ジダラク

自堕落。星5つ満点の書評+αな日記。

試行錯誤中。読んだ本の感想でも備忘録代わりに書いていこうかなと思ってたり。

ときには映画の記事なんかもあります。


年も明けましたようで。本年もよろしくお願いいたします。

お気が向いたときにふらりとお立ち寄りください。

BGM: Billie Holiday - These Foolish Things

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以下の文章は以前書いたものの再利用です。


いま読み返すと恥ずかしいばかりですが、


年末に過去の恥を晒すのも一興かと思い、


掲載させていただきます。



修正もほとんどしていないので恐ろしいことに。




ほんとは小説のレビューが載る筈だったんですが……





(冒頭における注意、この文章には『容疑者Xの献身』『アクロイド殺し』『十角館の殺人』『鴉』『扉は閉ざされたまま』各作品の結末を明示あるいは示唆する記述が含まれます。それを望まない方はこの文章を読まれないことをお奨めします)






 『容疑者Xの献身』(以下『X』と略す)にまつわる議論は、20069月現在、未だに生き残っている。ミステリマガジン誌上では、『X』関連の討論特集コーナーが作られ、11月号では我孫子武丸、佳多山大地の両氏が見解を載せていた。『X』の単行本の初版が発売されたのは2005825日。それから一年以上経ったいまでも作品が採り上げられ議論される、というのは異例の事態だと思われる。


 ここまで議論が発展・存続したきっかけは幾つかある。まず『X』は『このミステリーがすごい!』『本格ミステリ・ベスト10』『「週刊文春」ミステリベスト10』各2005年度刊行作品を対象としたランキング誌の1位を総ナメにした。これを受けて、二階堂黎人氏が自身のHP上で発言、波紋を呼ぶ。一方、笠井潔氏も自己の受け持つ評論で『X』について持論を展開。「本格」ひいては「ミステリ」というジャンル全体にまで議論は発展を見せていく。『X』自身は直木賞にノミネートされ、賞を獲得した。




 ここで、僕のスタンスをハッキリさせておこう。僕は『X』を非常に楽しんだ肯定派だ。だが『X』が「本格」に属するかどうかという点については少々ややこしい。




 ミステリ評論のジャンルに於いて顕著なのだが、各人が用いる用語がそれぞれの書き手にしか「正しい」イメージで理解できない場合がしばしばある(勿論、そうでない人もいる)。「本格」という言葉ひとつをとっても、多者多様という有様だ。読者それぞれの数だけ「本格」がある、と言っていい。今のところは。


 ここで、僕は提案する。評論者各人が心に描いている「本格」像を読者に把握し易くさせるための指標を作るべきではないだろうか。


まずは、「本格」という問題に「叙述」を絡めて考えてみよう。ここで「叙述トリック」については代表例として『アクロイド殺し』や『十角館の殺人』を思い浮かべていただきたい。倒叙あるいはそれに類する形式(例えば登場人物の一人が犯人であることを伏せながら一人称で登場している作品)において、犯行時の描写を作者が意図的に省くトリックが用いられる場合、を僕はここで想定している。さあ、これを「本格」と言っていいものかどうか――「本格」というのは畢竟「フェア」である作品のことを指すのだと僕は思っている。だから「叙述」作品に「本格」は有り得ない(なぜなら示されるべき全ての手がかりが開示されていないから)という主張も理解できる(または想像できる)。しかし『アクロイド』はともかく『十角館』は綾辻行人による新本格の到来を告げる作品と目されている。新本格という言葉が旧来の「本格」を否定する意味合いのものであったとしても、そこに幾許かの「本格」のニュアンスは含まれる。実際『十角館』を「本格」と評価する人は少なからずいるだろう。そこには手がかりが示されており、読者が真相にたどり着く可能性が充分にある、と主張する人たちだ。僕自身は鈍感な読者なので、「本格」と惹句がついた作品を読んでも推理パートの前に真相がわかることは滅多といっていいほど無い(作品によっては探偵役の推理が終わってもわからないことさえある)。だから『十角館』などの作品が「本格」だといっている人がいるなら、たぶん「本格」なんだろうな、とぼんやり思ってしまうこともある。両者の意見を完璧に汲み取らないにしても、ある程度、把握はしているつもりだ。前者は読者が“唯一”の結論に達することを「本格」にもとめ、後者は結論を想像し得る手がかりさえ充分にあれば「本格」だ。と言っているのだ。主張している当人たちは自分のものが正当だと思っているだろうし、僕は正直どちらの考え方も否定し難い。そこで苦肉の策を考えた。受け容れていただけるかどうかはわからないが。




