある重要なものが「死んでしまう」のであります!!!!  それが分かった時、僕は、心底ゾッとしました。。。  ここには、作品の重要なメッセージが確かに隠されていたのです。 このシーンは、やはり一幕終盤のターニングポイントに相応しく…「第四の壁」をぶち壊してまで、観客の自意識を呼び起こし…弔いの歌は、歌われるべくして歌われるのです。。。  一体、この一幕終盤で本当に「死」を迎え、失われてしまったものとは、何なのか!?  すでにご覧になった方は、よぉ〜く思い出してみてください!これからご覧になる方は、よぉ〜く見ていてください!  ヒントは、この作品を通して、様々な場所に散りばめられています。 その幾つかを、ここでご紹介します。。。  ●この一連のシーンのうち、中山昇さん演じる牧師・ヨハネスのセリフをよく聞いてみてください。本当に恐るべき「死」とは何なのか……?それを語っているセリフがあり、おそらくこの一幕終盤で「死」を迎え、オープニングのメロディーによって弔われるのは、まさにこのセリフに語られるものの「死」を指していると思われます。 ●貴婦人クレアが降り立つ前のギュレンは、どんな町だったか…?閉塞された田舎町、ギュレン。冒頭、ゲルハルト署長に向かって、涼風真世さん演じる貴婦人クレアは「警察が始末しなきゃならないようなことが、この街には山積みなのね」と語りかけ、署長は「?」と困惑するというくだりがあります。このやりとりから察するに、おそらくこの町では、警察沙汰になるような大きな事件は永らく起きていないのではないかと思われるのです。閉塞されたコミュニティーであるからこそ、大きな事件も起きずに、のどかで平和な時間が流れていたのでしょう。ギュレン市民というのは、そういう町の人たちです。当然…武器を手にしたことなど、一度もないでしょう。 ●一幕終盤のこのシーンで、銃声は何発聞こえたか??もし、複数回聞こえたのなら…標的以外にも、命を落とした「誰か」がいるということ。。。それは一体、誰の命なのでしょう? ●クレアの呼びかけに対し、ボディガードの二人は、常に、まるで洗脳されたかのように「マダム」と答えます。この一幕終盤で、銃声が聞こえた後にも、同じような冷徹な語調で「マダム」と答えるセリフがあります。しかし……それは、ボディガードのものではありません! ●アルフレッドが、この物語の一番最後に口にするセリフに注目!!誰のために「祈れ」と言っている…!?   …さて、いかがでしょう。 これは、僕の個人的な解釈なので、また違った見方もあると思いますが。 でも、このヒントを手がかりに見てみると、『貴婦人の訪問』はより一層恐ろしく、そして、本当によくできたミュージカルだと思えるのですね。  というわけで。  今回は  “『貴婦人の訪問』をさらに楽しく見る方法”  のお話でした。。。  余談ですが… このシーンの中で、ラテン語のコーラスの歌も歌われるんですけれど。 この歌の歌詞。ミュージカル『モンテ・クリスト伯』の冒頭で流れたコーラスの歌とおんなじ歌詞なんですよ

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  • 15 Nov
    • 11月14日は、母の命日…ありがとうね。

      今日、11月14日は。 10年前に突然、天国へと旅立ってしまった母の命日でした。  このような、忘れられぬ日にも舞台に立てていること、心から感謝しています。   僕の演劇活動をずっと応援してくれて。 2003年の『サタデーナイト・フィーバー』出演が決まった時には、集金に来た新聞屋のお兄さんにまで宣伝してくれて。 帝劇の『モーツァルト!』や、日生劇場の『エリザベート』までは見てもらえたのですが。 残念ながら、その後の僕の舞台や映像は、見せてあげることができませんでした。   母が亡くなった直後、ミュージカル座さんの『スウィングボーイズ』という作品に出演させていただきました。 この作品への出演は、母が亡くなる前に決まっていたのですが。稽古が始まる頃に旅立ってしまったので、見てもらうことは叶いませんでした。 母がいない客席が、あまりに悲しくて、寂しくて。本番、衣装のポケットにこっそり母の写真を忍ばせて、演技をしていました。   それから。   その後に出演した、スイセイ・ミュージカルさんのオリジナル作品『広い宇宙の中で』。 母が亡くなってから最初に受けたオーディションで決まった舞台でした。 その物語は、亡くなった母親の幽霊が主人公。残されて、悲しみに暮れている父と子供達が、幽霊となった母に見守られながら、幾多の苦難を乗り越えて生きてゆくお話。 僕は、その家族の息子の役でした。 この、状況の偶然の一致に驚きながら、主人公である母親の役名を見て、さらに驚きました。 彼女の名前は「和子」。 僕の母と同じ名前。  きっと、母は、もっと僕の舞台を見たかったのでしょうね。  それ以外にも、しばらくの間、不思議な出来事が続いていて。 よっぽど、僕と離れるのが心配だったんでしょうね。  けれど、いつの間にか、そんな出来事もなくなって。 ちょっと寂しいけれど、きっと、安心して天国に昇っていったんだと思います。   最後の最後まで、甘えん坊で、反抗期の息子でした。   10年経った今も、皆さんに支えられて、こうして好きな舞台に立つことができています。   というか、今は怪しげなボディガードやってますけどね。  応援してくれていた母のためにも、一回一回の舞台を大切に演じてゆきたいと思っています。  それでは、また明日もシアタークリエでお待ちしております!!    母は、すっごくオンチだったんで、歌なんてほとんど聞いたことなかったんですけれど。「赤とんぼ」の歌は大好きで、口ずさんでいたのを覚えています。 母の命の灯火が消える最後の時、病院のベッドで、僕が「赤とんぼ」を歌って聞かせてあげました。

