2010-09-10 22:08:41

戸隠参詣 「神殿舞踏」顛末記

テーマ:神殿舞踏


時の徴し(ときのしるし)


戸隠から戻り十日も過ぎてしまった。


まだ戸隠の気が身体中に充満しているうちに記さねばと思いながら、 仕事やなんだかんだの雑事が多くて落ち着いた時間が取れなかった。 忘れないようにしよう、思い出すようにしなければ、と注意を払えば払うほどに記憶が彼方に去ってしまうようで気ばかりが焦っている毎日であった。


ということで、今回は三日間の時間の経過を追いかけた報告はやめて、思い浮かぶままに書いてみたい。




時の徴し(ときのしるし)


今回の「水の呪術」は「神鳴頌」から始まったチャクラという人体に宿る自然エネルギー原素シリーズの第4弾である。昨年の「火鏡」で圧倒的な啓示を受け、僕たちのシャーマニックジャーニーも次なる段階に入ってきたことの暗示が確認できた旅であった。「水」がテーマだと言ったときから、仲間からは今年は雨に降られるのではないかという不安の言葉が聞かれたが、僕は絶対に降らないと思っていた。案の定、戸隠の神様はまだ僕たちにはそこまでの試練を企んではいなかった。三日間とも天候に恵まれ、僕の大好きな火之御子社の柔らかな陽光に迎えられたのだった。




舞台のセッティングまで半分以上の労力を外部との折衝に費やされていた昨年までとはうってかわり、今年は何事も当然のごとく進んでいった。ただ一つ僕の入れ歯が折れてしまったことを除けば・・・まあ、歯は外側の関係性の問題ではないので気を使うことはないのだが何かと不便ではあった。前歯なのでみっともないというのもある。 初日に立ち寄ったカナディアンレストランで何気なく差し出されたシカのハムをちょっとつまんだ時にバキッと

やってしまったのである。だが、捨てる神あれば拾う神ありで、ポリデントやアロンアルファがすぐに手元にやってきて当日の舞台は滞りなくできたのである。近代技術はこうして生身の正体を隠してしまうが、きっと、後々振り返れば今年の戸隠は「ああ、歯のない年ね!」という形で思い出すことだろう。




時の徴し(ときのしるし)


外部との折衝に気を取られなくなっていったのと並行して、「神殿舞踏」の内容も変化してきたように思う。昨年の総括で記したが、古の時代ここ戸隠は舞族の郷であったという僕の夢想は、結局僕らが実現しようとする未来のことでもあるのだ。まだこのことは参加者たちに明言しているわけではないので、僕の中で年ごとに育っていくヴィジョンをきちんと 把握している人はいない。僕はここ火之御子社に舞姫たちを結集させたいと考えている。アメノウズメノミコトを御祭神とする火之御子社は日之御子社ともいう。御子は巫女のことであろう。天照皇大神は太陽神のこと。とするなら、天岩戸伝説は太陽神を降ろす巫女の話である。太陽神を降ろすために巫女が踊ったのである。裸で踊ったアメノウズメノミコトは日本最初のストリップダンサーとして名を馳せたが、たぶん狂女と紙一重のぎりぎりの感性を保持した巫女たちは舞うことによって、非日常的な自然と感応する身体のエネルギー状態を現出させることによって、自然界の変化に翻弄される民衆の願いや祈りを自然界のエネルギーと繋げていったのだ。




時の徴し(ときのしるし)




「意識の力」を発展させていく人類の歴史の作り方は、踊ること舞うことも様式化・形式化へと偏重させていった。

そこにはそれなりの魂の重みがあるのはわかる。しかし、どうしてもそこに登場してしまうのは「才能至上主義」なのだ。要は上手いか下手かという人間の側の価値観のみによって判断が下されるようになったのである。本来、巫女の仕事とは雨を降らせ、雲を払い、獲物の位置を教えることであったろう。現代の踊りの名人たちに雨を降らせることができるだろうか。どこに雲を払って太陽を覗かせる踊り手がいるというのか。こうして僕たちは自然と
感応するエネルギーを封鎖してきたのである。今や、閉じ込められたエネルギーは身体内で荒れ狂い現実の
リアリティを希薄なものに変質させてしまった。これほどに置換もリセットも可能になったバーチャルな世界は実は「私」 をどこにも連れ去っていってはくれないのである。かくして、自らの判断ではどうしたらよいのかが分からない人間の量産 体制は整っていく。




時の徴し(ときのしるし)


