外界からの感受性は歳をとるとともに衰えてくる。ぼくがロックに夢中になったのは10代前半からだが、最初に熱中したのがビートルズだった。そのころは、寝ても醒めてもビートルズばっかり。しかし、ロックに目覚めた10代前半、残念ながらそのビートルズはすでに解散していた。だから、ビートルズの新譜が出るときの興奮というのをぼくは経験したことがなかった。すでにリリースされたアルバムを発売年度の前後とは無関係に購入し、聴き入っていた。


中学生になってから、同級生にちょっとませた奴がいて、ぼくが「ビートルズが大好きだ」と言ったら、「そんなのはガキが聴くもんだ。ロックならストーンズに決まっている。なんならいちど俺の家に来てみろ、本物のロックを聴かせるから」と言われ、そいつの家に行った。そしたら、レコードが棚に何段もぎっしり詰まっていて、そいつにはお兄ちゃんがいたのでそのお兄ちゃんが集めたのだと思うけれども、いくらなんでも1000枚はなかったとは思うけれども、とにかくそのコレクションのゴウカケンランさに肝をつぶした。で、そのとき、本物のロックとして貸してくれたのがこの5枚のアルバムだった。

レット・イット・ブリード/USMジャパン

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青春の叫び/ソニー・ミュージックレコーズ

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暴動/エピックレコードジャパン

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Harvest/Reprise Records

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ブロンド・オン・ブロンド/Sony Music Direct

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いずれもこれぞ名盤といわれるものばっかりで、今から考えても、彼の選曲は見事だと思う。ぼくのロックに対する視野がいっきょに広まった。


新譜が出ると興奮し、すぐにも買わなきゃと思ったのはビートルズが解散してしばらく経ってからのストーンズやジャクソン・ブラウン、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ボブ・ディラン、矢野顕子などだった。それこそ何人もいた。しかし、それも決して10年・20年と長続きすることはなかった。現在は、彼らの新譜が出てもどうしても聴きたいという気にはならなくなった。それはぼく自身が年齢とともに感受性が衰えたということもあるが、アーチストとしての訴える力が長続きしないということが根本にあるだろう。いわば賞味期限があるのだろうし、お互いが共鳴しあう時期というものもあるのだろう。しかし、それでも例外があって、10代から現在まで、新譜が出たらすぐにも聴きたくなるのがニルス・ロフグレンである。いまは、ニルスだけになってしまった。

オールド・スクール/ミュージック・シーン

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似たようなことは、本についてもいえると思う。新しい本が出たら、すぐに買っていたのが小田実と本多勝一だった。


小田実を初めて知ったのはぼくが高校生のときだ。そのころ、学校へ行くの嫌で嫌で、サボってばかりで、自宅で中学時代の同級生とよくマージャンをやっていた。もう時効なので許してほしいが、マージャンといえばタバコがつきもの。面子仲間の1人にニヤッと笑うと歯の色黄色気味の、1日にタバコ2箱吸うドラキュラー風体の奴がいて、嫌がるぼくにタバコを勧め、そのうちニコチン中毒にぼくもなってしまった。持病のイボ痔になったのもそのころだ。その風体あやしいやつが、あるとき、小田の「何でも見てやろう」という本を持ってきた。これすごく面白いからお前も読めと、薦められたのが小田との初めての出会いだった。ロクでもない奴だったけれども、小田の本を薦めてくれたことだけは感謝している。

何でも見てやろう (講談社文庫)/講談社

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本多勝一を初めて知ったのは大学生になってからだった。下宿先に、やたら政治の本ばっかり読んいでいる、ぼくよりももっともっと斜に構えた奴がいて、そのころのぼくは政治にはあまり関心がなく、彼の本の山から、小難しい政治の本は読んでもわからんから無視して、関心がありそうな表題の「極限の民族」という本を手にとったところ、作者が本多だった。少し読み始めたら、実に面白い。そのまま借りて、自室でその「極限の民族」3部作を徹夜でいっきに読んでしまった。





それ以来、新聞で彼らの新刊の広告を発見したときの、いてもたってもいられない気持ち。ぼくは興奮し、書店に注文に走ったものだった。その小田は死んじゃったので新刊を見ることができなくなったし、本多は、彼のほとんどのすべての書籍を読んでいたが、最初に覚えたころの興奮がしだいにしなくなっていた。たとえば本多の「貧困なる精神」シリーズの60年代、70年代に書かれた評論の「冴え」が、その後はだんだんとみられなくなり、現在は、かつての「冴え」の使いまわしあるいは亜流に過ぎないと感じるようになった。晩年になってからの氏への批判も噴出した。ほぼ全著作を読んでいたので、その批判がただの中傷・デマなのかそうでないのかはぼくなりによくわかったつもりだ。そして、ぼくはかつてほどの本多の著書への興味を失った。



小田実が生きていればともかく、いてもたってもいられない気持ち、わくわく感を感じることができるのは、今は田中克彦くらいだ。その田中の新刊「従軍慰安婦と靖国神社」が出た。田中のこれまでの著書とは打って変わった分野の著書だ。しかし、言語学の異端とされる田中だからこそ、こういう問題意識があってもぜんぜん不思議ではない。よくぞとりあげてくださった。避けては通れそうもない問題でもあるし、この問題を考える上での参考のために、さっそくアマゾンに注文することにした。



従軍慰安婦と靖国神社 一言語学者の随想/KADOKAWA/角川マガジンズ

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他に注文した本。

交通事故裁定例集31 平成24年度/ぎょうせい

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「交通事故裁定例集」はまだ4冊しか持っておらず、少なくともここ10年間に発行されたもの、すなわち平成16年以降のものは全部自分の手元に置きたい。交通事故紛争処理センターについては、たとえば保険会社が過失割合で紛糾したときなどによく利用されているし、その裁定例は判決と同じくらいに重要だとぼくは思うのだけれども、まともにとりあげているサイトをみたことがない。弁護士は、判例を熱心にとりあげるくせに、裁定例をまったく無視するのはどうしてだろう。だれもとりあげようとしないなら、ぼくがやってみてもだれからも文句はいわれないだろう。新しいブログで意識して取り上げてみようと思う。それにしても、交通事故業務分野の本はとにかく高すぎる。まとめ買いなんてとてもできそうにない。少しずつコツコツ買っていくしかない。

小林多喜二―21世紀にどう読むか (岩波新書)/岩波書店

¥886
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著者のノーマ・フィールドについては、「天皇の逝く国で」という彼女の著書があり、大変いい本だった。その彼女による「小林多喜二論」。読まないわけにいかないだろう。
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