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  • 14 Nov
    • 『貴婦人の訪問』…マチルデこそ、陰に輝くスポットライト!!

      「小さな役などない、小さな俳優がいるだけだ」 今日の演技の礎を築いた、ロシアのスタニスラフスキーの言葉です。  どんなに出番の少ない役…たとえ、通行人であっても。役の人物には人生があり、葛藤があるのです。 もし、「小さい役だから」「大事な役じゃないから」と言う俳優がいたとすれば、それは役の大小の問題ではなく、そこには小さな考え方しかできない俳優がいるだけ。役を軽んじて考えている、ちっぽけな俳優なのだ、ということ。。。  …本日、シアタークリエの『貴婦人の訪問』、二日目を終えました。  『貴婦人の訪問』における、アルフレッドの妻・マチルデは、面白いことに、ある意味でこの「通行人の役」と同じような位置関係に立たされているのかもしれません。 演じるのは、瀬奈じゅんさん。 『エリザベート』や『ニューヨークへ行きたい!』でもお世話になった、とっても素敵で気さくなお姉さんです  …いやいや、マチルデを通行人だなんて!! すでにご覧になった方は当然ながら、まだご覧になっていない方も、「瀬奈さんの役を通行人だなんて!!」って思われているでしょうねっ。。。 もちろん、通行人じゃないですよ(笑)物語の主軸に関わる役です。  ところで。  みなさんご存知の映画「ゴジラ」。 この映画には、たくさんの「通行人」が登場します。 というより、「逃げ惑う通行人」たち。 つまり… 「ただ踏み潰されるだけのエキストラ」 の方たちです。  でも、このエキストラの人物たちにも、様々な人生があって当然ですよね。 スーツを着たビジネスマンもいれば、女子高生もいれば、おじいちゃん、おばあちゃんも逃げ惑います。  でも、よく考えてみてください。  もしかしたらスクリーンからフレームアウトした後に踏み潰されてしまったかもしれないそのビジネスマンにも、家には奥さんや子供がいるかもしれません。 ニュースで巨大怪獣の出現を知り、娘の帰宅を心配しながら待っている女子学生のご家族だって。 おじいちゃん、おばあちゃんの可愛い孫だって。  一瞬しか映らない彼らにも、本人の人生があり、生活があり、彼らを待つ家族があるのです。  …この、ゴジラ映画ではエキストラになるはずの人たちをメインに据えた映画なども、のちに誕生しました。 すぐに思いつくところだと、2008年のアメリカ映画「クローバーフィールド」。正体不明の巨大怪獣が出現したニューヨークの街を逃げ惑う人々を、主人公の若者たちが所持していたハンディカメラで撮影、という設定で映し出した映画です。 もう一つ。 スティーブン・キング原作の映画「ミスト」。一応…というか、れっきとした “怪獣映画” でしょう。これ、あまりにショッキングなラストシーンで、そのことばかりが話題を呼んでしまうのですが。この映画も実は、本来ならエキストラであろう人物を主役に置いた、すごく良くできた映画なんです。(よーく見ていると、冒頭とラストシーンに、同じ女性が登場します。おそらく、通常の映画では、この女性がメインキャラクターであろうと思われるんですね。) この「ミスト」では、主人公の親子が、これ以上考えられないような悲劇的な末路を辿ります。 しかし。 これこそが、エキストラの人生なのかもしれません。 多くの怪獣映画では、怪獣は退治され、主人公の命は助かってハッピーエンドを迎えます。 それが、主人公の人生なのです。  一方で、「ミスト」に代表されるような、「悲劇的な末路」…。 帰宅途中に怪獣に出くわし、恐怖の叫び声を上げながら逃げ惑う「通行人」たち。。。 愛する奥さんや可愛い子供たちに会えぬまま、ビジネスマンは怪獣に踏み潰されてしまったかもしれない… 大きな夢を心に抱きながら、女子高生は、怪獣の足元で帰らぬ人となってしまったかも… おじいちゃんとおばあちゃんは、逃げる途中で行き別れ、やがて瓦礫の下で寂しく命を落としてしまったかもしれません…  通行人には通行人の人生があり、そしてそれは、ひょっとすると、メインキャラクターよりも悲劇的な人生なのかもしれませんね。。。  どんな物語でも。幹になるストーリーを進行させるために、その犠牲となっている別の人生があるのではないでしょうか。 怪獣を退治する主人公の活躍を見せるためには、怪獣は凶悪でなくてはいけない。その凶悪さを見せるために、犠牲になる「通行人」たちを登場させなくてはいけない。そして、その通行人たちにも、物語には登場しない、家族というさらなる悲劇の犠牲者がいて…  もしかすると。  『貴婦人の訪問』のマチルデの人生は。こうした通行人のように、幹になる物語を進行させるために犠牲にされる「名もなき人物」を拡大したキャラクターなんじゃないか、と思ったりもするんです。  ではなぜ、『貴婦人の訪問』は、そのキャラクターをメインキャストの一人として登場させたのか??  それこそ、この作品の根幹、テーマに関わることだと思うんですよね。  人間の人生って。 善の行為の裏側には、悪意が潜み。 悪と思しき行動でも、本人にとってみれば最大限の善の結果だったりする。 本能が要求する善の行為は、道徳的には悪であったりもする。 善の行為の陰には、必ず、隠された悪が潜み。ライトを当てる方向を変えれば、その善悪は逆転する。 純粋な勧善懲悪など、有り得ないのです。 立場を変えれば、ウルトラマンだって、街を破壊する凶悪な破壊者なのですから。 しかしその事実は、ウルトラマンを正義のヒーローに仕立て上げようとする、偏った方向からのスポットライトによって、闇にかき消されてしまう。。。  通常の物語では葬られてしまう「かき消された真実」にもスポットライトを当てること。  人間の行動に隠された、全ての側面を明らかにすること。  それにより、目を背けていた「人間の本質」が炙り出されてくるのです。  通行人の悲劇にもフォーカスした瞬間。主人公は、単なる勧善懲悪の善人ではなくなります。  マチルデは、ギュレンの物語にとっては通行人に過ぎず… しかし、アルフレッドとクレアの物語にとっては。逆の方向から光を当てる、スポットライトのように光り輝く存在なのかもしれませんね。   おいおい、その足元…!!ほんっっっとに、誰もいないかぃ??

