確かに感情のコントロールができたらいいなぁ

って思ったけど


超おこりんぼな僕は

ぜぇぇぇぇぇぇぇったいムリ


って思ってました



当時の僕は

感情とは勝手にわくもの

自分に選択権なんてない


って思っていました



今考えると恐ろしい勘違いですが…



感情は

自分で選択していたのだ

ってことに気がついてからは


言い訳できなくなりました

だって

知っちゃったんだもん


怒っている自分は

怒りという感情を選択した結果であり


違う選択肢もあったってこと

そこで

自動的に怒ったわけじゃなくて


自分で選択したんだってことに気がついたのです



逆に

笑うという選択肢や

落ち着くという選択肢もあって


どうすれば

そちらを選べるか知ってからは

正直

あんまり怒んなくなったかな


でも

唯一の甘えどころで

奥さんとお母さんには

良く怒ってます


癖なので

あまり怒らないでいると

エネルギーたまっちゃうから


違った形でのエネルギーの発散法を見つけなくっちゃね



感情のコントーロールを

ある程度身につけたのだけれど


いまだに反応によって反射的に怒ってしまうことがある

それは

理不尽に対する怒りである


そこだけは

自分のポリシーなので

やめるつもりはない

怒りという感情をあえて選択しているのである


とまぁさておき

本題に戻るとしよう


感情のコントロールには

ポイントがある


どこを見て

何を聞いて

どんなふうに動いているか


何に焦点が言っていて

どんな言葉を聞き(見て)

体の動きはどんな感じなのか


ということである



あるビジネスでの成功者はこう言った


胸を張って空を見上げ

笑って歌を歌い

スキップしながら

鬱(うつ)を感じることはできないと


出来事に対して

どんな見方をするのか


例えば

赤ちゃんが泣いてる


①うるさいなぁ

②俺を求めているなんて可愛いなぁ

③おっぱいかな?それともおむつかな?


どこに焦点がいっているかで大きく見方が変わる



どんな出来事だって

見方は何通りもある

だから

どんな見方をするかで

方向は大きく変わってくる



もし自分が胎教や子育ての時に

こんな選択肢があるって知っていたら

小さなことでくよくよしなくっても済んだだろう


出来事に対する

見方

使うもしくは聞く言葉

その時にどんな姿勢(体の使い方)をとるかで

その出来事は大きく違ってくるのだ


言葉の使い方は

大きなポイントである

言葉には力がある

具体的に言うと…