頭の中が騒がしい。

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 頭の中が騒がしくて、どうにも集中できない。

 そういう時期が、一年のうちで何度かある。季節によって、集中力とか、気分とかそういうのが影響されていて、そういった研究もしっかりと存在しているのだろうけど、調べるのも億劫。

 僕は毎年あたふたして、何とか突破口を探して、持ち直すのだけれど、ちゃんと自分の中でマニュアルなり、調べるなりして「準備」をしておけば良かったと思ったりもする。

 じゃあ、「調べるか」となるのかと言うと、また癖である。

「たぶんこれをすればいいのじゃないだろうか?」的なことを幾つか繰り返し、そして夢中になって、集中できていなかったことなど忘れてしまうのだ。

 それでいいような気もするし、ちょっと効率的じゃない気もする。だから、今、少し立ち止まって、考えてみるのも暇つぶしなのかもしれない。

 今までの勘で言えば「ただ書けばいい」ということになる。僕は小説を書きたいだけなので、それにのめり込めさえすれば「集中できない」なんて状態はやはり忘れるのだ。

それをカバーする理屈もいくつか知った。

例えば「やる気が起きるまで待とう」っていうのは、原理的に間違いなのだそうだ。

どういうことかといえば、脳科学的に言えば、

「人はやり始めないとやる気は出ない」らしい。

脳は、出来るだけ「今の状態を維持」しようとするので、そこでまた新たなことをするというのはとても大変な作業なのだ。

だから、いやいやでも、五分なり始めてみると、「いつのまにか集中している」っていう状態が生まれるのだと。

また別の理屈だと、「習慣」にしてしまうということ。

目覚めた後、毎日一時間は机の前に座って書き物をするみたいなことを、毎日続けていくと、それをしない日があると、逆に気持ち悪くなってしまうらしい。

そこも「日常を維持しよう」と、自分なりのメリットを無意識に続けていることみたい。人間の癖みたいな。

だから、単純に、毎日の習慣に「書き物」を入れてしまうこと。そしてやる気が起きなくても「はじめてしまえば」勝手にやる気が起こって、創作しているという状態になるのだと。

ふむ。いや、それはしているのだけれど。

たぶん、今回の敵は「季節的なモノ」なので、そういうのを調べてみようかしら。

でも、実は違って、「なぜ散らかっているのか」という問題なのかもしれない。

その理屈を考えた時に、思い当たるのが、今また「長編の準備」をしているので「長編脳」になっているのではないか? ということ。

物語が「大風呂敷」なので、あっちこっちに「要素」を貯めこんでいて、そして書きあがるまでに時間がかかるので既に「へとへと」な気分なのかもと。

物語自体にのめり込んでしまえば、もうそれはグイグイ行ってしまうので、それ以前の準備なり始まりの時に、こういうことが起きるのではないかと。

なら、ちょこちょこと掌編なり、短い物語を書いていくのもまたアリの気もするし、まあ、そこはグッと我慢して、グイグイ地点まで書き進めるのも手なのかもしれない。

ああ、これもあれもしたいと。また騒がしい。

たぶん季節的なものかと……。

 

 

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さよならピノコ

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 十年間、我が家の愛車として活躍したピノコを手放す日が来た。

 実家に住んでる父親が車を乗り換えるので、今まで乗っていた車をもらうことになったから。

 

 僕は車をほとんど運転しない。

 免許を取ったのも二十代後半だし、自動車学校にいた頃から「免許を取ったら車に乗るのは止めにしよう」とすら思っていた。

 とにかく運転が嫌い。免許返納すら考えた。

 僕は普段、原付バイクに乗ってる。

 

 ピノコを運転するのは妻だ。

 十年間、妻が運転していた。

 結婚する年に、

「車が欲しい。これからの結婚生活には自分の車が必要」

 と思い描き、貯金額とにらめっこしていた時に、車プレゼントの懸賞に当たった。

 レンタカー屋で何気なく答えたアンケートだった。

 妻は応募したことすら忘れていた。

「運命に味方されている」

 とさえ思った。

 

 

初対面のピノコ。まだぴかぴか。

 

 日産ピノだから「ピノコ」と名づけた。

 軽自動車。色も選べて緑にした。

 懸賞に当たったときに約束事があった。二年は転売しないで乗ること、車検などは自分たちで支払うこと。

 

 僕たちは十年間で、東京、長野、神奈川と、このピノコとともに生きてきた。妻の絵画教室も、絵の搬入も、映画のロケハンや、撮影も、何気ないドライブも、日用品の買い物もピノコと一緒だった。

 

旅先で迷子

 

ピノコから撮った夕焼け

 

「スペアキーな冒険」撮影時

 

ピノコから降りて眺めた夕焼け

 

 修学旅行ぐらいしか、旅行をしたことなかった僕は、妻とピノコで沢山の場所へ出掛けた。

 

 あの不幸な震災の前日、

 2011年3月10日。

 僕たちは東北方面へ向けて車を走らせていた。

 高速道路で小石が飛んできて、フロントガラスに小さなひびが入った。

「なんか不吉だね」

 日光で用事を済ませ、翌日観光をしようと思っていたのだけれど、フロントガラスのひびは徐々に広がり始めていて、気にかかり、帰宅することにした。

 そして高速道路で都内へ向かっている最中、あの不幸な地震が起きた。道路沿いの街灯が激しく揺れていた。

 高速は他に入ってくる車が遮断されたのか、僕たちは比較的スムーズに帰宅できた。

 ピノコに助けられた気がした。

 

帰り道の車が走っていない高速

 

最終的にひびはここまで広がった

 

 

 長野では雪が山のように積もった。

 それをスコップで振り払ったりした。雪かきして、ピノコが走れるように道を作ったり。

 

リーゼントのように積もった雪

 

 色々と思い出深い。

 僕たちに余裕があるのなら、大きなガレージを用意してずっと飾っていたかった。けれど、別れを決めた。

 

 当初、父親に、「車をあげる」と言われても、僕たちはピノコに乗り続けようと思っていた。だけど、そんなある日、コインパーキングから出ようとしたときに、ガードレールにピノコをぶつけてしまった。

 実際、見晴らしもよく、ぶつけるようなところじゃない場所での出来事。妻は動揺した。ガードレールは無傷。でも、ピノコのバンパーが破損してしまった。

「これはダメかも」

 

破損したバンパー

 

 修理工場に画像を送って見積もりをお願いしたら十六万。

「父さんに車もらうことにしようか」

 

結局、ピノコはネットオークションで同型のバンパーを手に入れて、修理工場に持っていったら、作業代は一万五千円で済んだ。

 けど、今回の流れもきっと「何か」なのだろうと、ピノコとの別れを決めた。

 ピノコが教えてくれる。今がその時。

 けれど、別れるのは辛かった。

 誰か欲しい人はいないか、妻は兄妹に電話したが、僕たちのオンボロピノコは「大丈夫(笑)」と行き先が決まらず。

 結局、査定に出すことに。

 

所々に傷が目立ち始めて

 

 十年乗って、八万キロ走っている軽自動車だと値段つかないと言われたらしい。

 査定前に、感謝を込めて二人で洗車した。中を掃除機で吸い込み、雑巾で拭いた。

 

洗車場にて 

 

 三社に査定してもらい、結局二万二千円で引き取られることになった。

 査定のとき、

「この屋根の傷、なんですか?」

 僕たちはキョトンとして、屋根の上を見た。

 それは雪かきをしたときに出来た傷だった。気づかなかった。

 僕たちの思い出が、集約した形として存在している。

 

屋根の傷

 

「寂しいね」

 と妻が言った。僕もそう思った。

 

 誰かの手に渡り、また元気に走ってくれるといいなと思った。

 

 僕たちは玄関にピノコのミニカーを飾っている。

 宝物。

 

 

 

ミニカーピノコを、ピノコに乗せて最後のドライブ

 

ピノコとのお別れ。

ありがとう。

 

 

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大人なので。

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電子書籍を二冊、キンドルから出しました。

14日まで無料です。(6/9夕方~6/14夕方まで)

 

掌編小説集と

 

 

長編小説です。

 

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こう、何かを発表して、宣伝をするときに根っからの人見知り根性が

僕を卑屈にするのですが、もう大人なので、逆に開き直って、

「それはそれでしょうがない」

と思うことにしました。

 

いい感じ、大人。

若者に「そんなんじゃダメだ」って、言われても、

無言で何かを考えているふりをします。

けど、実際は若者にダメだとも言われない。会わないし。

なので、無言で何か考えているふりをする必要もなく、

黙々と小説を書くことにしました。

 

ということで、今日も僕は小説を書いています。

書いて、発表して、書いて、発表して。

そんな感じで、生きていけたらなぁって。

 

