2011-03-05 21:02:52
卒業式が、終わりました。
テーマ:運命
営業最後の2月は、常連の方が何回もいらっして下さったり、素敵な来賓のご家族がいらっして頂いたりと、
楽しくもあり、
名残惜しくもあり、10年間の数々の思い出と、新たな生活が始まるドキドキとが入り交じっておりました。
綺麗なお花を
お持ちになった方々は、
『本当に、無くなってしまうんですね!』と・・・
なんとも言えない、惜別の感情が湧き上がります。
やはりこの春、
卒業式を迎えられる人が感じる
『門出の情景』です。
10年間という時間は、中学校、高校、大学と学んでいる時間と同じ長さです。結構ながいもの。
、
私どもと同じころ開業された、お医者さんも当時のことを思い出しながら『いいですね♥、羨ましい!』と、なにやら私どもの卒業がうらやましそうに言われておりました。
10年というレストランの毎日は、
ご予約の受付、
テーブルセッティング、そしてそのリクエストの料理を仕上げながら、片方でアレやコレやの仕込みをしている每日で、
起きては準備、
寝ては次の日の段取りを考えている。繰り返される日々の緊張です。
この過酷とも言える仕事は、来店されたお客さんの「幸せな笑顔」が無ければ、とてもやっていけない様なハードさでもあります。
ですから、10年という月日頑張ってこれたのは、ひとえに『楽しそうで、幸せにひたっている笑顔
』を、お礼に頂いたからに他なりません。
それと違い、病院は、治ったら来なくなるのですから、お医者さんは病気の時のお付き合いですね!
なかなか神経をすり減らすお仕事で、人の気持の報酬を受けにくい職業でもあります。
それでという訳でもないでしょうが、『羨ましい!』と言われたのは、多数のお医者様でした。
そう言われてはじめて気づくもので、なかなか人の仕事というものは、解りづらいものです。
特に日本人の労働観は、昆虫に例えられ『働き蜂や
、働き蟻』あるいは、狭い住宅環境を『にわとり小屋』等と言われてきました。
『人生を楽しむ為に働く』といった余裕もなく、過労死までが出るような労働環境で仕事をし、家に帰ればお風呂に入って寝るだけ。一方GNPは世界の上位だから豊かになったなどと、言いくるめられて納得している私達。たしかに昔と比べると物に溢れていますが・・・
卒業旅行で、ベトナムに行って感じたことは、
『貧しさや、豊かさ』は不思議なものだな
、と言うことです。
フランスでも一ヶ月のバカンス
のために働き、また家族との日々の楽しみのために働く。
仕事をさっさと終われせて帰るというより、家族と楽しむ時間が無くなるなら仕事をしている意味が無いといった、労働観があります。
ですから、自分の生きている限られた時間を大事にする。全てはその為にあるという・・
ベトナムの人々の決して豪華では無いが、豊かな食事を心がけて楽しむこと等々。
言い換えれば、自分の時間がなければ、貧しい人生だということに尽きるのでは、との価値観。
そうは言ってもなかなか、日本標準の労働が当たり前になっている中では、そうする事も難しいものです。
という持って回った理由で、10年に一回は、『リセット&リフレッシュ』タイムを設けております。
卒業が終わった翌日の目覚めは、いつも実に清々しいものです。
大きな荷物が無くなり、追いかけられる影もなく、視界が一挙に広がって世界がひときわ輝いて見えてくるものです。この官能的な快感があるからこその10年。
卒業の翌日、3月1日の朝は、
何故だかしら10年ぶりに「いつもと違う朝」を迎えることが出来ました。
何やらやり遂げた感といいますか、重い荷物が降りた感じといいますか、清々しさまで感じておりました。
皆様におかれましても、『人生なんて、アット言う間
』ですので、『命を楽しむ時間
』を作って、御一緒したいものです。
ほんのチョットだけ、お先させて頂いております。
楽しくもあり、
名残惜しくもあり、10年間の数々の思い出と、新たな生活が始まるドキドキとが入り交じっておりました。綺麗なお花を
お持ちになった方々は、
『本当に、無くなってしまうんですね!』と・・・なんとも言えない、惜別の感情が湧き上がります。
やはりこの春、
卒業式を迎えられる人が感じる
『門出の情景』です。10年間という時間は、中学校、高校、大学と学んでいる時間と同じ長さです。結構ながいもの。
、
私どもと同じころ開業された、お医者さんも当時のことを思い出しながら『いいですね♥、羨ましい!』と、なにやら私どもの卒業がうらやましそうに言われておりました。
10年というレストランの毎日は、
ご予約の受付、
テーブルセッティング、そしてそのリクエストの料理を仕上げながら、片方でアレやコレやの仕込みをしている每日で、
起きては準備、
寝ては次の日の段取りを考えている。繰り返される日々の緊張です。この過酷とも言える仕事は、来店されたお客さんの「幸せな笑顔」が無ければ、とてもやっていけない様なハードさでもあります。
ですから、10年という月日頑張ってこれたのは、ひとえに『楽しそうで、幸せにひたっている笑顔
』を、お礼に頂いたからに他なりません。それと違い、病院は、治ったら来なくなるのですから、お医者さんは病気の時のお付き合いですね!
なかなか神経をすり減らすお仕事で、人の気持の報酬を受けにくい職業でもあります。
それでという訳でもないでしょうが、『羨ましい!』と言われたのは、多数のお医者様でした。
そう言われてはじめて気づくもので、なかなか人の仕事というものは、解りづらいものです。
特に日本人の労働観は、昆虫に例えられ『働き蜂や
、働き蟻』あるいは、狭い住宅環境を『にわとり小屋』等と言われてきました。『人生を楽しむ為に働く』といった余裕もなく、過労死までが出るような労働環境で仕事をし、家に帰ればお風呂に入って寝るだけ。一方GNPは世界の上位だから豊かになったなどと、言いくるめられて納得している私達。たしかに昔と比べると物に溢れていますが・・・
卒業旅行で、ベトナムに行って感じたことは、
『貧しさや、豊かさ』は不思議なものだな
、と言うことです。フランスでも一ヶ月のバカンス
のために働き、また家族との日々の楽しみのために働く。仕事をさっさと終われせて帰るというより、家族と楽しむ時間が無くなるなら仕事をしている意味が無いといった、労働観があります。
ですから、自分の生きている限られた時間を大事にする。全てはその為にあるという・・
ベトナムの人々の決して豪華では無いが、豊かな食事を心がけて楽しむこと等々。
言い換えれば、自分の時間がなければ、貧しい人生だということに尽きるのでは、との価値観。
そうは言ってもなかなか、日本標準の労働が当たり前になっている中では、そうする事も難しいものです。
という持って回った理由で、10年に一回は、『リセット&リフレッシュ』タイムを設けております。
卒業が終わった翌日の目覚めは、いつも実に清々しいものです。
大きな荷物が無くなり、追いかけられる影もなく、視界が一挙に広がって世界がひときわ輝いて見えてくるものです。この官能的な快感があるからこその10年。
卒業の翌日、3月1日の朝は、
何故だかしら10年ぶりに「いつもと違う朝」を迎えることが出来ました。何やらやり遂げた感といいますか、重い荷物が降りた感じといいますか、清々しさまで感じておりました。
皆様におかれましても、『人生なんて、アット言う間
』ですので、『命を楽しむ時間
』を作って、御一緒したいものです。
ほんのチョットだけ、お先させて頂いております。