 前段落に登場する「叙述と本格の共存」否定派と「共存」肯定派が読者に区別できればこれほど親切なことは無いんじゃないか。例えば、筆者紹介の欄に「アクロイド―○ or ×」なんてパラメータ表示を書きこむのだ。これをアクロイ度と呼ぼう――というネーミングに関する冗談はともかく、この試み自体を僕は結構本気で提案している。


 同様にさまざまなタイプの作品について、本格か否かを、その好みを、評してもらう、なんならAEの五段階評価とかだっていい。そうだ、他のパラメータはファイロ・ヴァン度とかEQ度とか二階度とか京極度(失礼)とか、なんていいんじゃないか。


 ちなみに僕のパラメータは以下の通り(笑)


  アクロイ度 A


  ファイロヴァン度 E


  EQ度 C


  二階度 C


  京極度 C


 めっちゃ新本格派ですね。これは僕が「叙述と本格の共存」を肯定していることを示していると言えるでしょう。ファイロ・ヴァン度が低いのは、現在読むと心理的探偵法があまりにも胡散臭すぎるから。EQ度・二階度・京極度に関して言えば、驚愕し感嘆するという意味ではやはりアクロイ度に劣ると考えるためです(なかでも京極度はやや特殊だが)。


 僕は「本格かどうか」に当て嵌まるかを論じるよりも、「本格」ならではの謎解きや伏線回収の面白さがあり、それを表現するために「本格」という言葉が使えればいいな、という考え方を持っています。


 もちろんここで展開したパラメータについては、一例であり、もっと優れた指標となるべき作家・作品はあるでしょう。多くの方がそれぞれ主張したい○○度があっていいと思います。その中から、代表的なものが定着するようになればこの上ありません。




 さて話を『X』に戻そう。「叙述」と「本格」の対応についての考察と、僕の「本格」観はこれまでに示した。では僕は『X』を「本格」として評価するのか否か。その前に読者諸氏には二階堂黎人氏の主張を踏まえておいて欲しい。


 二階堂黎人氏は『X』という作品自体を認めていないわけではない、事実、『X』を自身のHP内の日記「恒星日誌」で採り上げ、各誌ランキングが発表された後(2005.12.05.参照)にこう書いている。




 一連の記述において、私が『容疑者Xの献身』を非難しているなとど誤読するような人の書き込みには、申し訳ないが、時間的余裕から、今後は無視せざるを得ない。私はあくまでも、「本格ではない『容疑者Xの献身』を、本格だと誤解(無理解)している評者を批判している」のである。つまり、ブッシュ大統領をつかまえて「あの人は立派な日本人だ」という者がいたら、「いいえ、ブッシュ大統領はアメリカ人ですよ」と誤解を解くだろう。立派かどうか(本が面白いかどうか)は別の問題だ。それと同じことなのである。




二階堂黎人氏は初めから、『X』の作品としての評価と「本格」としての評価は別物だ、と明白に主張している(後半の例え話は過激すぎると思うが)。この主張をわきまえない非礼な反論が多数目に付いたのは甚だ残念だった。そのような反論の形式を取ること自体が、氏の主張の以下の部分(「恒星日誌」2006.01.06)を皮肉にも実証しているのは明らかだ。




今回の問題を含めた、最近の本格系評論シーンのダメぶりを、たとえ話をまじえて説明しよう。ダメぶりとは、本格系評論家がろくに評論活動もせず、印象的読書感想ばかりを垂れ流して、それで責任を果たしていると思っている悲惨な事態のことだ。『容疑者Xの献身』を「純愛だ」「感動だ」などと本格系評論家が思考停止状態で競ったように言い合うのは、その最たるものである。




ここまで『X』に関する議論を拡げた功績があり、また自身の本格観を惜しげなく披露してくださった二階堂黎人氏に心から敬意を捧げたい。






 さて、まだ僕自身の主張を示していない――『X』は本格か否か。これまでの話の流れを汲めば以下の二通りの結論が想定される。


僕は「叙述と本格の共存」を容認するので『X』は本格である。


僕は「叙述と本格の共存」を容認しないので『X』は本格ではない。


さあ困ったことになった。というのも実は、僕自身の主張は上記の二つのどちらにも属さないからである。




 結論を言おう。『X』は本格だと思う、だがその理由は「叙述と本格の共存」が可能だと考えるためではない。『X』はその「本格」たる所以を、叙述以外のパートに根ざしていると僕は考えるからなのだ。


