● 去勢された自立心
カ 定年退職して間もないご主人をもつ奥さんたちがご主人のことを「家にいても何の役にも立たない」とか「一日中家にいられると、うっとうしくてたまらない」と口を揃えて言う。ご主人は完全に見下されてる。同情したくなる。
ケ 本当に、亭主は元気で留守がいいんだね。
カ とにかく三度の食事の世話が嫌だって。今は女性のほうが強いからきちんと主張して、三回を二回にするとか作り置きして自分は出かける。昔のようにかしずいている人は少ない。
ケ 一般的なサラリーマンは、退職して毎日家にいてもどう振舞っていいのかわからないんじゃないかな。家庭内の生活は圧倒的に奥さんが主導権を握っている。僕も家庭生活のレベルでは「すべての行為は女性の要請による」という日本男児の気質を受け継いでいるなあ。気をつけなきゃ。
カ 日本の男性は、特に中高老年は奥さんと一緒に家にいると何もしない人が多い。それは当然だと思っている。「家の中の女房の仕事に男は手を出さない」伝統が続いている。
ケ 昔は家族を養うだけの食い扶持を稼いでくるのは男で、その形に男尊女卑の考えが根を張っていた。男は外の社会、女は家庭内での仕事というふうに分業されていた。子育ても当然母親の仕事としてあった。よって、子供は家の中では何もしない父親をみて育つことになる。息子たちは男は家のことをしないのが当然だと思って大きくなる。母親は息子を甘やかし、家庭での動き方を教えない。結婚してそれを見た奥さんは亭主が自立していないと知る。
カ 豊かになった日本の母親は息子が子供の時は勉強さえしていればいたれりつくせりでどんなことも大目に見るようになった。成人しても母親は息子が仕事さえやっていれば家では何もしなくても許している。
ケ 男の人は結婚しても息子のままの意識だ。夫ということの意味をあまり考えてこなかった。亭主関白で威張っていても、我を通すだけの姿勢を奥さんがこれまで通り立ててあげているわけで、結局は甘やかしてもらっているんだよね。
カ 以前はそれで通ってしまったけど、現代は女性の地位も知見も向上したから、息子とお母さんの癒着関係がそのまま夫婦間でも成立することは少なくなってきた。いつまでも奥さんと母親を同一視しているとガツンとやられる。
ケ 奥さんは子供の母親であってもご主人の母親ではない。いいかげん自立して欲しいと思っている。さきほどから何回も、男性は女性に対して理解がないという話をしたけど、いつまでもしらばくれていると痛い目に会う。
カ 離婚までは考えない奥さんたちだって「私のことを理解してもらうのは諦めたから、せめて自分のことぐらいは自分でやって欲しい」が本音だ。
ケ 近年は奥さん任せにしないで自分でやろうとする人が増えてきたが、奥さんがしてくれないから自分でするという理由だ。それだとほんとうのところがわかっちゃいない。まだ幼いままだ。
カ はるか昔のことなのに「ほら、僕ってこんなに可愛いでしょ」って、心理的には相変わらず子供時代と同じメッセージを出している。奥さんが本当に頭に来ていても察しない。分からず屋でイタズラばかりしていた子供時代、人によっては貧しく厳しい生活をしていたかもしれないが、それでも大事にしてくれた母親を奥さんに投影している。ご主人もそれなりの社会的地位や見識もあるだろうに…
ケ その手の男性は社会や家庭のルールがとっくに変化していることについていけなくて、心理的には昔ながらの青春がずっと続いている。
カ 女性たちがお年寄りの男性に対して「まあ可愛いおじいちゃんね!」って表現することがある。男の最終的な姿にも可愛さを見てとろうとする。それと「ほら、僕ってこんなに可愛いでしょ」という心理は重なるところがある。母親には「馬鹿な息子ほど可愛い」という伝統もある。さらに、若い女の子はどんなものにも「可愛い」の連発。現代の日本女性の美意識は「可愛い」に集約されるほどだ。どうして「可愛いオーラ」がこんなにもてはやされているのかな。
