みなさんはご存知でしょうか。
ドラマでも、作り話でもない
彼女のような人が世の中にいることを
私もニュースで知りましたが
こんな悲しい話はありませんね。
いつの日か癌が治療できるようになってほしいですね。
私なんぞには希望することしかできませんが
心からそう願っています。
【今日学んだこと】
医療の進歩は最優先事項
ご存知でない方のために、大まかな内容を載せておきます。
第一章 発覚
画面一杯に女性の笑顔.鼻に酸素吸入器を付けています.恋人が撮影しているのでおどけています.長島千恵さん24歳.おととしの秋(2005年10月),23歳の時に千恵さんは胸に異変を感じました.しこりがあったのです.はじめはあまり気にしていませんでしたが,しこりはどんどん大きくなり,ついに病院へ行きました.CT画像で左胸に影がありました.それは乳がんでした.すぐに抗がん剤の投与が始まりました.当時イベント・コンパニオンをしていた千恵さん.副作用で毛が抜け落ちることにショックを隠せませんでした.2006年春,ウィッグを付けて事務の仕事をする千恵さん.彼女を支えたのは父の貞士さんと恋人.
第二章 出会い
恋人は赤須太郎さん(30歳).IT関連企業に勤務しています.年上の彼の前ではしっかり者の千恵さんが甘えん坊になってしまいます.彼は仕事を終えて毎日泊まり込みで看病してくれています.二人の出会いは2005年12月.太郎さんの会社が参加した展示会に千恵さんがコンパニオンとして来ていたのです.
太郎「はきはきとして目立った.いい子だなと思った」.
2006年1月,太郎さんは千恵さんをデートに誘いました.
太郎「付き合おうよ」
この誘いに千恵さんの答えは,
千恵「ちょっと待って」
なぜならその時千恵さんは,
胸のしこりの検査結果を待っているところだったのです.
結果は乳がん……
千恵「私は乳がん.あなたとは付き合えない」
目の前で泣く千恵さんを見て
自然に次の言葉が出ました.
太郎「一緒に頑張ろう」
同時に始まった二つのこと.がんとの闘いと太郎さんとの交際.2006年1月長野旅行.2006年5月伊勢旅行.2006年8月福島旅行,北海道旅行.楽しい日々が続きました.でも治療は進みませんでした.抗がん剤が効かず,しこりはどんどん大きくなりました.乳房の切除を迫られました.
千恵「おっぱいのない彼女でいいの?なんで千恵を選ぶの?」
太郎「胸がなくても,髪がなくても,千恵が千恵でいるならそれでいい」
ここで千恵さんのブログが紹介されます.
<生きてますよ>
久々すぎて書くのもためらうほどのミクシィ。
なんと半年以上放置してました。
それは年明け早々人生を左右する出来事があったから。。。
2006年8月、ながしまは休暇をいただきます。
色々やってきたけど、一ヶ月間何もしないのは始めて。
悪いものをすべて取り払って、
9月からはリニューアルパンダです。
この数ヶ月、何度も何度も折れそうになったけど
辛い事と同じ分だけあったかいものももらった。
もしかしたらこれからもっと辛い事があるかもしれない。
でもね、私にはそれをカバーしてくれるほどの
幸せも感じることができるんだな。
それってすごいこと、とってもありがたいこと。
一生をかけて感謝します。
まわりの人を大切にします。
私もみんなを幸せにできるようがんばります。
にゃはーん。
2006年8月左乳房切除.
2006年10月千恵さんは24歳になりました.
第三章 再発
退院後,SEのための勉強を始めた千恵さん.努力の甲斐あって,2007年2月にSEとして採用されました.しかし翌月の3月,また体に異変が生じました.咳が止まらないのです.就職したてで休めない千恵さん,胸に鋭い痛みが走るに至って,ようやく会社近くの病院に行ったのでした.レントゲン像を見た医師が驚いて飛び出してきました.
「なんでこんなになるまでほっといたんですか!早く主治医のところに行って下さい!」
乳がんが胸膜に転移していたのです.2007年3月6日千恵さんは再入院しました.