こういうときにきっと言い訳をするとかっこ悪い。

読んでもらうことばかりに気をとられると、書くことがおろそかになる。

とか言っちゃうと、また自分で落ち込む。

じっさい、そうだとしてもわざわざ誰かに伝える必要もないし。

そうじゃないのかもしれないし。

 

誰も期待してないし、話題にもならないしとか思うのも止めて、

小説を書くことにしました。

ブログもフェイスブックもツイッターも、更新頻度が「適当」になりました。

生活も、健康管理も、日銭の仕事も、「小説を書くことに繋がるように」と思っています。

そうではなかったとしても、ふと「空っぽ」な感じになったときは

小説を書くことに繋がっていると思うことにしました。

余計なことを考えても「小説になるかも」と思うことにしました。

 

いつかまた、映画を撮るとして、そのときのためにカメラを買うときが来るのかなぁ

とか思うと「小説になるかも」と思います。

 

 

でも、そう思いつつも、そんなに書けているわけでもなく。

けど、そんなことも気にせず、自分なりに自分の精一杯で、自分の心を振るわせています。

遅い、早い、上手い、下手、色々あるだろうけど、別になにかと比べる必要もないさと、

僕は小説を書いています。

小さな手帳だったり、なにかの紙の隅だったり、スマホのメモ帳だったり、

パソコンの画面なんかに、長いの短いの、一文やアイディアとか構成とか、

ちょこちょこ書いて、小説になっていきます。

 

そうやって生きて、ゆっくりとじわじわと衰弱して、フッと消えてしまう。

そんな理想。

 

なので、今もこれからもどこかに僕の小説が散らばっているので、

いつでもいいので、読んでくれたら幸いです。

僕も誰かが読んでくれているのかもと思いながら書きます。

 

グッとぶるぶる。

 

 

 

 

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体調大事。

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体調を崩す。

喉が痛い。鼻水ズルズル。身体が重い。頭もボーっとする。

そういう時はきっと、ゆっくり休めばいいのだけれど、

「このまま一生、体調が悪いままなんじゃないのだろうか?」

と怯え、余計に、なにか書こうとしたりする。

けど、全然手につかない。

手につかなくなることによって、

「ダメだ、今まで出来ていたこともやれなくなってしまった」

とオロオロ。

落ち込む。

 

落ち込みながら、「いや、でも今できる精一杯をやるしかないだろう」

とか考えながら、頑張ろうとするのだけれど、

もう仕事から帰ってきたら寝込む。起きれない。

そんな日々を数日繰り返して、やっと病院へ。

ちょっとした風邪と花粉症。薬もらって、体調も良くなってきた。

で、ちょっと今書いている小説の続きが書けてホッとしたり。

いやはや。

 

今月は夫婦揃って、そんな月だった。

嫁は僕が仕事中に、部屋の掃除をしようとして、突然背中に激痛が走って動けなくなった。

そういう時に限って、宅配便が来たり、電話が鳴ったりして散々だったらしい。

その後、風邪をひいてダウン。予定もキャンセルしたり。

 

色々とペースが崩されて、半月近く体調も思わしくない中、

けど、まあ、実際良かったのかもしれないと思えるようになってきた。

自分では気づかないうちに、なにかしら本意ではないことに頭を突っ込んでいることって、今までも何度かあったのだけれど、今月、体調が悪かったせいで、ぜいぜい言っている間に、最小限のことしか出来なくて、

で、制約の中で動く分だけ、大事にしたいことが分かってきたり。

もう、あれやこれやしている間に時間が流れて行くのは、まったくもって本意じゃないので、どうしたいかをしっかりと考えながら、その訓練が積み重なっていけばいいなと、思っております。

 

体調大事。頭が痛いだけで、なにも出来なくなる。

そうなると、日ごろから食べるものとか、運動量とか、時間配分とか、会う人とか、見るものとか、逆に見ないものとか、使わないものとか、自分の性格や資質にあったルールを決めて、試して、たまに更新しながら、これからも何とかやっていければなと考えたり。

 

また、少しずつ積み上げていこう。

ちょっとでも書く。心を込めて書く。

その積み重ねで必ず毎回、「物語」は完成に近づいていく。

 

 

そんな日々、ライトのまなざしに癒され。

 

 

海は綺麗で。

 

散歩中、傷ついたカモメを見つけ、

 

 

ライトの水をあげたり、(凄い飲むの)

 

 

警察に頼んだら、動物病院へ届けてくれました。

 

 

朝五時起きで、抽選に並んで、

 

 

喜びの当選!

 

大切に持ち帰りました。

 

 

日陰でライトが待っております。

 

新年ですら。

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物語を書くときの自分なりの手順て言うのか、そういうのがやっと確立されてきたというか。

「こうやって書くのが、一番乗れる」ってのが分かってきた。

もう、ずっと物語は書いてきているのに、やっと。

なので、今が一番書いてて楽しい。沢山書ける気がする。

 

と、同時に色々と別の悩み事もボチボチ。

もう悩み事なんてないんだってフリをするのも嫌になるぐらい、

ヘトヘトな気疲れ。

でもまぁ、何事も自分で複雑にしているってよく言いますが、

たぶん、今回のもそういうことで、シンプルに考えれば、

「まあ、こうすれば良いよね」ってのは分かるわけで。

 

だいたい、僕は小学生と中学生の時、合計、八年間もサッカーをやっていたのだけれど、なぜ、そんなにやっていたのかと言えば、

「辞めたい」の一言が言えなかったからでして。

 

とっとと辞めてれば、もともと一人作業の好きな僕は、余計な苦しみに対しああだこうだと自分を言い聞かせながら補欠の日々を過ごすことは無かったわけでして。

 

そういった似たような苦しみはずっとあって。それらはなぜ、言えなかったのかといえば、意識的にしろ無意識にしろ、きっと他人の言葉を怖がっていたから。

他人の言動が、僕自身にものすごく影響が及ぶんじゃないのかと錯覚していたから。

しかし、長年、不寛容な言葉や、偏屈さや横柄なものに対し、嫌悪を抱き続けたことに、やっとこ気づいた(なぜか今まで対抗していた)僕は、二つのことを考えるわけで。

 

自分を変えるか。そこから離れるか。

 

そういった作業や、展開について行動することは、なかなか面白いことだったり発見があったりするので、そこはなかなか。と、思いつつ、腹は立てているので、胃を痛めてゲップが出る。

 

最近は、色々と展開が早い。

ライトも成長が早い。うちら家族の生活はとても充実。

嫁とライトと海への散歩も楽しい。

この前、四万字越えの物語は、書いててなかなか面白かった。

今書いてる長編は九万字を超えてる。

これ書いたら、また二万字の物語を書こうと思ってて、とにかく小説を書いていることが楽しくてしょうがない。

僕の楽しみが、もう「小説を書くこと」になってしまったので、

お金もかからないし、あれがしたいとか、「うまく書けない」などと悩むことも無くなった。

それが最近の、喜び。

 

今年も幸せでありますように。

 

 

 

 

 

原宿へ。

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この前、久しぶりに嫁と都内へ。

飯野歩監督の最新作の都内上映に原宿まで。

こういう上映の場自体、久々なので十年ぶりなんて方にもチラホラ。

 

「落研冒険支部」と言う作品。

テンポが良くて、役者さんもノビノビしてて、映像も綺麗。話も面白くて、音楽も映像とマッチして、それに女の子の声が良かった。

耳に残る声ってあるなー。むずむずする。

ずんずんと興味をひかれちゃう声。心地いい。

ああいう声も才能なんだろうなぁ。

 

飯野監督は、自身がかなりな腕前のカメラマンなので、監督兼撮影をやることが多いんだけど、今回は別の方。

そう言った意味で、その撮影の方もきっと要求にこたえて、あのハイクオリティーでだし、きっと凄い腕なんだろうなぁとか。

そのカメラ別の人効果は、演技にも出てるんだろうなぁとか、まあ、色々と思って、楽しい。

才能がノビノビしている作品って、スゲーと。

あの暴力的な心地いいテンポは個性。他で見られない。

嬉しいなぁ、新作見れて。

スゲーですよ。貴重。

 

その時、「ガソリンゼロ」のDVDを頂いた。

僕が貰っていたのがビデオテープだったので、「綺麗なの見たい」「販売してたら買う」とか機会があるたび欲しがってたら、わざわざ。

もう喜びまくって、うちで見まくり。

飯野さんは「DV撮影で画質が……」とか言っていたんだけど、勿論、僕の持ってたテープのより綺麗で、テレビをシネマモードにして観たら、また綺麗な感じになって惚れ惚れ。

いつか誰か「ウルトラ8Kディマスター」とか、派手な名前のそんなので修正したものを販売してくれないかしら。買うので。

いやー、これ凄いなぁとまた感心。

ホントこれ凄い。このテンポと、編集、グッとくる奴。

 