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  • 13 Nov
    • 『貴婦人の訪問』シアタークリエ初日!…閉塞された空間と、それを破壊するシーンの意味とは??

      『貴婦人の訪問』シアタークリエ公演がスタートしました 舞台と客席の距離も近く、お客様との一体感を味わえる劇場!! 遠くのお客様を意識した、大仰な演技をする必要のない空間だからこそ、より、共演者同士の息遣いに耳を傾けることができる…俳優が、ドラマへの集中力を高められる劇場だと思います。 これは、客席の皆様にとっても同じかもしれませんね。 俳優同士が、互いの息遣いにまで、集中していればしているほど、観客は、そこで起こっているドラマに集中し、没頭することができるのだと思います。  …現代の演劇においては。  「第四の壁」という概念が存在します。 俳優が、舞台上に立って客席を向いた時、その劇空間は、背後の壁(劇場の壁や、セット)と、上下(かみしも…つまり、舞台面の左右)は、壁に囲まれています。厳密には、上下(左右)は「袖幕」と呼ばれる幕が吊られているので、「壁」ではなかったりするのですが、まぁ要するに、劇空間において、左右と背面の3面は、閉塞されているわけです。 しかし。 客席と劇空間(舞台)との間には、壁は存在しません。 ここに、あたかも架空の壁があるように劇空間を構築すること。その壁を「第四の壁」と言い、現代演劇の基本的な概念になっているのです。 例えば、舞台上に「とある一室」のセットが置かれているとしますね。テーブルや、椅子が置かれているわけです。そこに登場した俳優が、舞台正面、つまり客席側の空間を見ながら、「この絵はとっても素敵ですねぇ」と言ったり、「この窓からの眺めは綺麗だ」などと言ったりすることがあります。これは、この「とある一室」の四方を壁が囲んでいることを前提に演技しているわけです。客席と舞台との間に、架空の壁を置き、そこに想像で「素敵な絵」を飾ったり、「眺めの綺麗な窓」を作り上げて、演技をするというわけですね。 今日の演劇は、この「客席と舞台との間にも見えない壁が存在する」という「第四の壁」の考え方に基づき、作られているのが通常です。 当然、俳優は、役を構築する上では「そこに観客がいる」という設定では演技をしていません。(演技を見せる、という意味では、もちろん観客がいることを踏まえて演技をしていますが、ドラマの中での役の設定、という意味では、観客というのは存在しないので)  僕の場合。シアタークリエは、客席が近い分、「お客様が見ていてくださる」ということを感じやすいので、無理に「客席に演技を届かせよう」という意識を働かせなくて済む。客席が舞台と繋がっている、という安心感があるんです。その分、舞台上の空間に、思う存分集中できるように感じるんですね。  余談ですが。 例えば、シェイクスピア劇のセリフの中には、客席に向かって役の心情を説明するようなモノローグがたくさん出てきます。当時は「第四の壁」という概念がまだ確立されていなかったので、舞台上の俳優が、本当に、客席に向かって説明をしていたらしいんです。と言うよりも、主に、観劇に来た王様に説明していたらしく、そのために、あのようなモノローグがたくさん出てくるのだとか。シェイクスピアは、王様に見せるために戯曲を書いたりしていましたからね。 今日の演劇においては、このシェイクスピアのセリフも、「第四の壁」をこしらえた上でのセリフとして解釈して上演されることも多いのです。例えば、「独り言」としてセリフを喋る、といった具合に。  …いずれにしても、今日の演劇においては、客席と舞台上は、分断された空間として作られることがほとんどです。  逆に言えば。  この「第四の壁」の概念を無視して舞台を作ると、客席と舞台が分断されなくなります。 例えば、舞台上の俳優が、そこで相手役と演技しているかと思ったら、突然、観客に向かって話しかけてきたりしたら、どんな感じでしょう? 相手役とのドラマの最中に、ちょいちょい、客席に向かって喋りかけてくるような舞台だとしたら?? 観客は、舞台上でのお芝居が本当にそこで起こっている世界のようにはになかなか思えなくなり、どうにも感情移入できなくなると思います。  つまり、観客にとっても。「第四の壁」で舞台と客席が分断されていることによって、舞台上で起こっているドラマを覗き見しているような感覚になり、そこで行なわれていることがあたかも真実であるように錯覚するという効果があるんです。それによって、心から、登場人物に感情移入することができるわけです。 客席のライトを落とす、というのも、同じことですね。  ところが。  『貴婦人の訪問』では。 この「第四の壁」が、ある演出によって、破られます。 舞台上のドラマを覗き見し、そのドラマの登場人物に感情移入していた観客の注意を、第四の壁を破ることによって、素に戻すような演出が施されているのです。 その瞬間、我を忘れていた観客の意識は、突如として客席…つまり、自分自身に向かい、自分の存在を意識させられるのです。 この演出、舞台では割と頻繁に見られる手法ではありますし、演出の山田和也さんがどんな意図でそのシーンを用意したのか、僕はその真意を直接は伺っていません。 が、これ、この作品のメッセージを伝えるには、ものすごく効果的で、重要な演出だと、僕は考えています。  その演出とは……ネタバレになっちゃうんで、具体的にここでお伝えするわけにはいかないんですけれど… …ヒントは、「第一幕、終盤あたり」!!舞台と客席の間を仕切る「第四の壁」が、バリッ!と破られます!!  …とだけお伝えすれば、きっと、ご覧になった方はお分かりになるでしょう  これは、演劇の基本構造に、一発、大きなメスを入れるような演出。つまり、それだけ重要なメッセージを含ませた演出であり、シーンであるということ。  実は、よく見ると。  このシーン以外にも、実は「第四の壁」に踏み込んでいる瞬間が他にもあるんですよね。。。  そこには、作り手側の重大な意図が隠されている、と思って見てみると、舞台はより一層面白く、そして、作品のテーマを理解する手助けになるんです。  確かに。。。  『貴婦人の訪問』で語られることは。劇空間を客観的に覗き見してお帰り頂く…というだけでは収まりきらない、観客がある瞬間に「素」になり、「自分に意識を向ける」ことで、さらなる問題提起ができる程に、生々しいもの。。。  特にこの、第一幕終盤に用意されているシーンについては、すっごく重要なメッセージが隠されていると感じます。  その場面は、一見、「あれ?  なんでこんなシーンがあるの??  物語にあんまり関係なくね??」と感じるようなシーンでもあります。 そうなんです、ストーリーの運びの中で、ちょっと異質なシーンに見える場面なんです。  謎のシーン… ストーリーとは、一見あまり関係のないエピソードに見える場面。 演劇の基礎となる「第四の壁」が破られるという、特殊な演出が施される場面。 そして。 この場面の直後、僕らボディガードも登場するのですが。 そこで歌われている曲の旋律は、作品の中で「ある特定の意味」を持つ場面で繰り返し使われる旋律なのです。   …これが、どの場面なのか、どんな意味が、メッセージが込められているのか??まずは、ぜひ皆様でご確認ください。 そして、それに続いて歌われる旋律の意味とは?? その全てが合わさった時に、『貴婦人の訪問』は、さらに深く、恐ろしい物語に見えてくると思います  この場面については、また後日、その「ある特定の意味を持つ旋律」という角度から、紐解いてみたいと思います。。。  お楽しみに。。。   チケットご予約は、こちらから!!

