15年戦争の戦争責任を冷静に考えてみる必要ありや
テーマ:政治・経済日本経済新聞 2006年(平成18年)8月9日(水曜日)18面
井上ひさし「私を主語に自らけじめを 戦争責任の一端国民にもある」(聞き手 河野孝編集委員)
井上はん曰く。
「東京裁判では、作戦計画を立案した高級官僚的軍人や、軍国主義的風潮を支えた国民が出てこない。日本人は風向きを読み、自分に得なことをするのは天才的。日本語は状況が主語で、状況が天皇のときは神の国、マッカーサーになれば民主主義に変わる。最近のワールドカップがいい例で、神様だったジーコが負けると敗因をきちんと分析せず次はオシムだと騒いでいる。
日本語は優れた点もいっぱいあるのだから、欠点に気がついて使えばいい。私たちが主語になり、『私もこう思う』とはっきり言う。戦争責任も日本人自らがけじめをつけなければいけないんです。」
A級戦犯が合祀された靖国神社に、終戦記念日の8月15日に小泉首相がとうとう公式参拝したとゆーことがちょっと話題になった。中国・韓国はA級戦犯が合祀されとるところを公式参拝することにオコッとるゆーことで、日本のメディアもその点ばっかり強調しとるが、井上はんの見方を読むと、それはナンセンスやと思う。A級戦犯の人たちが15年戦争を主導したということは確かやろうし責任は問われて然るべきや。しかし、その人たちだけに責任を押し付けて、当時その動きを煽って戦争にのっかった国民やメディアの責任から目をそらしているゆーのは妥当な判断やろう。
A級戦犯合祀と靖国神社云々の感情論にとらわれるよりは、冷静に当時の状況を見つめて、指導層、メディア、国民それぞれの責任を明確化し、今後そないな間違いを犯さんためにはどーしたらいーか考えるほうがよっぽどえーんやないかと思う。特にマスコミは、インタビュー記事で冷静なことゆーとる人をとりあげるだけやなくて、自分たちの論説でそんなことをゆーてみるべきや。
了




















1 ■そうですね
A級戦犯という括りがいけない。
だいたい三国同盟だったわけじゃないですか。
ドイツやイタリアは大人な対応をしっかりしたからこんな問題にならないんです。ナチスは、ナチスと切り離したあたりも上手です。