 『X』の真相とは――もっとも衝撃の大きいものは、ダミーの死体を容易し犯行日を誤認させ、花岡母子のアリバイを確保することだ、と思う。この花岡母子をも本人が知らないうちに巻き込んだ大掛かりな仕掛けは、さながら作品を支配するパラダイムをシフトさせる。この試みに成功した作品に僕は高い評価を与える傾向にある(麻耶雄嵩『鴉』がその好例といえる)。笠井潔氏はこの作品を「難易度の低い本格」と呼んでいるそうだが、恥を承知で言えば僕にとってこの真相はちっとも明々白々なものじゃなかった。成程、「難易度の低い本格」と読む向きがひょっとしたら一般的なのかもしれない。だが当然のことながらそこまで読み切れない読者もいるのだ。


 少し話が跳躍してしまった。そしてその真相は、消えたホームレスや石神が弁当を買いに行った時間(とかなんとかいろいろ、調べるのが面倒である。が、あとできちんとやるのである。)などの手がかりによって示されていた。とわかったとき、僕は心の底から驚きの息を洩らした。さあ、ここまでは何の不思議も無い(と少なくとも僕は思う)。


 何故『X』の「本格」たる所以は「叙述」に因らないなどと言ったのか。『X』が犯人・石神の視点を絡めた倒叙作品である以上、そこにフーダニットは存在し得ない。上記の真相はハウダニットの答えに属する。そして『X』に於いて読者は石神以外の人物の視点をも借りてストーリィを進めていく。この点が重要だ。つまり、石神の視点で犯行の真相が描写されてはいないが手がかりは示されている、ので本格だというのではない。むしろ、石神以外の視点から真相が掴める、ということが湯川の推理の形を伴って表されている。読者は探偵役である湯川の思考が石神の視点によって示された手がかりにも及ぶ可能性に気付くべきだった(読み終える前に可能かどうかはともかく)。これでもまだ足りないならこう言おうか。読者は探偵役である湯川よりも多くの情報を提示されているのだから、「犯人―探偵」の形式ならともかくも「作者―読者」の関係におけるフェアプレイの精神に於いて何ら不充分は無いのだ。




 以上が僕の『X』に関する本格観である。あとは蛇足を承知で書き足しておきたいことがある(もし何らかの媒体にこの文章が転記される場合、この文以下を問題ありと判断したら、ばっさりカットしていただいてかまわないが、最後に示される文はこの文章を締めるに相応しいと思っているので考慮していただけるとありがたい)


 上記でフーダニット・ハウダニットと思考を進めてきた。推理小説にしては珍しいが『X』はウェンダニット(明確な問いかけは為されないが)の性格をも保持していたと言えよう(ジョークです)。まだ問われていないのはホワイダニット(動機)だろう。おそらくこの部分は多くの読者・評論家の琴線に触れ、良かれ悪しかれ意見を噴出させた。「純愛」云々の議論がまさにそれだ。


 この点、ミステリマガジンに載った我孫子武丸氏の評に対し警句を発したい。氏は90年代最中に起こったサイコ・スリラーのブームを採り上げ、そこに一般人の理解を超えた狂える犯人像を見出す。その文脈で氏の作品『殺戮にいたる病』は書かれたと明かす。そしてサイコ・スリラーの隆盛が落ち着き、新たな犯人像として善意の殺人者というものが発明されたと主張する。石持浅海『扉は閉ざされたまま』を引き合いに出し、非常に特殊な動機(性感染症の疑いから臓器移植を防ごうとしての殺人)に作者の価値観を託し、善意という表層的な響き・感触の助けを借りて、押し付けを行っているに過ぎないというのだ。もちろん『X』もこの文脈によって氏に貶される。だが読者というのはそこまで愚かなものだろうか、氏の主張は読者を馬鹿にしすぎている感はどうしても拭えない。


 さらに言おう。『扉は閉ざされたまま』では犯人の目的は遂行され、犯人の価値観は生き延びる。だがしかし『X』は違う! 最終的に石神の思いは靖子の自首によって踏み躙られる。孤独な石神の価値観は作者によって徹底的に踏み躙られ、犯人の価値観は断末魔の叫びを上げる。これでもまだ安易な押し付けだといえるのか! 恥を知れ!




