武頼庵のブログ

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 九州では梅雨のような天気が続いています。
 各地で土砂災害が発生しています。
 命を失った方々の霊がキリストのみもとに招かれ慰め、癒やしを受けますように。
 また、残された方々の上にも慰めと癒やし、そして励ましがありますように。

 空気、風、雲、雨が癒やされますように。
 地球そのものが癒やされますように。


 さて、ごきげんいかがでしょうか?


 手術の翌日から歩行をするように言われていたのですが、これが大変!
 先ず、ベッドから起き上がるのが一苦労。
 痛み止めは使っているものの全く痛みが無いわけではない。
 ベッドの手すりを持ち、おなかの痛みを堪え、できるだけ痛くない姿勢を探しながらゆっくりと起き上がる。(実はベッドに寝る時の方が痛みが強いです。)
 当然最初は看護師さんが着いてくれるからいくらか安心ではあるが立ち上がるのは自分。
 痛々しい自分の姿が情けないと思うが開き直るしかない。

 サンダルを履いて立ち上がると点滴の袋などを下げた移動用のスタンドの手をかけるところを持ち体のバランスを取る。
 一歩でも歩けるだろうかと心配になる。
 一歩踏み出す。
 何とか踏み出せる。
 二歩目を踏み出す。
 これも大丈夫。
 大きくため息をつく。
 続けて一歩、一歩ゆっくりと足裏に体重を十分にかけながら歩を進める。
 転倒したら傷口が開く可能性があるので慎重に慎重に歩を進める。
 病棟の廊下を一周するのだが、約150メートルくらいだったと記憶するがものすごく長く感じる。
 4分の1も進んだだろうか。
 ここで別の不安が頭をよぎる。
 無事に歩いて病室に戻れるだろうか。
 でも無事に戻れた!
 あ~っ!!(表現としては「あ」に濁点が着いたような感じ)

 数日は廊下を一周だけしかしていなかったが、看護師曰く一日に一周ずつ増やしていくようにと。
 あ~、気が滅入るぅ!
 でも、やらねばねぇ。

 この日からおむつとパッドも自分で替えなければならない。
 おむつの中にパッドを入れて当てるのである。このパッドが大便を受け止めてくれる。
 肛門にパイプが入っているので大便は垂れ流し状態である。ただ、食事をしていないので便は出ない。

 便が出る前にガスが出た。5月14日であった。
 ガスが出ただけでもほっとする。
 ちゃんと腸がつながっているのだと素人なりに安心する。これを看護師に報告する。当然喜ばれる。

 翌15日の朝8時前に肛門のパイプが外された。
 まだ、ガス以外便が出ないので少々びびり気味。
 なぜなら便が溜まりすぎて腸のつながった部分が破裂でもしたらどうしようかと思うからである。
 その時の祈りで神様が語ってくださったと思っている言葉。

 「大丈夫だよ。安心しなさい。
  私があなたを作った主。
  全てを知っている。」


 17時45分頃点滴以外の全てのチューブは外されました!

 「主与え、主取り給う。
  主の御名はほむべきかな。」ヨブ記1:21

 余談ですが、ちんこのパイプを可愛い感じの女性看護師に外されたときは小っ恥ずかしかった。
 結構勢いよく外されたのでびっくりしてしまいました!
 「おっ!」と声を出してしまいましたから。


 ところで、その日の内に量はたいしたことはないが大便が出ました。
 有り難かった!

 ノートから
 「肛門のパイプを外し、便がどう出るか不安だったが、主は先ずガスを出すことで私を安心させられたと思う。
 私にとって必要な順番で必要なことをなしてくださる。
 いきなり便と思っても、それは私の願望。その願望に私が振り回される。しかし、私を生きてくださる主は本当に必要なことをしてくださる。
 おそらく手術を受けてくださった主。
 痛んでくださったのも主。
 便をしてくださるのも主なのだと思う。
 全て主なのだ。
 私は私の思いに振り回されることはないのだ。
 
 主よ、有り難うございます。
 そのように受け取っていいのでしょうか?」

 「私の喜びだ。
  私があなたを生きている。」


 「主よ、本当にいやしをありがとうございます。
  あなたに従わせてください。
  Livore ejus sanati sumus」

 (注)livore : 打ち傷によって ejus : 彼の sanati : いやされている sumus : われわれは~である (いずれもラテン語)
  彼の打ち傷によってわれわれはいやされた。
  With His stripes we are healed.   イザヤ書53:5



 パッドの交換は苦痛ではありませんでした。トイレに行ってパジャマのズボンの上げ下ろしと便座に座ったりそこから立ったりするのが痛みがあるので少々苦痛でした。
 痛みについては痛み止めを使えるようにしてあるのでなんとか耐えられます。
 痛み止めはパイプを外した後、飲み薬に変えられました。
 
 おしっこはパイプを通して袋に溜まるようにしてあり面倒ではない。しかし、先述のようにパイプは外されました。
 外された分、尿意を催すと速くトイレに行く必要があるのでしばらくは大変でした。
 とにかく、朝夕一回ずつ歩いて体力を戻すこと。これが目標でした。


 今、2年3ヶ月経ってノートを見て振り返ってみると、耐えるべきところは耐えさせられていたのだなぁ、と感動しています!
 今の私に必要なものがこの時の体験を通して与えられていると思います。

 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
                             詩篇103:2(新改訳聖書)


 では、またお目にかかりましょう。
 お元気で。
 ごきげんよう。


     武頼庵
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 お元気ですか?
 
