武頼庵のブログ

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Facebookの朴龍洙さんの投稿からお借りしました。
こうありたいものです。
朴さん、ありがとうございます😊


「LIKE(好き)とLOVE(愛)の違い」
〈好きになるとは〉
その相手によって
私が幸せになりたいと思うこと。
〈愛するとは〉
その相手が私によって
幸せになってほしいと思うこと。
〈好きになれば〉
自分の欲が生じ、
〈愛すれば〉
その欲を諦めるようになる。
・・・地球が滅ぼされる時、脱出できる宇宙船があると
〈好きな人は〉
自分の隣に乗せたいと思い、
〈愛する人は〉
自分の席を譲りたいと思う。
〈好きだと〉
と聞くと、胸がどきどきするが、
〈愛してるよ〉
と聞くと、涙が出る。
・・・
花を〈好きな人は〉
その花を折るが、
花を〈愛する人は〉
その花に水を注ぐ
〈好きになると〉
笑う日が多くなり、
〈愛すると〉
泣く日が多くなる。
〈好きになると〉
自分のそばに置いて置きたがり、
〈愛する人は〉
その人のそばにいたいと思う。
〈好きになるとは〉
感情が揺れるが、
〈愛するとは〉
魂が震える。
〈好きになると〉
その人が私がいなければ、
大変になるように望み、
〈愛すると〉
その人が私がいなくても
幸せになるように願う。
〈好きになるとは〉
先に歩いているあなたの後ろに付いて行くことであり、
〈愛するとは〉
私の足をその人に合わせて行くこと。
〈好きになるとは〉
その人を諦めた時、失うものは、その相手一人であるが、
〈愛するとは〉
その相手と別れた時、自分が失われたものは、
相手を除いたすべてのものである。
〈好きになるとは〉
この文章を読み、誰かが思い浮かぶこと、
〈愛するとは〉
この文章を読み、誰かに涙が出るほど、会いたくなること。
私たちは〈愛すること〉と〈好きになること〉を
あまり見分けられない時が多い。
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明けましておめでとうございます!

 

1ヶ月に一度の投稿と思いながら、気になりながら今にしてしまいました。

どうぞご容赦をください。

事情は近々書きます。

よろしくお願いいたします。



最近学んだことです。
田中信生先生のメッセージを聴いて「感謝の反対」が何かを知りました。

聴いてみれば、あぁ、そうだなぁ、本当だなぁ、と思う。

思うけれど忘れてしまう。

でも、忘れてしまう自分の存在が愛の神にゆる(許)されている。
感謝を見失う自分が愛の神にゆる(赦)されている。
有り難い、有り難い。

感謝の反対は何だとお思いになりますか?

その通りです。
「当たり前」ですよね。

この「当たり前」を見失い、忘れてしまうのがこの私。
でも、限りなくゆるされていることに感謝です。感謝します。

皆様に感謝します。

遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。

    武頼庵 
    橋爪章一

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 こんばんは。

 お元気でお過ごしでしょうか。

 

 さて、前々回「生きています!」を書きましたが、今日までに思ったことを書きます。

 

 2013年11月16日付けで投稿したブログに「セルフネグレクト」のことに少しだけ触れました。

 私はこの言葉に怖れたものです。

 自分で自分を見捨ててしまうのかと。今思うとほとんど見捨ててしまっていたのかもしれません。でも、まだ今こうして生きています。生かされています(と思っています)。

 

 このところ、この言葉が度々頭の中に出ていました。

 空手の先生たる者はかっこよく、強く、はつらつとしてなどと、私なりのイメージはあるのですが、あるいはそう思っておられる方が結構おられるのだろうなと勝手に思っているのですが、私はそのイメージからはほど遠いなぁ、と思っています。もちろん、空手の先生であれ人であるからには弱さを持っているということを当然のこととしてご存知の方もいらっしゃいます。

 私は、私自身を深く見れば見るほど自分の弱さ知ります。

 この18年ほどの自分は弱さのまっただ中のようだと思います。

 「生きています!」から今日まで考えたり思ったりした中で、良く出てくる過去の光景について考えてみたら気づかされることがありました。

 

 一番古い光景は保育園時代です。

 保育園に通っている頃で、それがいつかは覚えていないのですが、良く思い出す光景があります。

 それは、「うんちのおもらし」でした。

 保母(現在保育士)の先生に「うんちをしたい」と何故言えなかったのか?

 そして、何故おもらしをしたのか?

