「比較」には意味がない。【「こころとコトバ」ニュース】 | 素敵な人に会いました

「比較」には意味がない。【「こころとコトバ」ニュース】

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先週は、
【「こころとコトバ」ニュース】思いっきりジタバタする。
(15/06/10)
http://ameblo.jp/jibuncounseling/entry-12039565816.html
こちらを参照。


人と自分を比べずにはいられない人って、いますよね。

ライバルと意識している同僚が、いい仕事をして、上司に評価されるようなことがあれば、ちょっと心穏やかではありませんね。

そんなとき、

「自分とあいつと、なにが違うんだ。
 能力は、自分の方が上だ」

なんて、ライバルのいいところを認められない人は、悶々として、悩んでしまうのでしょう。

誰かと自分を、日常的に比較してしまう人は、きっと、子どもの頃、誰かと自分を比較された経験を持っているのではないでしょうか。

親に兄弟同士で比較されたり、近所に住んでいる友人と比較されたり。
そんな経験をしたことがある人は、そのときとても不快だったのではないですか。

それはそうでしょう。

もっと勉強してほしいと思っているなら、
「勉強しなさい」と言えばいいものを、

「お兄ちゃんは、ちゃんとしているのに、あなたは……」

という言い方をされると、親の勝手な順位づけにいら立つのは当然です。

でも、不思議なことは、子どもの頃、誰かと比較されるという不快感を十分に味わった経験がある人ほど、誰かと自分を比較してしまうのですよね。

そんなときの心境は、

「自分の方がキャリアは長い。あいつは、まだまだだ」

「あいつの仕事はコスパが悪い。予算管理は自分の方がうまい」

という感じで、ライバルの能力を過小評価しようとする人がいます。

こういう考え方の人が多いと思うのですが、なかには逆の考え方をする人がいるのですね。

「あいつのプレゼンは説得力があるけど、自分はぐだぐだになる」

「あいつの企画書は簡潔にまとめられているけど、自分のは焦点が定まらない」

「あいつは決断力があって、大物感があるが、自分は優柔不断な小物だ」

そんなふうに、自分の方を過少評価する人ですね。

どちらのケースも、比較することには、ほとんどなんの意味もありません。

前者は、相手が持たざるものと自分が持つものを比べる行為。
後者は、相手が持つものと自分が持たざるものを比べる行為。

相手より自分の方が優れていると考えるならば、それはあなたの尺度に合わせて相手の人の能力を計ろうとしていることです。

逆に、相手の方が自分より優れていると思うのならば、それは、相手の尺度で自分の能力を計ろうとしていること。

自分が持っていないものばかりにフォーカスし、自分という存在ごと否定することになってしまいます。

相手も自分も別々の個性。別々の評価軸を持っています。

一つの会社のなかに、いろいろな個性の人が集まっているから、おもしろい。集団がパワーを持つ。

自分を誰とも比較しない生き方をしたいですね。


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