ケ 「可愛い」という表現には緊張感がない。赤ん坊に接するときの母親の視線と同じものが感じられる。ペットブームも同根だ。ある意味、自分のほうが絶対的に優位だという立場からの目線がある。「可愛い」はまだ成熟しきれていないものに対して大雑把にくるんで飲み込んでしまう手応えのない情緒から発せられる。「美しい」には驚きや羨望や嫉妬が付随するが、若い女の子の「可愛い!」は小手先のお手軽な親近感だ。自分にも手が届く範囲の美意識に留めておこうとしているのか、その無難さは実に大衆的だ。だから、「可愛い」がもてはやされるのは時代が大衆的だということでしょう。男たちはその美意識に迎合していく。
カ 日本女性は男性に「可愛さ」をみつけようとし、ゆえに、「可愛く」見えるように育ててしまう。
ケ しかし、母と息子の癒着からうまれる「可愛さ」は男性を成熟させない。ご主人は甘えん坊に育てられてきた。逆に奥さんからは成熟した人格を求められる。でも、求めてはいるけど期待はしていない。無理だとわかっている。なぜなら、自立心が去勢されていることを知っているからね。
カ リリー・フランキーの「東京タワー」という本がベストセラーになった。モロに癒着の話だよね。最近では「吾亦紅」という歌が人気だ。これまでも「ヨイトマケの唄」とか「おふくろさん」など、日本では母を慕う歌は支持される。
ケ うん、あったね。本を書いたり、歌を作るのは男だけど、癒着の話は誰が好きかというと、男より母親たちなんだ。ああいうふうに息子に慕われたいという願いが流行らせてしまう。今後、少子化もあって母親たちはもっとお節介になるだろうね。
カ とすると、個はますます未熟になる。いつまでたっても自立ができない。
ケ 自立していないということは子供っぽいということで、「可愛い」も含めてそう見ると、現代日本は実に「子ども文化」であるとわかる。文化というのは音楽・映像・文学・科学・スポーツなんであれ、その表現の裏側に必ず理屈があるということでしょ。つまり、ある表現には根拠や美意識や理想や願いがその始まりに厳然とあるはずだよね。たとえ表立った言語化はされていなくてもね。しかし、日本の男性は大人になっても日常生活のなかでそれを語らない。理屈は専門家に任せておこうという雰囲気がある。
カ 女性は男の理屈っぽいのが嫌いだという。
ケ いや、男が理屈を面白く語る術を訓練されていないんだ。なぜかというと、母親との関係が理屈以前にあるからだ。不思議なことに女性が母親になると理屈を拒否しだす。理屈は子供っぽくないでしょ。それこそ「可愛く」ない、生意気だ。それは母親にとって自分から遠い感じがするんじゃないかな。
カ ただのクソ真面目は敬遠されるとしても、今の時代は全体的にキャーキャー騒いで楽しければ「面白い」ことなんだというイメージが蔓延している。いろんな意味で世相が少女趣味だ。
ケ 現代はほんとにオモチャ文化だね。大人たちが堂々と子供趣味を表現している。曖昧さは日本人の得意とするところだが昨今は大人と子供の境も曖昧になっている。漫画やアニメのキャラクター商品も大人にすごい人気がある。日本の母親たちはそんな男を量産したんだ。僕は父親の責任を回避しているわけじゃないよ。むしろ父親はもともと影響するほどの力がなかったととらえている。
カ 結局女性はどっちなの?ずっと子供っぽい男がいいのか、自立した男性がいいのか。
ケ 母親の心情としてはいつまでも子供がいい。妻としては自立して欲しいんじゃないかな。都合がいい。とは言っても、夫に自立を望むようになったのは近年になってからだ。それまでは妻という立場自体が正当に評価されてこなかったからね。
カ どういうこと?