 幼かったから言葉で言えなかった、と言えばそうかもしれません。でも、良く思い出すからには何か理由があるのだろうけれども長い間分らずにいました。

 私がおもらしした後、保母さんにきれいにしてもらいましたが、そのことについて特別叱られることはありませんでした。

 

 次に思い出すことは、小学校時代のおしっこの我慢でした。

 何年生だったかは覚えていません。ただ、学芸会があっていたことは覚えています。

 この学芸会の最中に尿意をもよおしたのですが、我慢しました。

 先生に、トイレに行かせてください、と直ぐに言えば良かったものの、何故か言えずにがまんしていました。

 おもらしはしませんでしたが、多分学芸会が終わるまで我慢していたと思います。

 トイレに行っておしっこをした時は、本当にほっとしました。

 

 これらの出来事と「直腸ガン」、術後の「頻便の苦しさ」、「セルフ・ネグレクト」、そして気力の足りなさやウツっぽくなるなどの「生きづらさ」が書いていて結びついたような気がします。

 今夜(10月28日)に頻便が続いて(1時間に4回ほど)起き、後半になるとおしりがひりひりして苦しかったです。「感謝します」と心の中で言ってみても辛いものです。でも、何故辛いのだろう、と後半思いが来ました。

 気づいたことの一つは、私は頻便を押さえようとしていたことでした。便がしょっちゅう出ることが余り良くないことだと思っていたことでした。それは、いくら頻便を人に知ってもらっていることとは言えとは言え、もし人前でしょっちゅうトイレに行ったら、ましてやよそのお宅でしょっちゅう行くことにでもなったら申し訳ない気持ちになります。あるいは、仕事の最中にそうなってしまったら、そうなることを断っていたとしても、やはり申し訳ない気持ちになります。ただ、冷静に考えてみたら、「便が出ること」と「便が頻繁に出ること」を混乱させていたようでした。

 「便が出ること」はいいことなのです。そのいいことを「頻繁に出るから良くないこと」と思っていたようでした。

 

 食物を食べ、食べた物が消化され、栄養分や水分が吸収され、それらの残り(表現は色々ありましょうが、今はこう表現しておきます)が排出される。排出される必要があるのです。そのように神さまは私達の身体を設計されていると思います。でも、その排出を色々な理由で止めたり、我慢したりするようになってきたのでしょう。例えば、排便を恥ずかしいものと思わされてきたのなら我慢するかもしれません。でも、我慢し続けると便秘になってしまいます。

 

 私はこの便の排出という大切なことを押さえることが、「思っていることや考えていること、感じていることを言うのを我慢する、押さえ込む」とつながっているように思いました。

 では、何故押さえ込んでしまうようになったのか。

 度々述べていることですが、やはり父親にタバコの火を付けられたことが一番のようです。

 この件については私自身なかなか抜けきれないことであり、私自身に腹立たしくあります。

 心の奥深いところには、このことを持ち続けたい、と思っているのだろうなとも思います。余り認めたくないことではありますが、そうなのでしょう。

 このことを持ち続けることでいつまでも被害者意識を持てば、自分が変わることを拒否し続けることができます。

 「今、ここ」が大切だと言いながら、過去に生き、未来の不安や心配の中に生きているのです。

 自分で「今、ここ」に生きようと言い続けても、その力の弱いこと弱いこと。また、続かないこと。自分はこのまま腐り果ててしまうのかと思うこと度々です。いや、こんな自分の命をもう取ってください、と神に何度言ったことか。

 では、自分でいのちを絶てるかと言ったら、できない。もし、そうすればとてもとても悔いると思うのです。

 

 何故悔いるのか?

 それは、自分でいたかった、と思うからだろうと思うのです。

 

 では、何故自分でいられないのか?

 それは、そう思うほどタバコの体験が強烈だったし、恐怖だったのだろうと思います。

 幼くして生きていくためにはこの恐怖に従って行かざるを得なかったのかもしれません。父親の顔色を覗いながら、父親の気を悪くしないように生きざるを得なかったのでしょう。

 しかし、自我が芽生えてくるとそうはいかない。

 でもでも、自我が芽生えてきても心理的にはタバコの火を付けられたときと同じ年齢だと思います。自分を抑えて生きてきたから、自分でない自分を生きてきたから心理的には成長していないのだと思います。つまり幼いのです。幼いまま生きてきたから生き辛いのは当然なのでしょう。

 自分を生きてきた人は、その時々に乗り越えるべきことをその時々の自分の力を使って生きてきて、その体験はその人のその後を生きていく力となるのだろうと思います。

 ところが、自分を生きていない人は自分でない自分を無理に演じて生きていくから生きていくためのエネルギーが枯渇してしまうのだろうと思います。

(ここまでは昨年書いていたものです)

 

 以下次回。

 

 

 寒くなってきています。

 どうぞご自愛くださいね。

 では、失礼いたします。

 

 

 

     武頼庵

 

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