 ふう、ついヒートアップしてしまいました。ここまで長い文章になるとは思いませんでしたが、そろそろ幕を引こうと思います。


 『X』は直木賞の受賞もあり売れ続け、多くの人に読まれました。そして数多くの作家・批評家が『X』を扱った評論を手がけています。途中でアクロイ度の話を持ち出しましたが、既にその試みのひとつは達成されているといえます。『X』のように「叙述」「倒叙」「本格」(「純愛」(笑))と多様な特徴を孕んだ作品をどのように評価するかによって、その評者の性格を読者は知ることができます。「本格」ひいてはミステリ評論に馴染みが無かった人に対して、新たな道へと続くドアは開かれてきていると言えるでしょう。










2006106日  


Future Sound of Londonの「Papua New Guinea」を聴きながら  


  


 






1010日時点で数箇所の手直し、いずれも細かな語句の修正や語感の違和の消去)


1012日、自分自身の主張を少し加えた)


200812月、web掲載のために再読、微修正)



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いまだに、このスペースにいらっしゃる貴重な方々に。


まず前回記事の予告の件ですが。31日にポストします。

ひょっとして上手く物事が回れば30日に。


現状、過去に書いたミステリに関する雑想を、

掲載するかたちになりそうです。


あるいはシャーリィ・ジャクスンあたりの感想を。


取り急ぎ。

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近日再開。

ペースは落ちる予定ですが。

年内にまた記事をポストします。



最近観た記憶のある映画リスト

(★5つで満点評価)


『ランジェ公爵夫人』★★★

『HOT FUZZ』★★★★

『アフタースクール』★★★☆

『ダークナイト』★★★★☆

『スカイ・クロラ』★★☆

『崖の上のポニョ』★★★☆

『TOKYO!』★★★

『ウォンテッド』★★☆

『おくりびと』★★★

『トウキョウソナタ』★★★

『僕らのミライへ逆回転』★★★★

『落下の王国』★★★

『その土曜日、7時58分』★★★★

『赤い風船』★★★★

『白い馬』★★★☆

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 トレヴェニアン, 北村 太郎
 夢果つる街   The Main

★★★☆  3.5/5



 カナダ、モントリオールの11月。ラポワント警部補はだぶだぶのコートを羽織り、ゆっくりと歩いている。“ザ・メイン”と呼ばれる移民街に何か異常が起こっていないか確かめられるように。浮浪者や売春婦たちからも、初老の警部補は親しまれている。弱者を見守る眼を持ちながらも、秩序を乱すものには容赦なく拳を浴びせる者として。


 署内でも半ば生ける伝説と化したこの警部補だったが、書類仕事は放りっ放し。勤務時間の大半は<ザ・メイン>の見回りに費やす。私刑が問題化することを怖れている上司からの注意には耳も貸さない。


 管轄内で、刺殺事件が起こる。膝をつき、手を伸ばす死体は愚かしく見えた。被害者の身元は不明。



 ラポワントは同僚から、若い警官を預けられる。大学出のエリート。彼を連れて、ラポワントは書類に眼もくれず、街へと繰り出す。行儀のよろしいお仕事では、猥雑な街の秩序を保てはしない。志を持つ若い警官は、反感を憶えつつも、警部補のやり方を身に沁みこませる。


 

 週に2回のピノクルのゲーム。家ではゾラの全集とぽんこつのラジオ。下品なジョークを店主と交わす。夢の中には暖かい家庭がある――妻が亡くならなければ、今頃は娘二人と広い家に住んでいた筈。繰り返し夢想するうちに、その結論に落ち着いた。現実では、いまも新婚の頃と同じ内装の部屋から移り住んでいない。




 街が人々を作り、人々が街を作っている。見知らぬ街、人々への愛着が心を撫でてくれる。それは風のようにさっと入り込み、軽々と羽ばたき去ってしまう。優しい小説でした。

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 P.D.ジェイムズ, 小泉 喜美子
 女には向かない職業