千恵「またか.でも私なら大丈夫だろう」
ステージⅣの乳がん(他臓器に転移)の場合,患者の5割は3年以内に死亡します.千恵さんのがんもすさまじい勢いで進行しました.
千恵「痛み止めが切れるとのたうち回る.骨が折れそうな痛み.どの体勢も辛い」
骨(激しい痛み)と肺(呼吸困難)に転移していました.
3月28日千恵さんから太郎さんへのメール.
「たろちゃん,ちえ生きたいよ…助けて(;_;)怖いよ」
治らないかもしれないと初めて思った瞬間でした.
第四章 余命
4月4日初めて番組スタッフが千恵さんの病室を訪ねました.仲睦まじい父娘の様子.実は貞士さんと太郎さんはこの五日前の3月30日に,千恵さんの余命を告げられていたのです.
医師「それは一ヶ月……もう少し早くなるかもしれません」
番組スタッフが初めて千恵さんを訪ねたのは,父と恋人が彼女の余命を知った五日後のこと.でも千恵さんは自分の命に期限が切られたことを知りません.
夜,太郎さんが千恵さんをビデオで撮影しています.酸素吸入器を鼻に付けて始終苦しそうな千恵さんの息づかいが聞こえます.
千恵「何を話そうか?」
太郎「毎日何してるの?」
じっとカメラを見据える千恵さん.そして,
「生きてる」
言葉に詰まる太郎さん.
太郎さんは迷っていました.余命を伝えるべきか.結局伝えないことにしました.
「この一ヶ月で最高の思い出を作ってあげよう」
第五章 結婚式
2007年3月千恵さんの願い事はウェディング・ドレスを着ること.友人の湯野川桃子さんにだけ打ち明けていました.
桃子「ドレス姿の写真撮影だけでなく,結婚式も挙げてあげたい」
式場の予約は通常三ヶ月以上前からです.でも桃子さんは必死で探しました.3月31日(告知の翌日)にやっと場所が見つかりました.4月28日に挙げられるところを見つけました.
千恵「そんな先,どんな体調かわからない」
桃子さんはもっと早く挙げられる場所を探して,東京中の式場に電話をしました.その結果,セントグレース大聖堂(東京・青山)で式が挙げられることがわかりました.
桃子「あさってチャペルでドレスが着られるよ」
結婚式前日の4月4日,病室でネイルアートを施される千恵さん.
<再入院>
知ってる人も知らない人も、わたくし再び入院中です。
今回はちょっと長引いていて、気付けばかれこれ1ヶ月入院生活を送ってます。
今まで、病気のことはあえて話す必要はないと思ってましたが、今はもうそんなことはどうでもいい。
むしろ隠すようなことをしてるほうが、不自然だと気付きました。
だからと言って、私こんなに大変なの!なんてことを書く気はさらさらありません。
私には
毎日2時間以上かけてお見舞いに来てくれる父がいる。
娘同然の扱いをしてくれる叔母がいる。
私を含め、親族一同に頼りにされてる頼もしい彼がいる。
岩手や栃木、遠方から遥々顔を見に来てくれる親戚がいる。
ストーカーのように毎日私を気遣ってくれる友達がいる。
私がどんなわがままを言ったとしても嫌いになれないと言ってくれる友達がいる。
まるで本当のママのように不思議なパワーをもって私を包んでくれる素敵な人がいる。
ここが病院であることをすっかり忘れるくらいのガールズトークができる仲間がいる。
「ウェディングドレス着て写真撮りたい」の一言で一生懸命手配してくれた友達がいる。
4月5日に私の体調次第ですが、ウェディングドレスを着る夢が叶いそうです。
幸せです。
当日の4月5日,千恵さんは体調が悪く辛そうでした.でも写真を撮るだけだと思っていた千恵さんに二つのサプライズが.一つは桃子さんが太郎さんとの結婚式を企画してくれたこと,もう一つは太郎さんが自分がお気に入りの結婚指輪を贈ってくれたことでした.以前ブライダル雑誌を見ていた千恵さんが「この指輪いいな」と呟くのを聞いていた太郎さんは,必死に探して前日手に入れたのでした.酸素吸入器を外してとびっきりの笑顔の千恵さん.本当にきれいです.