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  • 07 Nov
    • 休日…我が家のアクアリウムを眺めるだけの、贅沢な時間。

      先日、シアター1010にて『貴婦人の訪問』プレビュー公演が無事に終了いたしました。  今週末からのシアタークリエ開幕に向け、数日間は舞台の引越し作業。 一旦、スタッフの方々にお仕事をお任せし、キャスト一同は、各々の時間を過ごしています。  僕は、今日は終日休養を取り、体力をリセット。 頭ものんびり休ませています。  特に予定も立てず、ぶらっとどこかへ行きたくなったら行こうかな…なんて考えてたんですが、結局、どこへも行かずに引きこもり(笑) 自宅の熱帯魚の水槽を眺めてます。 やらなきゃいけない仕事、まだまだ残ってるんですけれど。 どうにも手がつかない…  でも、心おきなく休む、って、本当に難しい…  ぼんやりしているつもりでも、「1日、無駄に過ごしちゃってないかな」なんて罪悪感とか、「あれもやらなきゃいけないな」っていう強迫観念みたいなものが、頭にポツポツ浮かんできてしまうんですよね。  実は、ボーっとしている時間って、大切なんだとか。。。  ボーっとしている時間って、頭が停止しているのかと思いきや。  ボーっとしているその間に、脳がいろんなことを整理してくれているんだそうです。  実は、ボーっとしている時が一番、脳が活発に動いている、なんていうのを聞いたことがあります。 現代社会、特にスマホが登場してからは、この「ボーっとしている時間」が限りなく失われてしまっているのだそうです。 確かに、今、スマホをいじっている電車の中や待ち時間って。昔はボーっとしてましたよね。 それを、今はすごい勢いで情報を取り込んだり、ゲームで脳を回転させている。 本来の人間の脳の使い方とは違うだろう、って事は、よくわかりますよね。。。  そんな日々を過ごしているうちに、「心おきなく休む」っていうのが、すっごく下手になってしまったのかもしれません。  ボーっとする時間を忘れてしまって、結果、メリハリのある頭の使い方ができなくなってしまっているのかも…  アクアリウムを眺めながら。ヒラヒラ泳ぐ熱帯魚たちと、引き続き、ゆっくり時間を過ごしますね。  我が家のアクアリウム。以前は60センチ水槽で楽しんでいたのですが、今は縦長キューブ水槽に。照明もLEDを導入し、水面の揺らぎがゆらゆらと影を落とします。

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  • 05 Nov
    • ミュージカルは本音を歌い上げる…なんて、もう古い!?!?

      『貴婦人の訪問』プレビュー公演も、2回目を終え。 プレビューは、残すところ、あと1回。来週からはいよいよ、シアタークリエでの舞台がスタートします  ところで、今回僕は、初演から一部、転職してます 初演では、ボディガード・トービー役のほか、ギュレンの市民としてワンシーン出演していたのですが。 実は今回、物語の舞台となるギュレンの町から追い出され(?)、そのシーン、別の役になってます。  どんな役かというと…  それは、都心部から来た(であろう)、テレビ局のカメラマン 初演では、ボディガードで僕の相棒・ロビー役の、港幸樹さんが演じていた役。 …という事は、港さんは?? それは、ご本人の許可を取ってないので、ここでネタバラシするのは控えておきます(笑)港さんが今回、どの役を演じていらっしゃるかは、見てのお楽しみ  そして、このテレビ局のキャラクターたちが、物語にどんな風に食い込んでくるのでしょう…?? 一つ言えるのは、僕らテレビ局(マスコミ)のメンバーは、ギュレンの町の市民にとってよそ者だということ。 都心部から離れ、ある意味で鎖国状態にあるこの町に「よそ者」が入り込むことで、ギュレンの町の市民たちの本当の思惑が浮き彫りになるのです。  ここで一曲、大きなナンバーが展開されるのですが。  