2011-05-18 00:33:29

忘れるという事を忘れるな

テーマ:jizouの眼

先日、映画「十万年後の安全」を観た。いやあ、面白かった。
面白かったというのは、深く深く考えさせられたということであって、
楽しかったという意味ではない。


映画は原子力発電所で使用したウラン燃料を捨てるゴミ捨て場の話。
フィンランドが始めた世界で最初の本格的なゴミ捨て場建設のドキュメンタリーである。

フインランドではその放射性物質を廃棄する場所を「オンカロ」と呼ぶ。
「オンカロ」とはフィンランド語で「隠れた場所」を意味する。

その半減期が十万年といわれる放射性廃棄物の墓場建造の話は人類に大きな命題を突きつける。


福島原発のリアルな事故により、もはや、私たちも放射能の脅威に無視を決め込むことはできない。事実として、私たち人類は本物の悪魔を生みだした。生みだしてしまったことに気付いた。


しかし、原発に対する私たち日本人の意識は「できたてのほやほや」である。そして、今ある私たちの意識構図は反原発及び脱原発か原発推進を肯定するかの対立図である。しかしながら、このドキュメンタリー映画は原発推進か反原発かを問いかける話ではない。


原発の問題はそれぞれの国の「お家の事情」が絡む。
実はフィンランドでも原子力発電には積極的に取り組んでおり、現在5基目を建造中である。フィンランドは歴史的にロシア(旧ソ連)との確執があって、国土を占領されたり、奪われたりと酷い目に遭ってきた。


ロシアの恐怖がトラウマとして潜在的にあるにもかかわらず、いまでも電力や天然ガスをロシアに依存している。ロシアがパイプラインの栓を閉めたら、フィンランド人は凍死をまぬがれない。

よって、ロシアのクビキから開放されて、エネルギー源を確保することはフィンランド人にとっては最大の安全保障となる。フィンランドの原発政策は国民の苦渋の選択であった。


私たちの国と比べるに、その苦渋こそ未来への責任意識の表れである。それでも、「忘れる事でしか、その脅威を葬ることはできない」とオンカロの関係者は語る。脅威とは放射性廃棄物のことである。


確実に存在するものに対して、絶対に触れることのできない処理の仕方を模索したとき最後に行き着いた場所、それは、空でもなく海でもなく、母なる大地の懐の奥だった。18億年の硬い地層の下500mをゴミ捨て場に選んだのだ。


放射性廃棄物が生命にとって無害になるには10万年かかる。数字で言えば一言だが、10万年という年月は、人にとってはほぼ不死に近いものだ。人間も10万年前はネアンデルタール人の時代であったという。


不死こそが最も想像を絶することであるならば、人間にとっての10万年後も想像を絶する。10万年という年月のいつか、どこかで、誰かが(自然の変化も含め)放射性廃棄物の毒性を絶つことはあり得ない。フィンランドの国民はそこまで想定をした結果、なお原発を選択した。


彼らは今の時点における人間生命の意識と注意深さと技術力が、そのまま10万年後まで引き継がれていくだろうという幻想に立脚していない。10万年は誰も予測ができない。何が起きるかわからないという前提に立っている。そして、その最大の可能性を私たち自らの生命体としての変化に置いている。


私がこの映画で感じ入ったことは、そのことに尽きる。長い年月においては、この身体生命のメカニズムだってどう変化していくかわからないのである。何かの突然変異に因るか、生命体そのものの賞味期限か、環境異常に因るのか。


いずれにしても、そこには未来は常に今よりも明るいであろう、また、明るくしなければならないとする、都合のよい進化肯定論を鵜呑みにして大衆を煽動する権力支配者たちの性根とは対極に位置する慧眼がある。


国だってはたしてあるだろうか。お金だって存在しているだろうか。
最善の方法はそれに近づかないこと。そのためには忘れることだと。しかし・・・


私たちは戦争があってもどんな災害にみまわれても人間はなんとか凌いできた。そして、今ある豊かさを手に入れることができた。だから、これからも技術を磨いて工夫して頑張ればなんとかなると思っている。


しかし、この原発に関してはそんなもっともな考えが通用しない。むしろ、浅はかでノーテンキな成長神話に聞こえてしまうほどである。エコ回帰も役に立たない。


世の中が平和であろうが、国民が豊かであろうが、お金があろうがまったく関係ない。私たちは精神の真ん中に悪魔を据えてしまったのである。逃げることも、消し去ることもできない。


すでに、原発とはその社会においても精神においても中心に坐した。絶対に触れてはならぬものでありながら、そのものから離れることが絶対にできない。まるで、神の如くに、である。


私には今回の原発事故が示したことは、アダムとイブの禁断の果実やギリシャ神話のパンドラの函が人間の心の間違いや迷いを示唆するに抗して、言葉を超えた、いや、言葉以前に、生命そのものの危機が常に生命それ自身に棲み続けるという、とんでもない神話が現実に登場したことだと思う。


狂騒と実験の20世紀の申し子たる原発神話の最終テーゼは「忘れるという事を忘れるな!」である。はたしてこんな恐ろしいテーゼがあろうか。


その波は、もうすぐ日本にもやってくる。もし、それでも私たちが明るく過ごすことだけを目指すなら、「人間というのは自らを欺き続ける生命種」として
後世の変種した生命体に語り継がれることになるのだろう。

2011-05-16 23:14:06

You TubeにUpされました

テーマ:お知らせ
2011年3月6日に西荻ほびっと村で行いました舞踏講演の模様がYou TubeにUpされました。

笑いあり涙?ありと盛りだくさんです。







舞踏ワークショップは毎週木曜日20時からやってます。




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