武頼庵のブログ

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 お元気でしょうか?

 更新をしないのに何度もご訪問くださり、本当にありがとうございました。
 心より感謝申し上げます。

 さて、随分寒いですねぇ!
 お元気でお過ごしでしょうか?
 当方、元気に生かされています。


 ところで、今日のタイトル「デイビーの死」ですが、ちょっとだけ退院後に話を進めます。
 5月20日に私は退院しました。
 退院して少々疲れていました。
 何故なら、まだまだ歩く速さや動作は以前とは違い速くできないからです。
 町中を歩く時には安全を考え周りに気をつけて歩きますから疲れます。
 外へ出ますが早々にホテルへ戻りたくなるのです。
 一番大きな理由は大便が近くなったからです。
 後に知ることでしたが「排便障害」、あるいは「頻便」になったからです。
 この辺りのことは改めて書きます。

 そんな日が始まって4日目の6月24日(2012年)に犬の世話を頼んでいたお弟子さんの着信履歴が私の携帯電話に残っていました。
 電話がかかっていた時、私はシャワーを浴びていて着信音が聞こえていませんでした。
 ひょっとしてデイビーが死んでしまったのかと思いつつこちらから電話をかけました。
 お弟子さんが電話に出て「ダメみたいですよ」と言いました。
 「死んでいるんですか?」と確認をしたら「はい」と言いました。
 息をしていないと言います。
 前日電話があったときにハエがたかっていて様子がおかしいと言っていました。
 帰郷するまで後一週間ちょっとと考えていてデイビーの死には間に合うかと思っていたらあっけなく死んでしまいました。

 お弟子さんにお詫びを言ってアジサイの近くに深めに埋めてもらうように頼みました。
 市役所に死んだペットの処分を市役所のどこかの係がしてくれるかどうか聞いてみたが、ペットの処分は飼い主がすることと決められているとのことでした。

 かわいそうなことをしました。
 私は十分にこの犬をかわいがることはできませんでした。
 支配的でした。

 デイビーが生まれて3ヶ月の頃に糟屋郡の宇美町のある方からいただき実家に連れてきたことを思い出します。
 当時私は福岡市に住んでいて一緒にデイビーと住んではいませんでした。
 実家に義母が一人暮しでいて、番犬が欲しいと言っていたので探していたときにもらった犬で、雌の柴犬と父親がどこの犬か分からない雑種の犬でした。
 濃いめの茶色の犬で柴犬の特徴は残していました。
 テレビ大阪から放映されている「和風総本家」に出てくる豆助の毛色を黒っぽくした感じです。
 両前足の爪先から10㎝くらいまで白く、近所の子どもたちからは白い靴下を履いていると言われていました。
 当時はコロコロしてかわいい子犬でした。
 犬を飼うのに必要なものを準備したり、必要な注射を打ってもらったりして義母に預けました。

 デイビーと暮らし始めたのはⅠ年後くらいで実家に戻ってからです。
 1歳になると体は大きくなり、力が強くなっていたので、義母が散歩に連れて行くのが少々大変になってきていました。
 1年の間にデイビーをしつけたのは義母でしたが、うまくいっているとは思えませんでした。
 改めてしつけをしたものの癖は抜けづらいものでした。
 特に飼い主である私の先に行くことを辞めさせるのはほとんどできませんでした。
 他にしつける方法があるのでしょうが、そこまでは手が回りませんでした。

 仕事へ行き、遅く帰ってくるとワンワンと吠えました。
 デイビーの居場所は、義母の部屋の側のコンクリートの土間でした。
 土間の上にプラステック製の浅め(10㎝位)で犬が寝るには十分な大きさの箱を置き、その中に古いバスタオルを敷いて寝床にしていました。
 土間の明かりをつけるとお座りをしてしっぽを激しく振りハァハァと息を激しくして待っています。
 義母は私が帰ったのをデイビーの吠える声で知り目を覚ましていました。
「今やったかい(今帰ったのかい)?」
「うん。」
 そう私は答えてデイビーを見ます。
「今帰ったばい。」
 犬にそう答えてから外に出しおしっこをさせます。
 外に出ることが好きで、その喜びようといったら凄いものです。顔つきが嬉しさでいっぱいの表情になります。
 おしっこが終わると辺りの地面などの匂いを嗅ぎ回ります。たまにその後うんちをします。
 面倒くさいのですがうんちは処理をする必要があります。
 そんな事を終えて、また土間に戻します。そして明かりを消します。

 私は撫でてやることをそう多くはしませんでした。
 犬は嫌いではありませんが、どうしても独特のにおいがあるので、そのにおいが手に移るのがイヤだったのです。
 もちろん、後で手を洗えば済むことですが。
 犬に顔をペロペロと舐めさせることも苦手です。
 でも、飼い始めたからには世話をする必要があります。
 朝夕、もしくは朝晩の散歩、餌やり、糞の始末、体洗い、などなどやることはたくさんあります。
 時々思いました。
「お前、いいなぁ。世話をしてもらって。」
 犬への嫉妬であります。
 母の愛情に飢えている私という人間の嫉妬であります。
 恥ずかしいことですが暴力をふるったこともあります。悲しいですね。
 犬好きの方にはおしかりを受けますが。

