2011-06-24 14:32:24

日本の繁栄と衰退に霊性をみる話

テーマ:jizouの眼

日本の繁栄と衰退にちょっとした霊性をみる話


このことは以前から思っていたことではあるが、つい先日、呼吸法のワークショップ後の食事会でみんなに少し話したら、ある人に、それは非常に面白い話だからブログに書いたらいいんじゃないか、と言われたので調子に乗って書いてみることにした。


それは、3・11後の日本にあっては見過ごすわけにはいかないものであろうと思われる。日本という「国」に対して誠実に考えようとするなら、また、わが国の「民族性」というものを真剣に考えようとするなら、それは必然的にクローズアップされるものである。そして、この問題は今後多くの人々に語られるようになるだろう。


では、「それ」とはなにか。「それ」とは日本のスピリチュアリティ(霊性)と皇室のことである。僕は太平洋戦争の敗戦による混乱も峠を過ぎた頃に生まれ、俗にいう高度経済成長とともに成長してきた世代であるが、日本が経済大国と称されるようになったことも、平和な国に住んでいるということにも、それは驚くようなことではなく、至極当然のことであって、敢えて賞賛に値するようなことだという認識も実感も持ち合わせていなかった。しかし、年を重ねるにしたがい、そうしたことがらがどのような背景によって成り立っていたのかを考えるようになったとき、わが国の驚くべき集合無意識的な力を想像せざるを得なかったのである。


1940年に開催された東京オリンピックを成功のうちに導いた後の日本という国の誇りは、やがて世界の第二位にまで登りつめた経済の繁栄であった。その背景には朝鮮戦争による軍需景気などいくつかの要因が重なっていたであろうことは容易に察しがつくが、それにしても敗戦後の焦土と化した日本を復興したのは国民の勤労精神であった。なぜそれほどまでに
当時の日本人は働き者だったのか。僕はそれが気になって仕方がなかった。


それは単純に民族の性質として真面目さや勤勉さに由来するとしていいのだろうか。特に昨今の政治的状況をみるに、わが国のリーダーたちにまともな政治的能力があるとは思えないことは誰もが納得することである。僕は日本のリーダーたちの実力は基本的に昔からそう高かったとは思っていない。過去のリーダーたちがうまくいったとすれば、それは日本が置かれた状況と時代の流れのせいであり、アメリカという大国に逆らわずに追随してきた結果である。よって、国民の真面目さや勤勉さは彼らが導く教育によって感化された結果だとは到底思えないのである。もし、かつてのレベルが高かったとするなら、現代にもその成熟さは引き継がれているはずである。


ならば、何故にその繁栄は築かれたのだろうか。僕はそれをもともとの真面目さに加え、「お国のため」に戦地に赴き、帰らぬ人となった三百万を超える若者たちの魂の力ではないかと思うのである。実際、僕の父方や母方の男兄弟はみな戦死している。父親は運良く生還できたが、彼にしても軍隊には三度召集されている。一度目は徴兵で、二度目は満州事変に、三度目は太平洋戦争に足掛け十年にも及ぶ戦争生活であった。20世紀を「戦争の世紀」と一言で総括する人もいるが、そうした悲劇が世界中で起こっていたことを思うと空恐ろしくなるのは僕だけではないだろう。


戦争から生還した若者は焼け野原になった自分の故郷に帰り何を思っただろうか。しかし、どんな悲惨な状況でも「戦地」よりはましだと思えただろう。家族と一緒の生活、戦争と比べたら貧しさなどさして気にならなかった。みんな貧しかった。そして、彼らは生活を立て直すために働いた。それも「黙して」働いた。僕はこの「沈黙」の中身を想像する。


敗戦後、生き残った人々はあまり戦争の話をしなかった。狂気の世界では人間は何をしでかしてしまうのか。おとなしい性格の僕の父親だって何人の敵を殺し、他国の民間人を酷い目に会わせてきただろうか。それは映画や小説ではないのである。だから、彼らは心の奥に記憶をしまいこんだ。父親はよく戦争の夢を見ては寝言を言っていた。


もうひとつ彼らが黙するには訳がある。それは生き残ってしまったということに対する自責の念である。戦友は死に、自分は生き残ってしまった。日本人はそれを申し訳ないと思うのだ。生還に諸手をあげて喜ぶわけにはいかない。また、天皇陛下のために身を捧げることができなかったと思う人がいたかもしれない。逆に、「天皇陛下万歳」と唱えて玉砕していった戦友の無念を直接ぶつけることができないもどかしさは、もし、戦争責任を天皇に負ってもらうことになれば、逝った者たちはもっと浮かばれないことになる。死者は信じて逝ったのだから。


そうしたことがらは忸怩たる思いの塊となって生還者たちの口を硬く閉ざしたのであるが、ただ唯一、死んでいったものたちの魂を引き継ぐこと、つまり彼らの分まで生きるという力に変換し、ただ黙々と働いたのである。そう考えると、三百万の絶望が敗戦後の未来を支えていたと思えるのである。絶望に散った魂がもっていたであろう希望を力にして高度経済成長は実現したのである。三百万の魂が死して「お国」を支えたというそこに、僕はスピリチュアルな力、「霊性」を見るのである。・・・ つづく 




コメント

[コメントをする]

コメント投稿

一緒にプレゼントも贈ろう!

Amebaおすすめキーワード

    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト