医学不要論 | 桂昇のブログ

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内海 聡先生は以前から「医学不要論」を唱えていましたが、箇条書きに簡潔にまとめられたものを見る事はありませんでした。


ズバリ、以下の10カ条です。


内海 聡のFB より 2014/9/27


https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/691510240932732


医学不要論1
本当の医学とは本質的な治癒をもたらすものであり、それ以外は医学とは呼ばない。そして病院に行かなくても済む状態になることこそが治癒であり、それ以外を治癒とは呼ばない。人の命を必ず救うことはできないが、人の命を奪い尽くしているだけの現代医学は医学ではなく、ただの殺人学である。そして本来の医学は人を幸せにするものではなく、悲しみと幸せが並列する存在である。


医学不要論2
イガクムラの正体を知るべきである。それは単に行政や医学界だけではない。そして現代医学者の誰も病気を治すことはできない。それは代替療法の医学者であっても大半はそうである。イガクムラを一度完全に解体してしまって、真に価値のある医学、真の治す医学者が現れることを切に願う。私は医学者ではなく告発者であるにすぎない。


医学不要論3
先進国において最も多い病気であり死因であるものは「医原病」である。しかもそれは氷山の一角なのである。現代医学のほぼすべてに科学的根拠はなく、それが対症療法(アロパシー医学)を生みだすもととなる。あなたが知っている検査の安全性は嘘であり、あなたが信じる教科書たちは嘘である。その教科書や論文たちは常に捏造と情報操作に満ちている。


医学不要論4
現代医学が病気として扱っている定義は、そのほとんどが間違っていると言ってよい。それらは原因や因果関係がはっきりしないものばかりで、病気に対する定義となりえていない。人間はもともとそれらの病気にはかかりにくい生物であり、病気作り、基準の捏造による偽の病気や、化学物質、環境物質、栄養素などによる様々な問題点を振り返り、真の病気を明らかにして定義していく必要がある。


医学不要論5
西洋医学の薬のほぼすべては何の解決ももたらさず、医原病をさらに悪化させる源である。その薬と呼ばれる物質が開発されてきた思惑と裏側を知ることが肝要だ。それらは完全に否定することはできないかもしれないが、ほぼすべては意味一つない物質である。薬とは単なる毒であり、薬に作用や副作用があるわけでもない。それらは明確に一つの方向を向いている。


医学不要論6
代替療法には大いなる可能性がある。しかし代替療法にも誇大主張や落とし穴や不完全さ、また得手不得手があることを忘れてはならない。西洋医学が否定される理由は代替療法よりよほど下だからであり、代替療法が非常に優れているからではない。まだ人類はこの分野において大いなる発展の可能性が残されている。代替療法の功罪という視点をあらゆる人々が持つことを望む。


医学不要論7
生命の輪、生命の外の輪、精神の輪を感じるべきである。それは常に生命と健康の根幹をなす。ただ道具に頼り栄養素は排毒だけに頼ってはならない。精神だけですべてを解決しようとしてもならない。人間にとってのアイデンテティと心身一如の言葉を、今一度思い起こす必要がある。


医学不要論8
社会毒とは何であるかを徹底的に知ることである。社会毒をすべて排除することは難しいが、日本は世界の中でもトップの社会毒に暴露されている国であることを自覚せよ。それを排除しない限りいくら医学や薬学や栄養素や他のものに知恵を絞っても、決して人々に健康が訪れることはないであろう。


医学不要論9
健康保険はほとんどが無駄である。命にかかわらぬ、命でなくても重大な身体的損失にかかわらぬ治療は、保険として認定すること自体、保険の意味を逸脱している。日本の医療費を半分以下にすること、そして半分以下にしても人々が洗脳から解かれれば、今までよりも幸せで病気にならぬことを、医学不要論は提唱する。


医学不要論10
「彼ら」が何者
であるかを知るべきである。「彼ら」は医学の世界だけでなくあらゆる世界に影響力を持つが、医学や薬学に代表される産業は、人の善意に付け込むので騙されやすいのである。医学は「彼ら」の名のもとに、製薬業界を手下として、精神医学や心理学を支配ツールとして、人々の心を洗脳していく。深い洞察と探求と調査、そして金銭に支配されない精神構造だけが、それらを打ち破るカギである。