原宿は人が多かった。

都内はしばらく、用事でもないといかないなぁ。きっと。

 

映画また撮りたいなぁとか。

でも、前はあと七本ぐらい撮りたいとか思ってたんだけど、物語を小説でも作り始めてからは、あと一、二本かしらと思ったり。

もう、青春や距離とかじゃなく別の視点が欲しい。それに映画じゃないと、グッと来ないものってきっとあるから、それを詰め込んだものをやりたいなぁ。いつか。

映画は共同作業だし、機会がないと。

なにげに甥っ子の結婚式ビデオに、映画フラストレーションを発散させてて、「新作つくったばっかだしモード」でもあって。

まだなんだろうなぁ。まだいい。

 

最近は、また引き籠もりから、人に会う日々になってきて、で、「毎回こういう問題起こるよなぁ」ってことがありまして。もうさすがに、自分で決着つけたいなと。心持の問題。それをうまく捌けたら、映画の演出のやり方も、もっと変わるんじゃないかしらと期待したり。

 

で、ここ最近は、「二万字程度」の物語を体に身に着けたいと思っておりまして。いつも、ちょこちょこ楽しみで書いてる掌編小説が二千字程度なので、どんなぐらいかと。

で、一度試しに感覚で一本書いてみたら、一万字弱だった。

ふむ、これだと足りないのかと。で、構成からいくつか用意してみて、たぶんきっと、映画の脚本程度がだいたい二万字ぐらいかなと、それぐらいのエピソードを用意して書き進めております。楽しい。

二万字に慣れたら。次は十万字ぐらいに慣れたいな。

 

死ぬまで、すっからかんの、すれっからしになるまで、自分の中の「物語」を搾り取ってしまいたいわ。

 

 

落研冒険支部はまだいくつかの映画祭で上映があるらしいです。

公式サイトへhttp://ochiken-bouken.blog.jp/

 

 

 

飯野さんのカメラマンとしての凄さがわかるPV(監督は松田彰さん)

Love matters / SHANTI

 

 

 

僕が昔書いた脚本を原作に製作された飯野歩監督の

映画「ガソリンゼロ」が久々に上映されますっ。

今週末の29日。土曜日。

 

 

飯野監督は、最近新作映画を撮りまして、

その作品の都内お披露目上映が開催されるということで、

そこでの上映になります。

 

 

新作の「落研冒険支部」はこの前、京都国際映画祭でグランプリを受賞されたそうで、

これはまた、僕もものすごく見たいと思っている作品です。

 

その他、過去の作品も上映されるということで、とにかく必見ですっ。

 

落研冒険支部・公式サイトhttp://ochiken-bouken.blog.jp/

 

 

いやー、伝わらないなー。こうやって、宣伝を書いていると、どうしても白々しくなってしまうので、なんつーんでしょ、悔しくもあり、情けなくもあり、反省もあり、って、

「ガソリンゼロ」に関してはもう十二年も前の作品になるのですが、原作者特権で、ビデオを頂いていて、それをDVDに焼いて、ことあるごとに眺めては「いやー、面白いなー」って、毎年数回、いまだに見続けております。原付バイクのフィギュアを買って、ガソリンゼロのバイクの色に塗って、棚の上に飾ったりしてます。

 

 

一応、その脚本をもとに僕も小説に直したりしてみたんだけれど、その当時の勢いっていうか、熱量っていうか、あの映画はもう宝物です。

ビデオも出てないし、上映もなかなかされないので、

貴重だし、必見です。

 

それと、僕ら夫婦が安曇野に引きこもっているとき、訪ねてきてくれたのは二人なのですが、

そのうちの一人が飯野さんでした。

なので、久々の新作、そしてグランプリもすごく嬉しいんです。

 

今年は「シン・ゴジラ」と「落研冒険支部」と「ガソリンゼロ」で。

(こう、落とすと白々しいんだよな……いや、マジな気分す)

 

「落研冒険支部」都内初お披露目上映会

◯日 程:2016年10月29日(土)
  
◯入場料:1000円(入退場自由・一部無料上映予定)

◯会 場:シアター CAPSULE 30席 + スツール8席
     渋谷区神宮前 2-27-3  ハウス神宮前1F 
     http://capsule-theater.jp/

◯プログラム

 13:00 <特別上映>(特別上映のみ無料上映)