その振り付けも、初演から少し変更が加わり、より作品の意図が分かりやすくなっています。 注目は、よそ者が入り込んできた時の、ギュレン市民の反応。その時の表情は果たして、笑顔…?それとも…??  その曲がどんなナンバーになっているのかは、ご覧になってのお楽しみなのですが。でもこれ、とっても不思議な曲。。。何しろ、曲が奏でる雰囲気と、そこに出演しているキャラクターたちの思惑が、とってもチグハグなんです  …『貴婦人の訪問』で歌われる曲。実は、こんな風に、曲が奏でる雰囲気とキャラクター達の本心が、実はチグハグだったりする場合があるんです。 楽しい曲だと思って聞いていたら、実は内心では苦しさを感じている曲だったり。 力強い曲だなぁと感じていたら、実は弱さの裏返しの曲だったり。  「ミュージカルの曲は、心の中を素直に歌い上げるものだ」 なーんて思っていたら、まんまと、この作品の罠に引っかかってしまうワケなんですね。  でも、人間の言葉には、ウラがあって当然。素直なだけでは生きてはいけません。 ウラがあるからこそ、相手の本心を探ろうとし、相手に興味を持つ。往々にして、ウラオモテがあるおかげで人間関係が円滑にいったりもしているわけで。 しかし、そのウラは、使い道によっては相手を傷つける凶器にもなり得る。  逆に。  こんなこともありますよね。  相手はウラオモテなく接してくれているのに、こちらが勝手にウラを読んで、相手のことを疑ってしまう… 思い込み、ってやつです。  『貴婦人の訪問』には、こんな、人間の本質とも言える側面があちこちに描かれています。 人間、これこそオモシロい部分なんですけどね。  初めてご覧になる方は、とにかく、この物語の罠にハマりに来てください 初演をご覧になっている方は、曲を聴きながら、その人物の本当の気持ちを探り直してみるのも、面白いかもしれません 特に、今回の再演版では、作品の造形がよりはっきりしているので、初演よりも「探りやすく」なっているんじゃないかと思います!!  「ミュージカルの曲は、心の中を素直に歌い上げるものだ」というのは、この作品をご覧になると、古い概念のように思えるようになるかもしれませんね。 ミュージカルは、近年のストレートプレイのように、より複雑な人間心理も描けるようになってきていることを、この作品は証明してくれます。  ウラオモテの心は、どんなにもがいても逃れることのできない、人間の定めです。本音と建前。疑い。思い込み。チグハグな心。 愛する人どうしでも、どこか、陰を背負いながら触れ合い、そのチグハグな感触に気づきながらも、それに目をつぶって、最後には愛し合っているフリをしながら生きていかなくてはならないものなのかも知れません。  『貴婦人の訪問』では、もはや滑稽なユーモアとも思えるこの人間本来の姿が、楽曲やドラマに散りばめられているんです。  しかし…  その人間心理の悲しい定めを超越して。もしも、チグハグだった心と心が、本当に触れ合ったなら…  もしも、本音と本音が触れ合って、心の底まで想いを通わせることができたなら。 その時こそ、登場人物の本心と、曲の旋律が、ピッタリと一致するはず!!  その瞬間。  ミュージカルの世界は、ストレートプレイでは決して味わうことのできない感動に包まれるのです! それは、ミュージカルだからこそ成し得る、心と音楽のハーモニーであり、ミュージカルの醍醐味。 やっぱりミュージカルは、本音を歌い上げるその瞬間の、心と音楽の共鳴に、心が震えるのですよね!!  …さて。『貴婦人の訪問』では、果たして… 心と曲の旋律が完全に一致する感動の瞬間は、訪れるのでしょうか…?? それとも、人間の心は、最後までチグハグなままなのか??  今回の『貴婦人の訪問』がご用意しているその答えを、ぜひとも、お見逃しなく!!  一ヶ月前、稽古場の帰り道に撮影した、東京の夜景。 この時は、今回の再演がどんな舞台になるか、どんな発見が待っているのか、まだわかっていませんでした…。 『貴婦人の訪問』チケットご予約は、こちらまで!!