 デイビーは死ぬ1年くらい前に両目が見えなくなっていました。
 その5、6年くらい前に片方の目が見えなくなっていることに気づきました。
 その時は獣医師に聞いて山口大学の獣医学部を紹介してもらってそこへ行こうと思い問い合わせをしましたが、何らかの理由で断られました。
 結局その目は見えぬままでした。
 やがて前述したように両目が見えなくなりました。
 また、屋内でおしっこをするようになりました。コンクリートの上とは言え、屋内でおしっこをされると臭いがして、また掃除が大変になりました。仕方なく犬小屋を用意し外で飼うようにしました。 
 その前くらいには一時的におしっこも出ないこともありました。
 食欲が無く、餌を置いても食べないので死期が近いのかと思いました。
 素人の勝手な判断ですが、尿管が結石か何かで詰まっていたのかもしれません。
 水だけは飲んでいましたが、やがておしっこをするようになり、餌を食べ始め食欲も出て元気になっていきました。ただ、家の中でおしっこをし始めると老いを感じずにはいられませんでした。

 そんな時に私にガンが見つかり私は地元の病院に入院。
 その時も前述のお弟子さんにデイビーの世話を頼みました。
 1週間の入院でしたが、家には帰ることができデイビーの様子を見ることはできましたし彼はまだまだ元気でした。でも、手術のために私が家を空けるとデイビーは寂しかったのかもしれません。飼い主に見放されたと思ったかもしれません。
 逝ってしまいました。

 かわいそうなことをしたな、と思う反面、デイビーのために神様に祈ると現れるイメージはデイビーの笑顔なのです。
 デイビーは私にガンを持っていったようにも思えます。
 勝手な私の想像かもしれませんが、そう思えるのです。
 私のガンを持っていき、私の癒やしのために祈るデイビー。
 きっと意味があるのでしょうね。

 また、犬を飼ってみたいと思うことがあります。
 猫がいいかな、と思うこともあります。
 でも、今の状況では無理ですね。
 自分自身さえもコントロールできないのに。
 
 今回は寂しい記事でした。

 寒さが続きます。
 どうぞご自愛くださいますように。

 では、失礼いたします。
 ごきげんよう。


     武頼庵
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 ご無沙汰しています。
 お元気でお過ごしでしょうか?

 さて、先月(9月)27日(土)に初めての芦原会館福岡支部OB会を開きました。
 何年も前から思いはあったのですが、ずっと引き延ばしていました。
 8月に行うつもりが1ヶ月後にしてしまい、やっと開催にこぎ着けました。

 私が参加を呼びかけたのは、現在私と年賀状のやりとりをしている人たちで、計10名でした。
 その9名の内で他に連絡が取れる人がいたら連絡を取ってもらうようにしました。

 当日の予定は、15時から17時まで福岡支部の発祥の場、福岡市博多区東公園にある福岡市民体育館4階柔道場で稽古。
 18時から宴会稽古としました。

 稽古に参加してくれたのは遠路はるばる愛媛県新居浜市から河野誠司君、同県南宇和郡から森岡正知君、糸島市から金山和幸氏、福岡市内から田中秀昭君の4名でした。
 後の宴会稽古に参加してくれたのは、上記の4名に加えて宗像市から河野幸夫君、福岡市内の松尾英明君、江藤直行君、園田君(下の名前知らなくてごめんなさい。ちなみに九州大学の教授です。)が参加してくれました。

 稽古は「サバキ再考」と銘打って行いました。
 皆さんは30年ほど前に覚えた動きは体が覚えていてさすがだなと感心しました。
 今後は更に武術的に意味を考えて稽古をされるとより面白い稽古ができ、また上達されると思いました。
 たとえ師匠の動きでも疑問を持つことがあるもの。当然同じことは私にも向けられるもの。
 その疑問にどう向き合い改善していくか。
 終りのない世界です。

 稽古中の情景を写真に撮っておけば良かったのですが、稽古の集中してしまいほとんど休み無しでやりましたのですっかり忘れてしまいまっていました。
 稽古の後、市民体育館本館入り口前で写真を撮りました。

 前述しましたが、18時から田中君が幹事をしてくれて宴会を行いました。
 博多駅筑紫口近くの「博多さかないち」と言うお店での宴会稽古でした。
 私は22時過ぎまでいましたが、電車の時間の都合で帰りました。
 本当に楽しい一時でした。
 
 来年、芦原先生の命日前後の日曜日に、また開催する予定です。
 
 では、また。
 ごきげんよう。





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 九州では梅雨のような天気が続いています。
 各地で土砂災害が発生しています。
 命を失った方々の霊がキリストのみもとに招かれ慰め、癒やしを受けますように。
 また、残された方々の上にも慰めと癒やし、そして励ましがありますように。

 空気、風、雲、雨が癒やされますように。
 地球そのものが癒やされますように。


 さて、ごきげんいかがでしょうか?