★★★☆  3.5/5


 コーデリア・グレイが探偵事務所に出勤したある朝、既にバーニイ・プライドは手首に剃刀を走らせていた。仕事上のパートナーを突然コーデリアは失い、後には事務所が残った。彼女は聡明で、先輩格のバーニイから教育を受けているとはいえ、22歳の女性がひとりで後を継ぐのは難しい。


 高名な微生物学の権威から依頼が届く。息子が自殺した理由を探って欲しい、というのだ。大学を急に辞め庭師の職を得ていた彼は、独り住んでいたカテージで首を吊っていた。コーデリアは現場に残された証拠から、事件に違和感を抱き始める……



 コーデリアは孤独だ。信頼を寄せていた相手を亡くした彼女は、目の前の事件に全身全霊を傾ける。脳裏にバーニイからの教えをちらつかせながら。




 慣れてくるまでは読みにくかった(特に依頼に取り掛かる所など、抑制がちでともすれば味気ない描写が続く)のですが、中盤に差し掛かると展開も熱を帯び、自然と引き込まれてしまいました。


 伏線もきちんと張ってありますが、事件が決着をみた後に印象に残ったのは、そこでコーデリアのとる行動。その為に、作品全体に纏まった意味を見出せ、満足感を得られるほど。



 硬質で、それでも、とても甘いお話。

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『世界最速のインディアン』 IMDb

ロジャー・ドナルドソン


星3つ



「夢を持たない人間は野菜みたいなもんだ」



 オートバイ(20年式“インディアン”)とそのパーツが納まるガレージの片隅で、老人が目を醒ます。毎朝起きると、檸檬の木に小便をかけている。隣家に住む仲の良い少年は度々驚かされる――彼が紅茶を淹れた水は、鋳あげたピストンに“焼き”を入れるために缶に溜められたものだったし、老人はデート(!)の前に電動のヤスリで足の爪を削るのだ。


 この驚嘆すべきじいさん バート・マンローは、近所でも評判で、彼は誕生日を祝うパーティに招かれる。老人仲間たちに囲まれご満悦だったが、そこに突如としてバイクに乗った若者たちが乱入、マンローは対決を申し込まれる。


 普段から人目を盗んでテスト走行を繰り返した浜辺でのレース、マンローは出遅れるものの、片道が終わるころには後続をぶっちぎっていた。折り返しで転倒さえしなければ、勝っていたはずだった。



 恋人と一夜を明かすなど、老人とは思えない元気さを見せるマンローだったが、ある日、狭心症の発作で病院に担ぎ込まれる。


 ガレージで老人は少年に語る、最速に挑戦する5分間の長さが人生にも匹敵すること、双子の弟が死んで以来、恐怖を感じるのをやめると決意したことを。マンローの夢はアメリカ、ボンヌヴィルにある塩平原で出せる限りのスピードにチャレンジすること。だが数々の世界記録が打ち立てられた“聖地”は、ニュージーランドから見て地球の裏側。渡航にも莫大な金が必要だ。


 彼は家を抵当に入れ、アメリカへと旅立つ。「世界記録を出せると信じてる」と言う少年、優しい恋人、そしてレースで戦った若者たち。彼を愛する多くの人間に見送られて。



 アメリカに着き、勝手もわからないマンローだが、ここでも人に好かれる性格が幸いし、幾多の苦難を乗り越え彼はボンヌヴィルに辿り着く。


 一面、何も妨げるもののない、白い大地。


 25年間夢見続けた“天国”に辿り着いたマンロー。あとはレースに出場しスピードを計測するだけ、の筈だったが、ここでも彼は参加資格を巡りトラブルに巻き込まれてしまう。彼はテスト走行で、侮っていた周囲の人々の度肝を抜く。新たに得た友人の協力もあり、彼は遂にスタート・ラインにつく。




 まず実話を基にしている、という点が凄い。アメリカ渡航後のエピソード(「オカマ」のフロント係、インディアンとの出会い、ベトナム戦争従軍兵との出会い)など、ちょっと流石にフィクションなんじゃない、と思うシーンもありますが、彼がいまだに記録保持者であるというのは事実。


 動きの少ないカメラも、走行シーンの魅力を強調するためだろうか。“夢”のボンヌヴィルで試走をしてから、ラストシーンまでは、正直、しびれっぱなし。


 バート・マンローのエピソードは確かに“超人”じみたスケールなのですが、彼がユーモアと等身大の人間性を備えていることが、観る者を愉快にさせ、元気づけてくれるのではないでしょうか。