といった人達が、外交上の駆け引きや、収奪する為の策略を巡らせるために、泊まったホテル。
それが人生さ、みたいな・・・
屋上のエムズ・バーで、黒々として歴史の闇を飲み込んできたサイゴン川を、行き交うクルーズ船の光を眺めながら、二人でカクテルを重ねると、
”今”
帰国の時です。
色んなハプニングや可笑しかったことがありますが・・・
。ベトナムの水は硬水で、あまり清潔じゃないと聞いているので。フランスも水が悪いせいか、駅などの自販機でよくミネラルウォーターが売られていた。
ファースト店向き。
、世界中で何か共通の物差しを持って計られている
のかもしれない。
アラアラと、そんな方を時々こちらでも見かけるが、ベトナムの方はその国の人全体がそうあるという見方よりは、その人その人を見て対応しているみたいだ。 さすがに交渉上手は、伝統か!?
を見ながら、日本人との違いを色々思ってみる。こんな時間も、素敵で楽しい。
行って遊ぶ予約を入れてある。我々の後は、コーチ付きのプライベートレッスンの予約があった。たしか日本の駐在員の方のような名前だった。
バスで帰ってくるお出迎えだった。
、日本の住居と違って広々と作られているしプールで泳ぐことも、テニスコートで遊ぶことも出来る環境であるにもかかわらず・・・お疲れ気味?
この国の歴史が蓄えた、この圧倒的なベトナムの人々の発するエネルギーは、島国の日本の貧困な資源の中での苦労で育ったのと違って、智略に富んでいて伶利なオーラがあり、その異質なパワーにあ照られている緊張感からかもしれない。
汗を流そうっと。
一泊だけのこのホテルなので、近くに良いとこないかな。


果物と飲み物
が置いてあり、私の名前があるメッセージがおかれていた。
大きな液晶テレビとビデオデッキ。このお部屋の両側にはそれぞれ大きなベットが置かれたお部屋がある。そして部屋続きのもう一つのバスルーム。いわゆるツー・ベットルーム&ツー・バスルームなのだ。窓から外を眺めるとプールがあり家族連れやカップルで泳ぐ姿が、見える。その先には
大きな銀行に入って、両替してもらいその角を曲がりグエンティミンカイ通りを下る。ベトナム国営テレビ局の建物を左手に見ると角を左におれる。そしてトンドクタン通りに出る。ホーチミン市人文社会科学大学のキャンパスを左手に見ながら歩く。目的のビルはひと際高くそびえている、「あれ!」だろうと目指す。
や文房具屋さんが点々とある。
、ワイフが英語で尋ねるていると、同僚の女性たちが寄ってきて『あまり英語は出来ない!』
あちらも物珍しいのだろう!日本人とおしゃべりするのが。
、やめてほしい小太りならぬ、大太りの白人の動きだ。
一人で出かけてくるワイフですが・・・
、ホテルの前にある商店です。
400年にもわたる戦争状態が続いた国。

や家畜の肉
が並んでいたと・・・
。
ベトナムから、日本が見える。
『日本人だから、日本を知っている』なんて言って、勘違いしてはいられないと思った。これを見ている外人の方がよっぽど、日本通になると思える。
とある。
『カエルのお粥』と
シンガポール人のオーナーさんが、『料理は気に入ってくれたのか』『どこから来たのか』とか『福岡は日本のどのへんか?』などと、我々の満足した顔をみてか、けっこうな金額を使ったからか、上機嫌で話しかけてきた。
越中戦争や第三時インドシナ戦争を経て、
ようやく1993年に戦争が終結したと言ってよい。
この風景に出会うのは、どこの国に行っても良いものだ。パリやハワイで見た純白のドレスの花嫁さんも思い出す。
ベンツやらBMBやらレクサスやらがお止まりになっていらっしゃる。お迎えの車らしい!
}としか出てこない。
生まれて初めてな感じ!
?
』と二人意見が一致。
。
呟いてしまいました。
例の美しいアオザイの人からキーを貰い、さっそくお部屋でランチタイム