 14:20 「落研冒険支部」 <上映後、関係者ご挨拶予定>

 15:15 「ハズしちまった日。」(2001年作品)

 16:15 「落研冒険支部」

 16:55 「ガソリンゼロ」(2004年作品)

 18:15 「落研冒険支部」 <上映後、関係者ご挨拶予定>

 19:10 「落研冒険支部」

※上映後のご挨拶には”田丸礼奈”役を演じた小園優さんのご出演を予定しています。

※上映会冒頭の<特別上映>の内容については、当日会場にてお知らせいたします。今回だけの上映になる作品が多いので、この機会にぜひご覧いただけたら幸いです。(このプログラムのみ無料上映になります)

※プログラムは変更になる場合があります。詳細は公式サイトまで。

落研冒険支部・公式サイトhttp://ochiken-bouken.blog.jp/

 

 

 

みつかる

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資格証ないなんて、前回騒いでましたが、出てきましたよ。

うちの嫁が掃除をしていて、なぜかプリンターの裏あたりから。

あんなに探し回ったのに、出てくるときはさらっと出てくるのね。

これはこれでまた「このままでいいのか」話になるのだけれど、

それはそれで、なんとでも言えるのです。

これから先、きっと「みつかる」というスタンスで日々生きていこうと。

 

ライトも大きくなって来ました。

 

テーマ:

 

資格証が数枚入ったカードケース紛失。

でもま、今は必要ないし、いいかなと思いつつも、運転免許みたいに名前と顔写真が入っているので、拾われたらそれで、ちょっと恥ずかしい。

 

「なにこれ?」中を開くと「こんな奴がこんなん落としたんか」と興味を失い、ボイッとまた捨てられる。

道端に再び放置されるカードケース。雨にぬれ。人込みで踏まれ……。

 

そんな妄想をして、凹む。

見つけなければと、落としたであろうファミレスとかお店とかに、電話や、直接訪ねて確認してもらったりしたけど、出てこない。

一応、警察へ届けを出す。

きっと、いろいろ調べれば再発行とか出来るんだろうなと思いつつ、タイミング的にはその資格証があると、ある意味「こういった選択肢もある」って、自分が思っちゃうかもと考える。

つまり、「このままでいい」って象徴なのさと、思うことに。

 

でもフッと過るのは、踏みにじられ、雨に濡れ、見くびられている僕の名前と写真……。

まあまあ。

 

しかしまー、蒸し暑いですなー。

僕は何かの占いの、何かで(全部うろ覚え)、「木」らしいんですが、だからきっと湿度が苦手なんだと、自分を言い聞かせるんすが、

腐るまいと、日々過ごしております。

 

けど、物凄く暑いのも、寒いのも苦手だし。

その場合は「木」とかじゃなくて、色々理屈をつけていくことが出来そうな気もする。

動物占いだとか、子供の頃の記憶とか、出身地とか、親の口癖とか

「父親が寒さの悪口言う癖がありまして、僕もその影響で……」って、なんじゃそりゃ。

つまり、「適温好き」の「ただの文句ったれ」みたいな自分に気づいてしまう前に、

「ああ、今日は蒸し暑いんだ」

と、素直に、事実だけを感じていようと。今思う。率直。

まあ、色々と関連付けて考えるのが楽しいんだけどね。

 

「くそ、今日は曇りか、きっと鬼がヘソを舐めるぞ」

って、意味不明だけど、じわじわ。

 

意味のないことをずっと書きたい気分だけど、

きりがない。退散します。

 

 

 

電話を待つ

テーマ:

 

 

電話を待つ間、僕は何も出来なくなる。

折り返せばいいじゃないかと思うのだけれど、それではいけないと思い続けている。なぜなんだろう。

ふと、どこかへ出かけようと思うのだけれど、その間に電話が来たらどうしようだとか。考えて動けない。

僕は、その電話を受けて、メモを取りたいのだ。

なので、メモをすぐ持てる状況にいたい。

そうなると、ポケットにメモとボールペンを入れて、歩かなければならない。

出来れば静かな場所で電話をとりたい。

聞き逃しが無いようにしたいからだ。

 

間違って認識して、誰かに迷惑をかけてしまうかもと思うことが怖いのである。神経症。

 

結局、一日をそんなことを考えながら、家でボケーっと過ごしてしまう。そして、電話が鳴らなかったりするのである。

 

人生とは、そういうものです。と誰かが言った。

何とかしないとなと、鳴らない電話が答えていた。