 手術の翌日から歩行をするように言われていたのですが、これが大変!
 先ず、ベッドから起き上がるのが一苦労。
 痛み止めは使っているものの全く痛みが無いわけではない。
 ベッドの手すりを持ち、おなかの痛みを堪え、できるだけ痛くない姿勢を探しながらゆっくりと起き上がる。(実はベッドに寝る時の方が痛みが強いです。)
 当然最初は看護師さんが着いてくれるからいくらか安心ではあるが立ち上がるのは自分。
 痛々しい自分の姿が情けないと思うが開き直るしかない。

 サンダルを履いて立ち上がると点滴の袋などを下げた移動用のスタンドの手をかけるところを持ち体のバランスを取る。
 一歩でも歩けるだろうかと心配になる。
 一歩踏み出す。
 何とか踏み出せる。
 二歩目を踏み出す。
 これも大丈夫。
 大きくため息をつく。
 続けて一歩、一歩ゆっくりと足裏に体重を十分にかけながら歩を進める。
 転倒したら傷口が開く可能性があるので慎重に慎重に歩を進める。
 病棟の廊下を一周するのだが、約150メートルくらいだったと記憶するがものすごく長く感じる。
 4分の1も進んだだろうか。
 ここで別の不安が頭をよぎる。
 無事に歩いて病室に戻れるだろうか。
 でも無事に戻れた!
 あ~っ!!(表現としては「あ」に濁点が着いたような感じ)

 数日は廊下を一周だけしかしていなかったが、看護師曰く一日に一周ずつ増やしていくようにと。
 あ~、気が滅入るぅ!
 でも、やらねばねぇ。

 この日からおむつとパッドも自分で替えなければならない。
 おむつの中にパッドを入れて当てるのである。このパッドが大便を受け止めてくれる。
 肛門にパイプが入っているので大便は垂れ流し状態である。ただ、食事をしていないので便は出ない。

 便が出る前にガスが出た。5月14日であった。
 ガスが出ただけでもほっとする。
 ちゃんと腸がつながっているのだと素人なりに安心する。これを看護師に報告する。当然喜ばれる。

 翌15日の朝8時前に肛門のパイプが外された。
 まだ、ガス以外便が出ないので少々びびり気味。
 なぜなら便が溜まりすぎて腸のつながった部分が破裂でもしたらどうしようかと思うからである。
 その時の祈りで神様が語ってくださったと思っている言葉。

 「大丈夫だよ。安心しなさい。
  私があなたを作った主。
  全てを知っている。」


 17時45分頃点滴以外の全てのチューブは外されました!

 「主与え、主取り給う。
  主の御名はほむべきかな。」ヨブ記1:21

 余談ですが、ちんこのパイプを可愛い感じの女性看護師に外されたときは小っ恥ずかしかった。
 結構勢いよく外されたのでびっくりしてしまいました!
 「おっ!」と声を出してしまいましたから。


 ところで、その日の内に量はたいしたことはないが大便が出ました。
 有り難かった!

 ノートから
 「肛門のパイプを外し、便がどう出るか不安だったが、主は先ずガスを出すことで私を安心させられたと思う。
 私にとって必要な順番で必要なことをなしてくださる。
 いきなり便と思っても、それは私の願望。その願望に私が振り回される。しかし、私を生きてくださる主は本当に必要なことをしてくださる。
 おそらく手術を受けてくださった主。
 痛んでくださったのも主。
 便をしてくださるのも主なのだと思う。
 全て主なのだ。
 私は私の思いに振り回されることはないのだ。
 
 主よ、有り難うございます。
 そのように受け取っていいのでしょうか?」

 「私の喜びだ。
  私があなたを生きている。」


 「主よ、本当にいやしをありがとうございます。
  あなたに従わせてください。
  Livore ejus sanati sumus」

 (注)livore : 打ち傷によって ejus : 彼の sanati : いやされている sumus : われわれは~である (いずれもラテン語)
  彼の打ち傷によってわれわれはいやされた。
  With His stripes we are healed.   イザヤ書53:5



 パッドの交換は苦痛ではありませんでした。トイレに行ってパジャマのズボンの上げ下ろしと便座に座ったりそこから立ったりするのが痛みがあるので少々苦痛でした。
 痛みについては痛み止めを使えるようにしてあるのでなんとか耐えられます。
 痛み止めはパイプを外した後、飲み薬に変えられました。
 
 おしっこはパイプを通して袋に溜まるようにしてあり面倒ではない。しかし、先述のようにパイプは外されました。
 外された分、尿意を催すと速くトイレに行く必要があるのでしばらくは大変でした。
 とにかく、朝夕一回ずつ歩いて体力を戻すこと。これが目標でした。


 今、2年3ヶ月経ってノートを見て振り返ってみると、耐えるべきところは耐えさせられていたのだなぁ、と感動しています!
 今の私に必要なものがこの時の体験を通して与えられていると思います。

 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
                             詩篇103:2(新改訳聖書)


 では、またお目にかかりましょう。
 お元気で。
 ごきげんよう。


     武頼庵
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