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  • 03 Nov
    • 『貴婦人の訪問』…このお二人の言葉を、ようやく皆様と分かち合える日が。

      いよいよ。 明日(深夜にブログ更新しているので、正確には、本日!!)、 『貴婦人の訪問』 再演、プレビュー公演のステージが開幕します!!  前日のゲネプロ(全て本番通りに行う、直前リハーサル)の総評。。。 ゲネプロ終了後、ダメ出しを聞くため劇場のロビーに集合し、演出の山田和也さんを囲む出演者に…。 山田さんの第一声は、 「これ、面白いです!!」 …これまでに類を見なかったような、複雑かつリアリティー溢れる人間の心理に迫った作品との出会いがあった、昨年夏の初演。 その時の衝撃も半端ないものでしたが。  今回の、再演。  稽古場の最中から、出演者同士でも、 「初演に比べ、かなりパワーアップしてるんじゃないか?」という話題が飛び交っていました。  一体、何がどうパワーアップしているのか…!?  それは、見てのお楽しみなのですが。。。   昨日、舞台稽古の最中。舞台袖でスタンバイしている涼風真世さんと、こんなお話をさせていただきました…  「今回、(山口)祐一郎さんと涼風さんのシーン、稽古場で見ていて、何度も感動して涙腺が危なかったんですよ」という感想をお伝えしたら。 涼風さんも、今回の再演のパワーアップをすごく感じているとのこと。 「新しい(タイプの)ミュージカルだと思う!!」 とおっしゃっていました!!  …人間の心のリアリズムに、しっかりと向き合いつつ。ストレートプレイにありがちな、人間の心のリアルを追求するあまりに胸のつかえるような苦しさを観客に強要するような作品ではなく。ミュージカルというスタイルで語られるからこその、物語への入りやすさがあります。そして、クラシカルな作品に見られるような、心理描写が重苦しく感じるものでもなく、近年の新しいミュージカルならではのスタイリッシュな語り口もきちんと備わっています。 だからと言って、一般的にミュージカルというものが認識されがちな、「単純なテーマ、夢物語」では、決して終わっていません。そこには確実に、人間の持つ葛藤、心が作り出す矛盾といった人間のリアリティーがあり。「現在を生きる人間には、必ず過去がある」という、誰一人として逃れることのできない重く悲しい定めと、それでも生きてゆく人間の有様が、描かれているのです。  数え切れないほどの作品を演出された山田和也さんの、ゲネプロへの感想…。  数限りないステージにご出演されてきた涼風真世さんのお話…。  このお二方のお言葉が、今回のステージの全てを物語っているのでしょう。。。  そんな中、クレアのボディガード・トービー役を演じさせていただけるのは、心から幸せです。この物語が織りなす人間の心の渦に飲み込まれる感覚は、演じていて、もはや快感でもあります。。。   ようやく、この物語を皆様と共有できる日がやってきました。   それでは皆様、劇場でお待ちしております!!   チケットのお申し込みは、こちらまで。

