2010-01-20 11:15:28

ブレスワーク2月開催のお知らせ

テーマ:からだはうすの呼吸法

先日の日曜日からだはうす毎月恒例のブレスワークが行われました。


参加者の一人のおかだあゆみさんがブログでブレスワークの感想手記を掲載されています。


ブレスワークにご興味のある方はご一読ください。


からだはうすのブレスワークを少しでも理解いただけると思います。


ジーパン・ヒーラが今日も行く



【2月グループブレスワーク】


2010年2月21日(日)10時~20時

プログラムのようなものですが・・・


10時~参加者自己紹介
   初心者の方がいる場合にはブレスの説明があります。

11時30分~ヨガストレッチ

12時~カタルシスブレス(浄化の呼吸法)

12時30分~チャクラボィッシング(チャクラ活性化呼吸法)

14時~昼休憩(ご飯)

15時30分~17時30分 ブリージング

18時 シェアリング

20時ごろ終了



こんな感じでブレス三昧な一日になります。

ブレスに関して不明な点や質問があれば、気軽にコメント欄もしくはメールで送信ください。





2010-01-03 12:20:21

おわりにあたって

テーマ:男を見限るまえに女が読む本

「男がだらしない」と言われはじめてから久しく経つ。尊敬とはいかないまでも、期待もしていないという諦めにも似た女性たちの男性観を耳にするうち、私なりに思いついたことがらを文章にしたのが本書である。



男性と女性は生まれながらにして体質も性質も感受性も異なる。その違いは性エネルギーにこそ顕著に現れる。男女の性差は誰もが理解している筈であるのだが、日常の生活現場において、その理解を生かしているとは言い難い。問題は・・どの・・よう・に・・理解・・して・・いる・の・かということである。



本書の前半部(第三章まで)は男性の性情を暴露しながら互いの性のエネルギーの違いを考察したものである。そこでは、男性が女性を見下す態度の裏側に女々しさやうぬぼれが潜んでいることや、頑張りの原動力が欠乏感に由来していることを明らかにした。また、男性が女性に引き付けられるのは宿命のようなものだが、選択権が女性の側にあり、ゆえに男性の悩みは尽きぬということも述べた。



「男がだらしない」と思われるようになったことには理由がある。それを社会制度や産業構造の変化とともに加速した女性の社会進出がもたらしたものだと単純に片付けるわけにはいかない。なぜなら、進出は門戸を開いたからであって、実際、男性が女性より実力として優秀であればそのようなことは言われない筈だからだ。そこで、本書の後半は男性の権威失墜の原因を母親との癒着構造に見て、日本男性の特徴としてある甘えと無責任さと引きこもりの性質を取り上げてみた。そこに浮かび上がったのが古来より日本の国全体を覆っている「母性的エネルギー」である。それは強烈に「家」と結びついている。地域も会社もどんな組織も「家」を母型としている。そして、天皇制が「家」の象徴であることに行き着いた。そのことにより、日本の男性は「家」を守った男たちというより「家」に守られた男たちであったということが明白になったと思う。



ということは、男性の甘えと無責任と引きこもり的性質は今にはじまったことではなく、民族の特性として継承されてきた性質だった。実は、女性が嫌うその性質こそがこれまでの日本の歴史と繁栄を導いてきたエネルギーであったのだ。幼児性は従順な働き者として、個の責任のなさは強い集団意識(和の思想)として、そして、引きこもることで類まれな集中力を匠の技(職人芸)に注ぎ込んできたのが男たちだった。
国民的性質ともいえるそれらの性質のポジティブな側面をクローズアップしてみれば、男性の側の言い分としては「俺たちは真面目に働いてきた。だからここまで豊かになった。物質的豊かさはほとんど臨界値だとしても、俺たちは臨界値に達するまで君たち(女性)に物質的豊かさをプレゼントしてきた。抑圧と差別を引き換えにではあるけれど…」。ということになりはしないか。付け足しのように吐かれる尻尾の言葉は、抑圧とか差別をする男性の側に差別している実感がないことを証明している。実感としてはむしろ養ってあげている感じが強いのではないだろうか。事実は確かに養っていた。それでも男性は女性の反論に反省の色を示す。しかし、それはおもに面倒だからである。なぜ面倒になるか。抑圧や差別の話と家族を養うことは全く別の問題であるにもかかわらず、男性はどこか混同している。養ってもらっているのだから理不尽なことも我慢するのが当たり前だと…。



女性が教育も受けられず、仕事もお茶汲み程度しかさせてもらえず、ただの主婦として毎月のお給料を待っていた頃は男性の仕事をわからないまま感謝していた。が、ほとんど同じ条件で働くようになった今、男性の仕事ぶりにそれほどの尊敬を抱かなくなった。仕事も自分のほうができると自信をもった女性が増えた。男性の真面目さや真剣さの程度がわかってしまったのである。メッキが剥げたというか、これまで男性は・・ただ・・・・・働かされて・・いたという事実が暴露されたのだ。それでも経済的な成長が充分にあったことが隠れ蓑になっていたというわけである。   


        
  そういう情況のなかで男性は何がわかっていないのか、それは「自発する感性」のことである。「どのような人間になりたいのか」ということである。何ができるかではない。自分の内部に発火する情熱とでも言おうか。自己の内面を自覚したところの勇気ある道を歩むものには必ず同行者が現れる。臆病な振る舞いはそれを信じられないからだ。自覚なき目標の設定はすぐに萎える。そして、その道を歩むうえで大切なことは、男性は女性を見下してはならない。女性におもねってはならない。女性から離れひとりす拗ねてもならないということである。 



かつて日本は「親孝行」の思想で土台を作り繁栄した。主君への忠義、天皇陛下への忠節、そして、親への恩義。世界は「家」であった。「家」を守るために親たちはどんな苦労も省みなかった。その苦労は、一般家庭においては「貧しさ」だった。豊かになって「貧しさ」から抜け出すとともに産業構造や雇用システムが変り実際の家族も崩壊の危機に瀕している。いま日本が抱える諸問題にそれらがすべて関わっていることで納得されるだろう。



「家」と「貧しさ」の崩壊により男性が頑張れる最大の動機が失われた。宙に浮いた母性の力は息子と娘に絞られた。母親のあからさまな介入は子供たちから生命エネルギーを奪ってしまう。母はそのことを自覚しなければならない。頼りになる男を作っていくのはこれからの新しい母親たちなのだ。心配だからと言って、愚かな消費に乗じてはいけない。母親が変わらなければ男も日本も変わらない。この国においてはそれほどの力を母は持っていると私は思うのである。



性や天皇や宗教に興味を持ち本を読むことは誰でもするだろう。そして、それぞれの私見があるだろう。しかし、自分の中に渦巻く実感としての性のエネルギー、或は、自分が身を置く国家の中心的気配を司る天皇制や全く現実味のないお飾りの宗教心に対して実際目を背けてはいないだろうか。というより、他人事のように感じてはいないだろうか。私は日本に生まれ、日本に暮らす人々の無意識的な在りようがそうした事柄に対する腫れ物に触るような姿勢に端的に示されていると思う。さらに、人々の無意識下に沈潜し、人によっては意識の上でも普通に会話しにくい類のものは、つまり、あまり真剣に考えたくないもの、考えても埒があかないものほど私たちの人間性の傾向に影響を与えているはずである。埒があかないものはきっと秘密がぎっしり詰まっているに違いないと思うのである。










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