「このままがんが消えてなくなればいい」
その場にいた全員がそんな奇跡を祈らずにはいられないひとときでした.
「残りわずかな命」
でも千恵さんはその時確実に幸せでした……
<サプライズもいいところ>
4月5日、写真撮りました。思う存分。
写真撮影だと思ってた私に、とんでもないサプライズがありました。
チャペルで式を挙げました。
神父さんの前で結婚指輪をもらいました。
この式は私側の親族と一部の友人のみで正式なものではないけど、「感激」以上の言葉を知っている方いたら教えてください。
私はありえない感動を味わいました。
みなさんに明日が来ることは奇跡です。
それを知ってるだけで、日常は幸せなことだらけで溢れてます。
第六章 父娘
4月10日がんは急速に進行しました.
ここで千恵さんの生い立ちが紹介されます.神奈川県三浦市生まれ,たくさんの恵みがあるように千恵と名付けられました.父貞士さん,母雅代さんの一人娘です.
貞士「たくさんいる赤ちゃんの中で,一番色が白くて器量がいいんだよね.親ばかだね」
千恵さんが小学四年生の時,雅代さんが卵巣がんであることがわかりました.貞士さんは民謡と三味線の師範.千恵さんも歌い始めました.千恵さんが中学三年生の時,母は末期の状態でした.貞士さんは痛みに苦しむ妻の姿を見ていられませんでした.
医師「モルヒネの点滴をすれば痛みはなくなるが,意識がもうろうとして会話が出来なくなる」
医師にそう告げられた貞士さんは苦しむ姿を見ていられず,モルヒネの点滴を選びました.雅代さんは会話が出来なくなり,数日後に亡くなりました.このことが千恵さんに大きな影響を与えました.モルヒネを点滴すれば激しい痛みから解放されます.でもどんなに痛みが激しくても千恵さんは拒みました.
スタッフ「不安はないですか?」
千恵「毎日あります」
スタッフ「良くなったら何をしたいですか?」
千恵「お父さんと旅行に…行きたいです」
でも命の期限は迫っていました.
4月11日のインタビュー.
スタッフ「太郎さんへの思いは?」
千恵「日本語の中にないです.ただの愛でもなく,”かけがえのない人”でも軽すぎる.本当にぴったりの言葉が見つからないです」
スタッフ「お父さんや友だちには?」
千恵「感謝,感謝.そんな言葉じゃ申し訳ないぐらい」
4月11日の夜,友だちと外出して焼き肉屋へ.千恵さんはお肉が大好き.この時に撮ったスナップ写真.これが最後の外出,最後の写真となりました.病室へ戻った千恵さんの容態が急変しました.ベッドに倒れ込みました.
父と娘の間で余命についての会話がありました.
千恵「一年しかもたないって言われた?」
千恵さんは自分の余命を一年と考えていたようですが,実際ははるかに短いものだったのです.
4月13日カメラの前でおどける千恵さん.元気そうなのにはわけがありました.薬がより強力になったのです.すでに鎮痛薬は効かなくなり,麻薬の投与が始まっていました.それを知らない千恵さん.
「調子がいいって言うことはそれを毎日していればずっと調子がいいはずだよね.何をすればいいんだろう?」
第七章 別れ
4月17日体調は急速に悪化しました.父は無言で背中をさすりました.わずか12日前,チャペルで最高の笑顔を見せていた娘の….
父「奇跡を願う」
叔母の加代子さん.9年前母を亡くした千恵さんの母親代わり.その叔母さんに千恵さんは言ったそうです.
千恵「生きてるのって奇跡だよね.いろんな人に支えられて生きてるんだよね.私これで元気になれたらすごい人間になれると思う」
太郎「千恵には,楽しいことがないという日はない」
でも…きらめきの4月はもう終わろうとしていました……
4月27日余命宣告から28日経ちました.効いていた薬が効かなくなりました.脊髄周囲に直接局所麻酔薬を注入して痛みを軽減させていました.父でさえ娘の言葉を聞き取るのが難しくなっていました.
