処女膜のハナシ | 共同合宿所

処女膜のハナシ

昨日は息子のお誕生日だった。
ということは、「かーちゃん」である私の頑張った日、でもあり、3年前の昔話に花が咲いた。


そこで、夫の話を聞いてオオ!と思ったこと。
無事スッポンと子供を産んだ後、助産士さんが、夫に、
「これが処女膜よ」
と言って、私の中から排出されたソレを見せたらしい。
処女膜って貫通された後は、ただ引っ付いているだけの無用なもの。


そんな思い出話をしているうちに、昔は処女というのに価値があり、「そうそう、処女膜再生手術」なんて言葉もあったよね!という話で盛り上がった。
20代以下の方でそんなこと知っていらっしゃいます?
そのような価値観や、手術も、すでにこの世に存在しないのではなかろうか。
結婚=初夜=処女喪失、それが当たり前の世代にとっては、「処女を守る」ということが女性の価値を高めたのだ。
だから、すでに非処女の場合は、処女のフリをするとか、処女膜再生の手術をする人も居たのだ!
多分、私が田舎の中学生をやっているころは、まだそんな言葉をちらほら聞いたこともあった。
(でも男の子達は「処女とやるのはヤダヨー」と言っていたが)。


しかし、そんなことが通用したのは多分、自分の親の一世代だけなのではないかと思う。
なぜなら、日本では昭和のはじめの頃まで、夜這い文化がいきづき、親が娘の水揚げの手配をしていたくらいだからだ。


近代化とは何か。
昔は、家というのは、生活をする場であったと同時に、仕事をする場所であった。
ところが資本主義の導入により、仕事は外でするようになり、家というのはまったくプライベートなスペースとなった。夫は外で仕事をし、妻が家を守った(専業主婦の登場)。
家庭は再生産(明日の労働力の再生産、及び、子供を作るという再生産)の場となり、大家族は解体され、小さな単位となっていった。
こういったことが、近代化を推し進め、そして戦後の経済成長を支えていったのだなと。
しかし、一方で、それは、小さな一つの家族単位の中で、妻は夫に経済面で支配されるようになり、性的な部分でも支配されるようになったのではないか。それが処女の価値を上げたのか・・・よくわからんが。

いずれにしても、近代化とともに、処女という概念が発生し、処女が近代化に貢献し?、そして、そんな抑圧はいつまでも続くわけがなく、いまは処女の価値はなくなってしまったわけだ。