 接近中の台風が癒やされ静かになりますように。
 もし、台風と共に様々な霊(時に海で亡くなった人たちの霊)がいるのなら、その霊たちがキリストの無条件の愛の中に、永遠のいのちの中に、完全な癒やしと慰めの中に、愛の光の中に、平安の中に招かれますように。
 天のもの、地のもの、地の下のもの、海の中もの全てのものがキリストをさんびするものとなりますように。


 ところで、久しぶりにジャンボ宝くじを買っていました。
 連番で10枚です。
 5日が抽選日だったのですが、さっき確認しました。

 結果は5等と6等でした。
 それぞれ3,000円と300円です。
 元が取れて良かった!

 もし、6億円当たったらどうするかというと、道場とトレーニング施設を作ります。
 たらればですが。

 日が変わって今日8日は私の誕生日です。
 よく今日まで生きてきたなぁ!
 Happy birthday to me!

Here and now.
今ここを精一杯生きることができるように願います。

 では、また。
 ごきげんよう。


     武頼庵
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 かあちゃん、甘えたかぁ。
 そげん思うと過去の満たされん思いの一気に膨らむ。

 イエスさま、かあちゃんに会いたかです。
 「花子とアン」のかよの「郁弥さんにもう一回会いたい」じゃなかばってん、かあちゃんに一度会いたかぁ!
同じごとかよが言うたごと7歳以前のあの日に戻りたか。

 かあちゃんはイエスさまば知らんで死んでしもうた。ばってん、いっじゃいからイエスさまのもとに行かるるごと祈ってきた。そりけん、会わせらるるやろ?
 かあちゃんに会わせてっ!

 会わるる訳のなか。どうして死んだ人と会わるるもんか。
 ばってん礼拝の中に死んだ人ば招くなら会わるるかもしれん。そう言う人がおる話やん。

 えっ、会って良かと?

 あっ、かあちゃん!イメージの中におる!妄想たっちゃ良かたい!

 かあちゃんの甘えんねて言いよんなはる!
 あっ、ばってん甘え切らん。ブレーキのかかる。
 甘えんで良かるうしとかんとでけん。

 何で良かるうしとかんとでけんと?と、かあちゃんの聞きよんなはる。

 おとさんにおごらるるもん。良かるうしとかんとおごらるるもん。

 あ、かあちゃんの良かるうせんでん良かち言いよんなはる!
 かあちゃんの言葉ば疑う。

 あっ、おとさんの泣きながら謝りよんなはる。
 すまんやった。たばこの火ば着けて悪かったぁ!げな。
 いじめられとる時に味方にならんですまんやった。
 遊んでヤらんですまんやった、ち謝りよんなはる。

 おとさんは洗礼ば俺から受けたもんね。そりけんイエスさまば知っとんなはる。ばってん生きとる内は霊的な目は開かれとらんやった。
 それは俺も一緒。
 ばってん霊の目が開かれてくるげっと見え方の変わる!
 おとさんも霊の目が開いたとばい!

 オリは甘えた。
 かあちゃんに甘えた!
 良かるうせんで甘えた!
 その時気づいた!
 オリは神の前で決して良かるうしてこんやった。ばってん、その自分が生かされてそのままで愛されていることが直感で分かった。
 涙が流れた。

 後で気づいた。
 本当に自分で何かをしたい自分と、それを止めようとする自分、つまり良かるうしとく自分に引き裂かれていたが、本来の自分に戻ったと。

 日曜礼拝後の一人瞑想で。



[訳]

 かあちゃん、甘えたいよ。
 そう思うと過去の満たされない思いが一気に膨らむ。
 
 イエスさま、かあちゃんに会いたいです。
 [花子とアン]のかよの[郁弥さんにもう一回会いたい]ではありませんが、かあちゃんに一度会いたいなぁ!
 同じようにかよが言ったように7歳以前のあの日に戻りたい。

 かあちゃんはイエスさまを知らずに死んでしまった。でも、いつからか俺はイエスさまの元に行かれるように祈ってきた。だから会わせることができるでしょう?
 かあちゃんに会わせてっ!

 会える訳がない。どうして死んだ人と会えるものか。
 でも、礼拝の中に死んだ人を招くなら会えるかもしれない。そう言っている人がいるという話ではないか。

 えっ、会っていいの?

 あっ、かあちゃん!イメージの中にいる!妄想でも良い!

 かあちゃんが甘えなさいと言ってくれている!
 あっ、ばってん甘え切れない。ブレーキがかかる。
 甘えずに良い子でいないといけない。

 何でいい子にしていないといけないの?と、かあちゃんが聞いてくれている。

 おとさんにしかられるもん。いい子にしていないとしかられるもん。

 あ、かあちゃんがいい子にしていなくてもいいと言ってくれている!
 かあちゃんの言葉を疑う。

 あっ、おとさんが泣きながら謝ってくれている。
 すまなかった。たばこの火ば着けて悪かったぁ!だって。
 いじめられている時に味方にならずにすまなかった。
 遊んであげなくてすまなかった、と謝ってくれている。

 おとさんは洗礼を俺から受けたもんね。だからイエスさまを知ってくれている。でも生きている内は霊的な目は開かれていなかった。
 それは俺も一緒。
 でも霊の目が開かれてくると見え方が変わる!
 おとさんも霊の目が開いたんだよ!

 俺は甘えた。
 かあちゃんに甘えた!
 いい子にせずに甘えた!
 その時気づいた!
 俺は神の前で決していい子をしてこなかった。でも、その自分が生かされてそのままで愛されていることが直感で分かった。
 涙が流れた。

 後で気づいた。
 本当に自分で何かをしたい自分と、それを止めようとする自分、つまりいい子にしている自分に引き裂かれていたが、本来の自分に戻ったと。



 では、ごきげんよう。



    武頼庵
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