ゴールデンウィーク.去年は太郎さんと伊勢に行きましたが,今年の5月1日はずっとベッドの上.連休中,不思議と千恵さんの体調は落ち着いていました.たくさんの人が来てくれたからかもしれません.
桃子「パンダのシュークリームおいしかった?」
体調が落ち着いているとはいえ,起き上がれない千恵さん.横たわったまま弱々しい声しか出せません.
千恵「パンダ食べたよ」
桃子「わーい!嬉しい!」
友だち「共食いだよ」
桃子,友だち「ふふふっ」
友だち「ますます似ちゃうよ」
千恵「ばかにされてる~」
桃子,友だち「ふふふっ!あははっ!」
こんな会話が出来るのも,千恵さんが痛みをこらえてモルヒネの点滴を拒んでいるから.大好きなみんなと話をするために.その痛みは想像を絶するものだと言うのに.でも笑った後の桃子さんの表情がすぐに曇ります.その表情は千恵さんには見えません.
桃子さんのインタビュー.
「最後まで病室が明るかった.千恵ちゃんに会って話が出来て本当に幸せだなって,本当に心から思った」
5月6日千恵さんは朝から意識がはっきりしません.ほとんど眠った状態でした.
太郎「大好きなアイスをあげても,氷をあげても,全然食べてくれなくて.話も出来ないくらいになって」
叔母「千恵のお母さんが生きていたらきっと千恵もわがままを言えた.もっと”辛いよ”と泣けたと思う.千恵はどんなに泣いても,”もう大丈夫.泣かない.頑張る”そればっかりだった」
親族,友人が集まりベッドの千恵さんを見守りました.
午後4時42分…長島千恵さん永眠.
5月9日闘いを終えた千恵さんの告別式.友だちがお別れに来ました.祭壇の真ん中,そこで千恵さんはウェディング・ドレスを着て微笑んでいます.一月前のあの晴れた日,チャペルで見せたあのとびっきりの笑顔でした.告別式会場の入り口には何枚もの写真.すべて結婚式の時の物.まるで披露宴会場のようでした.
生前千恵さんに聞いたことがあります.
スタッフ「ウェディング・ドレスの次の願いは?」
千恵「なんだろう.いっぱいあるんですけどね.家に帰りたいかな….まず家に帰って,ちょっとみんなを安心させてあげたい」
「家に帰りたい」と話した千恵さん,今やっと家に帰って来ました.
(桜色のかわいらしい骨覆いに包まれたお骨をもって家に入る父の姿)
貞士さんと太郎さん.千恵さんの遺影の前で.
スタッフ「今頃何と言っているでしょう?」
父「がんになったとき,”こんな姿になってごめんね”って,”お父さんごめんね”って言ったんですよ.”絶対に治るから”と言ったんだけど,まさかこんな風になるとは思わなかっただろうね.どういう風に思ってるっていうのはなあ…」
太郎「してあげられるだけのことは全部したので”ありがとう”って絶対言っていると思っています.生きている側としては…もうちょっと話したかったかな…もう一日でもいいから」
長島千恵さん,24年と6ヶ月の生涯でした.
千恵「車いすに乗って,お外へ行って,外の空気はとっても元気になるよ.こんな都会の空気でも」
太郎「ふふふっ」
千恵「外の空気はやっぱり気持ちいいの.風って気持ちいいの.知ってる?」
この時の千恵さんはカメラのレンズではなく,直接太郎さんを見ていました.
第八章 メッセージ
「自分がなるまですごい他人事なんですよね,病気って.病気になってからじゃ遅いんだっていうのをわかってもらって,早いうちに防ぐっていうのがすごい大事だと思うので」
今,この千恵さんのメッセージに耳を傾けてはみませんか?
日本人女性の20人に1人は乳がん.乳がん検診の受診率は日本1割,欧米8割.マンモグラフィーの紹介.1mm単位のがんを発見できる.5分ほどしかかからない.
最終章 絆
太郎さんは週に数回は貞士さんの家に泊まります.千恵さんの部屋です.
千恵さんを偲んで友人達がバーベキューをしました.
貞士「この中に千恵がいるような気がするんだよね」