ケ 妻は自分の気持ちや意見など言えるものではなかった。昔は夫と妻の関係がまったく対等ではなかった。妻ではなく「嫁」だった。嫁は夫に嫁ぐのではなく「家」に嫁いだ。一般庶民の「家」が望む嫁はなんといっても働き者の女性だった。
カ 丈夫で長持ち、子供もたくさん産んで。そして、「家」のしきたりには従順で夫に口答えしない。
ケ 昭和の三十年代くらいまではそれが当たり前だった。しかし、そんな抑圧された生活環境の中でも光明があった。それが母親としての息子への、特に長男への思い入れである。長男が生まれると、肩身の狭い思いから解放されていく。
カ 父親より母親のほうが息子(長男)に嫁をもらって「家」を継いで欲しいという欲求は強いよね。「可愛い息子」とずっと一緒にいたいのかな。
ケ 母親にとってはお腹を痛めた息子が・・自分・の・男なんだ。唯一自分のモノと感じられる。結婚してもご主人は・・自分・の・男ではない。ご主人はご主人の母親のモノなんだ。他所から嫁いできた身には自分のモノなど何一つないわけで、小さな胎児が自分のお腹の中で成長し、生まれたらいつもそばにいて自分のオッパイを飲んで大きく成長する。喜びも苦しみもすべてそこから発生する。それこそ分身でしょ。母親たちはそこに自分のアイデンティティを見出したのではないだろうか。その自分の息子と比べたら、すっかり出来上がった状態で出会うご主人は足元にも及ばない。息子との同一化が起こっても不思議ではない。
カ 何気ない印象なんだが、離婚した子連れの女性たちと会うと、女の子はいても男の子がいない女性はパートナーを欲しがる感じがする。でも、男の子のいる女性はそれほどパートナーを欲しがらない。どこか充足した感じがある。息子の存在が彼女たちを安定させていると思う。父親に遠慮することなく息子は無条件に・私・の・男・だという感じ。
ケ 男の子は母親にとって「異性プラス+子供」の存在。無意識下で溺愛していてもおかしくない。それほどに母と息子は癒着しやすいということだ。母親たちは、ある意味、自分が生んだ息子たちを利用して母性のエネルギーを活かしている。しかし、まかり間違えるとそれは「自立心が去勢」されて、依存型の甘えん坊になる。結婚してもご主人が外で働いている時はそれがよくわからない。徐々に気がついてくるが、それほど一緒にいるわけでもないし、稼いでくるから見逃してあげている。それでも退職ともなれば「去勢された自立心」がモロに見えてくるから嫌になる。きっと昔だったら、とっくに「家」を継いだ息子に入れあげ、嫁という新しい敵と渡り合い、孫の世話でご主人どころではないだろう。三度のメシは嫁が作る。ご主人がボケようが女遊びに狂おうが気にならなかった。現代は二人っきりだからね。
カ 塾の送り迎えをしている奥さんの中に、すでに自分の息子に入れあげている人を見かけるね。その子は七、八才にして一家の中心になっている。家族の生活は彼を中心にして回る。考えてみると、幼児のときからはじめる受験とは恐ろしいシステムだ。それでなくとも自立心が去勢された国なのに、今の少子化時代の母子の癒着はそれこそインポテンツの増産に拍車をかけているようなものだ。子供のためを思い、きちんと自立できるように小さい時から教育に力を入れて、愛情も注いでいる。しかしながら、子供のためと思ってやっていることが実は自分の思いの投影だということが多い。
ケ 過ぎた干渉は子供の目前にいつも立ち塞がってしまうことになる。子供が成長していくときの視界を遮ってしまう。子供はお母さんが邪魔で自分の行く先が見えない。未来が見えない。ということは子供の自発的な想像力が生まれない。お母さんは子供の前に正面向いて立っちゃいけないんだ。
カ 僕もそういう経験をもつ若い男性を知っているけど、そういう子はやっぱり「いい子」なんだ。母親の期待に応えようと頑張るんだが、なんせ親のほうが全部してあげちゃうので、結果、子供がどうしていいかわからない。挙句の果てに「あなたの望みはこれなのよ」って本人の望みまで決めてしまう。
ケ 男の子は欠乏感覚から突破口を見出していくのだから、そこを埋められると突破する手立てがない。手立てがないということの欠乏感はつらい。気持ちそのものがさまよってしまう。
カ 理屈ではわかっていても「力」が身についていないから社会に出られない。今、世間では「もっと子供を抱きしめてあげよう」がブームだが、愛情の履き違えも起こっている。もっと甘やかすつもり?という感じだ。
ケ 要するに、日本の母親たちは去勢された男と結婚し、その男に愛想を尽かしながらも、新たに自分の男(息子)を去勢していくというサイクルを継承しているんだ。
カ 結婚しない男性の中には、ぬるま湯のような家族関係(母と息子の癒着)にどっぷり浸かっている人がいる。僕のワークショップにはその類の男性がよく参加するが、なかなかそこから出ようとはしない。それに、今は核家族で引き継ぐほどの家でもないので背負う気もない。家系としての繋がりはあるときブチッと切れる。
ケ もう日本中がブチブチ切れている。日本の母親の母性は「家と息子」に注がれる。だから息子が巣立ってしまうと、母性を注ぐほどの家でも亭主でもなかったという事実だけが残る。ならば、好きにやらせていただきますという感じじゃないのかな。奥さんたちは自分の楽しみに向かった。
カ 家系としての未来はないわけだから、あとは自分のためだ。ご主人は置いてけぼりを食っちゃう。
ケ ご主人の方としては、奥さんを自由にさせたい気持ちはあっても、内在化してしまった甘えがどうしても出ちゃう。やり方がわからず奥さんの好きにさせることが唯一できること。口出ししないで、ただ言われるとおりにしておこうというのが正直なところだ。家の中では完全に受身のあり方しか知らないからね。
カ だから、「今主人を調教してるのよ」という奥さんがいるんだ。
ケ でも、それはやさしい方かもしれない。
カ 突然に捨てられるよりはね。あー、他人事じゃない話になってきた。調教される以外で道はないのかな?