僕は「神殿舞踏」に舞姫たちが結集しはじめた元年が今年と位置づけたい。僕が舞姫という女性をクローズアップするのには理由がある。元来、日本民族には女性性(母性)が色濃く反映していると考えている(それは「母屋の思想」として後々まとめたいと思っている)のだが、国の体制が整う以前の集落や共同体規模においては当然にシャーマニズム的な世界であったろう。穏やかで循環する四季がある風土においては女性身体の日々の変化は自然に感応するものであった。そして、日常を逸脱した形でその感応性が発現した時にシャーマン的発作が起こる。震え、訳の分からないことを口走り、身体は異常な形に変形する。そのままでストップすればそれは単に狂人か病人である。しかし、その状態をプロセスしていく場を設けるとその姿はシャーマンに(巫女)変貌する。それは自然性とつながる所作であるし、そのプロセスしていく場こそが聖なる地、いわば神殿なのである。変容のプロセスはやがて単なる異形から踊り、或は、舞へと昇華されていく。 僕はそれを経験で知っている。僕のところにはそういう巫女的資質を備えた姫たちがたくさんいる。




時の徴し(ときのしるし)


僕は呼吸法に長いこと携わってきたので、人間をエネルギー的に観るという習慣がついてしまった。人間の潜在エネルギーを開放すればそれはみなシャーマン的なエネルギーを垣間見せるのである。特に女性にはその性質が色濃くあることもわかった。問題は、現代のシャーマンは雨を降らせ雲を払うような解り易いメッセージをはっきりと示せないことである。まして、そうした技に匹敵しさらに上回る力を科学技術が備えてしまったのでその必要もない。ならば、舞姫たちの復活にどういう意味があるのだろうか。





時の徴し(ときのしるし)

ここ十年来、巷ではヒーラーや霊能者がブームである。神様の寛容さは熟知しているつもりなので、彼らにとやかく言うつもりはないが、シャーマンと言うと彼らとダブらせて想像するものもいるのではないか。舞姫の復活は非日常の意識状態に対する肯定と身体感度に対する狭い認識を改めていくこと、さらに 出来事や現象と自分の内的なエネルギーがどのように結び合わさっているのかという直観的理解による世界観が、 自らの生き方や他者とのコミュニケーションをいかにスムースなものにしていくかを目論むものである。欲望を達成する喜びではなく、踊ることで内に外に生まれることがあるのだ。その発見と不思議と驚きが人間存在を豊かにしていくと僕は思っている。つまり、自身を含めたこの世の妙味を味わう精神の使い方である。





時の徴し(ときのしるし)



火之御子社の時空に参加した人々は全員踊ったと僕はみなしているのだが、からだはうすの仲間たちは特にその深度は深いはずだ。それは三日間の戸隠詣でによって、身体に心にエネルギーに出来事にそれぞれが新しい変化を感じるであろうからだ。帰京後に変化が顕著に表れる場合も多々ある。そうした変化こそ「人さらいの」さらわれた証拠である。





今回は普段の舞踏の稽古に参加している全員が登場した。「神殿舞踏」にはいっさいの制約がない。踊り手としては素人の舞姫たちは踊るということを超えて存在するスピリットの化身となる。何かの意図を持つものは僕だけである。だが、僕の意図には方向性も狙いもない。起こるべきことを招くための場作りとして僕は踊る。舞姫たちはただわが身の内奥に触れようとするのみである。スタイルではなく、日常では隠されているところの命を踊っている。火之御子社はそんな僕たちの野放図を柔らかく受け入れてくれる。あんな珍妙な踊りの一座をどこの社が受け入れてくれるだろうか。





時の徴し(ときのしるし)


神仏をお参りする集団のことを日本では「講」という。例えば「富士講」などが有名であるが、昔からどんな小さな村にも「講」があり、それによって地域の連帯を維持していた。僕らの一座もそうした「講」になぞらえることができるだろう。ただ、僕たちは形式を逸脱しているがゆえに、それは、それこそ「無礼講」とでも言うのがピッタリする。

僕たちはこの「無礼」をもって火之御子社に集う神々と戯れることができるという、 極め付きの皮肉をいただいたのである。 それは、看板(名前や名誉)を捨て、形を捨て(取り繕うこと)、見返りを捨て、露になった傷つきやすいスピリットのみが往来することができる針の穴のような道を示されたということである。この道を「奇蹟の道」と呼ばずしてなんと呼ぼう。







時の徴し(ときのしるし)



僕たちは火之御子社と運命的に出会ったのである。一緒に行ったみんなも火之御子と戸隠に運命を感じてほしいと思わずにはいられない。そして、「あの世」と「この世」を隔てる扉を隠す「戸隠」 に踊りを教わろう。踊るものだけがその扉を行き来できるのだ。そもそも人間の生命は踊っているのだから・・・






時の徴し(ときのしるし)



というような訳で、僕は以前のようには踊りの出来栄えが気にならなくなった。僕は僕の姿が見えないような踊りをしたい。 見ている人が、いつの間にか自分自身の夢を見ているような、はっと気づいた時に踊りは終わっているような、眼を開きながら気を失っているような、そんな時空を招きたい。やがて、その場に展開した『本当のこと』は観たものたちそれぞれの夜の夢に浮かび上がる。人生を牽引する虚ろな夢の中にーー!

来年は「風」がテーマです。また一緒に「人さらいの風」に吹かれに行きましょう。どうもお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。








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