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  • 29 Oct
    • 『貴婦人の訪問』もうすぐ劇場入り…本番までの、貴重な「素」の時間。

      昨日で『貴婦人の訪問』の稽古も終わり、今日は休日。 久しぶりに、昼過ぎまでゴロゴロしてました。  今週末あたり、街はハロウィンで盛り上がっているのでしょうか。 僕らは、来月から毎日ハロウィン状態。メイクをして、衣装を着て、自分ではない人間になりきる毎日が始まります。  …よく考えたら、おかしな仕事だなぁと思ったりするんです。 いざ演技が始まると、そのメイクや衣装も、物語に馴染んだ自然なものに見えてくるのですが。 いつも、面白いなぁと思うのは、衣装とメイクをばっちり決めた状態で行う「舞台稽古」。 通常、最初に舞台監督さんから、舞台の説明があるんです。 「舞台裏は暗いので気をつけて下さい」とか、「ここは機材があるので通れません」とか。 それを聞いている出演者の皆さんを見ていると、いつもと違う格好なのに、いつもの素のままで聞いてる。。。 ま、当たり前なんですけどね。 心は素のままなのに、格好はばっちりなのが、妙に面白いんです。 非現実的というか。 でも、こんな時こそ、「あ〜、舞台の仕事をやっているんだなぁ」と実感できたりするんですよね。 演技が始まってしまったら、こちらの心持ちも素ではなくなってしまうので、メイクや衣装という非現実間に、違和感を感じなくなってしまうんです。  舞台でのリハーサルの時の様子は、僕ら参加者しか見ることができない、特別な「素」の時間。  小さな時から憧れ、夢に見た世界に自分が存在しているということを、本番以上に実感できる時かもしれません。  こちらは、9月の舞台『野の花』での、舞台稽古の風景。 左側の、背中が写っている方が、舞台監督さん。 舞台上の説明をみんなで聞いてます。 センターあたり、ナチス・ドイツの衣装で、口に手を当てているのが僕。何か食べてる…わけではありません(笑)多分、舞台監督さんのお話を聞きながら、頭の中で段取りを確認してるのだと。  …と、こんな感じの舞台稽古を経て、いよいよ本番が始まるわけです。 『貴婦人の訪問』は、5か所の劇場での公演。それぞれの劇場によって機構が違うので、劇場を移るたびに、この作業が必要になるわけですね。  今日は、舞台の、ちょっと「素」の景色をお伝えしてみました  『貴婦人の訪問』チケットご予約は、こちら。 

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  • 28 Oct
    • 『貴婦人の訪問』…映画「ダークナイト」のジョーカーから気づいた、トービーの心の闇について。

