YAWARAちゃんバッシング
YAWARAちゃんこと、谷亮子選手がご懐妊で周りはお祝いモードと思いきや、彼女へのバッシングも相当なもののようだ。インターネットとは恐ろしい。
読んでいるうちに、バッシングがパターン化していることに気がつき(下記、赤字部分)、その心の中が、隠しても隠してもにじみ出ているような感じがしてきた。※かなり穿った見方かもしれないことをお断りします
1.「彼女の才能、実力は認めます。」
→私は女性として彼女に嫉妬なんてしていないんですよ、というエクスキューズから始めているのかなと。
2.「だまって柔道をしていれば格好いいのに」「いまどき芸能人でもファックス1枚で結婚・懐妊報告する」
→女性性をひけらかすことへの嫌悪感。御神崎も嫌われないように気を付けなくちゃあ(←バカ)
3.「勘違いもはなはだしい。自分のブスを認めろ。」
→自分は美人でないからそれ相応に生きてきたのに、、、自分の謙虚な人生は何だったのかという後悔?
4.「ナンシー関が生きていたら今頃思いっきり斬っていただろう」
→他人が同様に悪口を言っているのを見て安心する「主体性の欠落ぶり」。
だいたい、ナンシー関が叫んだところで負け犬の遠吠え。せめて林真理子に言ってもらえればいいのかもしれないが、いかんせん、林真理子は谷亮子の結婚式の際思いっきり褒めちぎっていたので。
この人の青春時代は柔道・柔道で、男遊びもしなければ女性性を発揮できてこなかったことにかなりの屈折があったのだろうから、今ぐらい爆発してもいいと思うけど・・・。もしそれが許せないのなら、取材を続けるマスコミを批判せよ。
批判する側の女性としての抑圧をものすごく感じた。
とはいっても、「ママでも金」について、本当にそうなった時のスポーツ新聞の見出しを想像すると嫌な感じだ。「パパでも金」なんて選手もざらにいると思うのだが、世の中は「パパさん選手」とは決して褒めたたえないから。女性が母である場合、母であることがこんなに付きまとうのは何故だろう?