 日頃煩わされている細々したことから、開放してくれるかもしれませんよ。

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 恩田 陸
 中庭の出来事

★★☆  2.5/5


 作中作を抱える演劇の台本『中庭の出来事』を描く。2006年11月刊行作品。


 本作は「中庭にて」、『中庭の出来事』、「旅人たち」の3種類のチャプターが代わる代わる登場する構成。それぞれにリンクがあり、メタフィクション的な要素もある。



 ホテルの中庭、隠れ家めいたレストランで毒殺事件が起きた。衆人監視の状況下で、崩れ落ちた気鋭の脚本家。


 オフィス街、ビルの中庭、花壇に腰掛ていた若い女性の突然死。中庭を囲む店にいた人々の証言の食い違い。


 『中庭の出来事』と題された台本。三人の女優がそれぞれ“地”の女優自身を演じるという趣向。彼女たちは、慕う脚本家の作品を演じるために競争していた。脚本家が死に、彼女たちはそれぞれに独白を始める。


 廃線跡を辿っている二人の男。駅舎を改築した劇場を訪ねる彼らの手には台本がある。

 細切れにされた物語は、もうひとつの物語に言及し、連なっていく。


 フィクションが全てを飲み込んでいく錯覚(もともとフィクションだったんだけどね)


 序盤こそスリリングであるものの、後半ではだれる印象がある。結果的に、魅力的なモチーフを纏めた際のインパクトも損なわれてしまったかなあ。描写に於ける筆致の精度も(著者の他作品に比べて、本作の趣向の所為もあるだろうが)やや弱くないか。


 残念ながら、決して突出した出来だとは思わない。

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 恩田 陸
 エンド・ゲーム―常野物語


★★☆  2.5/5



 短編集『光の帝国』で描かれた能力者たち、その中でも異形を見て“裏返す”ことのできる家族を独立した長編で扱っている。



 拝島暎子は一人娘の時子と暮らしていた。ふたりとも不特定多数の人間の居る場所には出たがらない。不意をつかれるかも知れない。自分たちの敵が“裏返す”機会を狙っている、相手を“裏返す”ことで生き延びてきた。


 時子の父は失踪していた。父も同じ“力”を持っていたけれど、連れ去られてしまって戻ってこない――きっと裏返しにされたのだろう。



 時子は母親が倒れたという知らせを聞き、受話器を上げ以前から教えられていた番号を押す。“洗濯屋”と呼ばれる能力者の力を借り、母親を助け出すために異世界に潜りこむ――偽りの安息に満ちたジオラマに。




 攻撃する力を持つ者は、弱さをも持ち合わせてしまうのだろうかなどと考えていたら、あれ? そんなオチなんですか? と少し拍子抜けしてしまう結末でした。ひとり頑張っていた火浦の立場って……


 登場人物たちが最後に採る解決策は嫌いじゃないですが。その場その場で描かれる不安感や、滑稽ともいえる会話は楽しめるし、文章も読み易いのだけれど、全体の物語としてはぬるい仕上がりじゃないかなあ。

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 レイモンド・チャンドラー, 清水 俊二
 長いお別れ


★★★☆  3.5/5


 「わかってるのか。自分では気の利いた人間だと思ってるんだろうが、ただばかなだけだぜ」



 ハリウッドに住む私立探偵フィリップ・マーロウは、富豪の娘が殺された事件を追っていた。誰が金を出してくれるわけでもない、片の付いた事件を嗅ぎ回るといい顔はされない。何度か一緒に酒を飲んだ男が、犯行を告白し自殺していた。ただ彼を気に入っていたマーロウには納得がいかなかった。


 警察に拘留され、ギャングたちに脅されながら、マーロウは事件を探っていく。アイドル・ヴァレー、高級住宅地にアル中作家の面倒を見に駆り出された探偵は、徐々に真相への手掛かりを得て……



 たいした金にもならない仕事。虚無感に駆られながら、マーロウは周囲にあてこすりばかり言っている。ブタ箱に容れられても、ナイフを突きつけられても。


 帰らぬ友人のために、珈琲を淹れ煙草に火を点けた。男はただ自己満足に浸っているだけ。




 ひたすら堕落し続けていくマーロウが読者にもたらすものはなんだろうか。おたくの願望充足でしょうかね。

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