お祝いのプレゼント・メッセージありがとうございました。(航海への情熱) | 3DCADと3Dプリンターで作るデジタルジュエリー®

お祝いのプレゼント・メッセージありがとうございました。(航海への情熱)

ジュエリービジネスの貴公子 佐藤善久です。


本日 7月28日 46歳になりました。


$「ジュエリーデザイナーになるには?」をジュエリービジネスの貴公子」佐藤善久と考える-カツオ

ジュエリービジネスの貴公子 佐藤善久は  常に全力でTRYする  自分が大好きです。

そして昨日 7月27日は亡き父の誕生日でした。


父は 中学のときに 両親(ジュエリービジネスの貴公子のおじいちゃん・おばあちゃん)を亡くし 親戚が 高校に行かせてくれるというのを断り まさしく裸一貫で集団就職で 山形からでてきました。

そして 縁あって ジュエリーの会社に入り 勉強し努力し 当時ジュエリー業界では知らない人がいないくらいの大番頭になり、 その後昭和46年に独立しました。


その父が ちょうど50歳の時 (ジュエリービジネスの貴公子が大学3年のとき)心臓疾患で他界しました。


それまで 何不自由無く好きなことをさせてもらっていたので 大変ショックでした。

初めて体験した身内のお葬式が父の葬式だったのです。

わたしが大学生になり、彼女ができデートすると言うと

「デート代あるか? 恥かくなよ。」と言ってそっと小遣いをくれました。

小さい時から ホテルのレストラン などにネクタイをしめて連れてってくれました。

「安い居酒屋 10回行くのをやめてその分で1回一流の店に行きなさい。」と教えてくました。

また、「できる時にはして できない時はがまんしなさい」と教えてくれました。

高校2年時は、香港。 高校3年の時 2週間ハワイに勉強にいきました。

大学1年の時は、父と一緒にバンコクに仕事について行き 帰りは一人でシンガポールを旅してきました。

その経験があったので、大学卒業 の時、卒後旅行にいく同級生を見ても うらやましく思わず 素直に「楽しかった?」と同級生に聞くことができました。(すでに大学通いながら 働いていました。)

この時

「できる時にはして できない時はがまんしなさい」

と言う父の言葉を思い出しました。

常にその時その時 全力で過ごす大切さを学びました。


ジュエリービジネスの貴公子は 中学卒業後 裸一貫で一人で東京に出てきた尊敬する父に 色々教えてもらい こうして形成されたのです。


今日46歳になり 父が亡くなった50歳まで、あと4年になりました。


目標は 尊敬する父を超えることです。



あと4年 父を超えるべく、全力・本気で目標に向かっていきます。


今日は 沢山のお祝いを皆さんから頂きまして本当にありがとうございます。



ジュエリービジネスの貴公子 佐藤善久でした。


PS: ジュエリービジネスの貴公子は ポールマッカトニーが好きです。

やさしい顔 やさしい歌声。


下の動画は 画質も音声もGOOD!

いやされますよ。

Yesterday - Here There And Everywhere - Wanderlust(航海への情熱)