      『貴婦人の訪問』の稽古も、残すところあと1日。 稽古場にはオーケストラが入り、いよいよ本番へのカウントダウンが始まった感じです。  今回、ボディガード・トービーの役作りを、前回の初演の解釈をリセットして新たに作り直しています。 とは言っても、基本的には初演と同じ出番、同じセリフに、ほぼ同じステージングでの演技となるので、形だけでなく、内面的にも、初演の時に作った人格の残像は残っています。 それをうまく利用しながら、かつ、トービーの心に潜む根本的な葛藤は、新たに作り直しました。 それにより、演技をしながら心の動く瞬間が、初演とは大きく違ってきました。  …本番に向け、ゆっくりと像を結び始めた新生トービーの人生。  それでも、どうしても繋がらないポイントがあって、モヤモヤする中、ふと、ある映画にそのヒントがあるんじゃないか?  と気づいたんです。  それは、クリストファー・ノーランが監督したバットマン・シリーズのうちの第2作目、ヒース・レジャー演じる悪役ジョーカーの怪演が話題を呼んだ「ダークナイト」。 なぜだか、この映画を思い出し、何かヒントになるものが眠ってるんじゃないか、と感じたのです。  この映画でバットマンの前に現れる悪役ジョーカーは、とにかくひたすらに、悪の限りを尽くします。 その理由は、劇中でははっきりと描かれず、まるで「完全悪」の象徴のように、ジョーカーは立ち回るのです。 決して、お金のためでも、バットマンへの復讐のためでもなく、悪を愉しむ愉快犯。  しかし、どんな「悪」でも、その行為の元となる葛藤、理由はあるはずです。  以前、このブログでもご紹介した「ソクラテスのパラドクス」によれば、人間は必ず、自分にとっての善を実行しているはずなんです。  実は、僕がトービーを演じるにあたり、トービーにとっての「善」とは、本当のところ何なのかが、どうしても到達できずにいて。 トービーが劇中で歩む人生を、正当化できずにいたのです。  しかし、『貴婦人の訪問』という作品が描こうとしている世界は、それを決して許しません。 メインの役に限らず、どんな小さな役であっても、その行動を裏付ける理由があり、葛藤がなければ、この作品は崩壊してしまうのです。   映画「ダークナイト」のジョーカーにも必ず、葛藤があるはずなんです。  この映画を見るのは、もう4、5回目ですが、役作りの参考資料として見るのは初めて。 俳優ヒース・レジャーは一体、どんな解釈でジョーカーを「生きた人間」として演じることができたのでしょうか…?  …ボディガード・トービーについては、冒頭のシーン、ご主人様であるクレアのセリフによって、端的に人物像が語られます。 それは、具体的な内容として明らかになることはありませんが、かなり残酷なトラウマの中に生き、常軌を逸した人生に飲み込まれてしまっているらしいことが想像されます。  一昨日。 「ダークナイト」のジョーカーを見返していて、ふと、思ったことがありました。 ジョーカーは、人を悪の手にかけ、純粋悪の存在を誇示しているけれど、本当は、純粋悪に対しての信念はすごく脆いのではないだろうか…  人間は、その信念が本当に強ければ、それを誇示することも、人にその存在を認めさせようとすることも、しないのではないでしょうか。本当にそれを信じているのなら、ただ、自分一人でそれを認め、あとは目をつぶって黙っていれば良いはずです。自分の信念を他者にひけらかすこともなく、ただ、自身を受け入れ、他者のことも同じように受け入れるはずです。なぜなら、強い信念ならば、他者がそれを否定しようと、その信念は決して崩れないから。。。 しかし、「自分はこれを信じているんだ!」と、他者に向かって叫ぶ時、それはむしろ、その信念への自信の無さを表しているのではないか、と、思うのです。  そう思ってジョーカーを見ていると、まさに、自分の信念が崩れることへの不安を常に抱えているように見えるんです。だからこそ、人に悪事を働き、他者が悪に手を染めるのを見て喜ぶ。「人間は、一皮むけば根源的には悪なんだ」ということを、悪行を重ねることで確認し続けている。いえ、確認し続けていないと、自分の信念が崩れてしまう。それが怖くて仕方がないんですね。 記憶に新しい映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の悪役、カイロ・レンも、同じような葛藤を抱え、その末に、世の中で最もおぞましい悪事である「◯◯殺し」(ご覧になってない方のために、ネタバレは避けておきますが)を劇中で犯してしまいます。 ジョーカーも、カイロ・レンも。 きっと、過去に何らかの悪の被害に遭い、「人間は悪である」という考えを植え付けられてしまったんだと思うのです。しかし、人間は本来、「善」に向かって行動するもの。本当は、善き人になりたいと本能が叫んでいるのに、悪のトラウマがそれを許さず、その結果、常に悪を犯すことによって、「人間は悪である」という植え付けられた信念を確認し正当化し続けるのではないだろうか。。。 ひどい目に遭い、人間は悪なんだと信じてしまった人にとって、本能に従って善の光に向かっていくことは、きっと、すごく怖いことなのでしょう。 立っている足元の地面が揺らぎ、今にも崩れ落ちそうな感覚になるのかもしれません。  それに気づいた時、なぜ役作りのヒントが「ダークナイト」にありそうだと感じたのかの答えがわかりました。  この、人間の信念のありようをそのままトービーに当てはめていくと、僕の中でピッタリと、まるでパズルのピースが噛み合うように、はまったんです。 このピースを探しているうちに、「ダークナイト」を感覚的に引き寄せたんでしょうね。 「なぜかよくわかんないけど、あの映画にヒントがありそう」というのは、役作りの終盤戦になり感覚が鋭くなってきた段階では、よく経験するんです。  台本上は、出番も限られていますし、情報も少ないトービー役。この役を、台本の通りに演じようとしても、実は、謎が解けなかったんです。 彼にとってのトラウマと、その結果作り上げられてしまった脆い信念に気づいてあげなくてはいけなかったんですね。 「人間とは、悪だ」という信念を持たざるを得なくなったトラウマと、その信念の脆弱さ、足元が崩れ落ちそうな感覚。本能は「善」を求めながら、不安定な「悪」の信念にすがりつき。それを確認し続けようとするその表面的な行動だけが、台本に描かれているに過ぎず。トービーの人生を追体験するには、押しとどめている「善」への欲求に気づき、そこに飛び込んで行くことへの恐怖を感じてあげなくてはいけなかったのです。   初演の『貴婦人の訪問』、楽屋にて。 今回は、あなたの心の闇をもっと深く知ってあげられそうです。トービー、本番もよろしく。  チケットのご予約は、こちらまで。

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      テーマ:

プロフィール

谷口浩久

性別:
男性
誕生日:
1975年11月22日18時頃
血液型:
O型
お住まいの地域:
東京都

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