ケ いろいろなことをたくさん話し合うことからだろうな。知識や見解ではなく、特に気持ちを表現していくことだ。とにかく僕たちはそれが下手なんだから。自分の生まれ育った家族と父母の実家や生い立ちのことをたくさん話すことだね。そうすると自分の知らないことがたくさん出てくる。親父やお袋といかに話をしていないかがわかる。彼らのことを何も知らない人が多い。その辺については僕も心残りがたくさんある。
カ まずは互いの家族をばらす。家族について語ることは自分の深い感情に必然的に触れるよね。男はそれを避けるからなあ。
ケ 子供が傍にいても大人同士が、または夫婦間で理屈(個人の意見)をもって語り合う、そんな家族の付き合いがいかに少ないか。日常生活の中心を子供にしてはいけない。大人が中心にならなければ…。
カ 三世代が一堂に会すと、孫は英雄になる。もう、おばあちゃんの無責任な可愛がりようは目を覆いたくなる。昔話もおじいさんとおばあさんに育てられる子供というシチュエーションが多い。おじいさんとおばあさんはお世話はするけど教育しない人が多い。
ケ 女性が仕事をするようになって、母親もおばあちゃんを頼りにすることが多くなった。日本のおばあちゃんはただ与えるのみ。よって子供の甘え性は助長される。それでいて大人のモデルがどこにも示されないから、子供は成人しても社会とどう向き合い対応してよいのかわからない。おまけに遊びはほとんどゲームだ。生の関係性のやりとりが未熟なまま、今度は自分が親になる。同じことが繰り返される。
カ 家族団らん、みんなで楽しむのはいいけど、子供へのサービス一辺倒になっている。
ケ 男性は親父らしくしようなんて考える前にひとりの人間として自分の内面に向き合ってそれを表現していくことを学ぶ必要があると思う。
カ どのみち、親としての成長は子供の成長と並行してなされるわけだからね。
ケ もともと感情豊かな女性が近年は論理性も身につけてきている。理屈で話し合える女性が増えてきた。男性もそれに見合う言語能力を身につけないとね。それは知識のご披露では追いつかない。「お前はそんなことも知らないのか」と言って昔は見下していられた。そりゃ社会に出ていないんだから知らないよね。だけど今は教育レベルも社会での役割も対等になりつつある。知識は男性のものだけじゃとっくにない。もっと自分の気持ちや心の事を語れる論を持たないと男は対等以下になる。
カ 聞くところによると、一流企業の入社試験でも上位はほとんど女性らしい。だけど男女比率の都合で優秀ではない男性もとらなければいけないんだって。
ケ うん、ある企業の人事の人が中途採用をするために、「どこかに優秀な人はいないかねー」って聞くと「女性だったらいるよ」って必ず言われるらしい。その人は男性が欲しいんだけど、いないんだって。
カ 女性の社会進出はめざましい。しかし、そのパワーで自分たちの子育てに見境なくまい進するのは危険過ぎるということを知っておいて欲しいよね。